第六話<代替案>
美少女を助手席にはべらせ、ドライブをする。
そんな悠長なことを言っている場合ではなかったし、考えている場合でもない。
「これからどうしよう」
「決まってるじゃない。マスターを助けに行くのよ」
「二人じゃ無理だよ」
「そんなこと分かってる。だから、他のアブノーマルに助けてもらう」
奈都美は腕時計型のスマートフォンの上に薄っぺらいシートのようなものを載せ、そこに画面を投影する。そんな使い方もできるのか、と僕は感心する。
画面にはずらりと人の名前が並んでいた。電話帳だろう。その一つに奈都美がタッチしようとしたのを見て、僕はハンドルから左手を離し、それを制する。
「待て。通信も探知されているかもしれないんだぞ」
「だからって、連絡取らないわけにはいかないじゃない」
「それ以外の方法を何とか見つけないと。というか監視対象になっている以上、スマートフォンを身につけておくべきじゃない。捨てたほうが良いかもしれないな」
左手からスマートフォンを外そうとして、思いとどまる。
それよりは何か適当な車に押しつけた方が良いかもしれない。相手が泳がせるつもりなら、捜索範囲が広がって見つかりにくくなるかもしれない。
「スマートフォンはどこかで他の車にこっそり乗せておこう。ちょっとは時間稼ぎになる」
「良いこと言うじゃない。意外と頭いいのね」
「心外だな」
「その調子で打開策も考えてよ」
僕は唸る。まず、僕の知識が少なすぎる。知識が豊富そうな松葉なら作戦を練ることが出来たかもしれないが、僕ではそうもいかない。社会のことが分からない、というのも致命的だった。
奈都美の方が知識はあるはずだ。僕は松葉に聞くつもりだった質問を投げかける。
「聞きたいことがある。まず、なぜ松葉さんは僕に声をかけたんだ?」
「私も詳しくは知らないけど。マスターは、あなたがアブノーマルの中でもかなり重要な部類の人間だって言ってた」
「重要? どういうこと?」
「あなた、事故で病院に運ばれたんでしょ? その時、受けた手術が原因。あなたの能力が発現してしまったらしいの」
「ゲノム編集で?」
「ええ。普通、命に関わるような事故とか病気じゃないかぎり、遺伝子をいじるなんてことはしない。もし、副作用が出たら大変なことになるから。貴方は、遺伝子をいじらなきゃいけない程の大怪我を負って、しかも安全性が確保されているはずの変異を入れたにも関わらず、異常な能力が発現してしまった。その一つが異常な自己治癒能力」
たしかに、体の治りが早いと大石先生が言っていた。先ほどの足の痛みも、もう無くなってしまっている。
大石先生、どうしているだろうか。
まさか僕がこんな状況に置かれているとは知らないだろう。それとも、もしかすると、警察が先生に事情聴取をしに行っているかもしれない。それなら先生にまた迷惑をかけてしまったことになる。
「そして、その自己治癒能力によりさらに変化が起きた。それが二つ目の能力」
「で、その能力って?」
「私たちの場合は、遺伝子をいじろうとしても、一生に一度。多くて二度しか変えることができないの。やり過ぎると副作用で何かしらの異常が起きて、絶命してしまうから。その原因ももう解明されてるらしいんだけど、今の技術じゃどうにもできないんだって」
「もしかして」
「そう。あなたはその兆候が見られなかった。つまり、何度も変異を入れられるようになったってこと。限界は分からないけど、三つや四つならどうってことないと思う」
「そんなこと病院では聞かされなかった」
「黙ってたんでしょ。検査で絶対そこはチェックするはずだわ。次、事故にあったときの治療の選択肢が変わってくるし」
こんな重要なことを家族は僕に黙っていたのだろうか。いや、家族にすら知らされていないという可能性もある。
先生は知っていたはず。検査結果には全て目を通していると言っていたから。
先生も国に加担していたということなのか。それとも、脅されて口外できなかったのか。
「だから何としてでも、あなたには『デザイナー』と接触してもらう必要がある」
「それで新しい能力を?」
「ええ。何か問題ある?」
「ちょっと怖いよ。だって、副作用だってあるんだろう?」
「そうね。だから、最小限にする。他の人に協力してもらってそれで済むなら最良ね」
「なら関係者の連絡先は記憶するか、紙媒体で持っておいた方がいい。新しいスマートフォンを買ったとしても、いつ足がついて捨てることになるかわからないから」
「当然。バックアップは作ってあるわ。手書きのメモがある」
用意周到だった。松葉の入れ知恵かもしれないが、彼女も中々に頭が良い。話していると分かる。
「ところで、君も――その、アブノーマル、なの?」
「うん。でも、今の状況であまり役に立つ能力じゃないの。元々は将来の職のために身につけたから。私のは、物を拡大して見ることの出来る能力。ルーペみたいって言えば分かるかな。あれよりもっと細かく見ることはできるけど」
「よく僕は知らないんだけど。アブノーマルになっても普通に職につくことはできるの?」
「普通には無理かもしれない。でも、もっといいものを作りたいって思うのは当然のことじゃない」
「そっか。そうだよね」
ちょっと無神経だったかもしれないと僕は後悔する。しかし、奈都美は特に気にする様子もなく、窓の外を眺めながら欠伸をしていた。
「僕だったら、器用になる能力にするかも」
「私、もともと結構器用なほうなの。これ以上は慣れだと思うわ」
「お店にあった作品も良かった」
「ありがとう。だけど、もうあの子たちには会えないかもしれないと思うと、ちょっと寂しい」
今回のは間違いなく無神経な発言だった。僕は奈都美の方をあえて見ないようにして、話題を変える。
「頼れそうな人はいるの? もしくは、そういう団体があるとか」
「私は知らない。マスターからそういう組織があるとは聞いたことがあるんだけど」
「じゃあ、誰か知ってそうな人に聞いてみないといけないね。そうだ。公衆電話ってここらへんにあるかな」
「公衆電話? 何それ、聞いたことないけど」
「時々見ない? 緑の箱型で、十円玉入れたら何秒か通話できるやつ」
「そんなのあったかな。需要無さそう」
「昔はあったんだけど。もしかして、もう無くなっちゃったのかな」
人と話していると、自分がタイムスリップしてしまったのではないかという錯覚に陥る。
自分にとっては当たり前のことが、当たり前でなくなる恐怖感。耐え難いほどの寒気をふと感じた。フロントガラス越しに夕陽が照りつけてくる。体の外側はひどく熱いのに、芯は冷えきっている。
空調を切ろうとしたが、同乗者に気遣ってやめておいた。もう夕刻とはいえ、季節は夏だ。暑くないわけがない。現に奈都美は上着の半袖シャツをぱたぱたとはためかせていた。夕陽があたって汗が出るのだろう。
「で、それを使ったらばれないってこと?」
「たぶんね。田舎のほうまで行ったらあるかなあ。僕の記憶ってことは、ちょっと前じゃなくて随分昔なのかもしれない」
「このまま北の方にずっと進んでいけば、間違いなく田舎に出るわ」
「とりあえず進むしかないね」
僕たちは細い山道を登っていく。車一台分の横幅程度しかない道がずっと続いているので、対向車が来たらどうやって避ければいいのか分からない。
自動走行車はどういう対応をするのだろう。もしお互いに通信を交わし合って避ける方を決めるのであれば、この車ではそうもいかない。勝手に判断して自分から避けてくれるのだろうか。
そんな心配は杞憂に終わった。
山道で車と一度もすれ違うことはなかったからだ。そもそも自動走行の車だとこういう道を選ばないのかもしれない。
細い山道が終わって国道に出る。近くに大きな休憩施設があったのでそこに停車した。車を運転するのは久しぶりだったので少々疲れてしまった。
奈都美も途中から喋らなくなったかと思えば、すやすやと寝息を立てて眠っていた。立て続けのことで疲れていたのだろう。肩を叩いて起こしてやる。
「あ……あれ? 私、いつから寝てた?」
「ちょっと前から。休憩所着いたし、飲み物と食料でも買いに行こうか」
「うん」
寝起きだからか、やたらと従順でおとなしい。元気ではきはきとした昼の姿からは想像もつかないほどに。こういう奈都美も悪くないかもしれない。
「ちょっとお手洗い行ってくる」
「その前に、スマートフォン渡して貰ってもいい?」
「うん。どうぞ」
腕からベルトを外して僕に手渡す。寝ぼけ眼をこすりながら、前腕をだらんと垂らして前屈姿勢でおばあちゃんのように歩く奈都美。
僕は周辺をきょろきょろと見回してみる。車は何台も停まっているので選び放題だ。しかし、車でごそごそと作業をしているところに所有者が帰ってくれば、間違いなく通報されてしまうだろう。最近の車にはどんな仕掛けがついているかも分からない。セキュリティが向上しているなら、キーを持たずに触っただけで警報がけたたましく鳴り響くかもしれない。
ならば、と僕は売店を目指す。
売店には地元の有機野菜や特産品が並んでいた。客も多い。ごった返しているというほどでもないが、それなりに混んでいる。
僕は気付かれないように、商品でなく客を物色していく。その中に物を入れやすそうな大きく開いた肩掛け鞄を持っている女性がいた。僕はターゲットを決めてロックオンする。
何かを取るというのは許されざる行為だとは思うが、何かを入れるという行為に対して心は痛まない。
だが、緊張はした。
商品を見るふりをして、徐々に距離をつめていく。
ほとんどの客は目の前の商品に夢中で、後ろのことなど見ていない。
我先にと俊敏に商品へと近づき、一旦場所を確保すれば鈍重になる。自分勝手なものだと思う。
女性の背後へ。
そして隙を見て、入れる。
そのとき、スマートフォン同士が当たってこつりと音をたてた。
僕はあっと叫びだしそうになったが唇を噛んで食い止める。その代わりに目を大きく見開いてしまっていた。
しかし、人間とは意外と鈍いもので、誰一人として僕の行為に気付きそうになった者はいなかった。
遅れて心臓がどきどきと鳴り始める。
汗がたらりと流れた。
成功したのか。
いや、まだ成功したとは限らない。
ここを出るまでに誰にも声をかけられなければ――。
と、そこで。
肩を叩かれる感覚。
まずい。見つかってしまったのだ。
僕は走りだそうとする。肩を叩かれた方向とは真逆に向き、目を凝らし頭をフル回転させる。
人の少ないルートを検索。不可能。少し角度を変えて再検索。
見つけた。
ここまで一秒もかかっていないだろう。それには自信があった。
最短でルーティングを完了し、動き出そうとする。
だが、手を掴まれて僕の体は完全に停止してしまった。
ここまでか。
諦めてうつむきながら振り返ると、見覚えのある紺色のスカートが見えた。
「ちょっと。探したわよ。分からなくなるから、こういうときはお手洗いの前で待っててよ」
その声は奈都美のものであった。僕は安堵して息を吐く。
声の調子からして、目もすっかり覚めたのだろう。元気を取り戻していた。まぶたももう、とろんとしていない。
「脅かすなよ」
「ごめん、ごめん、って待ってなかったあなたが悪いんでしょ。調子悪そうだけど、どうかしたの?」
「運転で疲れただけ。気にしないで」
僕は陳列棚の方に目をやる。先ほどの女性はすでにそこにはおらず、レジの方に並んでいた。もう安心してもいいだろう。
「目が覚めたらお腹減っちゃった。私、この弁当がいい」
奈都美は高級牛肉と有機野菜のサラダが入ったご当地弁当を指差す。贅沢品だ。
「そんなにお金持ってないから、安く済まそう」
「私持ってるから大丈夫。というか、お金持ってないってどういうこと?」
「そんなに持ち歩くほうじゃないんだ」
「え? 持ち歩くも何も、全部口座から引き落としでしょ?」
「カードってこと? 普段は持ち歩かないよ。買い物しに行くって決めたときだけ。君はカード持ってるの?」
「スマートフォンで会計できるから。それが普通だけど」
その言葉を聞いて気付く。
僕は重大な過ちを犯してしまった。
スマートフォンなら、もう手元にはない。
僕は両手を広げて肩をすくめる。外人がよくやるような、口角を上げた意地悪な笑顔と一緒に。
「もしかして、それも知らなかったってこと……?」
「ごめん」
「もう、ないの?」
「ほんとにごめん」
何がないかとは言わなかったが、それが何であるかは分かっていた。
そして、彼女の冷たい目線に耐えられなくなった僕は、こう言った。言わざるをえなかった。
「ご当地弁当で、手を打って下さい」




