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消えた魔法使いと、本物の聖剣


旧搬送路は、王城の地下へ続いていた。


走るたびに、レオンの腕の中で聖剣の保管箱が揺れる。


重い。


本物の重さだった。


だが、まだ箱の中だ。


掲げることもできない。


抜くこともできない。


そして、片手でカツラを押さえられない。


「右!」


ガルドが叫んだ。


「道か!」


「カツラ!」


「道を見ろ!」


「見てるから言ってんだろ!」


レオンは歯を食いしばりながら走った。


セシルが横から手を伸ばし、ずれかけたカツラを直す。


「痛い!」


「動かないでください!」


「走ってるんだ!」


「では、ずれないでください!」


「無茶を言うな!」


後ろでは、ユージンが壁に手をつきながら走っていた。


顔色は悪い。


息も荒い。


それでも、先頭の封印文字や分岐路を見る目だけは鋭かった。


「次、左だ」


「王城は右じゃないのか?」


ガルドが聞く。


「右は旧宝物庫。今行くと王城の警備結界に焼かれる」


「先に言えよ!」


「今言った」


「遅い!」


「焼かれてからより早い」


レオンは左へ曲がった。


通路の奥から、また低い咆哮が聞こえた。


地上のグラニスだ。


石壁がわずかに震える。


セシルの顔が強張る。


「眠りの祝福が切れています」


「どのくらい持つ?」


レオンが聞いた。


「持ちません」


「言い方」


「事実です」


ガルドが左手を押さえた。


誓約指輪も、さっきから赤く点滅している。


地下へ来ても、オルフェリア家の追跡は止まっていないらしい。


「婚約者様ー」


遠く、上の階段の方から女従者の声が響いた。


礼儀正しい声。


しかし、確実に近づいている声。


ガルドの顔が死ぬ。


「なんで地下でも声が綺麗に通るんだよ」


「訓練でしょう」


セシルが言った。


「何の訓練だよ」


「婚約者を逃がさない訓練では」


「そんな家、嫌すぎる」


ユージンが振り返った。


「その指輪、本当に何だ」


「だから後で!」


「後があると思ってるのか?」


「怖いこと言うな!」


黒い契約文字が、背後の扉の隙間からまた漏れてきた。


先ほどより少ない。


だが、まだ追ってくる。


文字は床を這い、壁を伝い、聖剣の保管箱へ向かっていた。


「まだ来るのか!」


レオンが叫ぶ。


「担保契約だからな」


ユージンが言った。


「所有者が質入れ契約を完全に解除するまで追ってくる」


「所有者って俺か」


「お前だ」


「つまり俺のせいか」


「今さら確認するな」


ガルドが後ろで拳を振るった。


契約文字が弾ける。


だが今度は、弾けた文字の一部が指輪の赤い光へ吸い寄せられた。


「おい、また来た!」


「ガルドさん、指輪を隠してください!」


セシルが叫ぶ。


「どうやって!」


「握る!」


ガルドは左手を右手で包んだ。


赤い光が指の隙間から漏れる。


「隠れてねぇ!」


「気持ちです!」


「気持ちで契約は消えねぇだろ!」


ユージンが苛立ったように言った。


「契約文字に契約指輪。最悪の組み合わせだな」


「俺を最悪扱いするな」


「指輪をつけたまま契約術式の中を走る戦士は最悪だ」


「好きでつけてねぇよ!」


「だったらプロポーズするな」


「した記憶ねぇんだよ!」


ユージンが足を止めた。


「プロポーズしたのか」


「止まるな!」


三人が同時に叫んだ。


ユージンは舌打ちしてまた走った。


「後で全部聞く」


「聞かなくていい!」


「聞く。記録に残す」


「残すな!」


通路の先に、広い空間が見えてきた。


円形の地下室。


中央に、古い石台。


天井には丸い穴。


そのはるか上から、かすかに光が差している。


王城の祭壇へ続く昇降口だった。


ユージンが石台を指す。


「あそこだ」


「ここから王城に上がれるのか」


レオンが聞く。


「上がれる。ただし、封印された搬送台を動かせればな」


「動くのか?」


ユージンは少し黙った。


「動かす」


「できるとは言わないんだな」


「できるだけやる」


「その言い方やめろ」


セシルが石台へ駆け寄る。


表面には、古い神殿文字と王城の紋章が刻まれていた。


その中央に、聖剣の形をしたくぼみがある。


レオンは保管箱を見た。


「聖剣を置けということか」


「箱のままでは反応しない」


ユージンが言った。


「でも開けられないんだろ」


「完全にはな」


ユージンは保管箱の封印鎖に手を置く。


黒い鎖が、低く鳴った。


「ここで一時開封する。刃を出すだけだ。柄はお前が握る。箱から抜くな」


「そんなことできるのか」


「やる」


「できるとは言わない」


「うるさい」


セシルが厳しい顔で言った。


「無理をすれば、警報が飛びます」


「だから無理をしない範囲で無理をする」


「言葉がおかしいです」


「状況もおかしい」


「それはそうです」


ガルドが後ろを見る。


契約文字が円形の部屋の入口まで迫っている。


さらにその向こうから、女従者の声。


そして、遠くで竜の咆哮。


全部が近づいている。


「早くしろ!」


「分かってる!」


ユージンは箱の封印に指を走らせた。


青い魔法陣が浮かぶ。


だが、すぐに揺らぐ。


ユージンの手が震えた。


「ユージン」


レオンが声をかける。


「黙れ。集中が切れる」


「顔色が悪い」


「元からだ」


「違うだろ」


「いいから箱を押さえろ!」


レオンは箱を抱え直し、石台に置いた。


セシルが聖印を掲げる。


「祝福を重ねます」


「やめろ」


ユージンが即座に言った。


「聖印が砕ける」


「でも、あなた一人では」


「少しでいい」


セシルは言った。


「砕けない程度に」


ユージンは睨んだ。


セシルも睨み返した。


二人の間に、奇妙な沈黙が落ちる。


そしてユージンが先に目を逸らした。


「本当に少しだけだ」


「はい」


「倒れるな」


「そちらこそ」


「俺は倒れてもいい」


「よくありません」


「うるさい」


二人は同時に術を重ねた。


青い魔法と、白い祝福。


箱の黒い封印鎖が、少しずつ緩む。


ぎり。


ぎり。


鎖が鳴る。


レオンは息を止めた。


箱の蓋が、ほんの少し開いた。


白い光が漏れた。


本物の聖剣の光。


モップではない。


偽装ではない。


その光を見た瞬間、レオンの胸が熱くなった。


昨日、魔王の核を裂いた剣。


何度も命を預けた剣。


自分が、昨夜、質に入れた剣。


「すまない」


レオンは思わず呟いた。


ユージンが言った。


「剣に謝る前に俺に謝れ」


「すまない」


「軽い」


「後でちゃんと謝る」


「説教も受けろ」


「受ける」


「よし」


ガルドが小声で言った。


「セシルの説教とユージンの説教、どっちが先だ?」


「同時です」


セシルが答えた。


「地獄かよ」


箱の隙間から、聖剣の柄が見えた。


レオンは手を伸ばす。


指先が柄に触れた瞬間、白い光が強くなった。


石台が反応する。


円形の部屋全体に、古い紋様が浮かんだ。


だが、同時に黒い契約文字も勢いを増した。


「来るぞ!」


ガルドが叫ぶ。


契約文字が部屋になだれ込む。


聖剣の光に引かれている。


ガルドが前に出て拳を構えた。


「俺が止める!」


「指輪を隠せ!」


ユージンが叫ぶ。


「無理だ!」


「じゃあ前に出るな!」


「もう出た!」


ガルドの指輪が赤く光る。


黒い契約文字の一部が指輪へ絡みつこうとした。


その瞬間、上の穴から声が降ってきた。


「婚約者様ー」


ガルドが叫んだ。


「今じゃねぇ!」


声に反応したのか、指輪がさらに光る。


契約文字が増える。


「お前の婚約、邪魔すぎる!」


ユージンが怒鳴った。


「俺が一番そう思ってる!」


レオンは聖剣の柄を握ったまま動けない。


箱から抜くなと言われている。


だが、契約文字は迫る。


セシルは祝福を維持している。


ユージンは封印を抑えている。


ガルドは契約文字を殴っている。


誰も余裕がない。


その時、レオンの腰に差していたモップが、かすかに光った。


残り一回。


聖剣偽装。


表彰式まで持たせろ。


ユージンの声が飛ぶ。


「使うな!」


「分かってる!」


「今、手が伸びただろ!」


「伸びてない!」


「伸びた!」


「少し!」


「正直になるな!」


黒い契約文字が、聖剣の保管箱へ触れかける。


ガルドが間に入る。


だが、文字が指輪に絡みつき、左手を縛った。


「ぐっ!」


「ガルド!」


セシルが叫ぶ。


ガルドは歯を食いしばった。


「俺を、契約で、縛るなぁ!」


彼は左腕を強引に引いた。


美少女の細い腕に、赤と黒の光が巻きつく。


だが、その腕は折れなかった。


変身していても、ガルドだった。


契約文字が裂ける。


指輪が激しく光る。


上から女従者の声がまた響く。


「婚約者様、ただいま参ります」


「来るなぁ!」


ガルドの叫びが地下に響いた。


その一瞬で、石台の紋様が完全に光った。


低い音がする。


地下室全体が揺れる。


「動くぞ!」


ユージンが叫ぶ。


「全員乗れ!」


レオンは聖剣の柄を握ったまま、箱を抱えるように石台へ乗る。


セシルがよろめきながら乗る。


ユージンが肩を押さえて乗る。


ガルドが契約文字を振りほどいて飛び乗る。


石台がゆっくり上昇を始めた。


黒い契約文字が、下から追ってくる。


女従者の声も、なぜか下から追ってくる。


「婚約者様ー」


「なんで上昇台に追いつくんだよ!」


ガルドが叫ぶ。


「礼儀正しく速いですね」


セシルが息を切らしながら言った。


「評価するな!」


ユージンは箱の封印を押さえ続けている。


「レオン、柄を離すな」


「分かってる」


「抜くな」


「分かってる」


「質に入れるな」


「もういい!」


石台は暗い縦穴を上っていく。


上に光が見える。


王城の地下祭具室だ。


正午の表彰式が行われる大広間の、すぐ下。


「このまま祭壇まで行けるのか」


レオンが聞く。


「地下祭具室までだ」


ユージンが答える。


「そこからは人目を避けて大広間へ入る」


「この格好で?」


ガルドが自分を指す。


「お前はもう諦めろ」


「諦めるな!」


「お前、今さら隠せると思うか?」


ガルドは黙った。


レオンが言った。


「俺は?」


ユージンはカツラを見た。


「遠目なら勇者だ」


「それ、今日二回目だ」


「近目なら?」


ガルドが聞いた。


ユージンは即答した。


「劇団の王子役」


ガルドが吹き出した。


レオンは睨んだ。


「笑うな」


「無理だろ、劇団の王子役は」


「お前は野生の姫君だろ」


ガルドの笑いが止まった。


ユージンが顔をしかめた。


「本当に何があった」


「後で!」


石台が止まった。


目の前に、古い鉄格子の扉。


その向こうに、王城の地下祭具室が見える。


白い石壁。


整然と並んだ儀礼道具。


上品な香の匂い。


地下搬送路の湿気とはまるで違う。


レオンたちは、今の自分たちの格好を見た。


煤だらけの魔法使い。


ふらつく僧侶。


美少女の戦士。


カツラの勇者。


箱の中の聖剣。


布に包んだモップ。


「開けるぞ」


ユージンが言った。


「また封印か?」


「いや」


ユージンは鉄格子を押した。


ぎい、と開いた。


「鍵が壊れてる」


「急に雑だな」


「古いんだよ」


四人は地下祭具室へ入った。


その瞬間、部屋の奥から声がした。


「そこにいるのは誰ですか」


全員が固まった。


祭具室の奥に、白い礼服の老神官が立っていた。


手には香炉。


顔は厳しい。


明らかに、正式な儀礼担当者だった。


沈黙。


レオンは箱を抱えたまま固まった。


ガルドは美少女の姿で固まった。


ユージンは煤だらけで固まった。


セシルは青ざめながら、かろうじて一歩前へ出た。


「神聖な搬入です」


老神官は眉をひそめた。


「何ですか」


セシルはもう一度言った。


「神聖な搬入です」


ユージンが小声で言った。


「雑だな」


「あなたたちに合わせています」


レオンは箱を抱え直した。


「私は勇者レオン・アルヴェイン。表彰式の聖剣儀礼のため、聖剣を搬入している」


老神官の視線が、レオンのカツラへ向く。


次に、箱へ。


次に、モップへ。


最後に、ガルドへ。


「そちらのご令嬢は」


「戦士です」


レオンは即答した。


老神官は黙った。


ガルドが小声で言った。


「もう少し説明しろ」


「時間がない」


セシルが聖印を見せた。


欠けている。


老神官の目が変わった。


「その聖印は」


セシルは静かに言った。


「昨夜、王都に持ち込まれた竜を鎮めるために使いすぎました」


「竜?」


ユージンが額を押さえた。


「そこから説明すると長い」


老神官はしばらく四人を見た。


そして、深く息を吐いた。


「上では、陛下がすでに大広間へ入られました」


四人の顔が変わる。


「もう?」


レオンが聞いた。


「正午まで、あとわずかです」


老神官は言った。


「事情は分かりません。分かりたくもありません。ただ、聖剣が本物で、勇者本人がここにいるなら、儀礼は進めます」


セシルが頭を下げた。


「感謝します」


老神官はレオンを見た。


「ただし、その髪は直しなさい」


レオンは固まった。


ガルドが肩を震わせる。


ユージンが小さく言った。


「劇団の王子役だしな」


「黙れ」


老神官は棚から銀の髪留めを取った。


「応急ですが、儀礼用の固定具です。使いなさい」


セシルが受け取る。


「ありがとうございます」


レオンは小声で言った。


「また固定か」


セシルは無言で近づいた。


「痛くしないでくれ」


「努力します」


「努力ではなく約束を」


「約束は危険です」


ガルドが左手を押さえた。


「本当に危険だぞ」


セシルは髪留めでカツラを固定した。


ぎゅっと。


「痛い」


「落ちるよりましです」


「今日そればかりだ」


老神官は保管箱を見た。


「その箱は、祭壇上でしか開きません」


「知っています」


ユージンが言った。


「祭壇で勇者が柄を握り、国王の承認と神殿の祝福が重なれば、封印が正規の聖剣として再認証される」


老神官はユージンを見た。


「詳しいですね」


「今朝ずっとそれをやってたんで」


「今朝?」


「聞かないでください」


老神官は聞かなかった。


賢明だった。


その時、地下の鉄格子の向こうから黒い契約文字が這い上がってきた。


老神官の顔色が変わる。


「何ですか、あれは」


ユージンが言った。


「借金取りです」


「説明が雑です」


セシルが言った。


「でも近い」


レオンは保管箱を抱えた。


「急ぐぞ」


「待て」


老神官が手を上げた。


「大広間へ出る前に、儀礼衣の外套だけは羽織りなさい。今のままでは、煤と混乱が前に出すぎています」


ガルドが自分の姿を見た。


「俺にもあるか?」


老神官はガルドを見た。


少し考えた。


「女性用の礼装なら」


ガルドが膝から崩れかけた。


「終わった」


「着ろ」


ユージンが言った。


「うるせぇ煤魔法使い!」


「その姿で戦士用は無理だ」


「正論が嫌いになりそうだ」


セシルが言った。


「時間がありません」


老神官は棚から白い儀礼外套を三つ取り出した。


レオンには勇者用。


セシルには僧侶用。


ガルドには、女性騎士用。


ユージンには、煤を隠す黒い外套。


「なぜ女性騎士用がある」


ガルドが聞いた。


老神官は言った。


「王城ですから」


「便利な言葉にするな」


「似合っています」


「言うな!」


外套を羽織った四人は、少しだけまともに見えた。


本当に少しだけ。


レオンはカツラを固定し、聖剣の保管箱を抱えた。


セシルは欠けた聖印を隠すように外套を合わせた。


ガルドは女性騎士の礼装を着て、絶望していた。


ユージンは黒い外套で煤を隠したが、目の下の隈は隠せなかった。


黒い契約文字が部屋へ入り始める。


遠くから、ガルドを呼ぶ女従者の声もする。


さらに上から、式典の楽の音が聞こえてきた。


始まっている。


「行くぞ」


レオンが言った。


ユージンが頷く。


「祭壇まで持ち込め。そこで俺が封印を合わせる」


「お前は倒れるなよ」


「倒れるなら、祭壇の後にする」


「倒れる前提やめろ」


セシルが静かに言った。


「私も祝福を通します」


「聖印は?」


「欠けています」


「知ってる」


「でも通します」


「全員、無理しか言わないな」


ガルドが言った。


「お前もだ」


ユージンが返す。


「何を」


「その格好で戦う気だろ」


ガルドは女性騎士用の外套を握った。


そして、にやりと笑った。


「まあな」


ユージンは何も言わなかった。ただ、口元が少し動いた。


「中身は戻ってないようで安心した」


「褒めてんのか?」


「少し」


「正直か」


老神官が大広間へ続く扉を開けた。


光が差し込む。


歓声が聞こえる。


王都中が、世界を救った勇者を待っている。


レオンは保管箱を抱え、深く息を吸った。


本物の聖剣はここにある。


魔法使いも戻った。


だが、箱はまだ開かない。


カツラは固定しているが信用できない。


ガルドは美少女のまま。


セシルの聖印は限界。


ユージンは倒れそう。


モップ偽装は残り一回。


黒い契約文字と婚約者の使者とドラゴンが、どこかでまだ追ってくる。


それでも、式は始まる。


レオンは言った。


「行くぞ」


そして四人は、大広間へ踏み出した。


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