皇女の葛藤
「マリア、お兄様、いきなり婚約してしまいました……。私の結婚も同じように、いきなり決まってしまうのでしょうか?」
妙な不安が押し寄せる。
「そうでございますねえ……。御身分が御身分ゆえ、やむを得ないことかと存じます」
「お母様とお話ししたいな……。でも、お母様、最近お体の具合がよくないような気がいたします」
マリアは少し困った顔をした。
体は一気に大きくなったものの、まだ七歳。
どう説明してよいのか、よくわからなかったのだ。
「まだまだ先の話。その時に嫌な時は嫌だと言えばいいのだ」
いきなり後ろからジュリアンヌが声をかけた。
「ジュリアンヌ様、ここは廊下でございますよ」
マリアが慌てる。
「いや、すまぬ。つい話が聞こえてしまった」
ジュリアンヌがにこにこと笑う。
「皇女殿下、皇后陛下は今、少し体調を崩されています。ですが大丈夫、何も心配はいりません。ご病気ではありません」
「ご病気じゃないのに、体調が悪いのですか?」
クラリスは驚いた顔をする。
「もう少しお待ちくださいませ。そうしたら、とてもいいお知らせができます。レオンハルト殿下のご婚約も重なるとは……本当におめでたいことでございます」
クラリスには、よくわからない。
部屋に戻り、練習着に着替える。
「ジュリアンヌ、剣の稽古をしてくださいませ」
「かしこまりました」
そのまま城内の訓練場へ向かう。
すれ違う者たちがクラリスを見て頭を下げる。
訓練場に入ると、鍛錬していた者たちがクラリスの姿を見て手を止め、膝をついた。
「今後一切、ここではそのようなことは必要ありません。一分一秒でも多く、我がグランディル帝国のため、両陛下のため鍛錬に励みなさい!」
「はっ!」
一同が再び稽古を始める音が響く。
一画で、ジュリアンヌと練習用の模擬刀を持って向かい合う。
「いきます!」
クラリスがジュリアンヌに向かっていく。
ジュリアンヌが受け止めるが、
「は、早い……」
攻撃が速すぎて、防戦一方だ。
「おい、あのジュリアンヌ殿が……手を抜いているのか?」
「いや、違う。何か、いつもと皇女様の気迫が違うような気がする」
周りの者たちが手を止め、二人の様子を見つめる。
あっという間に人だかりができた。
「どうしました、ジュリアンヌ。手を抜かないでください」
「いえ、手など抜いておりませぬ。参ってございます」
周りからどよめきが起こる。
「他に誰か手合わせする者はおらぬか? そなた、相手をしなさい」
クラリスは中年の騎士に目を合わせ、命じた。
「はっ、失礼いたします」
「手を抜いたら許しませぬ」
すさまじい気迫が、皇女の背から立ちのぼっているように感じられた。
立ち合って数秒後、相手の模擬剣が吹き飛ばされ、宙を舞った。
「誰かいないのか! 誰でも来なさい!」
「皇女殿下」
後ろから低く通る声がかかった。
普段の仕事着のフェルネスである。
マリアから「クラリス様の様子がおかしい」と言われ、見に来たのだ。
「私がお相手いたしましょう」
「フェルネス殿、剣を」
側にいた兵士が模擬剣を渡そうとする。
「必要ない。さあ、かかってきてください」
クラリスはそのまま剣をフェルネスに向かって振り上げた。
あっという間だった。
周りは何が起こったのかわからない者もいたらしい。
振り下ろした剣はさっと避けられ、手首を取られ、気がついたらクラリスは天井を見ていた。
背中に痛みはない。
おそらくフェルネスが魔法で受け止めたのだろう。
「まだまだ甘いですね」
フェルネスがしゃがみ込み、クラリスの顔をのぞき込む。
「ジュリアンヌ殿、起こして差し上げてくれ」
ジュリアンヌがクラリスの背中に手を差し伸べ、起こし上げた。
そしてそのまま抱き上げる。
「医務室に参りましょう。フェルネス殿も付いてきてくれぬか?」
「よろしいのですか?」
「そなたでなくてはならぬようだ」
ジュリアンヌはそっとフェルネスにささやいた。
「かしこまりました」
「クラリス様は本当に重くなられました。ほんの数か月前はこの半分ぐらいだったかと」
「半分は言い過ぎであろう」
フェルネスが苦笑する。
「では、三分の一」
ジュリアンヌはけらけらと笑う。
クラリスは二人の会話を聞いても何も反応せず、ぼうっとしていた。
医務室のベッドに寝かされると、
「フェルネス殿、頼む」
とぽんと肩を叩かれ、ジュリアンヌは部屋を出て行った。
「何があったのだ?」
フェルネスが優しく尋ねた。
「わからないのです。自分でもわからないのです」
クラリスは目に涙をためた。
「最近、お母様が私のところに来てくれなくなりました。誰に聞いても『大丈夫』って言うばかり。マーサも来てくれません。みんなが真実を知っているのに、私だけ何も知らされていないのです」
「ああ……」
フェルネスは事情を察した顔をした。
「お兄様なら教えてくださると思って、帰りをお待ちしていたのに、お父様と会われたきり私には会いに来てくれませんでした。いつもなら来てくださるのに。
それに、お嫁さんが来るとか言われたけれど、会ったこともない人をいきなりお姉様と呼べと言われても……。
それに、お兄様が取られてしまうようで不安です」
涙がクラリスの頬を伝う。
フェルネスはそっとその涙をハンカチで拭いた。
「帝国の内政が安定してきて、しなければならぬことがどんどん増えてきている。私も手伝っているが、まったく人手が足りない。仕方がないことなのだ。
そなたもだいぶ慣れてきて、皆も安心し始めているのであろう」
「なんだか、皆が他所へ行ってしまって、自分だけ取り残されてしまっているようで、とてもさみしいのです」
「そうか。そなたの気持ちはよくわかった。私も、そなたが女性たちの中に溶け込んでいて、私のことなどもうどうでもよくなったのだと思っておった」
「そんなことございません! ただ、周りから、叔父様とはもう他人だから親しくしてはならないと言われて……」
フェルネスは目尻を下げた。
「同じことなのだよ。皆がそなたを大事に思っている気持ちに変わりはない。そなたが私と前のようにできなくなっているように、両陛下も皇太子殿下も前と同じようには動けないのだ。それだけのことなのだよ」
「お母様は大丈夫なのでございますか? 叔父様ならお話ししてくださいますよね?」
「大丈夫だ。ただ、『万が一』ということがあるから、まだ皆、今は口に出せないのだ」
「『万が一』?」
「お腹に新しい命が宿っている」
フェルネスがこっそりささやくように言った。
「だが、小さい命は時に流れてしまうことがある。それは一定の確率で起こることで、どうしようもできないし、予想もできない。だから、ある程度お腹の中の子が大きくなるまでは隠しておいた方がいいのだ。
新しい命ができるというのは、そういうことなのだ。だから正式に発表されるまで、知らないふりをしておきなさい」
「なぜ、お腹に赤ちゃんがいるのに、あんなにお顔の色が悪いのですか?」
「『つわり』と言って……そうだな……新しい命がお腹の中で必死に生きようとしているのであろうか。人によって全然違う。ある程度過ぎたら落ち着くはずだ。いつまで続くか、それも誰にもわからぬ。母親本人ですら」
「わからないことだらけなのですね」
「そうだ。わからないことだらけの中で新しい命は育ち、そして生まれる。それはとても不思議で、すばらしいことなのだ。他に聞きたいことはあるか?」
「いつ頃生まれるのもわからないのですか?」
「それは落ち着いたら、また発表があるであろう。とにかく今は静かにしていただくのがよいのだ」
「わかりました。ところで叔父様、新しい命はどうやったらできるのですか?」
フェルネスの瞳がきょろきょろと左右に揺れる。
「それはなあ……もう少し大きくなったら、皇后陛下からお聞きなさい。男である私から話すことではない」
「なんでも教えてくださるのではないですか?」
「頼む、それだけは私に聞かないでくれ。もう気分はよくなったであろう。話は終わりだ」
フェルネスは立ち上がると、扉の方へ向かって声をかけた。
「ジュリアンヌ殿、皇女様はもう大丈夫だ。お部屋にお連れしてくれ」
「かしこまりました」
ジュリアンヌが入ってきた。
「さすが叔父様です。でも最後の質問で撃沈でしたね」
すれ違いざま、そうささやく。
「聞いておったか……」
「当たり前です。どうしたら皇女様のお気持ちに寄り添えるか、研究させていただきました。これから男性ではどうしようもないことが多々ありますからね」
「二人で何をこそこそ話しているの?」
クラリスがむっとした顔をする。
「最近、感情が豊かになってきているように思われませんか?」
ジュリアンヌがまたささやいた。
「ああ」
フェルネスはふと笑った。
「では、よろしくお願いいたします」
「フェルネス、ありがとう。ではまた」
「はい、クラリス様」
三人で廊下に出て、二人と一人は逆方向へ歩いていった。
雑談です
国によっては早くからそういう教育をするそうです
ドイツ帰り(当時のドイツは東と西に別れていて、その友人は西ドイツにいた)の小4だった友人が「赤ちゃんの作り方も学校で教えてもらった」と教えてくれたのですが同じ年齢の私には「???」でした。
内容を理解できたのはかなり後・・・・どっちがいいのかわかりません
(現在はどうなのかは知らないです。もう半世紀前のお話です)
フェルネス、女性の妊娠に詳しいですが・・・・実は・・・続きをお楽しみいただくと幸いです




