第七話<協力者>
「ところで、何だっけ――そう、公衆電話とやらはあったの?」
奈都美は美味しそうに牛肉を頬張っていた。舌足らずな発音なので、聞き取りにくい。
僕はというと、一つ百円のどこにでも売っているようなおにぎりを食べていた。ぱりぱりと音を立てて千切れる海苔の食感が寂しさをかきたてる。
「ある。あそこだ」
僕は駐車場の端の方を指差す。人気の少ない場所に、半透明な長方形のボックスに囲まれた緑色の機械があった。記憶に間違いがなければ、あれが公衆電話のはずだ。
日は落ちかけていて、地上は闇に包まれようとしていた。ボックスの天井には不必要なほどに明るい電灯が取り付けられていた。その周りを虫が飛び交っているのが遠目にも分かる。
「ああ、あれが。たしかに普段見かけたことないかも」
「スマートフォンでタッチして支払うなんて機能もついてないよ、きっと」
「それじゃ誰も使わないわね」
奈都美は弁当の中身を一気に口の中に流し込み、手をあわせて「ごちそうさま」と言った。
その言葉は僕に対するものなのか、それとも食材に対するものなのか。前者ではないような気がした。
空になった箱を持って彼女はベンチから立ち上がる。僕はまだおにぎりを食べている途中だったが、慌ててそれに合わせる。
「お腹も膨れたし、そうと決まれば早速電話ね」
ゴミ箱へ見事なシュートを決め、したり顔で僕を見た。
僕は口をおにぎりで膨らませながら拍手をする。これなら僕のささやかな反抗は見破られないだろう。
電話ボックスに近付くと、おびただしい数の虫の死骸が台上に乗っているのが見えた。
彼女はためらいもなく扉を開いて中に入る。世の中の女子というものはこういうのが苦手だと思っていたので、僕は少し驚いた。受話器をもの珍しそうに手に取ると、次はボタンをでたらめに押していく。受話器を乗せる金属のフックレバーを何度もいじくりまわすその姿は、まるで初めて玩具を与えられた子どものようであった。しばらく遊んで満足したのか、僕の方を振り返る。
「で、どうやって使うの?」
「使い方を調べているんだと思ってた。結局分からなかった?」
「アナログなものって嫌いなの」彼女の苛立ちが手に取るように分かる。「早く教えて」
「そこの硬貨の挿入口に十円玉を入れるんだ」
僕は代わりに硬貨を入れる。狭い空間なので奈都美と密着する形になってしまう。彼女は全く気にしていない様子だったが、僕の心臓の鼓動は早くなっていた。
かたんことん、という心地良い音とともに、硬貨が機械に飲み込まれていった。
「それで、ダイヤルを押すだけ」
「ありがとう。番号は――っと」
彼女はポケットからメモ用紙を取り出す。
「あと、これが一番重要」
僕は銅色の硬貨をタワーのようにして、公衆電話の上のところに積み上げる。奈都美はまるで奇妙なものを見るかのように目を細めて眉間にしわを寄せる。
「なにこれ?」
「通話が終わりそうになったら、次の硬貨を入れるんだ」
「最初から全部入れておけば?」
「そうなんだけど、僕はこの方が好き」
「私はめんどくさい」
彼女は積み上げていた塔を一気に崩して全て投入してしまった。なんてことをするんだ、と僕は心の中でひっそりと叫び声をあげた。口には出さなかったが。
僕は公衆電話の外に出る。彼女は一つずつ丁寧にボタンを押していく。
少し間を置いて喋りはじめた。
「お久しぶりです。三川奈都美です」
さすがに受話器から相手側の声までは聞こえてこなかった。聴覚が良くなる遺伝子操作でもしていれば、会話の内容が聞き取れるのだろうか。
遺伝子操作も使い方さえ間違えなければ、絶対的な悪とはなりえない。どんなことにもそれは当てはまる。
絶対的な悪などというものは、存在しない。
それとは反対に、絶対的な正義などというものも、存在しない。するはずがない。
正義と悪の定義は想像以上に曖昧なものであり、些細なことでころころと入れ替わる。勝てば官軍負ければ賊軍。そんな言葉もあるくらいだ。
「はい――実は――え、ご存知なんですか」
「はい、そうです――ごめんなさい、ちょっとした入れ違いで――」
電車の中での通話はご遠慮ください。その言葉の意味が今はよく分かった。
人間は不完全な会話を聞かされていると、その内容が気になって仕方なくなる。中途半端なものが有るくらいなら全く無い方が気は楽だ。
僕は聞き耳を立ててみたが雑音すら聞こえなかった。耳を澄ませたところで、そこに新しく入ってくるのは車のエンジン音だけであった。
「分かりました――車で移動するので、すぐ到着するかと――大丈夫です、旧式のやつなので」
奈都美は半透明なアクリル板に紙を押し当てメモを取る。長さからして住所か何かだろう。
会話が終わりメモを雑にポケットに突っ込むと、奈都美はドアを開いてひょっこりと顔だけ出した。
「ごめん。これ、どうしたらいいの?」
「それ、フックのところにかけたら通話終了。それで何だって?」
奈都美がボックスから出てきた。お釣りの十円玉を僕に手渡しながら、同時にメモも手のひらに乗せる。
「その場所まで来てだって」
「罠の可能性はないの?」
「だとしたら、もう八方塞がりよ。私たちに出来ることはもうないわ。悩んでる暇があったら行ったほうが良いと思う」
「そうだね。すぐ向かおう」
僕が言い終わる前に奈都美は歩き出す。早足であった。きっと松葉を助けたいという気持ちの表れに違いない。それが仇とならなければいいが。
一方、僕はいたって冷静であった。松葉とは今日知り合ったばかりの関係に過ぎない。その上、彼からは監禁まがいの行為まで受けている。味方だと断定するにはまだ早いと感じていた。
奈都美が暴走しそうになったときは僕が止めればいい。
そう決心し、僕は遅れて車に乗り込んだ。
「住所見ただけで場所分かるの?」
シートベルトを締めながら、奈都美が尋ねてくる。
「生まれも育ちもこの街だから」
「そうなんだ。私、大学からだからよく分からなくて」
「GPSの精度には負けると思うけど」
「全然。ずっと思ってたんだけど、あなた意外と頼りになるのね」
「意外とって言葉がなければもっと喜ぶんだけど」
「あなたを喜ばせて私に何か得がある?」
「もう一回豪華なお弁当が食べられるかも」
「ほんとに頼りになる人だと思うわ」
僕はあえてそれを聞いていないふりをして車を発進させた。
休憩所まで行くのには山道を通ってきたが、ここから目的地に行くのにわざわざ同じ細い道を通る必要はなかった。僕たちはスマートフォンという足かせを外し、半分自由の身となったのだ。僕はそう思っていたが、奈都美は違うようであった。
「スマートフォンがないと、何だか不安ね」
「そう? 依存症ってやつ?」
「だって道の情報も建物の情報も、何もかも見えなくなるのよ」
奈都美はコンタクト型のARを使っているようであった。僕は父から貰ったメガネ型のものが鞄に入っていたのを思い出す。すっかり存在を忘れていた。
「ところで、ARって何だっけ。若干聞き覚えはあるんだけど」
「拡張現実。Augmented Reality」
「いつからあるものなの?」
「私が生まれたときからあった。ほんとにあなた化石みたいな人間ね」
「自分でもそう思うよ――ああ、ARって何かで見たと思ったら、昔読んだ小説にでてきたんだった」
「何て小説?」
「タイトルは覚えてない。その中では会議とかも全部ARでやっていたなあ。目の前に相手のホログラムが表示されて、面と向かって喋ることが出来るんだ」
「最新の機種なら出来るわね。高すぎて普通の人は買わないけど」
「便利な世の中になったものだなあ」
奈都美が腹を抱えて笑う。狭い車内なので、高くて大きな声は耳に響く。
「おじいちゃんみたい」
「気分は浦島太郎」
「白い髭でもつけてみたら? 似合うかも」
「茶化さないでくれよ」
「冗談を言ったのはそっちでしょ」
数時間前は車内にぴりぴりとした空気が張り詰めていたが、今ではそれが嘘のようであった。ただのドライブだ。
高級そうな外車がゆうゆうと僕たちの車を追い越して先に進んでいく。
僕たちは生きるためこんなに頭を悩ませているというのに。
僕たちの隣を走る人たちは、今日の夕飯の献立や明日の予定みたいなどうでもいいことに頭を悩ませている。
これが夢なら、どれだけ楽なことだろうか。
山を抜けて目的地に到着したら、「どっきり」と書かれた看板を掲げて家族が待っている。
それで僕は、今までの逃走劇が大がかりな退院祝いだったと気付かされる。
それでまた松葉の店に行って、今度こそゆったりとコーヒーを飲む。
そういえば。松葉が淹れてくれたエスプレッソを僕は一口も飲んでいない。
松葉を助けて。もう一度エスプレッソを淹れてもらって。ズボンの穴を直してもらって。
それで終わりにしたい。
車はだだっ広い国道を抜け、再び戦場の街へと向かっていた。
目的地にたどり着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
京都は車の交通量が多い。大通りは観光客のバスやタクシーでごった返している。そんなわけで星も見えにくく、それを心細く感じたのは今日が初めてであった。
「住所だとこの辺りだと思う」
「夏目さんは近くに廃工場があるからそこに来てほしいって言ってた」
「静かな住宅街だな」
「あんまりうろうろしてたら、不審者だって通報されちゃうかも。自動走行車は迷ったりしないから」
「じゃあ適当にその辺に停めておこう」
奈都美の提案を受け入れて、車を降りる。
街の北西部。それも山に近い場所。
明かりがついている民家とついていない民家の比率は半々程度だ。ついてない方には、もう人が住んでいないという可能性もある。
「どこかしら」
「そんなに高い建物もないよね」
「小さい工場なのかも」
「それにしても、本当に静かだな」
適当に歩いていると川沿いに出た。夏だというのに若干涼しさを感じる。余生はこんなところで過ごしたい。ふと思った。
「あれじゃない?」
奈都美が遠くを覗き込んでいた。僕には何も見えない。
「どこ?」
「あ、ごめん。能力使って見てるから、普通だとわからないかも」
「望遠鏡みたいな使い方も出来るのか」
「うん。まさか手元のものしか拡大できないと思ってた?」
「便利だな。日常生活で使えるじゃないか」
「逆に使えないの。こういう風に何かを探してて、突然すごく遠くの方を指差して『見つけた!』なんて言った日には、すぐアブノーマルだってばれちゃう」
「それもそうか」
彼女についていくと徐々に工場らしき建物が見えてきた。
電気はついていない。大きな敷地だが、それを囲うフェンスには有刺鉄線が張り巡らされており、進入禁止と赤文字で書かれた看板が至る所に設置されていた。
本当にここで合っているのだろうか。ぐるりと一周したが、侵入できそうな場所はない。
フェンスに穴でも開けてやろう。
ワイヤーがへたっている場所を探していると、不意に僕の視界の色が黒から白へと反転した。
懐中電灯の光を浴びたのだ。
「三川奈都美さんと、噂の江洲薫くんかな」
声の主の姿は眩しくて確認できない。若い男の声だ。
僕たちが目を手で覆い光を遮ろうとしているのに気付いたのか、彼はライトのスイッチを切った。
視界は暗くなったが、まだ目の前に光の残像が残っており像がぼやけている。
「お久しぶり。そして、初めまして」
男はフェンスから両手を出して、一方を僕へ、もう一方を奈都美へと差し出す。
「夏目です。ようこそ、レジスタンス京都支部へ」
目が慣れて姿が見えるよりも早く、彼はそう名乗った。




