表彰式の前に、全員がヤバイ
大広間へ続く扉の向こうから、歓声が聞こえた。
王都中の人間が、勇者を待っている。
魔王を倒した勇者。
世界を救った英雄。
その本人は、扉の手前でカツラを押さえていた。
「ずれてないか」
レオンが聞いた。
ガルドが見た。
「右」
セシルが直した。
「痛い」
「生きてます」
「返答が雑になってきたな」
「疲れています」
ユージンは壁にもたれて、聖剣の保管箱に手を置いていた。
顔色は悪い。
声もかすれている。
だが口だけはまだ動いた。
「そのカツラ、諦めた方が早いぞ」
「諦めたら坊主だ」
「じゃあ死守しろ」
「言われなくても」
ガルドは女性騎士用の礼装を着せられていた。
白い外套。
銀の飾り紐。
細い腰に合うよう、老神官が容赦なく締めた帯。
見た目だけなら、完全にどこかの名家の姫騎士だった。
本人の顔は死んでいる。
「俺、今、戦士に見えるか」
レオンは少し黙った。
ユージンも黙った。
セシルも黙った。
ガルドが叫んだ。
「誰か嘘でもいいから言えよ!」
ユージンが言った。
「戦える姫に見える」
「ほぼ姫じゃねぇか!」
「戦えるだけましだろ」
「ましじゃねぇ!」
その時、外の大広間で楽の音が大きくなった。
老神官が扉の脇から顔を出す。
「陛下が着座されました。勇者一行は、合図で入場を」
四人は同時に息を止めた。
始まる。
本当に始まる。
セシルは欠けた聖印を握った。
「確認します」
「やめろ」
ガルドが即座に言った。
「確認すると悪いことが増える」
「増えなくても、すでにあります」
セシルは指を折った。
「レオンはカツラを死守。聖剣の箱は祭壇まで開けない。モップ偽装は残り一回。ガルドさんは姿が戻っていない。イレーネ様が会場内にいる可能性が高い。グラニスは宿で起きかけている。私の祝福は不安定。ユージンさんは倒れかけ」
「やめろ!」
ガルドが頭を抱えた。
「確認じゃなくて絶望の読み上げだろ!」
「事実です」
「事実が一番ひどい!」
ユージンが小さく言った。
「追加だ」
「まだあるのか」
レオンが聞いた。
「黒い契約文字が地下祭具室まで来てる。祭壇で再認証を済ませないと、聖剣がまた担保品扱いに戻る」
「もう本当にやめろ」
ガルドが言った。
レオンは保管箱を抱え直した。
箱の中から、かすかに白い光が漏れている。
本物はここにある。
ここまで来た。
あとは、祭壇まで行くだけ。
それだけのはずだった。
大広間の扉が開く。
光が差し込んだ。
歓声が膨れ上がる。
「勇者レオン様、ならびに御一行、入場!」
レオンは一歩踏み出した。
ふわり。
カツラが少し浮いた。
「もう!?」
ガルドが小声で叫んだ。
セシルが横から押さえた。
「歩幅を小さくしてください」
「勇者の入場で小股は嫌だ」
「坊主よりはましです」
「またそれか!」
四人は大広間へ入った。
そこは、昨日まで命を懸けて戦っていた世界とは別の場所だった。
白い大理石。
赤い絨毯。
左右には貴族と神官と騎士。
奥には国王。
頭上には勇者一行を讃える旗。
金髪の勇者が聖剣を掲げる絵。
巨体の戦士が胸を張る絵。
聖印を掲げる僧侶。
黒衣の魔法使い。
レオンは箱を抱えたまま、まっすぐ前を見る。
見るしかなかった。
左右から視線が突き刺さる。
「勇者様……髪型が少し」
「戦士様はどちらに?」
「なんと美しい騎士が」
「魔法使い様、顔色が」
「僧侶様の聖印、欠けていないか?」
聞こえる。
全部聞こえる。
聞こえないふりをする。
ガルドが小声で言った。
「俺、今、戦士様いない扱いされてる」
「黙っていれば美しい騎士です」
セシルが言った。
「嬉しくねぇ」
「喋ると戦士です」
「もっと嬉しくねぇ!」
「喋るな」
ユージンが短く言った。
「お前は声でバレる」
「もう喋ってるだろ」
「手遅れだ」
「なら言うな!」
その時、右側の貴族席から、ひときわ華やかな気配が立った。
紫の礼装。
銀の扇。
笑っているのに、目が獲物を見つけた獣のような女。
女侯爵イレーネ・オルフェリア。
ガルドの左手の指輪が、赤く光った。
長く。
強く。
ガルドの身体が固まる。
イレーネが扇の陰で微笑んだ。
口だけが動く。
――見つけた。
ガルドが小声で言った。
「帰りたい」
「前を見てください」
セシルが言った。
「前にも国王がいる」
「後ろよりましです」
「今、国王を盾扱いしたか?」
「していません」
レオンは横目でガルドを見た。
「逃げるなよ」
「逃げねぇよ」
「本当か」
「逃げ道がねぇ」
「正直でよろしい」
赤い絨毯の先に、祭壇があった。
白い石の祭壇。
中央に、聖剣を置くための台座。
国王が立ち上がる。
「勇者レオン・アルヴェイン」
大広間が静まり返った。
「そなたらは魔王を討ち、王国と世界を救った。今日、ここにその功績を讃え、聖剣を王国の宝として奉献し、同時に勇者の名を永く記す」
レオンは深く頭を下げた。
カツラがずれた。
セシルの手が伸びる。
ぎゅっ。
「痛い」
「頭を下げすぎです」
「礼をしたんだ」
「浅くしてください」
「不敬では」
「坊主よりはましです」
「万能すぎるだろ、その言葉」
国王の眉がほんの少し動いた。
たぶん聞こえた。
だが、何も言わなかった。
王は偉大だった。
いや、見なかったことにしただけかもしれない。
老神官が祭壇の前に立つ。
「では、聖剣を」
レオンは保管箱を台座に乗せた。
ユージンがその横へ出る。
黒い外套で煤を隠しているが、隠しきれていない。
「封印を合わせる」
ユージンが小声で言う。
「合図で柄を握れ。抜くな。掲げるのは、認証が通ってからだ」
「分かった」
「本当に分かってるか」
「ここまで来て分かってないと思うのか」
「思う」
「即答するな」
セシルが聖印を掲げる。
欠けた聖印に光が集まる。
しかし、不安定だった。
光が強くなったり、弱くなったりする。
老神官が眉を寄せた。
「聖印が」
「昨夜の竜鎮静で損傷しました」
セシルが静かに言う。
大広間がざわついた。
「竜?」
「竜と言ったか?」
「王都に竜が?」
ガルドが小声で言った。
「まずい」
ユージンが小声で返す。
「もう遅い」
その時、大広間の外から低い咆哮が響いた。
遠い。
だが、王城まで届くほどの声。
全員が入口の方を見る。
グラニスだ。
レオンは目を閉じた。
「来たか」
ガルドが呟いた。
「宿で寝てろよ……」
さらに扉の外が騒がしくなる。
兵士の声。
馬の嘶き。
誰かが叫んだ。
「王城前に竜影!」
大広間が一気にざわめいた。
国王が立ち上がる。
「何事だ」
ガルドは顔を引きつらせた。
「王城前って言ったか?」
セシルが青ざめる。
「グラニスが追ってきたのかもしれません」
「なんで!」
「ガルドさんがいないからでは」
「俺かよ!」
イレーネが扇の陰で楽しそうに笑った。
「まあ」
ガルドの指輪がさらに光る。
グラニスの咆哮。
指輪の赤い光。
聖剣の白い光。
全部が同時に反応する。
ユージンが叫んだ。
「集中しろ! 今、聖剣を通さないと全部戻される!」
その言葉と同時に、祭壇の下から黒い契約文字が這い上がってきた。
地下から追ってきた担保契約の術式だ。
貴族たちが悲鳴を上げる。
「何だ、これは!」
「文字が!」
「祭壇に!」
老神官が叫んだ。
「聖剣から離れなさい!」
「離れたら負ける!」
ユージンが怒鳴り返した。
「あなたは何をしているのですか!」
「術式を抑えている! 手を出すな!」
「知っています!」
「なら聞くな!」
黒い契約文字が保管箱へ絡みつこうとする。
ガルドが前に出た。
女性騎士の礼装を翻し、拳を構える。
見た目は姫騎士。
動きは完全に戦士。
「来いよ、紙くず!」
「契約文字です」
セシルが言った。
「今は紙くずでいい!」
ガルドが殴った。
黒い文字が弾ける。
大広間がどよめく。
「なんという姫騎士だ」
「お強い」
「どこのご令嬢だ」
ガルドが叫んだ。
「令嬢じゃねぇ!」
大広間がさらにざわついた。
ユージンが怒鳴る。
「喋るな!」
「無理だ!」
「無理でも黙れ!」
イレーネが立ち上がった。
「素敵」
ガルドの顔が死んだ。
「終わった」
その瞬間、王城の外壁がどんと揺れた。
グラニスの咆哮が近い。
ガルドの指輪が赤く燃えるように光った。
セシルが歯を食いしばる。
「竜と誓約が干渉しています。このままだと、グラニスが会場へ向かいます」
「止められるか」
レオンが聞く。
「一瞬なら」
「一瞬ばかりだな、今日は」
「一瞬を繋いでここまで来ました」
セシルは聖印を掲げた。
白い光が広がる。
大広間の天井へ向かい、外へ抜ける。
遠くでグラニスの咆哮が少し弱くなった。
だが、セシルの聖印にひびが入る。
「セシル!」
「大丈夫です!」
「大丈夫じゃないだろ!」
「今は大丈夫です!」
ユージンが封印箱の鎖に魔法を走らせる。
「レオン、柄!」
保管箱の蓋がわずかに開いた。
聖剣の柄が見える。
レオンは手を伸ばした。
その瞬間、国王の側近が叫ぶ。
「待て! 儀礼手順では、先に冠を!」
レオンの手が止まった。
「冠?」
老神官が青ざめた。
「そうです。勇者は国王より月桂冠を授かり、冠を受ける前に頭の覆いを外す。それから聖剣を掲げるのが正式手順です」
大広間が静まった。
レオンの血の気が引いた。
頭の覆い。
つまり、カツラの上から冠は駄目。
カツラを外す。
坊主が出る。
ガルドが小声で言った。
「終わったな」
「黙れ」
「いや、これは終わった」
「黙れ!」
ユージンが叫んだ。
「手順を飛ばせ!」
老神官が叫ぶ。
「飛ばせません! 聖剣の再認証は儀礼手順に紐づいています!」
セシルが青ざめる。
「つまり、冠を外すか、儀礼が通らない」
「カツラを外せってことか」
ガルドが言った。
「正確には、頭部の偽装を外して、王の冠を受ける必要があります」
ユージンがレオンを見た。
「やれ」
「簡単に言うな」
「世界か髪か」
「髪はもうない!」
「じゃあ世界だ」
「それもそうだが!」
国王が月桂冠を持って近づいてくる。
王は、レオンの頭を見た。
カツラを見た。
その固定具を見た。
そして、何かを察したような顔をした。
「勇者レオン」
「はい」
「儀礼のため、頭の飾りを外せ」
飾り。
王は、飾りと言った。
優しさだった。
たぶん。
ガルドが小声で言った。
「飾り」
「黙れ」
セシルは震える手で、カツラの固定具に触れた。
「外します」
「待て」
レオンは息を吸った。
大広間。
国王。
貴族。
民衆代表。
イレーネ。
老神官。
魔法使い。
僧侶。
美少女の戦士。
黒い契約文字。
外のドラゴン。
この状況で、坊主を見せるのか。
レオンは一瞬だけ、魔王戦より怖いと思った。
だが、聖剣の光が箱の中で揺れている。
昨日、自分が守った世界。
今日、自分が台無しにしかけている世界。
レオンは目を閉じた。
「外せ」
セシルが静かに固定具を外した。
金色のカツラが持ち上がる。
大広間に、完璧な坊主頭が現れた。
沈黙。
本当に、完全な沈黙。
ガルドが耐えきれず、口を押さえた。
セシルは祈るように目を閉じた。
イレーネが扇で口元を隠した。
国王だけが、動かなかった。
王は月桂冠を掲げた。
そして、何事もなかったように、坊主頭の上にそっと載せた。
「勇者レオン。そなたの功績を讃える」
レオンは震えそうになる顔を必死に抑えた。
月桂冠は、意外と冷たかった。
そして、よく滑った。
「ずれる」
ガルドが小声で言った。
「黙れ」
「冠がずれる」
「黙れ!」
ユージンが叫んだ。
「今だ! 聖剣を握れ!」
レオンは聖剣の柄を握った。
白い光が大広間を満たす。
黒い契約文字が悲鳴のように震えた。
セシルが祝福を重ねる。
ユージンが封印を合わせる。
ガルドが契約文字を殴り飛ばす。
外でグラニスが咆哮する。
イレーネが立ち上がる。
国王が目を細める。
老神官が叫ぶ。
「聖剣を掲げよ!」
レオンは力を込めた。
箱の封印が外れる。
聖剣が、ついに抜けた。
本物の重み。
本物の光。
モップではない。
レオンは聖剣を高く掲げた。
大広間が歓声に包まれる。
その瞬間、月桂冠がつるりと滑った。
「王冠!」
ガルドが叫んだ。
「月桂冠だ!」
ユージンが叫んだ。
「どっちでもいい!」
レオンは片手で聖剣を掲げ、もう片手で冠を押さえようとした。
だが遅い。
月桂冠が落ちる。
その下の坊主が、さらによく見える。
大広間が、もう一度静かになった。
外で、グラニスが吠えた。
ガルドの指輪が赤く光った。
黒い契約文字が最後の一束となって聖剣へ伸びた。
そして、レオンの腰のモップが、残り一回の偽装を勝手に発動した。
「え?」
モップが光る。
聖剣の光と重なる。
本物の聖剣。
聖剣のフリをしたモップ。
二つの光が、祭壇の上で同時に輝いた。
ユージンが叫んだ。
「誰が使えって言った!」
「俺じゃない!」
「勝手に光った!」
セシルが叫ぶ。
「本物の聖剣に反応しています!」
老神官が叫ぶ。
「儀礼が二重に走っている!」
ガルドが叫ぶ。
「つまりどうなるんだよ!」
ユージンは顔を引きつらせた。
「知らん!」
その瞬間、聖剣とモップの光が大広間いっぱいに爆ぜた。
白い光。
青い光。
赤い指輪の光。
黒い契約文字。
全部が一瞬で混ざる。
レオンは聖剣を掲げたまま叫んだ。
「今だけは何も起こるな!」
だが当然、起こった。
王城の正面扉が、外から吹き飛ぶように開いた。
黒いドラゴン、グラニスが大広間の入口に顔を突っ込んだ。
その背後で、女侯爵イレーネが優雅に扇を広げていた。
「まあ」
彼女は、坊主頭で聖剣を掲げるレオンと、美少女礼装のガルドと、光るモップを見て微笑んだ。
「とても面白い式ですこと」
ガルドが叫んだ。
「来るなぁぁぁぁぁ!」
レオンの月桂冠が、床に落ちた。
からん。
その音が、大広間にやけにはっきり響いた。




