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いつの間にか、寝てしまったらしい。
顔を上げてあたりを見回すと、こちらの様子を伺うように見ていた店員と目があった。
私が寝入っている間に、飲み終わったグラスや食器を片付けてくれたらしい。
苦笑にも似た笑みを浮かべて、軽く会釈を返してくれる。それが気恥ずかしくて急いでグラスの水を飲み干して、伝票を持って立ち上がる。
スマホで時間を確認すれば、眠ってしまってからそれほど経っていないようだ。
会計をしてくれた店員にお詫びとお礼を告げて店を後にする。それほど酔ってはいないが、これ以上酔う気にもならなかった。
生ぬるい風が火照った頬を撫でていく。人混みを避けながら、歩き慣れた道を目指した。
喧騒を抜けて住宅地の方に行くとあっという間に人の気配はなくなり、高い壁のように聳える間知ブロックを横目にゆるやかな坂を登る。
バス停をすぎると、いっそう夜の気配は濃くなり道に落ちる闇も濃くなっていく。
人の気配も、車の通りも少なくなっていくと自分が別世界に迷い込んでいるような気分になってくる。
闇を振り払うように、足を早めるけれど、それを阻まれているような重さを感じずにはいられない。恐らく、緩やかな坂で足が疲れているだけだ。
「おいっ」
「!?」
ぐっと腕を掴まれ後ろに引かれた。よろめいた先、誰かの身体にぶつかる。何が起きたのか理解する前に首に回ってきた何かにグッと締め付けられ、蛙が潰れたような声が漏れた。
「おまえっ、タロはどこだっ」
「なっ」
「くそっ、くそっ、あいつが来ないせいで……」
ぎりぎりと腕に力を込められて、息ができない。苦しさで、目の前が赤く染まった。
声を出したいのに、首に回った腕にそれを阻まれてできない。
「タロはどこだっ!?」
「おまえっ! なにしった!!」
背後から怒鳴り声が聞こえ、一瞬首に回った腕から力が抜けた。思いっきり爪を立て、がむしゃらに振り払う。
「タロはっ……死んだのよっ!!」
「う、うわっ」
「おい! にげんなっ!!」
仰け反った身体を押しのけて、前に走り出した。どこまで逃げられるか分からない。
がむしゃらに前に、前に走って。
横断歩道前に差し掛かって目の前が横にぶれた。全身をアスファルトに打ち付けた衝撃で息が詰まる。
整わない呼吸の音と、心臓の音が耳に響いて煩い。
「だ、大丈夫ですか?」
「あっ……」
男が追ってきたのかと一瞬焦ったが、声をかけてきたのは女性だった。見上げると、どうしたものか困惑しながらこちらを見下ろしている年配の女性と目があった。
「すみません、警察を……呼んで、……不審者に襲われて」
「ええっ!?」
少しだけ冷静になった頭で後ろを振り返る。男の姿はなく、声をかけてくれたはずの人も見当たらない。ただ、静かな薄闇が広がっている。女性が警察に連絡してくれている声を聞きながら、痛む手のひらを見下ろした。
擦りむいたらしく、薄っすらと血が滲んでいる。
酔いは冷めていた頭が痛みだして、思わず膝を抱えて蹲った。詰めていた息を吐いた瞬間、目から涙が溢れて止まらなかった。
「無事ですか?」
交番のパイプ椅子に座っていると、御子柴刑事が現れて驚いた。私の事情聴取を行ってくれたお巡りさんに、伊達刑事と御子柴刑事に連絡してもらえるように頼んだのだ。
大きな体を屈めて交番の戸口をくぐるように入ってきた御子柴刑事は、驚いている様子の私に何か気づいたように小さくうなずいた。
「伊達さんは直帰でして、僕が来ました」
「わざわざ、すみません」
「謝ることではないですよ。怪我は?」
御子柴刑事の視線が私の手のひらに向けられる。
大きな絆創膏が貼られているため、少し目立つが大怪我ではない。
「擦りむいただけで、大丈夫です」
「大きな怪我が無くて良かったです」
御子柴刑事は空いているパイプ椅子に腰を下ろした。
途端に目線が近くなり、彼の足が随分と長いことに気づく。それでも椅子が窮屈らしく、背を丸めると両膝に肘を載せて下から伺うようにこちらを見た。
「調書を書いたことを何度も聞いてしまい申し訳ないんですが、何があったのか聞いても?」
「いえ、はい……突然背後から、男性にこう首に腕を回されたというか、頭を押さえられたというか」
ヘッドロックに近い形だった気もする。
「知り合いで?」
「誰か、わからないんですが……向こうは、私の事を知っているようでした。タロがどこにいるのか、聞き出そうとしていたみたいです」
「へぇ」
御子柴刑事はおもむろに顎を抑えると、何か考えるように視線を巡らせる。
「僕たちが別件に当たっている間、滝本さんが防犯カメラに映っていた人物を探していたんです。滝本さんから僕たちに情報の共有がありまして、佐藤太郎さんは以前単発バイトや日雇いの仕事をされていましたね?」
「は、はい、していました。でも、ここ一、二年の間はない、かと……」
「おそらくですが、短期の仕事を斡旋するアプリ登録に顔写真のある本人確認書類が必要になったため仕事が出来なくなったのでは?」
以前の健康保険証には顔写真はない、マイナンバーカードに健康保険証の機能が加わったメリットは本人確認が可能になり不正利用が出来なくなったことだ。
まさか、身近に悪用していた人がいるとは思わず言葉が出ない。グルグルと頭の中で様々な感情が駆け巡り、なんとか言葉をひねり出す。
「……つまり、タロに自分の身分証を貸していた人物がいるってことですか?」
「ええ。おそらく、本当の”佐藤太郎”です」
もしかしたら、私を襲ってきた人物かもしれない。
「どうして、タロを探しているんでしょうか?」
「……男が放火した事務所から重要な物を盗み出している可能性が出ています。それを、タロさんに預けたのでは?」
「タロの荷物は全部警察にお渡ししました。部屋の中には、何も残されていないと思います」
「……もし、見つかったらこちらに知らせてください」
「勿論です」
「それから、滝本さんが個人的に北区内の日雇いで現金払いを募っている現場に聞き込みを行ってくれたんですが……タロさんと思わしき人が火災があった当日も勤務していたと証言を得ています」
「え?」
初耳だった。てっきり、家でゲームばかりして最近は働いていないとばかり思っていた。
「今後は本物の”佐藤太郎”を放火犯として追っていきます。誰か、心当たりのある人物はいますか?」
「私が知っているタロの知り合いは、本当あのバーの人だけで……あ」
「誰か、心当たりが?」
「タロがお世話になったマスターに、大学生の息子さんがいたんです。その人、タロのことを慕っていて……私が最後に会ったときは同じ髪色に染めていた気がします」
タロは地毛が明るい茶色で、それと同じくらい明るく染めていた覚えがある。お揃いでしょう、と二人は肩を組んで――。
「写真、あるかも……ちょっと、確認します」
鞄の中からスマホを取り出してアルバムを漁る。クラウドストレージにバックアップを残しておいて良かった。スクロールして過去に遡っていく。
そこまで写真は撮っていないため、目的の一枚はすぐに見つかった。




