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魔法使いは逃げたんじゃない


暗闇の奥から聞こえた声は、間違いなくユージンだった。


「来たなら手伝え。聖剣が、面倒なことになってる」


不機嫌で、疲れていて、口が悪い。


本人だった。


「ユージン!」


レオンは石段を駆け下りた。


カツラがずれた。


セシルが無言で直した。


「痛い」


「走るからです」


「今は走るだろ」


「カツラがずれますよ」


ガルドが後ろで言った。


「それどころじゃないな」


石段の先は、古い地下通路だった。


壁は湿っている。


床には錆びたレールが残っていた。


昔、王城や神殿の荷を運ぶために使われていた搬送路なのだろう。


その途中に、ユージンはいた。


黒衣は煤だらけ。


髪は乱れ、片方の手袋はなく、頬には小さな傷。


壁にもたれ、片膝をついている。


その前には、銀色の大きな箱があった。


聖剣用の保管箱。


ただし、箱の蓋には黒い封印鎖が巻きつき、まだ開いていない。


「生きてた」


ガルドが言った。


ユージンは顔を上げた。


「残念そうに言うな」


「安心したんだよ」


「その姿で言われると情報量が多い」


「見るな」


「無理だろ」


ユージンは次にレオンを見た。


頭のカツラを見た。


少し置いて。


「……誰だ」


「俺だ!」


「いや、髪が増えてる」


「増えてはいない。乗せている」


「最悪の説明だな」


「お前のせいでもある!」


「俺のせいは三割だ」


「七割は?」


ユージンは無表情で言った。


「お前」


レオンは反論できなかった。


セシルが前に出た。


「ユージンさん、怪我は」


「寝不足と魔力切れ。あと、お前らへの怒り」


「怒りは治せません」


「治すな。燃料にする」


ユージンは立ち上がろうとして、少しふらついた。


セシルが支えようとしたが、ユージンは手で制した。


「お前も無理するな。聖印、割れてるだろ」


セシルの手が止まった。


「気づいていたんですか」


「気づくわ。昨夜、お前が一番働いてた」


レオンとガルドは黙った。


セシルも、一瞬だけ黙った。


ユージンは保管箱を指した。


「本物の聖剣はこの中だ」


レオンの表情が変わった。


「取り戻したのか」


「半分な」


「半分?」


「保管庫からは出した。だが、認証封印がかかったままだ」


ユージンは箱の蓋を軽く叩いた。


黒い封印鎖が、低く鳴る。


「これを無理に開けると、聖剣が『所有者不明の危険聖遺物』扱いになって、神殿と王城に警報が飛ぶ」


ガルドが嫌そうな顔をした。


「また面倒な手続きかよ」


「お前がドラゴンを買ったせいで面倒になった手続きだ」


「俺だけじゃねぇだろ!」


ユージンはレオンを見た。


「聖剣を質に入れたやつもいる」


レオンは黙った。


ユージンはガルドを見た。


「ドラゴンを買ったやつもいる」


ガルドも黙った。


ユージンはセシルを見た。


「止めたやつもいる」


セシルは少しだけ目を伏せた。


「止めきれませんでした」


「お前は悪くない」


ユージンは即答した。


「悪いのはこの二人だ」


「即答が重い」


レオンが言った。


「事実は重い」


「で、どうすれば開くんだ」


ガルドが聞いた。


ユージンは保管箱の上に置かれた数枚の紙を指した。


「管理人の解除印は取った。質入れ記録も取った。本券も取り返した」


レオンは目を見開いた。


「本券も?」


「お前の上着の裏に縫い込まれてた」


「なぜ」


「知らん。昨夜のお前に聞け」


「昨夜の俺、本当に何をしてるんだ」


「何も考えてないことだけは分かる」


ユージンは紙束をセシルに渡した。


「ただし、最後の再認証だけはここじゃ無理だ」


「表彰式の祭壇ですね」


セシルが言った。


「そう。勇者本人が、王城の祭壇で、聖剣を掲げる。その時に封印が勇者の持ち物として再登録される」


レオンは保管箱を見た。


「つまり、聖剣は戻ったが、まだ使えない」


「そういうことだ」


「正午までに王城へ持っていく必要がある」


「そういうことだ」


「それまで箱は開かない」


「開けたら終わる」


ガルドが腕を組んだ。


「じゃあ運べばいいだけじゃねぇか」


ユージンはゆっくりガルドを見た。


「だけ?」


「……だけじゃないんだな」


「学習したな」


ユージンは通路の奥を指した。


そこには、黒い霧のようなものが漂っていた。


よく見ると、霧ではない。


小さな文字だった。


無数の契約文が、空中に漂っている。


「裏カジノ側が、聖剣を担保品として固定するために契約封印をかけていた。俺が保管庫から出したせいで、封印が追ってきている」


「追ってくる封印?」


レオンが聞いた。


「借金取りみたいなものだ」


「最悪の比喩だ」


「かなり正確だ」


黒い文字の群れが、ゆっくり近づいてくる。


セシルが息を呑んだ。


「担保回収の契約術式ですね。箱に再接続されると、また保管庫へ戻されます」


「そうなると?」


「正午に間に合いません」


ユージンが短く言った。


「だから手伝えと言った」


「何をすればいい」


レオンが問う。


ユージンは三人を順番に見た。


「レオンは箱を持て」


「分かった」


「落とすな」


「分かっている」


「質に入れるな」


「二度と言うな」


「ガルドは後ろを押さえろ。契約文字を斬るなり殴るなりしろ」


「この身体でか?」


「中身はお前だろ」


ガルドは少しだけ笑った。


「そう言われると、悪くねぇな」


「調子に乗るな。変身はまだ戻せん」


「戻せよ!」


「魔力がない」


「早く回復しろ!」


「お前のために魔力を使った結果だ」


「すまん」


ガルドは素直に謝った。


ユージンは少しだけ目を細めた。


「気持ち悪いな」


「謝ったのに!」


「セシル」


ユージンはセシルを見た。


「お前は前方の封印を祓え。ただし無理するな」


「無理しないと通れません」


「じゃあ少しだけ無理しろ」


「分かりました」


「分かるな」


レオンが言った。


「二人とも、そこは分かり合うな」


ユージンは最後に、レオンの手元を見た。


「モップは?」


レオンは布にくるんだモップを見せた。


「残り一回だ」


ユージンの顔が歪んだ。


「なんで二回使ってる」


「竜に舐められた」


「振るなって書いただろ」


「振ってない。舐められた」


「余計に意味が分からん」


「俺も分からん」


「もう一回は?」


「神殿倉庫の扉を開けた」


ユージンは片手で顔を覆った。


「表彰式まで持たせろって書いただろ」


「開けなければ来られなかった」


「……それはそうか」


「分かってくれたか」


「腹は立つ」


「それも分かる」


ユージンは深く息を吐いた。


「残り一回は絶対に使うな。王城の祭壇で必要になる」


「分かった」


「絶対だぞ」


「分かった」


「本当に分かってるか?」


「分かってる!」


ガルドが横から言った。


「そう言ってる時ほど、だいたい使うよな」


「黙れ!」


黒い契約文字が、一気に近づいた。


ユージンが舌打ちする。


「走るぞ」


「カツラが落ちる!」


レオンが叫んだ。


「箱を落とすよりましだ!」


「どっちも落とせない!」


「なら両方押さえろ!」


「手が足りない!」


セシルが即座に言った。


「箱を優先してください」


「髪は!?」


「替えがあります」


「替えじゃない!」


ガルドが保管箱を担ごうとする。


「俺が持つ」


ユージンが止めた。


「駄目だ。聖剣の所有者本人が触れていないと、封印が暴れる」


「面倒くせぇ!」


「聖剣だからな」


「便利な言葉にするな!」


レオンは保管箱を抱えた。


重い。


聖剣本体が入っているから当然だ。


久しぶりに、本物の重みを感じた。


モップではない。


水っぽくもない。


ただ、箱越しだった。


「行くぞ」


ユージンが先頭に立つ。


セシルが隣に並ぶ。


レオンが箱を抱え、ガルドが後ろにつく。


黒い契約文字が迫る。


「走れ!」


四人は旧搬送路を走り出した。


地下通路に足音が響く。


レオンは箱を抱え、片手でカツラを押さえようとした。


無理だった。


カツラが少しずれる。


「右!」


ガルドが叫ぶ。


「道か?」


「カツラ!」


「今それを言うな!」


「大事だろ!」


「大事だが今じゃない!」


セシルが前方の古い封印を祓う。


白い光が走る。


だが光は弱い。


欠けた聖印が、また軋むように鳴った。


「セシル!」


「大丈夫です!」


「それは大丈夫な声じゃない!」


「知っています!」


ユージンが振り返らずに言う。


「セシル、右壁の古い印だけ祓え。全部祓おうとするな」


「分かっています」


「分かってないやつの動きだ」


「あなたも昨日からずっと無理をしています」


「俺はいい」


「よくありません」


「いいから走れ!」


ガルドが後方で拳を振るった。


黒い契約文字の束が弾ける。


拳に赤い火花が散る。


「痛ぇ!」


「文字を殴るな、契約ごと殴れ!」


ユージンが叫ぶ。


「違いが分かんねぇよ!」


「気合いで分かれ!」


「雑だな魔法使い!」


ガルドはもう一度殴った。


今度は文字の束が大きく裂けた。


「いける!」


「調子に乗るな!」


「乗らせろ!」


その時、ガルドの左手の指輪が赤く光った。


契約文字が、その光へ引き寄せられる。


セシルが顔をしかめた。


「まずい。誓約指輪に契約術式が反応しています」


「また俺か!」


「あなたを巡る契約が多すぎます」


「俺は契約に向いてねぇ!」


ユージンがちらりと指輪を見た。


「何だそれ」


「婚約指輪」


「誰の?」


「俺の」


ユージンは走りながら沈黙した。


そして言った。


「後で聞く」


「今聞けよ!」


「今聞いたら足が止まる」


「正しい判断です」


セシルが言った。


黒い契約文字が指輪へ絡みつこうとする。


ガルドは必死に腕を振った。


「寄るな! 俺の婚約は今それどころじゃねぇ!」


「婚約は認めるんですね」


「言葉の綾だ!」


ユージンが舌打ちした。


「レオン、箱を高く持て」


「なぜ」


「聖剣の気配で契約文字を散らす」


「箱を?」


「持ち上げろ!」


レオンは保管箱を高く掲げた。


重い。


腕が震える。


同時に、カツラがずれた。


「落ちる!」


「箱を落とすな!」


「カツラが!」


「箱!」


「髪!」


「箱!」


セシルが横から片手を伸ばし、レオンのカツラを押さえた。


「ありがとうございます!」


「礼より走ってください!」


「はい!」


保管箱から、白い光が漏れた。


黒い契約文字が一瞬だけひるむ。


道が開く。


その先に、鉄の扉が見えた。


古い搬送扉。


半分閉じている。


「出口か!」


ガルドが叫ぶ。


「違う」


ユージンが言った。


「中継門だ。あれを越えれば、契約術式は少し弱まる」


「開くのか?」


「壊れてる」


「じゃあどうする」


ユージンはレオンを見た。


レオンはモップを見た。


残り一回。


ユージンが即座に言った。


「使うな」


「まだ何も言ってない」


「顔が言ってる」


「この顔は俺のじゃない」


ガルドが言った。


「それは俺の言い訳だ!」


ユージンは扉へ駆け寄り、焦げた手で魔法陣を描く。


指先が震えている。


魔力がほとんど残っていないのが分かる。


セシルが横から祝福を重ねようとした。


ユージンが怒鳴る。


「お前はやめろ!」


「でも」


「聖印が砕ける!」


セシルの手が止まった。


一瞬だけ。


その一瞬で、黒い契約文字が背後から迫る。


ガルドが振り返った。


「来てるぞ!」


ユージンは歯を食いしばる。


「開け……!」


魔法陣が青く光る。


だが弱い。


扉は少しだけ動いて、止まった。


「くそ」


ユージンが膝をつきかける。


レオンは保管箱を抱えたまま叫んだ。


「ガルド!」


「任せろ!」


ガルドが扉に肩をぶつけた。


美少女の身体で。


だが、音は戦士だった。


鉄扉がきしむ。


「うおおおおお!」


細い腕に筋が浮かぶ。


変身していても、中身はガルド。


魔法で形は変わっても、根っこの力までは消えていない。


扉が少しずつ開く。


「すごい」


セシルが呟いた。


ガルドが歯を食いしばる。


「だろ!」


「でも姿は美少女です」


「今言うな!」


レオンが箱を抱えて扉の隙間を抜ける。


セシルが続く。


ユージンを引っ張り込む。


最後にガルドが滑り込んだ。


鉄扉が閉まる。


黒い契約文字が扉にぶつかり、ばちばちと弾けた。


一瞬の静寂。


全員が息を切らしていた。


「抜けたか」


レオンが聞いた。


ユージンは壁に背を預けた。


「一時的にな」


「一時的ばっかりだな」


「今朝は全部一時しのぎだ」


「それはそう」


ガルドは自分の手を見た。


細い手。


だが、扉を押し開けた手。


「……俺、いけるじゃねぇか」


セシルが微笑んだ。


「はい。あなたはガルドさんですから」


ガルドは少しだけ照れた。


その瞬間、指輪が光った。


「照れた?」


レオンが聞いた。


「照れてねぇ!」


ユージンが指輪を見た。


「本当に何なんだそれ」


「後で聞くんだろ!」


「今ちょっと気になってきた」


「気にするな!」


セシルが息を整えながら、ユージンに向き直った。


「ユージンさん。あなたは逃げたわけではなかったんですね」


ユージンは眉をひそめた。


「当たり前だ」


「でもメモには『探すな』と」


「探しに来たら邪魔だからだ」


「言い方」


レオンが言った。


「事実だ。お前らを連れてたら、聖剣より先に問題が増える」


三人は黙った。


増えていた。


かなり増えていた。


「でも」


レオンは保管箱を抱え直した。


「お前一人で、ここまでやったんだな」


ユージンは目を逸らした。


「誰かがやらないと、正午に間に合わない」


「ありがとう」


レオンは言った。


短く。


まっすぐに。


ユージンは嫌そうな顔をした。


「気持ち悪いな」


「お前、感謝に弱すぎるだろ」


「感謝されるより、二度と聖剣を質に入れないと誓え」


「誓う」


「誓約魔術じゃなくて普通に誓え」


ガルドが左手を押さえた。


「今その言葉に俺が反応した」


「お前は黙ってろ、婚約者」


「もう聞いてるじゃねぇか!」


ユージンは深く息を吐いた。


「いいか。ここから王城へ向かう。だが、この箱は祭壇に着くまで開かない。残りのモップ偽装は最後の保険だ。絶対使うな」


「分かった」


レオンは頷いた。


その時、通路の上の方から声が響いた。


「婚約者様ー」


ガルドの顔が死んだ。


「なんで地下まで来るんだよ」


セシルが静かに言った。


「オルフェリア家の追跡力ですね」


ユージンがガルドを見る。


「説明しろ」


「後で!」


さらに遠くで、低い咆哮が聞こえた。


グラニスだ。


眠らせたはずの竜の声。


セシルの顔色が変わる。


「祝福が切れた」


レオンは箱を抱えたまま立ち上がった。


「急ぐぞ」


ユージンが苦い顔で笑った。


「だから言っただろ。来るなって」


レオンは答えた。


「来たから、手伝える」


ユージンは一瞬黙った。


そして、そっぽを向いた。


「なら走れ」


四人は、旧搬送路のさらに奥へ向かって走り出した。


本物の聖剣は腕の中。


モップ偽装は残り一回。


カツラはずれかけ。


婚約者は追ってくる。


ドラゴンは起きた。


正午は、近い。


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