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 ふと、視界の隅に本棚が映る。二人のお気に入りの本が並んだ共同の棚だ。

 読書をしたことがない、というタロが私の好きな読書を好きになりたいと言ってくれて、二人で始めた月に一度の楽しみだ。本屋でお気に入りの一冊を選び、気に入ったものを互いに勧めあう。一年ほど経つとタロは驚くほど読書好きになり、図書館で借りるようにもなった。


(ああ……タロの借りてる本も返さないと……)


 本棚の前に置かれている、図書館の本を入れているトートバックを開く。中には英単語や文法を勉強するための参考書と英語の絵本、文庫本が一冊入っていた。

 何とはなしに文庫本を手に取って驚いた。文庫本は思った以上にくたびれていて、何度も読んだ跡が残っている。


「あれ、これ、タロが持っていたの?」


 『画図百鬼夜行全画集』は江戸時代中期の画家であり、浮世絵師の鳥山石燕が描いた妖怪画がまとまった本だ。一時期妖怪や民俗学にハマって購入し、タロに勧めた一冊。常に持ち歩いて読むほど気に入っていたことに驚いた。くしゃくしゃになった赤い付箋が飛び出ているページを開く。目に飛び込んできたのは石燈籠の上に座り、火を吐いている妖怪だった。


「……古籠火(ころうか)」


 それ火に陰火、陽火、鬼火さまざまありとぞ。わけて古戦場には汗血のこりて鬼火となり、あやしきかたちをあらはすよしを聞はべれども、いまだ燈籠の火の怪をなすことをきかずと、夢の中におもひぬ。『画図百鬼夜行全画集』より


 鬼火など様々な火の妖怪はいるのに灯篭の妖怪は何故いないのだろうと夢の中で想った、と鳥山石燕の解説が記されている。

 すかさずスマホを手に取り、検索エンジンに掛ければインターネット百科事典や妖怪についてまとめたサイトなどがいくつか引っかかってきた。上から順に流し見ていき、文献の典拠がないことから石燕の創作した妖怪かもしれないという結論に至った。

 一九七四年に山田野理夫によって書かれた『東北怪談の旅』では「ころうび」という読み方で山形県の妖怪として記されているが、この怪談集の多くは著者の創作が混じっていることで有名だ。


「……ころうか……ころうび……山形県の妖怪……」


 ふと、文庫の端に何かを消したような跡が残っていることに気づいた。うっすらと数字の羅列のように見える。突き動かされるようにペン立てから鉛筆を取り、かすかに残った凹凸を塗りつぶす。現れたのは十一桁の電話番号だった。

 検索エンジンに掛けてみるが、怪しい電話番号ではないようだ。見覚えのある筆跡はタロのものだ。彼が書く数字は特徴的で特にゼロは丸にしか見えない――まさに、漢数字の〇だ。

 もしかしたら、家族に繋がるかもしれない。指は自然と動いていた。

 コール音が鳴り響く。出たら、何を言えば良いのだろう、何を聞けば良いのだろう、頭の中でグルグルと考える。長いようで短いような時間が経ち、十コール目に差し掛かった時だった。


『はい?』


 訛りのある若い男性の声が聞こえた。


「あ、あの、突然すみません。私は、東京の東海林と申します。えっと、タロ、いえ、佐藤太郎さんのご家族の方でしょうか?」

『えぇ? なんだっで……佐藤、太郎?』

「はい。ああ、いいえ、その、偽名なんですけど。二十代の男性で、お知り合いに心当たりはありますでしょうか?」

『はぁ?』

「えと、あの、あなたの電話番号がメモされてて……あなたに、電話を掛ける知り合いの中に、東京に住む人で心当たりある方はいないでしょうか? 先日亡くなったんですが、身分証を持っていなくて……家族を探しているんです」

『そげなごど言われても……あー、心当たりはねぇっす』

「そう、ですか……」

『わりなっし』

「あ、すみません、あの、えっと、こんな風に東京から電話してきた人って他にいますか?」

『……いや、いねげど。ああ、仕事さもどるんで、失礼します』


 止める間もなく、電話は切られた。黒く染まったスマホの画面をしばらく眺め、片手に持っていた文庫本を見下ろす。


(電話番号の相手が違うから、書いた番号を消した?)


 違う。と脳裏で誰かが否定する。

 電話に出た男性には訛りがあった。記憶に残っていた言葉を検索エンジンにかければ、すぐに東北の訛りだと出てきた。古籠火は山形の妖怪、それから、それから思い出すのはタロとの出会いだ。

 彼は私の苗字を見て「とうかいりん」と呼んだ。しょうじ、という読み方を知らなかったのではない、彼が住んでいた地域では「とうかいりん」と読まれていたのだ。特に、東北の山形県ではそう呼ばれている。

 漠然とした何かが繋がっていく。まるで、タロが隠してきた秘密を一枚ずつ暴いていく高揚感に私は胸を押さえた。


(ああ、そうか……私は……)


 タロのことを知りたいのだ。

 誕生日を知っているのに年齢を知らない。どこで生まれて、両親はどんな人で、高校ではどんな部活をして、どうして東京に出てきたのか。

 どうして、がいくつも頭の中に浮かんで消えていく。衝動のまま、文庫本をバッグに入れて、身支度を整えてアパートを出た。向かうのはタロが働いていたバーだ。

 前のマスターが亡くなってから新たに立ち飲み屋が開店したそこは、タロの顔見知りが開業し開店してからしばらくは手伝っていたのを思い出した。タロから何か聞いているかもしれない。

 一抹の期待を込めて、昼から営業しているその店へと急いだ。


 赤羽一番街商店街は赤羽駅東口からすぐにある、飲食店や商店が立ち並ぶ赤羽を代表する場所だ。中でも一番街シルクロードと呼ばれる、アーケード下に隙間なく飲み屋や飲食店が並ぶ一角は、せんべろの聖地、飲兵衛の楽園と名高い。平日だというのに賑わう場所を抜け、繁華街の中に突如姿を現す小学校の横を通り過ぎ、裏手に回る。

 少し喧騒から外れたマンションや住宅が立ち並ぶ通りにもぽつりぽつりと飲み屋が立っている。

 店先にある洒落た黒板の立て看板には白いチョークで「Hit the bottle」とカクテルグラスが描かれていた。

 店の中を覗くと、六畳ほどの広さの店にはバーカウンターが置かれ、様々なお酒が背面の棚に飾られている。

 見覚えのある黒いTシャツの男性と強面のスーツの壮年の男性がバーカウンター越しに顔を突き合わせている。声をかけるのを躊躇っていると、私に気付いた店長が顔を上げる。


「いらっしゃい……あっ」

「?」


 根元が黒の明るい金髪の店長は笑顔で挨拶した後驚いたように目を見開いた。


「タロの彼女!!」

「……同居人です」

「刑事さん、この子です!」


 そう言って指をさしてくる店長に反射的にむっとした。人を指さしてはいけないと、彼は学んでは来なかったようだ。

 失礼な態度に気を取られて、彼が叫んだ言葉を一拍置いて理解する。


(ん?……刑事?)


「あんたが、佐藤太郎さんの恋人?」


 低くしゃがれた声が頭上から降ってきた。いつの間にか店の奥から軒先まで移動してきた男性は、驚くほど強面で、右の太い眉の中ほどから眦に掛けて深い傷跡が走っている。一見すると刑事というより、ヤクザといわれた方がしっくり来た。

 ぐっと険しい顔が近づいてきて、思わず一歩距離を取る。


「タロ……佐藤太郎とは同居していましたが、詳しい事は先日署で話をしたとおりです」

「………何の話のことだ?」

「え? タロの身元の話ですよね?」

「いや、確かだが……署に話したとはどういうことだ?」

「え?」


 私たちは顔を見合わせた。刑事の顔にも私と同じく困惑の色が浮かんでいる。


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