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美少女の指にある指輪の理由


ユージンは消えたままだ。


昨夜、全員の手順を組み直していた男が、今朝はいない。


けれど今は、止まっていられない。


ヴェルダは扇を閉じた。


「女性専用区画は、表向きは上客用の社交室です。酒、香水、宝石、情報。何でもあります」


「裏向きは?」


レオンが聞いた。


「もっと高い情報があります」


「嫌な場所だな」


「高級な場所ですわ」


「同じ意味に聞こえる」


「ある意味では」


ヴェルダは赤い廊下の奥へ進んだ。


三人も続く。


廊下の壁には、金の細工が施された扉が並んでいた。


そのうちの一つの前で、ヴェルダが止まる。


「昨夜、戦士様が入ったのはこちらです」


扉を開ける。


中は、広い応接室だった。


柔らかい絨毯。


丸い卓。


深い椅子。


香の匂い。


そして壁際には、昨夜の酒器がまだ片付けられずに残っている。


レオンの鼻が、酒の匂いを拾った。


嫌な記憶が、少しだけ浮かぶ。


笑い声。


ガルドの怒鳴り声。


誰かの拍手。


「ここで、情報を聞き出す予定でした」


ヴェルダが言った。


「誰から?」


セシルが聞く。


「管理人と親しい上客です。女侯爵イレーネ・オルフェリア様」


その名前を聞いた瞬間、ガルドの左手の指輪が、かすかに赤く光った。


ガルドが固まった。


「……おい」


レオンも見た。


セシルも見た。


指輪がまた光った。


今度は長く。


ヴェルダが微笑む。


「反応しましたわね」


「何だこれ」


ガルドの声が低くなる。


「まさか、その女侯爵が」


「ええ」


ヴェルダは楽しそうに頷いた。


「昨夜、戦士様をたいそうお気に召しまして」


ガルドは一歩後ずさった。


「俺を?」


「今の姿のあなたを、ですわ」


「俺じゃねぇ!」


「ですが、あなたです」


セシルが言った。


「ややこしいことを冷静に言うな!」


レオンは椅子に残された赤い扇を見た。


「イレーネはどんな人物だ」


「王都でも有名な女侯爵です」


ヴェルダが答える。


「豪胆で、気まぐれで、美しいものと面白いものに目がありません」


「美しいものと、面白いもの」


レオンは、ゆっくりガルドを見た。


美少女の姿で腕を組み、顔だけは完全に戦士のまま不機嫌そうにしている。


黙っていれば美しい。


黙っていないから面白い。


最悪の噛み合い方だった。


ガルドがレオンを睨む。


「今、すごく嫌な納得をした顔をしたな」


「していない」


「しただろ」


「少し」


「正直か」


ヴェルダは楽しそうに続けた。


「イレーネ様は、性別や家柄よりも、ご自分の興味を優先なさる方です。気に入れば追う。面白ければ逃がさない。そういう方ですわ」


セシルが指輪を見た。


「しかも、オルフェリア家は誓約魔術の名家です。婚約という言葉は、冗談では済みません」


ガルドの顔が引きつった。


「待て。見た目が女でもか?」


「誓約魔術にとって大事なのは、性別ではありません」


セシルは冷静に言った。


「誰が、誰に、何を約束したかです」


「つまり?」


「ガルドさんが、イレーネ様に、婚約でも何でもすると言ったなら」


セシルは、ガルドの左手を見た。


「成立します」


「するな!」


「したから、指輪があります」


ガルドは一歩後ずさった。


「俺を?」


「今の姿のあなたを、ですわ」


ヴェルダが微笑んだ。


「ただし、イレーネ様が気に入ったのは、女だからではありません」


「じゃあ何だよ」


「美しいのに、目つきと態度がまるで野獣だったからですわ」


レオンは耐えきれず、少しだけ噴き出した。


ガルドが振り向く。


「笑ったな」


「少し」


「全員正直すぎるだろ!」


セシルは咳払いした。


「要するに、イレーネ様にとってガルドさんは、珍しくて、美しくて、強そうで、逃げると追いたくなる相手だったということですね」


「獲物じゃねぇか!」


「扱いとしては近いですわ」


ヴェルダは否定しなかった。


ガルドは指輪を見た。


「逃がさない」


「ええ」


ヴェルダの声は弾んでいた。


「昨夜も逃がしませんでした」


ガルドは本気で青ざめた。


「俺は何をした」


「最初は、よく耐えていました」


「最初は?」


「ええ。魔法使い様の指示通り、黙って微笑んでいました」


レオンは想像した。


美少女姿のガルドが、黙って微笑む。


たぶん、ものすごく不自然だった。


だが、見た目だけは強い。


「イレーネ様は、それを『寡黙で野性味のある美少女』と解釈なさいました」


セシルが頭を抱えた。


「最悪の噛み合い方ですね」


「その後、戦士様は管理人の控え室について探ろうとしました」


「どうやって」


「小声で魔法使い様に教えられた通りに」


ヴェルダは、ガルドの口調を真似る。


「『あの……奥の保管庫に詳しい方を、探しておりまして』」


レオンは噴き出しかけた。


ガルドが睨む。


「笑ったら殴る」


「耐えている」


「顔に出てる」


セシルが静かに言った。


「ガルドさんがそんな言葉遣いを?」


「そこが一番面白いですわ」


ヴェルダは微笑む。


「ただし、三十秒しか持ちませんでした」


「何があった」


「イレーネ様が、戦士様の手を取ったのです」


ガルドが左手を見た。


指輪がある手。


「その瞬間、戦士様は立ち上がって」


ヴェルダは美しく微笑んだ。


「『近ぇ!』と」


レオンは耐えられなかった。


吹き出した。


ガルドが立ち上がる。


「笑うな!」


「すまん、無理だ」


セシルも肩が少し震えている。


「セシル!」


「祈っています」


「絶対笑ってるだろ!」


「少し」


「全員正直か!」


ヴェルダは続ける。


「ところが、イレーネ様はそれを嫌がっているとは受け取りませんでした」


「なぜだ」


「照れ隠しだと」


ガルドは天井を見た。


「終わってる」


「その後も、戦士様が逃げるたびに、イレーネ様は楽しそうに追いかけました」


「追いかけた?」


「ええ。応接室の中を三周ほど」


レオンは腹を押さえた。


「やめろ、絵が浮かぶ」


「俺は見たくねぇ!」


「俺たちは見たい」


「見るな!」


セシルが冷静に言った。


「それで、情報は取れたのですか」


「取れましたわ」


「取れたのかよ!」


ガルドが叫んだ。


ヴェルダは頷いた。


「イレーネ様は、気に入った相手にはとても親切です。管理人がどこにいるか、通路がどこか、保管庫の解除印が誰の手にあるか。全部教えてくださいました」


「有能だ」


レオンが言った。


「俺が?」


ガルドが聞いた。


「イレーネが」


「俺じゃねぇのかよ!」


「あなたは走っていただけです」


セシルの一言が刺さった。


ガルドは黙った。


「問題は、帰る時でした」


ヴェルダの声が甘くなる。


ガルドの顔が引きつる。


「まだ問題が?」


「ええ。イレーネ様が、戦士様をお帰しにならなかった」


指輪が赤く光る。


「そして、こうおっしゃったそうです」


ヴェルダはイレーネの声色を真似た。


「『あなた、気に入ったわ。名前を教えて』」


ガルドは固まった。


「俺は何て」


「戦士様は、ユージン様に言われた偽名を忘れていました」


「最悪だな」


「そこで焦って、こう言いました」


ヴェルダは一拍置いた。


「『名前なんかどうでもいい! 後で迎えに行く! 婚約でも何でもするから、今は通せ!』」


部屋が静かになった。


レオンがゆっくりガルドを見た。


セシルも見た。


ガルドは指輪を見た。


「……俺、馬鹿か?」


「かなり」


セシルが言った。


「言い訳できない」


レオンも言った。


ガルドは椅子に崩れ落ちた。


「いや、だって逃げるためだろ? その場しのぎだろ?」


「イレーネ様の前で婚約を口にするのは、その場しのぎになりません」


ヴェルダが言った。


「なぜ」


「オルフェリア家は、誓約魔術の名家ですので」


セシルの顔色が変わった。


「それを先に言ってください」


「先に聞かれませんでしたもの」


「昨夜の私たちは?」


「たぶん、聞く暇がありませんでしたわ」


ガルドが叫んだ。


「暇の問題じゃねぇ!」


ヴェルダはガルドの左手を指した。


「その瞬間、誓約指輪が発生しました」


「発生するな!」


「誓約魔術ですので」


「便利に言うな!」


セシルが指輪を見つめる。


「完全な婚姻契約ではありませんね」


「分かるのか?」


レオンが聞いた。


「はい。もし完全な婚姻契約なら、今ごろガルドさんはオルフェリア邸に引きずられています」


「今の方がましなのか?」


ガルドが震えた声で言った。


「ましです」


セシルは即答した。


「これは婚約誓約です。おそらく、約束を破ると位置を知られる程度の」


「十分まずいだろ!」


「十分まずいですが、まだ走れます」


「走る前提やめろ!」


ヴェルダが楽しそうに扇を揺らす。


「そして今朝、イレーネ様は戦士様を探しておられます」


ガルドの動きが止まった。


「どこで」


「王都で」


「広いな」


「ですが、正午には王城へ向かわれるでしょう」


レオンの顔が引きつる。


「表彰式か」


「ええ。上級貴族ですもの」


セシルが額を押さえた。


「婚約者を探す女侯爵が、表彰式に来る」


「美少女姿のガルドも、表彰式に出る」


レオンが言った。


「出ねぇよ!」


ガルドが叫ぶ。


「出るしかありません。勇者パーティーの戦士ですから」


「この姿でか!?」


「現状では」


「戻せよ!」


「ユージンさんがいません」


その一言で、ガルドの勢いが止まった。


ユージンがいない。


変身をかけた本人が、今ここにいない。


レオンは低く言った。


「ユージンは、この後どこへ行った」


ヴェルダは首を傾げる。


「女性区画の後ですか?」


「ああ」


「そこから先は、少し入り組みますわ」


「またか」


「ええ。管理人の控え室、神殿系の記録庫、そして勇者様の変装」


頭のシーツの下が、急に涼しくなった気がした。


「俺の変装?」


ヴェルダの視線が、レオンの頭に向く。


正確には、シーツで隠された頭に。


「ええ」


セシルが小さく目を逸らした。


ガルドが、少しだけ生き返った顔をした。


「おい」


レオンはセシルを見た。


「今、なぜ目を逸らした」


「祈っていました」


「何を」


「次の説明が穏便に終わることを」


「絶対に穏便じゃないだろ」


ヴェルダは扇を閉じた。


「戦士様が美少女になった理由は、これでお分かりいただけたと思います」


ガルドは左手の指輪を見つめた。


「分かりたくなかった」


「次は」


ヴェルダは、レオンの頭を見た。


「勇者様が、なぜ僧見習いにならなければならなかったのか」


レオンは無言でシーツを押さえた。


ガルドが、ゆっくり笑った。


「坊主の話だな」


レオンはガルドを睨んだ。


「笑うな」


「笑ってねぇ」


「今、完全に笑った」


「これはあれだ。衝撃で呼吸が」


「俺の台詞を使うな」


セシルが静かに言った。


「二人とも」


二人は黙った。


ヴェルダは最後に、さらりと爆弾を落とした。


「ちなみにイレーネ様は、今朝すでに宿へ使いを出しておられますわ」


ガルドの顔から、再び血の気が消えた。


「……どこに?」


「《白銀の鹿亭》へ」


三人は同時に立ち上がった。


宿。


中庭のドラゴン。


王城の使者。


シーツ頭の勇者。


そして今、婚約者を探す女侯爵の使い。


レオンは呻いた。


「まずい。宿に戻るぞ」


ガルドが左手を押さえた。


指輪が、赤く光っていた。


まるで、迎えが近いと告げるように。


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