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「……この人です」
「見せていただいても?」
パッと見た瞬間、似ているなと思った。
口元を隠すようにマスクをしていると、雰囲気が似ている。二枚目のマスクを外して撮った写真では、顔は明らかに似ていない。
御子柴刑事も同じことを思ったらしく、私に視線を向けてきた。
「何年前の写真ですか?」
「四年前だと思います。この時、大学三年生だと言っていた気がします」
「どこの大学かは?」
「そこまでは……もっと詳しいことは、バーの店長さんが知っていると思います。会ったのもあのバーですし、アルバイトだって言ってたと思います」
「……へぇ」
どうしてあの時何も言わなかったのか、気になったけれど本業の人たちに任せたほうがいい。何だか嫌な予感がして、思わず腕を擦った。
「寒いですか?」
「あ、いえ……なんだか、今頃怖くなってきちゃって……」
「配慮が足りませんでしたね。家まで送りましょう」
「ここから近いので、お気遣いなく」
「近かろうが遠かろうが、あなたは今は一人で帰るべきではないと思います。ご実家は遠いんですか?」
「いえ、練馬です。ただ、夜も遅いので連絡するのは止めておきます」
私が何に巻き込まれたのかを伝えたら、母は卒倒してしまうかもしれない。
「尚更、送らせてください。今のあなたを一人にしたなんて伊達さんが知ったら僕が怒られます」
「伊達さんに?……そういえば、御子柴刑事も、その、見えるんですか?」
「いいえ。まったく見えないです」
御子柴さんは食い気味に否定してきた。まるで、伊達刑事と一緒にされたくないと言わんばかりの言い草だ。
「伊達さんは、何を見ているんでしょう……」
「はっきりと何が見えるとは聞いてないですね。ただ、死んだ人の未練だったり、執念だったり、怒りだったり、人間の強い感情の残滓だって伊達さんは言っていました」
「人間の、強い感情……」
鬼だ。
死者の魂であり、怨霊の化身であり、人を食べる怪物であり、怨恨や憤怒によって変貌した人でもある。
人には見えない、「鬼」をみる人。
「……非科学的ですね」
「僕たちを脅かしてからからかって遊んでいるだけかもしれないですね」
淡々と御子柴刑事はそう言った。彼は、伊達刑事が見えていると理解しているのだ。
ならば、本当にここにいるのかもしれない。思わず右肩を抑えた。
ふと、御子柴刑事のスマホが鳴った。短く断りを入れて彼は外へと出ていく。
その間に御子柴刑事へ先ほどの写真を二枚送っておく。時間を見ると、もう深夜を回っていた。
明日の仕事をどうするべきか考えながら、先ほど助けてくれた男性のことを思い出す。
少し、訛りがある声だった。それもどこかで聞いたことがあるような。
「咲月さん」
「は、はい!?」
「すみません。すぐに、家に送ってもいいですか?」
「あ、え、はい。大丈夫です……」
「あなたを襲った犯人らしき人物が、病院に急患で運ばれてきたそうです」
「え……えっ!?」
「先ほどの写真を送ってもらえますか?」
「あ、さっき、送りました」
「ありがとうございます」
「急患って、一体……何が……」
慌てて立ち上がったせいで体がふらついた。すかさず、御子柴さんが腕を掴んで支えてくれる。
「道路から飛び出して、車に轢かれたそうです。彼を追っていた人がすぐに通報して、救急車で搬送されました」
「……そう、なんですね」
パチパチと火の粉が爆ぜる音がする。
笑い声がする。
しゃがれた老人のような、幼い子供のような、楽し気な笑い声だ。
ひときわ大きく、火の粉が爆ぜた。
獣が唸るような声が響き、背中に衝撃が走った。
痛みに呻くこともできず、床に倒れこんでえずく。
吐き出すものは何もないのに、喉奥から何かがせりあがり息ができない。
衝撃がもう一度来た。
床に額が打ち付けられて、目の前がチカチカと白く明滅する。
獣が怒鳴り、テーブルの上に載っていた食器を手で払ったのか床の上に皿や椀が落ちてきた。
「お父さん、飲みすぎよぉ」
ゲラゲラと笑う女の声が耳についた。
「あんま殴んないでやって、大事な酒代なんだから」
「うっせぇ!! おれにしずすんなっ!!!」
咳き込みそうになるのを堪えて、細く、細く、息を吐く。ジンジンと時間が経つにつれて痛みが増してくる。
痛くない。
痛くない。
「おめぇも、いつまでも床に寝てんじゃねぇっ!!」
ぐっと腕を掴まれて、二の腕の柔らかな部分に痛みを押し付けられる。
「くそが」
吐き捨てるようにそう言って、腕を投げ捨てられた。
「ちょっと、お父さん、その辺にタバコ捨てるのやめてよぉ」
「おめぇが掃除すればいいだろっ」
「もう。あ、あんた、その火傷ちゃんと治しておきなさいよ」
背中にかかる声から逃げるように慌てて立ち上がって、リビングから外へ出る。
サンダルを履く余裕もなかった。いますぐ二人の視界から消えなければ、もっと嫌な目に合う。
外へ出て、庭先にある池に向かう。地下から湧いている水を側溝に流す前に貯めているのだ。
下半身がとっぷりと浸かってしまうほど深さのある池に二の腕まで浸かる。鼻につく金気臭に吐きそうになりながら、ドクドクと耳元で激しく脈動する音がおさまるまでじっと堪える。
キーン、と耳鳴りもして思わず瞼を伏せた。
どれくらい、そうしていただろうか。
気づくと耳鳴りは止んでいて、代わりに蛙の大合唱が頭に響いてくる。鳴りやまない音に目を細めながら、ゆっくりと立ち上がって納屋へと向かう。
視界の隅で、明りが灯った。
火だ。
赤々と燃える火が、庭先の石灯籠に点いている。
そのそばに、誰かが立っている。
真っ白な顔で、まるで、幽霊のようだ。お盆はまだ先だというのに、帰ってきてしまったのだろうか。
幽霊は、火に囚われたかのように熱心に見つめている。
その気持ちがよく分かった。理解できた。
凍えた心を溶かしてくれる、温かな光。
もっと、近くで火を見たくて、思わず一歩踏み出した。
パチパチと火の粉が爆ぜる。
すっと、顔を上げた幽霊が、いや、鬼が、笑った。
「っ!?」
無機質なアラームの音が鳴り響いている。反射的にそれを止めて、詰めていた息を吐いた。
寝相が悪かったのか、右腕が変に痺れている。夏でもないのに体中がじっとりと汗をかいていて、張り付く服の感触に不快感が増す。
どうやら、いやな夢を見ていたようだ。体に残った不快感はひどく、少し動くだけでどこかしかが軋んだ。痺れる腕を動かし、何度か指を曲げ伸ばす。
痺れが和らいでから起き上がった。




