悪足搔き
「きたねぇ我欲に溺れた罪を思い知るんだな……」
王国軍での出世のために、フォルワイル家の人間を排除しようと目論んでいたヘイブン。
セレナの助けやラーミアの助力もありながら、アレスは何とか無事にヘイブンに勝利することが出来たのだった。
「アレス様……さすがでございますわ」
「セレナ!そんなことより、怪我は!?大丈夫なのか?」
アレスを庇い、爆風を背中に受けたセレナはよろめきながらもアレスへと歩み寄る。
「まあ!真っ先に私のことを心配してくださるなんて、アレス様はなんてお優しいんですの!」
「……はぁ。その様子だと大丈夫そうだな」
「私のことよりも、アレス様は大丈夫なのですか?先ほどは何やら様子がおかしかったですが」
「ああ、まあ……俺も大丈夫だ」
(ラーミア様の声……もう聞こえなくなっちまった。俺を助けてくれたのは間違いないんだろうけど、一体どうなってんだ……)
ゴォオオオゥ!!
「ッ!?」
「な、なんですか!?」
戦いを終えたアレスは先程自身の頭の中に響いたラーミアの声について思い返していた。
だがその時、気を失っていると思われたヘイブンが、突如禍々しいオーラを放出し始めたのだ。
「セレナ危ない!!」
「きゃぁ!?」
ヘイブンの体から滲み出たドス黒いオーラは、煙のように空に立ち上ったかと思うと、いきなり触手のように伸びセレナに襲い掛かった。
それを見たアレスは即座にセレナを抱えてその場を即座に離れる。
「アレス様!あれは一体!」
「ちッ!太刀筋が甘かった!」
(悪魔の気配を根本から断ち切れてなかったか!もう一度斬ってあいつの体から完全に分離を……)
ゴォオオオン!!
「なッ!?」
安全を確保したアレスは彼女を背後へ押しやり、即座に剣を構え直す。
狙いはヘイブンの体から出現した黒色の触手の分離。
だがアレスが踏み込もうとした――その瞬間。
なんとアレスたちを襲ったドス黒いオーラが突如向きを変え、その出所であるヘイブンの元に向かったのだ。
グチョ……ズゾゾォ……
肉を蝕み、血を啜る触手。
「……ッ!」
「なん、だ……」
意識のないヘイブンの体が触手の蠢きに反応し、生気のない動きを見せる光景に、アレスもセレナも立ち尽くすことしかできなかった。
そしてそれはものの数秒の出来事であった。
ジュワァアアア……
アレスたちが啞然としている間に、ヘイブンの体は闇に耐えきれずボロボロと崩れてしまったのだ。
腐臭が立ち上り、崩れ落ちた皮膚の隙間から白い骨が姿を現す。
「これは……なにが……」
セレナがそう呟いた先には、先程までの戦闘が嘘のような静寂が包んでいた。
その残骸には僅かな呪いの残滓のみを残し、ピクリとも動かなくなってしまった。
(奴が意識を失くして……暴走した悪魔の力に喰らいつくされたんだ……)
「アレス様、私たちは、一体……」
「……もう、俺たちにできることはねえな……」
あまりの凄惨な光景に不安を隠し切れないセレナに、アレスは剣を収めると静かにそう呟いた。
アレスのその横顔にはやるせない表情が滲み出ていた。
想像もしていなかった決着に戸惑いを隠しきれない2人だったが、もうこれ以上この場にとどまっても出来ることはないと判断し、王都大闘技場を後にしたのだった。
「セレナ、本当に傷は大丈夫か?」
「はい!まだ痛みますが、それほど深刻なダメージではありませんので。それよりもアレス様、あの男……ヘイブンがこの事件の黒幕ということでよろしいのですよね?」
「ああ……それは間違いないと思う」
「でしたら!どのような形であっても、これは大手柄ですわ!国に事情を話せばアレス様はきっと大いに称えられることで……」
「悪いんだけど、セレナ。このことは誰にも話さないで欲しいんだ」
「え……?」
闘技場を背に歩き出したセレナは、エメルキア王国を混乱に陥れた事件を解決した英雄として、アレスが称えられると嬉々として口にする。
だがそれに対しアレスは、神妙な面持ちでこの闘技場で起きた出来事は内密にするようセレナに言ったのだ。
「どうしてですの!?国に報告すれば、アレス様はきっと称えられますし、褒美だって頂けるはずですわ」
セレナはアレスの希望が信じられないと言った様子で振り返る。
月明かりに照らされたアレスの横顔は、勝利の余韻とは程遠くどこか重たい影を落としている。
「セレナも聞いてたかもしれないけど……これは俺の個人的な感情で始まった戦いなんだ。決して褒められるもんじゃねえ」
「それは、確かに聞いていましたが……ですが大切なのは結果です!実際に、あなた様の功績は我々フォルワイル家……ひいてはこの国を救ったのですから!」
「あとな、俺は別に手柄が欲しくて動いたんじゃねえ。むしろそう言ったことは願い下げだ」
アレスの功績が明るみに出れば、良くも悪くも国や王国軍に注目される。
そうなれば今のように学園へ通い続けるのは難しくなり、それはアレスが1番望まない未来であったのだ。
(それに……今いろいろ時間を取られたら、あいつを傍で守ってやれねえからな……)
「……わかりましたわ!アレス様がそうおっしゃるのなら、私もこの件につきましては内密にいたします!」
「ああ、悪いな。奴の死体はじきに誰かが発見するだろうし、あの残滓を見れば壺を盗んだ犯人が誰かは一目瞭然だろう」
「壺、とは一体何のことでしょう?それにあの男の邪悪なオーラも、分からないことだらけですわ」
「あ、それはだな……一応国家機密案件だろうし迂闊に喋るわけには……」
「アレス様ぁ!!」
セレナと共に暗い大通りを進んでいたアレス。
だがそこへ慌てた様子でティナのメイドであるシフォンが走ってきたのだ。
シフォンはアレスの元に辿り着くと、膝に手を突き荒く呼吸をした。
「シフォンさん……またそんなに慌てて。一体どうしたんですか?」
「あ、アレス様……大変です。今回の事件で、暗殺組織に依頼を出していた黒幕が判明しました……」
「ああ。そのことですか。それならさっき闘技場で……」
「学園で捕らえられた殺し屋が、依頼者は軍括のヘルメスだと証言したんです!」
「なんですって?」
シフォンがアレスに伝えたのは先程ハズヴァルド学園に現れたスージンから得られた今回の事件の黒幕の情報。
ヘイブンが暗殺組織に依頼を出していたと考えていたアレスはシフォンの言葉に表情を変える。
「軍括の!?暗殺依頼を出していたのはあの男じゃなかったんですの?」
「ヘルメス……あの時の。それで、その男は捕まったんですか?」
「それがですね。ヘルメスから直接話を聞こうと王国軍が接触したところ、一瞬の隙を突き逃走を開始したようなのです!」
スージンが依頼者の情報を明かしたとはいえ、殺し屋の言葉を鵜吞みにすることはできない。
まずは本人に話を聞くべきだと王国軍の兵士数名がヘルメスに任意同行を求めたところ、なんと彼は隠し持っていた炸裂弾を使い王国軍から逃げ出したのだ。
「なるほど。ですが軍括の人間は戦闘者ではありません。王国軍が本気を出せばすぐに逃げ場はなくなるでしょうから、そこまで慌てる必要はないわ」
「な、なるほどでございます。さすがはセレナ様……」
「……、アレス様?どうかなされました?」
シフォンの話を聞いたセレナはこの王都内で逃げてもすぐに捕まるだけだと冷静な様子を崩さない。
しかしそれとは対照的にアレスは真剣な表情で思考を巡らせていた。
(そう。こんな王都のど真ん中で逃げてもすぐに王国軍に捕まるなんてことは軍の人間であれば分かってるはず。ただの悪足搔きか?何か目的があるとすれば……)
『アレス君!』
「まさか……シフォンさん!!リューランさんは今どこにいるか分かりますか!?」
ヘルメスの名前を聞いた時、アレスの脳裏によぎったのはあの歌姫のこと。
「ええ!?う、歌姫リューラン様ですか!?そんなことを急に申されましても……」
「アレス様、リューランさんがどうかしたのですか?」
「何もないかもしれない……でも、なんだか、凄く嫌な予感がして……」
「でしたら……確証はありませんが、コンサート会場近くの貴族御用達の宿泊施設が並ぶ迎賓街かと……」
「なるほど。すみません!俺、今からリューさんに会いに行ってきます!!」
「あ、アレス様!?」
ヘルメスが逃走したと聞いただけであって、リューランのみを案じる必要性はどこにもない。
だがアレスは己の勘を信じて、リューランがいる可能性が高い迎賓街を目指したのだ。
「はぁ……はぁ……くそッ!!俺はもう終わりだ!」
一方その頃、時を同じくして王都の薄暗い裏路地を走る1人の男がいた。
彼はヘルメス。
王国軍に任意同行を求められ、誤魔化しはできないと考えた彼は逃走を決意していたのだ。
(俺は間違っていない!!間違っているのは軍の権利を独占し、我ら軍括の言うことを聞かなかった奴らの方だ!それなのに……それなのに!)
ヘルメスはもう悟っていた、自分が王国軍に捕まるのは時間の問題だと。
だがその前に彼のプライドが、自分を否定したこの国への復讐へと彼を駆り立てていた。
「奴を徴集できていれば戦争でどれだけ優位になっていたか、この俺を認めなかった報いを受けさせてやる……」
全力でとある場所を目指していたヘルメスが懐から取り出したのは一見何の変哲もない鉄の容器。
装飾のなく味気ない銀色の小物入れに見えるそれは、かすかだが邪悪な気配を孕んでいる。
破滅を悟ったヘルメスは、すべてを道連れにしようと夜の闇を駆けて行ったのだ。




