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コンビニで買ったコーヒーを飲み、着いた先は低い山の麓に建っている家だった。高い位置に玄関があるのは雪国ならではの工夫だと気づいて、物珍しさからマジマジと見てしまう。伊達刑事は風除室を抜けて、インターホンを押した。
中から男性の声が聞こえ、カラカラと乾いた音を立てて引き戸が開けられる。白髪に眼鏡の小柄な男性は、目の前に立つ眼帯にスーツの男と長身の男に驚いたらしくぎょっとした表情を浮かべる。
「こんにちは。先日、ご連絡させていただきました赤羽警察署の伊達です」
「御子柴です」
「あ、お待ちしておりました。先日お話しさせていただきました、情野です。わざわざ、遠いところからありがとうございます」
情野、と名乗った男性は軽く頭を下げると一番後ろに立っている私へと視線を向けた。
「そちらは……」
「東海林親太郎さんの恋人です」
「しょ、東海林です。お邪魔します」
「……親太郎の」
情野さんは何度か目を瞬かせ、感慨深そうに何度も頷く。否定する隙も無く恋人にされたのがなんだか気恥ずかしくて、思わず視線を下げた。
「ここではなんですから、どうぞ、中へ」
通された居間は花柄のソファと足の太いダークブラウンのローテーブルが置かれていた。品のいいクッションに背を預けて伊達刑事と一緒に二人掛けのソファに腰を下ろした。
大きな窓からはよく手入れされた庭が見え、壁面に置かれた棚にはいくつも写真が置かれている。情野さんとその奥さん、それから年齢様々な子供たちが一緒に写っている。
その中の一枚に目が止まった。
タロだ。
卒業式の後に撮ったのだろうか、高校の制服姿だ。
「いなくなる、一週間前に撮った写真なんですよ」
私の視線に気づいた情野さんがそう言いながらお盆をローテーブルに置いた。コーヒーとお茶請けのロールケーキが載っている。
「すみません。先日家内を亡くしまして、少ししかお出しできなくて申し訳ない」
「いえいえ、お構いなく」
全員にコーヒーとお茶請けが行き渡ってから、空いている一人掛け用のソファに情野さんは腰を下ろした。
「奥さん、亡くなられたんですね」
「ええ。年の暮れに、質の悪い風邪を引きましてね……肺炎になって、そのまま帰らぬ人になりました」
「ご愁傷さまです」
「……家内はずっと、親太郎の行方を心配していました。私たち夫婦は児童養護施設に勤め、何人か里親を努めてきましたが……養子に迎えよう、と二人で決めたのは親太郎が始めてでした」
ふと、横から伊達刑事がスマホを差し出してきた。
「念のため、東海林親太郎さんで間違いないですか?」
画面に表示されているのは私が撮ったタロの写真だ。桜を背にはにかんで笑っている。
情野さんは震える手でスマホを受け取ると、信じられないものを見るように画面を見つめた。
「ええ、ええ……親太郎で間違いないです。こんなに、笑顔を……見せるようになったんですね」
「え?」
「あの子は、大人しくて心優しくて、でも、養護施設に来てから一度も笑顔を見せてはくれませんでした。まるで、魂が抜けたようにずっと窓の外を眺めて……親太郎が家族からひどい虐待を受けていたのはご存じですか?」
「はい。遺体の検視結果からも、随分とひどい暴力を受けていたようですね」
「ライターの火すら怖がって……ずっと、何かに怯えて、この世界には心休まる場所なんてないと思いながら生きているような子でした。それが、こんなに……」
情野さんにもっとタロの姿を見てもらいたくて、私はスマホを取り出して写真の一覧を開いて差し出した。
「あまり、数はありませんが……ここ、五年間の彼の写真です」
「ありがとうございます。拝見させてください」
情野さんはスマホの写真を一枚一枚丁寧に見ていく。
「親太郎とは、どこで知り合ったんですか?」
「えっと、知り合ったといいますか……拾ったといいますか……」
彼を知る人にこの話をするのは気が引けたが、興味深そうにこちらを見てくる視線に負けた。
出会いから、なし崩し的に同居に至るまで、彼と花見や公園巡りをして、河川敷を散歩したことを話す。伊達刑事と御子柴刑事からは生ぬるい視線を向けられていたたまれなかった。
「親太郎は、東海林さんと一緒にいられて幸せだったでしょうね」
「……そう、でしょうか? 彼の体調不良には気づけなかったし、何も、何も、してあげれなかったです」
「そんなことないですよ。こんなに、写真の中のこの子はすごく幸せそうだ……」
情野さんの目から、ほろりと涙が零れた。
「親太郎……バイトをして貯めたお金を、お詫びだと置いていったんです……新聞配達で頑張って貯めた、金を、家族になると言ってくれて嬉しかったと書置きを残して、置いて行ったんです。なけなしのお金だけ握って出て行って……何度、無事に生きていてくれと祈ったか……」
零れる嗚咽を耳にしながら、私は瞼を伏せた。
親太郎と一緒にここに来る未来があったかもしれない。そう思うと、何とも言えない気持ちに押し潰されそうになる。
あったかもしれない未来。もう、叶わない未来がある。
どうして、ここに彼はいないんだろう。
「…………親太郎は、私たちに危害が及ばないようにと逃げたんだと思うんです」
「危害?」
情野さんの言葉に伊達刑事の声が低くなる。私も思わず、情野さんの顔を見た。
ティッシュで涙で濡れた顔を拭きながら、情野さんは何度も頷く。
「親太郎の祖父は、随分と悪い噂の絶えない人なんです。暴力団のケツ持ちだの、ヤクザの息子だったのだの色々と話を聞きました。児童養護施設にも、怪しい男から東海林の孫は入所しているのか、と探るような電話が何度か来ていました。親太郎には伝わらないように、細心の注意を払っていたのですが……あの子は、それを知って、出て行ったんでしょうね」
パチパチと火の粉が爆ぜる音がした。
「その後、情野さんに接触してくる人はいましたか?」
「いいえ。親太郎が高校を卒業してからは、とんとありません」
「……そうですか」
伊達刑事はチラリと御子柴刑事へ視線を投げた。すかさず、御子柴刑事は一言断りを入れると立ち上がり、静かに外へと出ていく。
その背を見送ってから、情野さんは自分のスマホを取り出した。
「……東海林さん、連絡先を教えていただけますか?」
「?」
「親太郎を迎えに東京に行った時に、できれば、案内していただけると助かります。その後のことも、一緒に決めてくれないでしょうか?」
嬉しさで言葉に詰まることがあると、初めて知った。溢れそうになる涙を堪え、震える唇をなんとか動かす。
「はいっ……はい、私で良ければ、お手伝いさせてください」
情野さんと連絡先を交換する。私の名字を見て、驚いたような表情を浮かべていた。
何枚か譲ってほしいと言われた写真を送って、私たちは情野さんの家を後にした。
外まで見送ってくれる情野さんに別れを告げて、私たちを乗せた車は走り出す。
「これからどこに?」
「もう一人、会う予定の人がいるんだよね。あっちこっち行って悪いけど、火災現場にもう一度行くわ」
「あの場所に?」
「ああ。ミコ、国道にあったホームセンターに寄ってくれるか?」
「いいですけど、何を買うんですか?」
「シャベル」
「……シャベル?」
思いもしなかった単語が聞こえて思わず口にしてしまった。
「これから、何を……?」
「なぁ、咲月ちゃん。俺が見えるのは人間の強い執念、言わばこの世への未練だ」
伊達刑事の淡々とした声に耳を傾ける。
「はい」
「“古籠火”という名と形を得る前の、東海林親太郎の未練はなんだ?」
「タロの、未練」
突然この世を去ることになった彼の未練。
きっと、ひどく、ひどく、強いそれ。
「それを晴らしに行こうじゃないか」
伊達刑事は不敵な笑みを浮かべて見せた。
それ以上の説明がないまま、伊達刑事が購入したシャベルと一緒に私たちはタロの生家跡地へと向かった。




