18
先ほどの場所に別の車が止まっているのが見えた。黒いミニバンの傍には二人の男性と佐藤さんが何やら話をしているようだった。
乗用車から降りた私たちに視線が集まる。ふと、その中の一人が私を見て驚きで目を見開いたのが気になった。どこかで、会ったことがあるだろうか。
「お待たせしてすみません、五十嵐さんですか」
「い、いえ。は、はい、五十嵐です」
「それに、佐藤さんも先ほどはどうも」
「あ、ああ……この人ら、本当にあんたらの知り合いか」
「さっきからそう言っているでしょう」
五十嵐、と呼ばれた私を見て驚いていた人は苛立たし気にそう言った。
「咲月ちゃん、紹介するね。こちらは、五十嵐弘樹さんとその弟さん」
「こんにちは」
五十嵐弘樹さんは、私と変わらない身長のがっしりとした体格の人だった。
「五十嵐祐樹です」
弘樹さんの後ろから一歩前に出た祐樹さんはお兄さんとはあまり似ず、すらりと身長が高く体を鍛えているのか春先なのにTシャツ姿で鍛えられた二の腕がむき出しになっている。
「初めまして、東海林咲月です」
「……しょうじ、さん。もしかして、電話をオレにくれた人だが?」
「え!? あ、あなたが」
そこかで聞いた覚えのある声だと思った。そうです、と頷けば祐樹さんは気まずげに視線を落とした。
「五十嵐弘樹さんは、東海林親太郎さんの同級生で、先日咲月ちゃんを助けた人だよ」
「私を、助けた?」
夜道で襲われた時、少し訛りのある男性の怒鳴る声を思い出す。
あの声に自分は助けられたのだ。
「あ、あの時は、ありがとうございます」
「いえ、無事で何よりだっし」
まさかタロの学生時代の知り合いに助けてもらっていたとは思いもしなかった。
それに、その弟さんの電話番号をタロがメモをしているなんて。
タロが、メモを――。
「……もしかして、立ち飲みバーで再会した人って」
「そう。この、五十嵐弘樹さんだよ」
パチパチと火の粉が爆ぜる音がする。
「仕事で東京によく行くんです。それで、偶然シンちゃんに会って」
「タロ……親太郎とは、学生時代の友人だったんですか?」
「ああ、ええ、家は遠いんですが学区は一緒で小中高と一緒です。俺たち勉強はできたから、市内のそこそこの高校には行けたんですよ」
「オレが、頼んだんです。兄貴は仕事柄東京に行くことが多くて、親太郎くんのこと、確認しに行ってくんねぇか頼んだんです」
話すのを迷うように、その視線があちこちに向けられるのが分かった。
この人は何かを隠している。
知られては、困る何か。
ああ、なるほど。
この人だ。
この人が、“古籠火”だ。
「不審火のことですね?」
私の言葉に祐樹さんが息を飲むのが分かった。図星だ。
「どこまで知って……」
「ま、まっでくれ、弟は悪くない、悪くないっ……ちゃんと、反省して、今は消防士になって人を助けてる……誰かのために頑張ってるんだ!」
「兄貴っ」
縋るように弘樹さんは私へ腕を伸ばしてくる。その腕は私の肩をつかむ前に、伊達刑事と祐樹さんに阻まれた。
「すみません。そうです、俺が十年前に市内で不審火事件を起こして……ここが、火事になった原因の、犯人です。親太郎くんには、ほんに申し訳ねぇことを……」
ボッ、と音を立てて深い夜の闇の中、石灯籠に火が灯る。
燃えるオレンジの火が辺りを照らし、きっと、灯した人の顔をタロは見たのだ。
「おれが、おれが馬鹿だったせいで……」
「何故、放火を?」
思わずそう聞いていた。なぜか、聞かなければいけないと思ってしまった。
祐樹さんは迷うように視線を巡らせていたが、意を決したように口を開いた。
「……中学で、いじめられて……それが、恥ずかしくって、親にも兄貴にも言えねくて。でも、辛くて……いつ死のうか、毎日考えてた」
祐樹さんは目を細めると、ぐっと唇を噛みしめる。
「ある日、いじめっこが学校に持ち込んだオイルライターからオイルが漏れてて、気づかないままそいつが火を点けたんです。オイルが付いた手から、体中が火で燃えて……泣き叫ぶ、そいつを見た時、心がスカッとしたんです」
それから燃える火に憑りつかれた。
心が辛い時、火を見ると心が安心した。
「不審火だって、新聞に載って……あの時の自分は、自分が何か、大きくて強い存在になれた気がして……どんどん、燃やす場所を変えて……灯籠だったら燃えてても、おかしくないだろうって」
それが、と祐樹さんは苦し気に言葉を吐いた。
この人は事件を自分が引き起こしたと思っているのだ。
思わず伊達刑事の方を見ると、彼と目が合った。
伊達刑事は私の言いたいことが分かったのか、一つ頷くとゆっくりと口を開いた。
「こちらの調べではあの火事の原因は、世帯主による寝たばこが原因で、あなたの放火は火事が起きる数時間前に親太郎さんとそちらにいる佐藤さんの手で消し止められていますよ」
「え?」
本当に知らなかったらしく、五十嵐兄弟は顔を見合わせる。
「じゃあ、なんで、今更、オレに連絡を?」
「彼は、弟さんの番号を知りたいと弘樹さんに聞いたんですか?」
「……弟の話になって、消防士になった話をしたらお祝いを直接言いたいって、電話番号を聞かれたんです……そのときは、弟が、まさか火事に関わっているなんて……」
「親太郎くんから、電話はなくて。兄貴から聞いたときは、誰のことかわがんねくて気にしてなかったんです。でも、東海林さんから連絡が来て……火事の件で脅されると思ったんです」
そんなわけない、と思わず大声で否定したくなるのを堪える。
私の突然の電話が今まで連絡のなかった彼らを相当動揺させてしまったのだろう。
後ろめたい過去があるせいで、相当思いつめたのかもしれない。
「それで、弘樹さんが親太郎さんと会うために、また、赤羽を訪れたんですね」
「はい。バーの店長さんから、本当にシンちゃんは亡くなったんだと聞いてびっくりしました。でも、ホテルに帰る道でシンちゃんをみかけて」
本物の佐藤太郎だ。横顔や後姿は確かに似ているため、タロを探している彼にとっては衝撃だっただろう。
「後を追って、彼女が襲われた所に居合わせたんですね」
「んだっす。声をかけて、追いかけて……後は、先日警察署でお話した通りです」
なんという偶然なのだろう。重なった偶然のおかげで、私は襲われて怪我をすることはなかったし、ここに来ることができた。
(本当に、偶然?)
思わず、右肩を抑えた。まるで、私の動揺を笑うようにパチパチと火の粉が爆ぜる。
「東海林親太郎がどうして連絡先を聞いたのか、皆目見当もつかないが……」
「彼は人を脅したり、傷つけたりはできない人です」
伊達刑事の言葉に、思わず被せてしまった。
「単純に、あなたを祝いたかったんじゃないかなって思います」
本当のところはわからない。けれど、聞いた番号をわざわざ消したのはタロだ。
彼は五十嵐祐樹に連絡しないことを選んだのだ。
「オレは……」
「あんたの放火も、今はもう時効だろ。あんたは楽になりたいのかもしれないが、裁ける罪がない以上司法が出来ることはない。その業はあんたが一生背負っていくもんだ」
伊達刑事の言葉に、祐樹さんは無言で頷いた。
「さて、東海林親太郎の未練はなんだ?」
伊達刑事の問いかけが、落ちる。
「シンちゃんの未練?」
「火事で家族や家を失って、故郷を離れて死んだ彼の、未練はなんだ?」
パチパチと音を立てていた火の粉が、まるで風を受けたかのように業っと大きく燃え上がった。
「恨む相手が、死んだ家族以外にもいたのなら?」
「恨む、相手」
「友人、知人、学校の生徒、教員、警察官、その他虐待を受けてきた自分を無視してきた奴ら」
「ち、ちがう、おれたちは、無視なんて」
焦ったように佐藤さんが前に出た。
耳鳴りがする。
鬼の笑い声が、する。
いや、違う、誰かの呻き声だ。
痛みに耐えて、耐えて、耐えた、タロの苦悶の声がする。
「十年前、火事があったちょうど同じ年に市内の映像制作会社の社長が児童ポルノ製造し販売したとして、児童ポルノ法違反の疑いで摘発された。その制作に関わっていたのが死亡した東海林親太郎の祖父と母親だと分かっている」
肩が熱い。炎が、囂々と音を立てている。
「その背後には暴力団が関わっている可能性が高い。証拠はまだ出ていないが、この場所が異様に綺麗に整地されている理由と、東海林親太郎が逃げるように行方を眩ませた理由。推測するに、彼の証言を後づけする証拠が未だに残されているんだ。本当ならば、自分でそれを回収しに来たかったが叶わなかった。だから、暴いてほしいと、願っている。強い未練を残すほどに、望んでいる」
伊達刑事はゆっくりと、私を見た。
違う、私の後ろの、古籠火を、炎を、タロを、東海林親太郎を見ている。
ぐらりと、私の目の前が暗転した。




