賑やかな見舞いの一日
「アレスさん。大怪我したって聞いたけれど大丈夫なの?」
リーザが入院中のアレスを訪ねてきた日から2日後。
回復魔法が効きにくい悪魔族の傷もほとんど癒えたアレスの元に、ヴィオラがお見舞いにやってきていた。
「おう、なんとかな。今はもうほとんど治っちまった」
「そう、ごめんなさいね。なかなかお見舞いに来られなくて」
安堵したように小さく息を吐いたヴィオラだったが、その視線はまだアレスの腕に残っていた包帯へと向けられていた。
アレスが死にかけたと聞かされた時はどんな卑怯な手段で追い詰められたのかと疑ったほどに、アレスが正面から負けそうになったという話はヴィオラには信じられないものだった。
「いいよ別に。生徒会の仕事とかで忙しかったんだろ?」
「ええ。ちょうど引き継ぎの時期でね。少し慌ただしかったの」
「ああ、もうそんな時期か。1年間、生徒会長のお仕事ご苦労様、だな」
お見舞いで持ってきた果実の皮を慣れた手つきで綺麗に切っていくヴィオラの隣で、アレスはもうすぐ生徒会長としての務めを終える彼女を労っていた。
すでに1月も半ばであり、引き継ぎの関係もありヴィオラたち現生徒会はあと1カ月程度で任期を終える予定である。
「ありがとう……ねえ。アレスさんは、次の生徒会長に立候補しようとは思わないんですか?」
「ええ?まさか」
「おかしな話ではないと思いますよ。成績的にも十分でしょうし、あなたならこの学園をより良い未来へ導けると思うんです」
「やめてくれよ、くすぐったい。俺はそんな器じゃねえよ。第一、貴族でも何でもねえ俺が立候補しても誰も投票しねえって」
「そうとは限りませんが……でも、あなたなら断ると思いました」
ヴィオラはお見舞いで持ってきた果実の皮をむき終わると、それをアレスに渡しながらそう微笑んだ。
アレスの成績と性格なら生徒会長として十分にやっていける。
そう思いながらも初めからアレスがこの提案を受け入れるとは全く考えていなかったのだ。
「ハズヴァルド学園の生徒会はいい実績になる。そういうのはお貴族様に任せておけばいいんだ。それよりお前がもう卒業しちまうってことの方が寂しいよ。また暇があれば遊びに行くからな」
「そのことなんですが……」
「ん、どうした?」
生徒会の話よりも、ヴィオラがもうすぐ卒業してしまうことに寂しさを感じていたアレス。
このハズヴァルド学園は教育機関の枠組みではあるが、通常の学校と異なり全員一律の卒業というものは存在しない。
二年修了までの在籍義務が終われば大半の生徒は軍に入るなり家の仕事を継ぐのが普通であり、アレスはヴィオラもその通りだと考えた。
「私はもう1年、この学園に留まろうと思います」
だがアレスの予想に反し、ヴィオラはもう1年この学園に残ると話したのだ。
「なんでだ?20になったらもう大人で、だらだら学園で学んでる奴は怠け者か無能のレッテルを貼られるものだろ?……あれ。会計のオズワルドさんは3年だったような……」
「ああ。あの人は家業を継ぎたくないと言って学園に残った怠け者です。フェルマー家の名誉のためにも、生徒会の仕事をするために残ったという口実を与えるために私が会計に引き込んだんです」
「そうだったのか。で、なんでお前は残るんだ?王国軍や騎士団からのスカウトが来ないって理由で残る奴は結構いると聞くが、お前はバルシュテイン家で護衛隊を作るって話だから残る理由はないんじゃないか?」
「それは……やり残したことがあるから……」
すでにハズヴァルド学園の生徒会長を務め、王国軍や騎士団からのスカウトの必要もないヴィオラにはこの学園に残る理由はないはず。
アレスはそう不思議に思ったのだが、ヴィオラはそれを聞いて頬を赤らめながら僅かに俯いた。
「やり残したことって?」
「ゆっ……」
「ゆ?」
「友人ができたことなんて初めてだから……普通の学生としてあなたたちと学園生活を送ってみたいな……なんて思ったりして……///」
ヴィオラはアレスから目線を逸らしつつも、そう学園に残りたい理由を話したのだった。
それを聞いたアレスは予想外な答えに目を丸くする。
「ば、ばかな話だと思うでしょう?でも私は本気で……」
「?思わねえよ。人生やらなきゃいけねぇことは山ほどあるだろうが、そのために自分を殺し続けたら何のための人生なのか分からねえだろ」
「っ!」
「それにちょっと驚いたけど、お前にそこまで言ってもらえるなんて嬉しいんだ。前のお前からは考えられねえよ」
バルシュテイン家の評判を気にするなら二年で卒業して家に戻るべきである。
そんなことはヴィオラも重々承知していたが、それでもせっかく学園でできた友人と離れるのが心残りで、もう一年だけこの学園に残る選択をしたのだ。
非合理的な判断をした自分をアレスがなんと言うか心配したヴィオラだが、アレスは嬉しそうにそう言いながらヴィオラが剥いた果実を口に放り込んだ。
「……!……ええ、そうね。私も同感」
「あいつらも喜ぶだろ。ソシアもジョージもだいぶお前のこと慕ってたしな」
「ほ、本当に?」
「そんな意味のねえ嘘なんてつかねえよ」
「そう、嬉しいわ。……でもね、アレスさん。本当はそれだけじゃないの」
「まだ何かあるのか?」
「あなたなら笑ったりしないでしょうけど……私がまだ学園に残りたいって思った一番の理由は、あなたが……」
コンコン!
「ひゃぁああ!?///」
緊張から言葉を詰まらせていたヴィオラだったが、その時病室に扉をノックする乾いた音が鳴り響いた。
あまりに唐突な来客に、不意を突かれたヴィオラは情けない悲鳴を上げてしまう。
「びっくりした……凄い悲鳴だったな」
「い、言わないでください!!/// 急にノックされて驚いてしまっただけで……今のは忘れてください!!」
「お、おい!今の悲鳴……大丈夫か!?」
「その声は、ボレロ兄様か?」
ヴィオラの悲鳴に驚いた来訪者が扉の向こう側から声をかける。
その声にアレスはすぐにその人物の正体を悟った。
訪ねてきたのはアレスの兄であるボレロ・ロズワルド。
「入るぞ……っと、君は確か……バルシュテイン家の。すまない、取り込み中でしたか?」
「い、いいえ!何でもありませんわ!アレスさんに御用でしたら私は部屋の外に出ていますので……失礼しますわ!」
「おい、ヴィオラ?」
さきほどの悲鳴を聞いて心配した様子のボレロは額に汗を浮かべながら病室へと入ってきた。
そんなボレロに、ヴィオラはぎこちない喋り方で挨拶をすると、入れ替わるように部屋から出ていってしまう。
「まだ話の途中だったんじゃねえのか……」
「アレス、元気そうで良かった。彼女、バルシュテイン家のヴィオラ様だろう?まさかお前、ヴィオラ様と付き合ってるのか?」
「何変なこと言ってるんですか。ヴィオラはただの友達ですよ」
「……」
慌ただしく部屋から出ていったヴィオラに戸惑いながらも、ボレロは傷が治りつつあったアレスの様子を見て安堵の表情を見せた。
そんなボレロも武闘大会の怪我はすっかり完治しており、ようやくその時の一件が落ち着いてきたこともあってアレスの見舞いにやって来ていたのだ。
近くにあった椅子を引いてアレスの傍に座ったボレロは、どこか感慨深げに息を吐きアレスに向かい合ったのだった。
「茶でも用意しますよ。見舞いの品ですけど結構いいのを貰ったんで」
「いや、いい。少ししたらまた本部に戻らないといけないからな」
ベッドから起き上がって飲み物を用意しようとしたアレスを、ボレロが軽く手を伸ばして制止する。
そのまま背もたれに身体を預けたボレロは、少し黙り込んだ後にゆっくりと口を開いた。
「しかしアレス、本当に凄かったな。あの化け物相手によく立ち向かったよ」
「んー、まあ。で、何しに来たんです?」
「軽いな……あれだけの敵を倒したんだ、それを褒めに来ただけでもいいだろう?」
ラグナ=ディール討伐の一件でアレスの功績をたたえるボレロ。
しかしそれを他人に誇れることだとは少しも考えていなかったアレスは、特別表情を変えることなくボレロにここに来た用件を訊ねた。
「ボレロ兄様は王国軍で忙しいでしょう?その恰好なら私用じゃないでしょうし、姫様の件ですか?」
「鋭いな。だが半分正解で半分不正解だ」
「?」
「姫様のご命令でここに来たのはあってるが……アレス。俺は兄として純粋に、弟のことが心配で見舞いに来たかったんだ」
「ボレロ兄様……」
すでに家族との縁は完全になくなっていたと考えていたアレス。
だが自分が幼いうちに家を出ていってしまった兄は、少なからず自分のことを想ってくれていたことに心を打たれたのだった。
「アレス……お前本当に強くなったな。単純な戦いの強さだけじゃない。あんな化け物相手にボロボロになりながら立ち向かって……俺なんて、随分距離があったのにあいつを見ただけで戦意を失ってしまった」
「いやぁ、しょうがねえですよ。どっちかというと俺の方が異常だって自分でも思いますよ」
「それでもだ。お前は逃げなかった。死ぬかもしれないのに、誰かを守って……それは本当は俺の役割だったのに。それを見て思ったんだ。お前が剣聖のスキルを授かったのは偶然じゃなかったんだろうなって」
リラックスした様子でスムーズに話していたボレロだったが、そこで言葉を詰まらせるとギリギリとこぶしを握り締めた。
それは自分の無力さや情けなさを悔やむ様で、それでいてどこか諦めているような表情をしていた。
「お前が剣聖のスキルを授かったって聞いた時は激しく嫉妬したよ。こんなに努力しているのに、そんな俺を弟は当たり前のように飛び越えていくんだろう。ふざけんなって」
「……」
「でも、俺はその器じゃなかったんだ。あの時恐怖で足を踏み出せなかった俺は世界に選ばれるはずがなかったんだってな。今なら心の底から言える。アレス、お前は俺の自慢の弟だ。お前はもうロズワルドの名を捨てたかもしれないが、少なくとも俺はそう思ってるよ」
「ああ……俺も、ボレロ兄様のことは嫌いじゃなかったよ」
ボレロはそう言うと、清々しい表情でアレスを見つめた。
底には昔アレスに抱いた嫉妬心など微塵も感じられないような笑顔。
それを見たアレスは僅かに涙を滲ませながら小さく頷いたのだった。
『ちょっとー!感動的な雰囲気の中悪いけど、私も暇じゃないのよー!?』
「ッ!?この声は……」
「あッ!も、申し訳ありません、姫様!」
しかしその時、静まり返っていた病室内に突如リーザ姫の声が響き渡ったのだ。
だがこの場にリーザ姫の姿はない。
どこからともなく声が聞こえてきたことにアレスは驚いていたが、そんなアレスに懐中時計のようなものを差し出した。
「こ、これは……」
『アレス!?聞こえるかしらー!?』
「や、やっぱりリーザか……なんで……」
「通信用魔道具だ。俺はこれをお前に渡す任務でここに来たんだ」
ボレロが差し出してきたのは高級懐中時計を思わせる見た目の通信用魔道具。
金色の外装には繊細な彫刻が施され、蓋を開けた中央には澄んだ青い宝石がはめ込まれている。
「……一応理由を聞いておくけど、なんで?」
『なんでって、決まってるじゃない!これでいつでもあなたとお話できるわ!やっぱり、未来の旦那さんとなかなか会えないのは寂しいから声だけでも聴きたいって思ってね』
(なッ!?アレスがリーザ姫の……未来の旦那!?)
「だからお前と結婚するつもりはねえって!俺はこんなもん受け取る気はねえぞ!」
「頼むアレス、受け取ってくれ。でないと俺は何百回でもこれをお前に届ける任務を与えられてしまう……」
「嘘だろう……?」
リーザ姫の執念深さにドン引きするアレス。
彼女の性格的にその魔道具を突き返すことは不可能だと察していたアレスは、いやそうな表情で渋々それを受け取るしかなかった。
「では!私はこれで失礼します!……ふっ、アレス。また顔が見られてよかったよ、じゃあな」
アレスに通信用魔道具を手渡すと、ボレロはすぐに帰って行ってしまった。
冗談っぽく敬礼をしておちゃめな一面を見せた兄に、アレスは笑顔で手を振って見送る。
『ふふっ!定期的に連絡するから肌身離さず持っていなさいよ?逆に困ったことがあったらいつでも連絡してきなさい』
「もう勘弁してくれよ……はぁ。もういいや。とりあえずもう切るぞ。じゃあな……」
『ちょっと! 勝手に切ろうとしないで――』
「じゃあな!」
ぱたん、と蓋を閉じる。
青い宝石の輝きがふっと消えるとともに、病室にはようやく静けさが戻った。
アレスは深くため息をつき、そのまま枕へ倒れ込む。
「……疲れた」
「アレスさん!!」
「うおっ!?」
だが平穏が戻ったのは束の間と言わんばかりに、先ほど廊下へ出ていったヴィオラが飛び込むように部屋に戻ってきたのだ。
頬をわずかに紅潮させ、息まで乱れている。
「い、今の話……聞き捨てなりませんわ!」
「なんだよ急に……」
ヴィオラはずかずかとベッドの傍まで歩み寄ると、珍しく取り繕う余裕もなく身を乗り出した。
「未来の旦那とは、どういう意味ですの!?」
「……あー」
「説明してください!なんでまた王族と……いつ!?正式な婚約なんですか!?」
「落ち着けって……」
アレスに掴み掛からん勢いで詰め寄るヴィオラ。
リーザが次期国王確定と噂されるほどに大物だということで、アレスは事情を説明しなければいけないと面倒くさそうに眉をひそめたのだった。




