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 瞼を開けると、日が暮れてきたせいか室内は薄暗くなっていた。

 それでも、夏に近づいていることもあって次第に日が長くなっている。肺の中が空になるくらい、大きく息を吐いて起き上がる。

 やることはまだある。いつまでも寝ている訳にはいかない。

 料理をする時間も惜しいため、冷凍庫から取り出したドリアをレンジに入れる。

 ノートパソコンを立ち上げて、ブラウザを開く。

 検索エンジンに『火恐怖症』と打ち込んだ。

 AIによる概要を流し見、オンライン百科事典から参考サイトへ飛びウェブ記事を読み込む。

 火恐怖症とは、特定のあるものに対して、心理学的、生理学的に異常な恐怖心を抱く限局性恐怖症の一つ。

 タロの症状のことを思い出す。店長が言ったとおり、ライターの火で卒倒したことがあり、火を見れないし近づけないことは彼が住み始めてからすぐに言われた。はじめは嘘かと思ったが、一緒に見ていた映画で火事のシーンが映ったときにそれが嘘ではないと確信した。

 タロは画面から顔を反らせ、体をブルブルと震わせながら耐えるように声を押し殺していた。血の気の失せた顔でしばらく震える彼の背中を撫でて、宥めたのを覚えている。

 料理をするときは必ずアコーディオンカーテンで部屋を仕切る。映画はできるだけ内容を調べて火のシーンが無いことを確認して見るようになった。アニメの松明など絵で表現された火は平気だが、火事のシーンはダメだった。彼は火事に恐怖心を抱いている。


「タロは、火事でトラウマを負ったことがある」


 仕事用に買って放っておいたメモ帳を取り、ペンを走らせた。わかっていること、気になっていることも書き出していく。

 出身地は東北と広く仮定してみたが、火事のみで追っていくとなると膨大な数の事件が引っかかってくる可能性がある。ノイズを減らすためにも、“山形県内”と調べる範囲を狭める。

 彼が東京へと来たのは八年前、その前後に起こった火事が原因として年を絞る。絞った単語をキーワードに検索エンジンに打ち込んだ。

 勝手に作られるAIの概要を飛ばし、古い事件のニュース記事にひたすら目を通していく。

 小さなボヤ騒ぎの記事に手が止まった。


「連続放火の可能性……不審火七件……」


 廃刊になった新聞のデジタル版だ。十年も前の記事で廃刊もしているためか、記事全文ではなく概要だけが残されている。


「――いずれも無人神社、民家の庭に置かれた石灯籠や手水鉢などが相次いで燃える不審火」


 脳裏で、石灯籠の上にそれは静かに舞い降りた。大きく張り出した目と鼻、大きく裂けた口からは鋭い牙と長い舌を覗かせている。

 鬼だ。

 それはゆっくりと目を細め、小さく息を吐いた。吐息からぱちぱちと薪が爆ぜるような音が響く。

 ぼっ、と音を立てて鬼の足元にあった石灯籠に火が点く。

 深い夜を照らしているのか、虫を呼ぶようにこちらを騙して誘いこんでいるのか。

 鬼と目が合った。

 墨絵の鬼は、私を嘲笑う。

 ぱちぱちと音がする。

 火の粉が爆ぜている。

 火が、闇の中で灯っている。

 ぬっと、闇の中から白い腕が現れた。筋肉のついていない、女の子のような腕。細長い指先が、石灯籠のざらりとした感触を確かめるように撫でた。


「さっちゃん」


 青白い顔のタロがこちらを見ている。鬼とは違い、悲しげに微笑んだ。


「さっちゃん」


 彼が呼ぶ声を聞きながら、私はそっとマウスをスクロールする。


「……四人暮らしの住宅全焼、三人の遺体を発見。不審火事件と関係か」


 二〇一五年の七月に山形県米沢市で起きた事件だ。これも概要だけで、詳しい情報を探してみても目ぼしいものは見つからなかった。

 デジタルアーカイブ化されておらず、実際の紙面を見に行くしかない。こういう時、自分が東京に住んでいて良かったと思う。

 東京都立図書館のページを開き、統合検索を開く。都内公共図書館の蔵書や、論文、雑誌の記事を一度に検索できる。昨今だと『カーリル』という全国規模で検索できるサービスもあるが、あちらは一般向けで図書に強い。新聞や細やかな記事の検索には向いていない。

 統合検索で調べてみると、新聞の所蔵は国立国会図書館のみのようだ。予想していたとおりの結果に小さく息を吐く。

 レンジの中で冷めたグラタンをもう一度温め直しながら、明日の予定を決めていく。

 漠然とだが、本当のタロに近づいている気がした。


 ドアが開き、まるで軍隊蟻のように静かにホームへと出ていく人たちと同じ波に乗って電車を降りた。

 東京都千代田区永田町。国会議事堂や政党本部など、日本の政治と政界の中心地。

 永田町駅二番出口から徒歩五分の場所に、国立国会図書館は建っている。

 国会の立法行為を補佐する行為を第一目的とした議会図書館であり、日本国内で出版されたすべての出版物を収集、保存する日本唯一の法定納本図書館だ。

 ゼミの先生が企画した見学会に参加して以来、実に六年ぶりに訪れた。部屋の中を探し回って見つけた利用者カードは期限が切れていて、丁寧な案内を受けながら更新手続きを終わらせる。勤めている公共図書館とはまた違った客層を眺めながら、ロッカーに荷物を預けて目的の場所へと向かう。

 一般利用者が入れるのは地上六階の建物だけ。見学に参加すれば地下にある書庫も見ることができる。本館と新館を合わせて約一二〇〇万冊の本が収蔵されており、本を愛する人から見れば本の聖地と言っても過言ではない。

 私にとっては遠い他県に行かなくても、目的の資料を読むことができる情報の宝庫だ。

 新聞資料室のカウンターへ向かい、事前に閲覧依頼をしていた新聞資料を受け取る。約三か月分の新聞の束はそこそこに重かった。

 空いてる席に持っていき、破かないように慎重に新聞紙をめくる。

 探していた事件の記事はすぐに見つかった。

 二〇一五年三月。最初の事件は閑静な住宅地の中にある無人神社の灯籠に点けられた不審火。夜が明ける前の四時頃に近隣を通りがかった新聞配達員が気づき火は消し止められた。いつから燃えていたのかは不明。灯籠の中には灯油が染み込んだ布と固形燃料により意図的に火をつけられた可能性があり、放火とみて捜査を開始している。

 それから一週間後の新聞に再び記事が書かれる。

 前回から十キロ程離れた無人神社で同様の放火が発見され、夜二十二時頃に消し止められている。その二週間後に無人神社で三件目の不審火。さらに二週間後の四件目と一週間後の五件目が民家の庭先にある手水鉢への放火。六件目と七件目が民家の石灯籠だ。不審火による怪我人はない。

 そして、七件目から二週間後に新聞一面を飾ったのは『四人暮らしの住宅全焼、三人の遺体を発見』の文字と赤々と燃える民家の写真だった。

 未明に起きた火事で通報から四時間後に消し止められている。遺体は無職の世帯主男性、その妻と娘と判明。世帯主の男性は火傷死、妻と娘は一酸化炭素中毒死。


(……離れで寝起きしていた孫で高校生の無事を確認)


 その一文を読んだ瞬間、これだと思った。さらに記事が無いか探してみたが、詳しく書かれたもの、その後の調査の結果など火事に触れる記事はない。

 映像制作会社の児童ポルノ禁止法違反の事件が記事のメインになっていく。細かい記事にも目を通していくが、火事についてはなにもなかった。


(不審火も起きなくなってる……)


 さらに次の年の新聞も読んでみたが、あの不審火と火事に関する記事は見つからなかった。まるで、これ以上は教えられないと口を噤まれた気がする。

 ほかの新聞も読んでみたが、目新しい情報はなかった。不審火と火事の記事を複写してもらい、国会図書館を後にする。


「あれ、咲月ちゃん?」


 妙に馴れ馴れしく呼ばれて、自分の名前が呼ばれているのか一瞬悩んだ。振り返ると、人懐っこい笑みを浮かべた伊達刑事が軽く手を振っている。

 昨日会ったときと同じように真っ黒なフォーマルスーツに昨日より少し明るい藍色のネクタイ姿だ。


「こんなところで奇遇だねぇ、調べもの?」

「え、ええ……はい……まぁ」


 何と答えたものか悩ましく曖昧に返事をして、伊達刑事の様子を伺う。私の視線に気づいたのか、伊達刑事は一つ頷くと指先でどこかを指した。


「用があって警視庁に顔出しに行ってたんだよね。気になることがあって、ここに来たってわけ」


 警視庁はここから皇居桜田門の方へ二十分ほど歩くと建っている。彼は警察官なのだから、事件の調べ物があればここに来てもおかしくはない。

 おかしくはないけれど、


「ちょっとお茶でもどう? 奢るよ」

「ご馳走様です」

「……お前にじゃねーよ」


 ぬっと階段下の曲がり角から御子柴刑事も現れる。どうやら、彼も一緒だったらしい。

 目が合うと小さく会釈してくれた。


「咲月ちゃんはこの辺詳しい? 君の好きなところに行こう」

「あの、その、年も近いと思いますし“ちゃん”付けで呼ばれるのはどうも……」

「え? ああ、俺、今年で三十六」

「えっ!?」


 驚きで声が裏返った。スーツ姿でなければ、二十代前半くらいにも見える容姿の男性が自分より十歳も上だとは思わなかった。


「咲月ちゃんはミコと同じくらいじゃね? お前、今年でいくつだっけ?」

「二十八ですね」

「わけーなぁ」

「もう、アラサーですよ」

「アラフォーの前で年齢の話すんじゃねぇよ」

「始めたのは伊達さんでしょう」


 伊達刑事は傍らに立つ御子柴刑事の肩を軽く殴ると、屈託のない笑顔を私に向けてくる。まるで高校球児のような爽やかな笑顔だ。


「さ、行こうぜ」


 促され、二人の後について歩き出す。


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