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伊達刑事からの連絡に気付いたのは、昼休憩のときだった。
メッセージアプリに通知が来ていて、確認して驚いた。簡潔に仕事が終わったら連絡が欲しいという一言だけ。
今日も定時で終わるため、夕方の五時に改めて連絡する旨を打っておく。既読はすぐにつかなかったため、アプリを閉じて置いておく。
改めてネットニュースを検索すると、昨夜のことが記事になっていた。大きな見出しではなく、小さなもので内容も薄い。
二十二日午後二十一時頃、北区赤羽台三丁目師団坂通りで女性が襲われる事件が発生。逃走した犯人と思わしき男は道路に飛び出し車と接触。男性は病院に搬送され、意識不明の重体。
被害女性は軽傷を負ったのみ。警察は詳しい事件の状況を捜査中。
予想していたとおりだが、名前は出ていなかった。
夢見が悪かったせいだろうか、なんだか落ち着かない気分になる。
昼食を終えて、カウンターへと出る。交代するスタッフに随分と顔色が悪いと心配されてしまった。早く業務が終わることを祈りながら、カウンターに立ってすぐに不機嫌な表情の女性が現れて驚いた。マスクをしていてよかった、ポカンと口を開けた間の抜けた顔を見られでもしたら、どんな因縁をつけられるかわかったものではない。
「こっちは返すわ。これと、予約の受け取りをお願い」
ツンツンとした声でそう言ったIさんは、見るからに不機嫌そうだ。小さく息を吐いて落ち着いて作業を進める。
カードをスキャンしたが、やはり予約の資料はなかった。
「予約の資料はまだご用意できていないようです」
「は?」
「こちらから、ご連絡のメールは届いていないでしょうか?」
「届いたから来たに決まってるでしょっ」
段々と大きくなる声に心臓の音が早くなっていくのが分かる。想定していた返答だ。マウスを動かして予約の取置期限が切れてないかを確認する。
「こちらのカードでは届いた予約の資料がなく、取置期限が切れたものもありません。以前もありましたが、お連れ様のカードでのご予約ではありませんか?」
私の言葉にIさんは盛大に舌打ちした。
「今日持ってきてないの」
「では、お連れ様のカードをお持ちください。本日はこちらの資料の貸出だけ失礼しますね」
「あれ、あれよ、忘れた時は名前と電話番号書けば良いんでしょ」
「仮カードの発行は原則としてご本人様しかできません」
「この間やってくれたわよっ」
内心舌打ちした。彼女と揉めるのが嫌で、はいはいと二つ返事で発行したのだろう。ここで、同じように対応しようか悩む。先月のミーティングで利用者の特別扱いは行わないようにと言明されたばかりだ。
「その時限りの対応かと思います。申し訳ないのですが、ご本人様のカードをお持ちください」
腹をくくってそう言えば、Iさんの顔は怒りで真っ赤に染まっていく。
「何よその態度!! 前は良いって言ったじゃない!」
キンキンと響く声に、辺りの人達がこちらの様子を伺うように視線を向けてくるのが分かった。
「申し訳ありません。ご予約者様か、ご予約者様のカードをお持ちください」
もうこうなったらこう言うしか無い。資料を貸出処理してIさんの前に置く。怒りでブルブルと肩を震わせて、Iさんはひったくるように資料を持って出入り口へと早足で去っていった。
その背中を見つめて大きく息を吐く。もう何年も前から来ているのだから、きちんと確認して図書館に来てほしい。そもそも、あんなに怒るようなことなのだろうか。
なんとも生きづらそうで、見ていて可哀想になってくる。
(……もう、来なければいいのに)
鬼が、笑った。
一拍遅れて悲鳴と、何かが落ちるような大きな音が響く。
出入り口付近にいた利用者が慌てたようにこちらへと駆けてくる。
「人が、階段から落ちたぞっ」
反射的に事務室への扉を開ける。
「利用者が階段から落ちたそうです!」
中にいた副館長と館長が素っ頓狂な声を上げる。それを背中に聞きながら、急いで出入り口へと走った。
階段の周りには人だかりができている。中に進むよう声をかけながら階下を見下ろして息を呑んだ。
赤い、赤い血が広がっている。
「きゅ、救急車!」
「大丈夫ですか!?」
駆け寄ると、痛みで呻く声がした。
パチパチと耳元で火の粉が爆ぜる。
「古籠火のせいで人が死にそうになった?」
「………はい」
私の知らせを聞いて伊達刑事と御子柴刑事の二人は車で近くまで迎えに来てくれた。御子柴刑事が運転する乗用車の後部座席に座り、居たたまれなさに背を丸める。
「ふぅん?」
「来なければいいのに、と思ったら笑い声が聞こえて……利用者が階段から落ちて……」
「なるほどね。タイミングよく事故が起きた、と……その人は無事だったんだろう?」
「頭を打ったため念のため入院したそうです。右足を骨折する大怪我で……」
現場を見ていた利用者の証言に寄ると、彼女が履いていたヒールの足が折れて階段から転げ落ちたそうだ。救急車で運ばれる際に意識ははっきりしていたと館長から話を受けた。
ひどく、こちらを気遣ってくれた。
当たり前だ、直前までやり取りしていた私の前で事故にあっているのだ。
「咲月ちゃんは古籠火が誰かを傷つけると思っているんだ?」
「そんなことは……」
古籠火が、傷つける。いや、古籠火がタロなのだとしたらあり得ると思ってしまう。
私のことを守ってくれるんじゃないかと、思ってしまう。願ってしまう。
だって、タロは優しくて、私のことを大切にしてくれて。
でも、誰かを傷つけるような人ではない。
誰かに暴力を振るっていいと思うような性格じゃない。怒りを抱く前に、諦めて、耐える人だ。
映画の火を前にして、青白い顔で震えるタロを思い出す。
「人間ってのは存外強くできていない。未知の状況に対する強烈な不安やストレス。今回は、事故が起こる前に対象に強い負の感情を抱いた後に起きたから、心理的な防衛反射で古籠火がやったんじゃないかと思ったんじゃないか?」
偶然起きた災害や流行病に対して祟りに違いないと後付けすることで現実を受け入れようとする。祀ることでもう祟りは起きないと安心を得る。大災害の多い日本独自の文化だ。
「俺は確かに強い執念をみる。でも、それが誰かを呪ったり、危害を加えたりするところをみたことはない」
「……え?」
「今までそれは黒いもやでしかなかったが……咲月ちゃんの側にいるやつは、あの絵と同じ姿を取るようになった。そいつに“古籠火”って形を与えたのは咲月ちゃん自身だ」
「私が……形にした……」
「俺も初めて見るからなんとも言えないが……咲月ちゃんがイメージする古籠火って奴はどんな妖怪なんだ?」
「………古籠火は、古い灯籠に火を灯す妖怪で、」
誰も使わなくなってしまった石灯籠。本当だったら庭を照らし、夜の道を歩いて帰ってくる人の目印になる。
温かな家の証。
ここにいるのだと、知らせるような炎。
嗚咽が零れそうになるのを慌てて口元を手で抑えて堪える。
「君が思う“古籠火”はそんな妖怪じゃない。今回のは事故だよ、不幸な事故だ」
「……はいっ」
助手席から差し出されたハンカチをありがたく受け取る。
目元に充てると、ふわりと白檀の香りがした。父の仏壇に線香をあげる母から、穢れや邪気を払う香りだと教えてもらったことがある。
落ち着く、柔らかな香りにほっと息を吐いた。




