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「それで、咲月ちゃんはわざわざ国会図書館まで来て何を調べているんだ?」
「………」
返された文庫本を受け取り、どう答えたものか悩みながらカバーを撫でた。
「タロの出身地に繋がるものを……家族を……探していました」
「家族?」
「彼を、彼の遺骨を受け取れる人がいないと、無縁仏として共同墓地に入ります。もし、お墓があるのならお墓に入ったほうがいいのかなって思って……」
自分で言っておいて本当にそうなのか、と疑問に思う。自分を証明できるものをすべて捨てて東京へと出てきた彼が、虐待を受けてきた彼が、まともな家族と暮らしていたという保証はない。見つけても、遺骨の受取を断られるかもしれない。
その時は、その時は、私が彼の遺骨を引き取ろう。
でも、それなら、知りたい。
「………知りたいんです。彼の、本当の名前を……」
ぐっと、拳を握りしめた。
一拍置いて、伊達刑事はハッと短く息を吐く。
耳に響くような音に驚いて肩が跳ねた。
「自分を騙していた男のことを知りたいなんて、随分健気な恋人だな」
「恋人、では……」
「関係に名前を付ける前に死に別れたか」
冷ややかな声で、伊達刑事は吐き捨てた。
ムッとして彼を睨むが、伊達刑事は決して私を見ていなかった。
顔は私に向けているが、彼が見ているのは別のものだ。
何かが。
普通には見えない、何かが私のそばにいる。
もし、見えているのなら、もし、死んでもここに残っているというのなら、この世に未練があるということ。
「………私は、自分のために区切りをつけたいんです。彼の本当の名前を知って、彼のことを知って、こういう人がいたんだって思い出を作りたいんです」
彼が生きてきた人生を知りたい。何を思って、何を考えて、それから自分と一緒にいてどう思ったのかを知りたい。知って、それから、私の過去にはこんなに好きな人がいたんだと思いたい。彼よりも長く生きたいから、生きるための縋る縁が欲しい。
タロが何者だったのか、知りたい。
もう、彼に聞くことが出来ないから私は探すしかないのだ。
「なるほどね……じゃあ、おまわりさんが協力しよう」
「え?」
「人を探すなら、これほど良い情報提供者はいないぜ?」
自信満々にそう言って見せる伊達刑事に思わず隣の御子柴刑事を見るが、彼は涼しい顔でケーキを食べているだけだ。
思わずあたりを見回して声をひそめる。
「それは、その……法的に大丈夫なんですか?」
「なんとかなる! な、ミコ!!」
「責任はすべて伊達さんが負うそうです」
御子柴刑事も止める気はないらしい。不謹慎だけれど、思わず笑ってしまった。
「私が個人的に調べていたことをお伝えします。自分だけだと、追えないので……私の代わりに調べていただけるとありがたいです」
鞄の中から新聞記事を取り出して、伊達刑事に差し出す。
今日調べて思ったことを伝えると、二人はマジマジとこちらを見てきた。
「咲月ちゃん、興信所で働いてた?」
「いえ、ずっと、公共図書館員です」
「は~図書館員っていうのは、人まで探せるのか?」
「情報があれば、ここまでなら誰でも探せると思います」
世の中は便利でネットには情報が転がっている。調べようと思えば調べられるし、その中から知りたい情報を得るのはそう難しいことではない。
「ちょっと、写真取らせてもらっていいか?」
「はい」
伊達刑事は記事の写真を撮ると新聞へと目を通していく。一通り終えると、スマホをこちらへと向けてきた。
「プライベートな連絡先を交換しても?」
「……はい。大丈夫です」
コミュニケーションアプリの連絡先を交換する。並ぶ二人の名前に少し胸がドキドキする。
「あと、もう一つ聞きたいんだけど」
「はい?」
「咲月ちゃんの親族に、神社か寺の出身はいる?」
「え……いえ、いません、けど」
母方の祖父母はすでに亡くなっているが、代々銀行員だったと聞いている。父方の祖父母はおらず、父の職業も銀行員で祖父の部下の縁で母とお見合いしたそうだ。
「そっか。突然ごめんね」
ひらりと片手を振ると、伊達刑事は立ち上がった。すかさず御子柴刑事も立ち上がる。
「あ、その、聞きたいことがあって!」
「うん?」
きょとんとした表情を浮かべてこちらを見る伊達刑事になんと聞いたものか躊躇う。
思わず、自分の右肩を抑えた。
「なにが……なにが、みえてますか?」
伊達刑事は迷子の子どものように頼りない表情を浮かべ、視線を巡らせる。それから、まるで先程の表情が嘘のように静かに口角を上げた。まるで、それを形容する言葉を思い出したかのように。
「古籠火」
パチッと耳元で、火の粉が爆ぜた。
二人と別れてから、真っ直ぐ家に帰るのも億劫で飲み屋街へと足を向けた。
立ち飲み屋に行こうか迷ったが、ゆっくり座りたくてあまり行かないイタリアンバルを選んだ。軒先のテーブル席から通りを歩く人の波を眺める。
酔客や客引きの声、楽しげにのみを楽しむ人々の話し声、耳を澄ませていると一人だという寂しさも和らぐ。
明日から仕事が始まることを思い出し、予定があって良かったと思った。伊達刑事に任せてしまって、返答を待つ間なにをすればいいのか分からなかったからありがたい。
ハイボールを飲み干し、グラスをテーブルに載せる。
「さっちゃん、お酒好き?」
「ううん、そこまで、好きじゃないかも」
私の応えにタロは小さく笑った。
コロナ禍が落ち着き始め、飲食店も活気を取り戻し始めた頃に二人で飲み屋巡りをした時期があった。出来るだけ屋外に席のあるお店で、喋る時はマスクを付けるのを意識して、最初は面倒だと思ったのに人間とは不思議なもので続けていると習慣になる。
目の前に置かれたハイボールのグラスを持ち上げ、軽く掲げて乾杯する。
微妙に残ったカクテルの細いグラスを掲げて、タロは応えてくれた。
「タロは、お酒好き?」
「好きだよ。飲んでると楽しいからね」
「そういえば、初めてあった時酔っ払って倒れてたね」
「あれは、星を見てたら寝ちゃったんだよ」
恥ずかしそうにそう言うタロに思わず笑ってしまった。
「ちゃんぽんしなければ、あそこまで眠くならないよ」
「寝てたんだ」
「寝てませーん」
からかうように言えば、ムッとした表情を浮かべてタロはカクテルを飲み干した。
ふと、目の前を親子連れが歩いていく。もう、二十二時を過ぎているのに未就学児を連れ歩いていることに思わずムッとしてしまった。
子どもは親に手を引かれながら、物珍しげにあたりをキョロキョロと見ている。
「こんな時間に子供連れなんて、両親揃って何してるのかしら」
親子の背中が見えなくなるのを見てから思わずごちた。
「え?……ああ、うん、危ないよね」
どこかぼんやりとした返答をするタロに顔を上げると、彼は親子の背中の名残を追うように見ている。
「親が一緒なら良いかもって思うけどね、俺は」
「こんな時間に~? 明日は土曜だって言っても、この時間は家で寝る支度をするものでしょ」
「そう、なんだ……」
「タロ?」
パチパチと火の粉が爆ぜる音がする。
「そうなんだね」
彼は悲しげに微笑んだ。今思うと、彼は知らなかったのだ。
「うん」
どんな気持ちで、あの親子を眺めていたのだろう。どんな気持ちで、自分の家族を思い出していたのだろう。
「さっちゃん」
火の粉が爆ぜる音がする。
業、と音を立てて燃え上がった炎がまるで蛇のようにタロの身体を這っていく。
「さっちゃん、熱いよ」
「タロっ!!」
「さっちゃん……一緒に……」
伸ばされた手の上で、炎が踊る。
赤々と燃える炎が鎌首を擡げ、まるで弾けるように私へと伸びた。
「っ!?」
目の前に飛び込んできたのは空になった食器と水が注がれたグラスだけだった。
ハッとすると同時に周りの喧騒が耳に飛び込んでくる。




