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10/12

僧侶だけが一晩中まともだった


王城の使者は、廊下の向こうで待っていた。


青い礼服。


真面目そうな顔。


そして、今朝だけで三十年分くらい老けた目。


「勇者レオン様」


使者は深く頭を下げた。


「聖剣の最終確認をさせていただきたく」


レオンは、モップを背中に隠した。


隠しきれていなかった。


柄が肩の上から出ている。


ガルドが小声で言った。


「出てるぞ」


「分かってる」


「完全に出てる」


「分かってると言っている」


セシルが静かに前へ出た。


「聖剣は、まだ浄化の途中です」


使者の目が死んだ。


「まだ、でございますか」


「はい」


「ですが、王城側としても、儀礼の準備が」


「分かっています」


セシルは頷いた。


「ですので、一瞬だけ確認していただきます」


レオンはセシルを見た。


「一瞬?」


「一瞬です」


「どのくらい」


「まばたき程度です」


「それは確認と言えるのか」


「言わせます」


使者が不安そうに言った。


「あの、僧侶様?」


「まばたきなさらないでください」


「まばたき程度とおっしゃったのに?」


「気持ちの話です」


もう何もかも無茶だった。


だが、やるしかない。


セシルは欠けた聖印を握り、低く祈りを唱えた。


淡い光がモップを包む。


柄に巻かれた布の下から、青白い魔法紋が浮かんだ。


ユージンの術式。


そこへ、セシルの祝福が無理やり重なる。


一瞬だけ。


本当に一瞬だけ。


モップは、聖剣に見えた。


銀の刃。


白い柄。


魔王を斬った剣。


世界を救った証。


使者の目が見開かれる。


「おお……」


次の瞬間、光が揺れた。


刃が細くなる。


柄が木に戻る。


先端に、濡れた布が現れかける。


「閉じてください!」


セシルが叫んだ。


「何をですか!?」


「目を!」


使者は反射的に目を閉じた。


レオンはモップを背中に隠した。


ガルドが一歩前に出て、なぜか胸を張った。


完全に美少女だった。


使者が目を開ける。


そこには、頭にシーツを巻いた勇者。


異様に美しい謎の令嬢。


息を切らした僧侶。


そして、何かを背中に隠している勇者。


使者は、少しの間、何かを考えた。


考えた末に、諦めた顔になった。


「確認、いたしました」


レオンは真顔で頷いた。


「そうか」


「はい。たいへん、神々しい輝きでございました」


ガルドが小声で言った。


「濡れた布が見えかけてたぞ」


「黙れ」


「使者殿」


セシルが一歩前へ出る。


「表彰式までは、聖剣を完全に安定させておきます。王城には、正午前に必ず」


「承知いたしました」


使者は深く頭を下げた。


そして、ちらりとレオンの頭を見た。


「それと、勇者様の……その、浄化は」


レオンは反射的にシーツを押さえた。


「進行中だ」


「……その状態で、表彰式に?」


「問題ない」


「あると思うぞ」


ガルドが言った。


レオンは睨んだ。


セシルがガルドの足を踏んだ。


「痛っ」


「黙ってください」


使者は何か言いたそうだったが、もう何も言わなかった。


「で、では王城にてお待ちしております」


使者が去った直後、宿の支配人が廊下の角から駆け込んできた。


「勇者様!」


「今度は何だ!」


「裏手の倉庫で、少々問題が」


レオンは頭を抱えた。


「今それか」


「い、いえ、大事ではございません。中庭の竜が先ほど暴れかけた際に、裏手の物置が揺れまして、箱が崩れ、備品が散乱しておりまして」


「それはすまない」


「いえ、勇者様のせいでは」


支配人は言いかけて、黙った。


全員が少し黙った。


たぶん、勇者のせいだった。


「片付けは後で」


セシルが言った。


「今は旧搬送路へ」


「待て」


レオンは支配人を見た。


「裏手の倉庫と言ったな」


「はい」


レオンは自分の頭のシーツを触った。


王城の使者の視線。


正午の表彰式。


国王。


貴族。


民衆。


シーツ頭の勇者。


「……少し見る」


ガルドが眉を上げた。


「何をだ」


「使えるものがあるかもしれない」


「シーツよりましなものってことか」


「言うな」


支配人は慌てて案内した。


宿の裏手にある倉庫は、半分だけ扉が外れていた。


中はひどい有様だった。


倒れた箱。


散らばった布。


古い燭台。


使われなくなった式典用の旗。


貴族客のための仮面や外套。


壁際には、マネキンが数体並んでいた。


舞踏会用の礼装を着ている。


古い鎧を着ているものもある。


その中の一体が、金色の巻き髪をかぶっていた。


レオンは足を止めた。


ガルドも止まった。


セシルも止まった。


「……髪?」


レオンが言った。


支配人が慌てて説明した。


「そちらは、仮面舞踏会用の礼装でございます。古い物ですが、貴族様の余興などで使われることがございまして」


「かつらか」


セシルが言った。


金色のカツラだった。


長い。


巻いている。


妙に輝いている。


王族の肖像画でしか見ないような、威厳と古さが同時に襲ってくる髪だった。


ガルドが口元を押さえた。


「似合うぞ」


「まだ被っていない」


「想像で笑える」


「殴るぞ」


セシルは真剣にカツラを見た。


「シーツよりはましです」


「それは基準として正しいのか」


「今は正しいです」


レオンは一瞬だけ迷った。


そして、シーツを触った。


そのまま王城へ行く自分を想像した。


やめた。


レオンはマネキンからカツラを取った。


「被る」


ガルドが崩れ落ちた。


「判断が早ぇな!」


「笑うな!」


セシルがカツラを受け取った。


手つきは治療の時と同じだった。


「座ってください」


「なぜそんなに慣れている」


「孤児院の降誕祭で、聖人役の子に何度も被せました」


「俺は聖人役か」


「今はそれ以下です」


「厳しい」


レオンは木箱に座らされた。


シーツが外される。


完璧な坊主が現れる。


支配人が一瞬だけ見た。


そして、ぴたりと視線を逸らした。


「……見なかったことにいたします」


レオンは真顔で言った。


「本当に助かる」


ガルドは壁を向いて震えていた。


「笑っているな」


「祈ってる」


「お前は祈らない」


「笑ってる」


「正直すぎるだろ!」


セシルはカツラを乗せた。


金色の巻き髪が、レオンの頭に乗った。


重い。


見た目以上に重い。


そして、前髪がやたらと立派だった。


セシルが少し離れて確認する。


「どうだ」


レオンが聞いた。


セシルは沈黙した。


「セシル」


「遠目なら」


「遠目なら?」


「勇者に見えます」


ガルドが振り返った。


そして、耐えきれずに吹き出した。


「はっはっはっはっは!」


レオンはモップを握った。


「殴る」


「待て! それ聖剣偽装残り二回だろ!」


「今はただのモップだ!」


「余計にひどい!」


支配人は何かを見なかったことにして、深く頭を下げた。


「髪結いを呼べれば、もう少し自然に整えられるのですが」


「時間がない」


セシルが言った。


「このまま行きます」


「このまま?」


レオンが聞いた。


「このままです」


「本当に?」


「坊主よりはましです」


「それ、今日何回言うんだ」


「必要なだけ」


セシルはカツラの位置を直した。


「痛い」


「固定します」


「頭皮に刺してないか」


「気持ちはあります」


三人は倉庫を出た。


廊下に戻ると、少しだけ空気が変わった。


レオンはカツラ。


ガルドは美少女。


セシルは欠けた聖印。


モップは布に包まれたまま。


一つも解決していないのに、見た目だけ少し式典に近づいた。


ガルドがレオンの頭を見た。


「髪、戻ったな」


「これは髪ではない」


「でもふさふさだぞ」


「俺の髪ではない」


「俺の身体も俺のじゃねぇし」


二人は黙った。


妙な連帯感が生まれた。


セシルが手を叩いた。


「感傷に浸っている時間はありません。旧搬送路へ向かいます」


「グラニスは?」


レオンが聞いた。


セシルは窓の外を見た。


中庭では、グラニスが丸くなっていた。


鼻先に、さっき舐めたモップの匂いが残っているのか、少しだけ落ち着いている。


ただ、石柱はもう限界に近い。


「私の祝福で、少しだけ眠らせます」


「聖印は」


「持ちません」


「なら」


「でもやります」


セシルは短く言った。


その声に、二人は黙った。


中庭へ出ると、支配人たちが遠巻きに待っていた。


オルフェリア家の女従者も、正門近くで静かに立っている。


ガルドを見る。


ガルドが見ないふりをする。


指輪が光る。


見ないふりは失敗した。


「お迎えは、まだですか」


女従者が丁寧に聞いた。


「まだです!」


ガルドが叫ぶ。


「では、待ちます」


「待つな!」


「待ちます」


「強い」


レオンが言った。


「感心すんな!」


セシルはグラニスの前に立った。


聖印を両手で包む。


欠けた部分に、薄い光が集まった。


「聖なる眠りを。怒りではなく、静けさを」


祈りが広がる。


中庭の空気が、少しだけ澄んだ。


グラニスの金色の目が、ゆっくり細くなる。


喉の奥の唸りが弱くなる。


尻尾が一度だけ揺れた。


支配人が花壇の残骸を見て、身を縮める。


だが今度は、何も壊れなかった。


グラニスは大きく息を吐く。


そして、眠った。


「やった」


ガルドが小さく言った。


「セシル、すごいな」


セシルは答えなかった。


聖印を握ったまま、膝をつきかける。


レオンが慌てて支えた。


「セシル!」


「大丈夫です」


「大丈夫な倒れ方じゃない」


「少し、力を使いすぎただけです」


ガルドの顔から笑いが消えた。


「おい、本当に大丈夫か」


セシルは息を整えながら立ち上がった。


「歩けます」


「休め」


レオンが言った。


「無理です」


「命令だ」


「聖剣を質に入れた人の命令は、今は効力が弱いです」


「そういう制度なのか」


「今作りました」


ガルドが低く言った。


「でも、セシル。お前、昨夜もずっとこれをやってたんだろ」


セシルは少しだけ目を伏せた。


「覚えてはいません」


「でも聖印は欠けてる」


レオンが言った。


セシルは胸元の聖印を見た。


白銀の聖印。


旅の間、何度も光を放ち、傷を癒やし、呪いを払ってきたもの。


その縁が、ぱきりと欠けている。


「昨夜、グラニスを宿まで連れ帰った後、封印が何度か揺らいだのでしょう」


セシルは静かに言った。


「竜を鎮める祈り。ガルドさんの変身術の安定。レオンの仮聖印。モップ偽装の補助。たぶん、その全部に祝福を使った」


「全部って」


ガルドが呟いた。


「俺たち、何してたんだ」


「やらかしていました」


セシルは穏やかに言った。


「私は後始末をしていたようです」


二人は何も言えなかった。


笑えなかった。


さっきまでの騒ぎが、少しだけ遠くなる。


レオンは、カツラの重さを感じながら頭を下げた。


「すまない」


ガルドも頭を下げる。


「悪かった」


セシルは二人を見た。


少しだけ微笑んだ。


「謝罪は後でまとめて受け取ります」


「説教も?」


ガルドが恐る恐る聞く。


「もちろん」


「今、感動しかけたのに」


「感動と説教は両立します」


「するのかよ」


セシルは歩き出した。


少しふらつく。


レオンが横に並ぶ。


「肩を貸す」


「大丈夫です」


「貸す」


セシルは一瞬だけ迷った。


そして、ほんの少しだけレオンの腕に体重を預けた。


「……少しだけ」


「少しだけ」


ガルドが反対側に並ぶ。


「俺も」


「ガルドさんは、前を見てください」


「なんで」


「オルフェリア家の使者が近づいています」


「うわ本当だ!」


ガルドは即座に前へ逃げた。


セシルは小さく笑った。


その笑いは、今朝初めて、怒りでも皮肉でもない笑いだった。


三人は宿を出た。


旧搬送路の入口は、王都の北側、古い神殿倉庫の地下にある。


セシルがそう言った。


「よく知っているな」


レオンが聞く。


「修道院時代に、危険な場所として教えられました。絶対に近づくな、と」


ガルドが頷いた。


「つまり、行くなってことか」


「はい」


「じゃあ行くんだな」


「はい」


「勇者の旅って、だいたいそうだよな」


「今朝のこれは旅ではありません」


セシルが言った。


「後始末です」


王都の表通りでは、表彰式の準備が進んでいた。


旗が増えている。


楽師が音合わせをしている。


子供たちが勇者の絵を持って走っている。


その絵の勇者は、金髪で、堂々としていて、聖剣を持っていた。


現実の勇者は、儀礼用カツラを押さえながら、モップを布でくるんで持っている。


「なあ」


ガルドが言った。


「カツラ、少し傾いてねぇか」


レオンは立ち止まった。


「どっちに」


「右」


セシルが直した。


「痛い」


「固定が甘いです」


「これ、走ったら落ちるか?」


「落ちます」


「断言しないでくれ」


「なので走らないでください」


その瞬間、背後から声がした。


「婚約者様!」


ガルドが振り向いた。


オルフェリア家の女従者が、遠くから追ってきている。


走ってはいない。


だが速い。


礼儀正しく、速い。


「走るぞ!」


ガルドが叫んだ。


「走るなと言ったばかりです!」


セシルが叫ぶ。


「カツラが落ちます!」


レオンが叫ぶ。


「俺が捕まる!」


ガルドが叫ぶ。


三人は走った。


レオンは片手でカツラを押さえ、片手でモップを抱えた。


セシルは聖印を押さえながら走った。


ガルドは美少女の姿で、誰よりも速かった。


通行人が道を開ける。


何も聞かない。


王都の人々は、今朝だけで賢くなっていた。


古い神殿倉庫は、表通りから外れた場所にあった。


石造りの低い建物。


扉には封印の古い紋章。


人の出入りはない。


セシルは息を整えながら、扉の前に立った。


「ここです」


「入れるのか」


「本来なら許可が必要です」


「今は?」


セシルは欠けた聖印を握った。


「非常時です」


「便利な言葉だな」


「今朝は便利な言葉だけで生きています」


セシルが祈ると、古い扉の封印が薄く光った。


しかし、すぐに途切れた。


聖印の欠けた部分から、また光が漏れる。


セシルの顔が歪む。


「くっ」


「やめろ」


レオンが言った。


「無理するな」


「ここを開けなければ、ユージンさんに追いつけません」


「俺が壊すか?」


ガルドが拳を握った。


「やめてください。神殿倉庫です」


「でも急ぐんだろ」


「急ぎますが、壊したら後で私が怒られます」


「そこか」


「大事です」


レオンはモップを見た。


残り二回。


聖剣偽装。


これを封印に使えるのか。


「セシル」


「はい」


「このモップの偽装で、開かないか」


セシルは少し考えた。


「聖剣の気配が残っています。神殿側の封印なら、反応するかもしれません」


「使うか」


「一回減ります」


「でも開かなければ進めない」


セシルは頷いた。


レオンは布を外した。


モップを両手で持つ。


青白い魔法紋が、また浮かんだ。


今度は意識して呼び起こす。


セシルが祝福を添える。


モップが一瞬だけ聖剣の姿を取る。


古い扉の封印が、白く光った。


ごん。


扉が開いた。


ガルドが小声で言った。


「モップ、便利だな」


レオンは歯を食いしばった。


「認めたくない」


「でも便利だぞ」


「認めたくない」


セシルが言った。


「残り一回です」


三人は黙った。


表彰式までに持たせろ。


ユージンのメモが、頭をよぎる。


残り一回。


もう余裕はない。


倉庫の中は暗かった。


古い木箱。


錆びた燭台。


封印布に包まれた祭具。


その奥に、地下へ続く石段があった。


冷たい空気が上がってくる。


かび臭い。


鉄と石の匂い。


そして、微かに焦げた魔力の匂い。


レオンは足を止めた。


「ユージンの魔力だ」


セシルが頷く。


「近いです」


ガルドは拳を握った。


「行こうぜ」


その時、階段の下から何かが転がってきた。


小さな黒い石。


いや、焦げた魔晶片だった。


セシルが拾う。


「これは」


「ユージンの触媒か?」


レオンが聞く。


「はい。使い切ったものです」


「つまり」


「ここで魔法を使った」


階段の下から、かすかな音がした。


金属が擦れる音。


そして、誰かが小さく咳き込む声。


三人は顔を見合わせた。


「ユージンか?」


ガルドが囁く。


レオンはモップを握りしめた。


カツラが少しずれた。


セシルが無言で直した。


「痛い」


「集中してください」


「している」


三人は石段を下り始めた。


旧搬送路。


聖剣。


ユージン。


そして、残り一回のモップ偽装。


背後では、遠くから女従者の声が聞こえた。


「婚約者様ー」


ガルドは階段を下りながら呻いた。


「地下まで追ってくるなよ……」


セシルが言った。


「急ぎましょう」


レオンは頷いた。


石段の先に、暗い通路が口を開けていた。


その奥から、ユージンのものらしい声がした。


「……来るなって書いただろうが」


三人は足を止めた。


レオンは、息を吐いた。


「生きてる」


ガルドが笑った。


「口悪い」


セシルは、少しだけ肩の力を抜いた。


「本人ですね」


暗闇の奥で、もう一度声がした。


「来たなら手伝え。聖剣が、面倒なことになってる」


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