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「夕飯、食べた?」
「うん。作り置きのカレーをレンチンして食べたよ。お風呂も入ったから、さっちゃんゆっくり入って」
そう言ってタロは慣れた足取りで階段を上り、二畳程のロフトへと戻っていく。一八〇近い身長を丸めて窮屈そうに見えるが、本人曰く住み心地はいいらしい。
この部屋にロフトがなかったら、タロを拾っていない。
いや、住まわせていないが正しい。タロはヒモだ。三年前までは駅前の飲み屋街にある立ち飲みバーでバイトしていたが、コロナ禍の影響で潰れてしまった。それからは日がな一日ゲームをするか、たまに日雇いのバイトをしながらロフトを根城に日々過ごしている。
いつも通りロフトに戻ってゲームでもするのかと思えば、のそのそと布団の中に入っていくのが見えた。
「寝るの?」
「うん。なんか調子悪いから寝る」
「えぇ? 変なものでも食べた?」
「今日はさっちゃんのカレーしか食べてないよ」
「胃薬でも飲んどく?」
「ううん。寝てれば大丈夫だよ」
おやすみ、と小さくそう言ってタロはこちらに背を向けて寝始めた。
彼が体調悪そうにしているのを見るのは随分と久しぶりだった。バーで働いていたころは、店が休みの前はベロベロに酔っぱらい、次の日は二日酔いで苦しそうにしているのを見ることが多かった。それ以外、風邪一つ引いているのを見たことはない。季節の変わり目に風邪を引きやすい自分とは違い、彼は丈夫にできている。
気になりつつも、子供ではないのだからと自分を諫めた。子供を産んだ覚えはないのに、母親の気分なのは彼が彼氏というよりも犬を飼っているような気分にさせるからだろう。
タロ、という呼び名も悪い。
気分を変えるために手早くお風呂に入り、パジャマに着替える。
つい先週まで冬の名残で寒かったのが嘘のように暖かくなった。玄関先が脱衣所代わりになっている狭いアパートの風呂事情は、季節で快適さが左右されるのだ。胸の上まで伸びた髪を乾かしてから、夕飯の準備に取り掛かる。
作り置きのカレーを小鍋に移して少しだけ野菜ジュースを入れて温め、その間に冷凍していた白米を解凍する。特製チキンカレーはたっぷりの玉ねぎを根気よくきつね色になるまで炒め、余った野菜をゴロゴロと入れて煮る。そこに甘口のルウを入れ、隠し味にチョコレートとウースターソース、はちみつを入れる。最後に別で皮をカリカリになるまで焼いた鶏肉を絡めるようにいれたら出来上がりだ。東海林家でよく作られているレシピを自分好みにアレンジした。甘すぎるカレーは実家では不評だったが、辛いのが駄目で甘いのが好きなタロからは好評で、よく作る料理になっている。
お気に入りのカレー皿に盛り、ベッドの前に置いてある座椅子とノートパソコンが載ったこたつテーブルに置く。保温ポットの中を確認すると、沸かしてくれたのかお湯がたっぷり残っていた。カレーのおともに最近ハマっているコーン茶を淹れる。
「んー、うまっ」
一口頬張り、ホッと息を吐いた。一日置いたカレーは相変わらず自分好みの味で美味しい。食べてみたが、食材が悪くなっているわけではなさそうだ。
もしかしたら、風邪かもしれない。二人で十分気を付けて過ごしているため、いまだにコロナに羅漢していないがいつなってもおかしくはない。念のためマスクをした方がいいかもしれない。
そんなことを考えながら、ノートパソコンを立ち上げる。タロと一緒にご飯を食べない時は、ドラマやゲームの配信動画を眺めながら食事をするのが癖になっていた。寝ているタロを邪魔しないように、イヤホンを耳に付ける。
ぼんやりと配信を見つめていると、長いコマーシャルが流れ出した。
これからの結婚生活について二人が話をしていくものだ。咄嗟にスキップできないのは、今まさに頭を悩ませているからだ。
五年。
タロという男を拾って、一人暮らしを始めて五年経つ。
短大を卒業してから、就職もせずに実家でダラダラと過ごしていた。そんな生活を一変させたのは、兄の唐突な結婚だった。
実家ではなく職場の近くに暮らすのかと思えば、兄嫁と一緒に実家で暮らすため帰ってきたのだ。実家で母と一緒に暮らし、いずれ家を建て直したい。その申し出に母は大層喜んだ。父が急死してから女手一つで兄妹を育て上げた母は、よく言えば心配性、悪く言えば過干渉。母と折り合いが悪く、兄は高校卒業を機に家を出た。
家を出てからは年に一回顔を見せに帰ってくるだけ。詳しい話をしてはいなかったが、兄は戻ってこないだろうなと漠然とそう思っていた。しかし、あれよあれよという間に兄は結婚し、甥が生まれ、二階建て4LDKの家は五人家族が暮らす手狭な場所へと変わった。
子供をもう一人考えている、と兄が母に言ったあたりからニートの妹が煙たがられるのは必然だった。ゆっくり職を探せばいいと甘やかしてくれていた母は、いつ就職するのかと急かし始めた。
その居心地の悪さに耐え切れず、なんとなく取得していた司書の資格を活かせないかと、図書業務受託を行う企業の面接に飛びついた。それから契約社員になり、実家を飛び出し赤羽で一人暮らしを始めた。実家は同じ都内。いつでも帰れる距離だからか、母から特段何も言われることはなかった。むしろ、嬉しそうに就職と独り立ちを祝ってくれた。
そんな慣れない一人暮らしを始めて半年。新型コロナウイルスの影響を受け緊急事態宣言等様々な規制が起こる中、公共図書館も一部サービスの休止や座席の使用不可、スタッフの出勤人数の制限など対策が取られるようになった。目まぐるしく変わる情勢に、忙しい日々。普通の新社会人として過ごすことができないストレスの中、一人疲れて夜道を帰っていると道の真ん中で男が一人倒れていた。
それが、タロだった。
不要不急な外出を自粛するよう言われている最中、何をやっているのかと呆れながら男へ近づいた。赤煉瓦の道の上に大きく手足を広げて大の字に倒れている。
「だいじょうぶですかー?」
顔を覗き込んで息を飲んだ。淡いオレンジの街灯に照らされていたのは、思った以上に端正な面立ちの青年だった。
もしかしたらドラマの撮影だろうか、と疑うけれど周りにカメラなどないし人影もない。
ふと、風の向きが変わったからか青年の体から強い酒の匂いがした。アルコール特有の香りに、目の前が一瞬くらりとした。
「大丈夫ですか?」
声をかけても反応がなく、救急車を呼ぼうか悩んでいると唸り声を上げながらイケメンは目を開けた。しばらくぼんやりと空を見つめていたかと思えば、こちらに気付いたのか目が合った。
街灯の光を反射して、煌めく瞳に私の顔が映った。
「あの、大丈夫ですか?」
「……」
呼びかけているのに、青年の視線は一点を見つめているだけだ。
「お兄さん、大丈夫? 立てる?」
「……とうかい、りん」
突然何を言い出したのか、理解するのに数秒かかった。青年の視線をたどると、胸元で名札ホルダーが揺れていた。いつもならロッカーに入れているはずの濃い緑の紐を慌てて首から外す。紐をぐるぐると巻きつけて、鞄の中に押し込んだ。
「とうかいりん、じゃなくて、しょうじです。東海林」
珍しい苗字ではある。小学生時代に似たような読み間違えをされたことはあるが、テレビのフリーアナウンサーに有名な人がいるため、中学生以降は間違えられた覚えがなかった。
「しょうじ……しょうじ……芸人さんみたいだね」
イケメンは目を細めると小さく笑う。鼻にかけたような笑い方に、不快感が湧く。
「大丈夫そうなら、行きますね」
「……大丈夫じゃないかも」
大きな掌が伸びてきて、私の腕を掴んだ。咄嗟に振りほどこうとしたが、男性にしてはあまりにも細く華奢な指でギョッとした。血の気のない白い指だ。
力は強くないのに、掴まれた腕を振り払えない。
「おねーさん、俺のこと泊めてくんない?」
「…………え?」
その言葉を理解し、混乱したまま、何故か頷いていた。
それから、一泊は二泊へ、一週間、一ヶ月と伸びていきあっという間に五年が経った。
イケメンに迫られて、完全に血迷ったのだ。
しかし、後悔はしていない。
一人暮らしの寂しさと、感染症により徐々に外の世界と離れていく感覚。目まぐるしく変化していく中で、共に過ごせる人がいるというのは心強かった。それが、働いていないニートだとしても。
彼がいなければ、とっくにストレスでおかしくなっていたかもしれない。
けれど、ずっと、このままではいられない。
世の中が正常に戻りはじめると考え方があっさりと変わるものだ。
本当にいいのかと頭の中の厳しい自分に何度も問いかけられる。貯金もなく、本来なら女性単身者限定のアパートに二人で住んでいる。未だに大家さんにはバレていないようだが、いつ気づかれるのか分かったものではない。
一度、タロにこれからどうするのかという話をしたが、答えを得ることは出来ずはぐらかされた。
昇進の話が出ているが、公共図書館のスタッフなど薄給で老後に向けて貯蓄しながら彼を養うことは難しい。
そもそも――。
(私たち、付き合っているの?)
恋人ではなく、彼は愛玩動物に近い。本当に部屋の片隅に住んでいて、人恋しい時だけに抱きしめてくれる存在だ。家族ではあるけれど、それは勝手に自分が思っているだけだ。アラサーになって、これからの人生を考えるのならばこの関係に名前を付けたい。
名前が、欲しい。
私の思考を止めるように、大きな笑い声が上がった。画面の向こうで、勝利リザルト画面が流れている。どうやら、苦戦していた相手に勝ったらしい。勝利に喜ぶ推し配信者の声に思わずつられて笑ってしまう。お祝いのコメントを打って、食事へと戻った。
食事を終え、歯を磨き、軽くストレッチをしてベッドに入る。寝つきはいいため、横になるとすぐに眠気がやってきた。
明日の早番は誰だろう、とぼんやりと考えながら私は深い眠りに落ちた。




