第十二話<再会>
いつもと変わらない朝。
空は快晴で雲ひとつない。むしろ、いつも以上に平和なように見えた。
その実。
平和なはずなどなかった。せっせと僕たちは用意を済ませて車に乗り込む。運転手は夏目だ。
「準備はいいか」
「はい」
僕、奈都美、海堂の声が重なる。奈都美の声からは緊張が感じられた。
エンジンをふかせ、車は出発する。
目的地に到着するまで、車内で会話は起きなかった。各々が自分の殻に閉じこもって集中力を高めていたからだ。
「それじゃあ、ここで。あとはレオの指示に従ってくれ」
「ありがとうございました」
「レオ、しっかりやれよ。お前なら出来る」
「はい。ナツメさんも、どうかご無事で」
違う戦場に行く前の兵士たちのような会話であった。それもあながち間違いではない。これから僕たちは戦いに行くのだから。
夏目の車を見送る。エンジン音が遠ざかっていき、その姿は完全に見えなくなってしまった。
振り返ると、高くそびえ立つ山が見えた。緑の自然要塞。当然ながら収容所は見えない。
「薫くん、奈都美ちゃん。俺たちも行こうか」
「他の人たちはどこにいるんですか?」
「現地集合。というか、三方向から攻撃をしかける。収容所は大きく分けて二棟だ。一つはアブノーマルが閉じ込められてる閉鎖棟。もう一つは敵の戦力が集まってる管理棟。俺たちはまず閉鎖棟に侵入する。その後、残り二班が管理棟を襲撃。相手が混乱している間に、味方を救出して襲撃部隊に合流する」
「解放班は僕たち三人だけ、ということですか」
「薫くんの変装をできる限り使っていく。大丈夫、やれるはずだよ。あの変装は完璧だった」
「どうも」
「私はどうすればいいんですか?」
「奈都美ちゃんは敵勢力の偵察だ。その目を使って、できる限り正確に敵の位置を把握してほしい」
「分かりました」
「今から登っていけば予定時刻には収容所につくだろう。正規のルートは通れないから、山登りみたいになってしまうが、疲れたら遠慮なく言ってくれ」
僕たちはほとんど荷物を持っていなかった。
食糧は海堂が全て背負っていたので、一番大変なのは彼だろう。
道なき道を歩いて行く。
夏の日差しは葉に遮られており、僕たちに直接当たることはなかったが、それでも暑いことに変わりはない。
頬をなぞって顎から地に垂れていく汗。登り始めは律儀にそれを拭いていたが、今はそれすらも面倒だ。飲水が異常な速度でなくなっていく。
海堂は見た目からして体力がありそうだったが、奈都美がタフなのは意外だった。休憩を提案した回数は僕が一番多かった気がする。
歩きながら僕は昔の記憶をたどっていた。
そういえば、松葉の店から走って逃げ出していたときも、彼女はあまり息切れしていなかったような覚えがある。鍛えているのだろうか。
ふと違和感を感じた。
たった二日前のことだぞ。なぜ、もう忘れかけている?
「そろそろつくぞ」
その声に僕の思考は妨げられた。
周りは見回す限り木だらけだった。客観的に見て、建物があるような場所ではない。
「奈都美ちゃん、あっちの方向だ。見えるぎりぎりまで近づく」
「いえ、ここから見えます。あの建物が閉鎖棟かな? 入り口には誰もいません」
「作戦開始まで時間はまだあるから、ここで休みながら様子を見よう。入り口付近に受付用の窓があるはずなんだが、見えないか?」
「うーん……あ、あれですかね。中に一人いますが」
「顔は見える?」
「はい。横顔ですけど」
「どれどれ」
海堂は奈都美の指差す方向に双眼鏡を向けた。
「ばっちりだ。薫くん、こっち来て」
まだ余力のある二人とは対照的に、僕はまだ息切れを起こしている最中だった。
「あんた、疲れてるの? 肉体強化もしたんじゃなかったっけ?」
「まだ慣れてないのかな。もしかしたら心肺機能はすぐに発達しないのかも」
僕は海堂から双眼鏡を受け取って覗きこむ。
人の顔が見えた。はっきりと細部までは分からないが、十分だった。
「入り口のやつは俺がなんとかする。薫くんはあいつに変装して、先に侵入してくれ」
「分かりました」
「まだ休憩いるかい?」
「いえ、もう大丈夫です」
一旦立ち止まっただけで僕の息切れはおさまった。やはり肉体強化が効いている。
「栄養補給。今のうちに食べておくといい」
砂糖でたっぷりと味付けされたチョコレートバーだった。味はともかく、エネルギーにはなる。
僕たちはそれを頬張って先へと進んだ。
「時間だ」
海堂の合図とともに、僕たちは森から飛び出した。
海堂は見事な手際で、瞬く間に受付の職員を無力化した。僕は、彼が実は軍人なのではないかと疑う。
「後は頼んだ」
僕は職員の服で着飾り、顔を『再構築』する。
念のため、ガラスの反射で自分の顔を確認した。誰の目から見ても完璧な変装だった。
僕は我が物顔で正門から閉鎖棟の中へ入る。
エントランスは吹き抜けだった。閉鎖棟というからには、もっと陰鬱とした雰囲気なのかと考えていたが、三方の窓から日光が差しているため照明がなくても十分に明るい。
だだっ広い空間にいるのは、僕だけだ。
閉鎖棟にいるのはこの職員だけなのだろうか。そんなはずもあるまい。
吹き抜けを通り過ぎ、一階の独房室の方へと足を運ぶ。廊下の両側には所狭しと金属のドアが並んでおり、柔らかな床のピンク色と冷たそうな銀色がミスマッチでちぐはぐに見える。
ちらりと中を覗き込む。人の気配はしなかったが、部屋の中を見ると人はいる。みな、ベッドに腰掛けて物思いに耽っている。僕の顔が覗くと、ちらりとこちらに目を向けるものの、興味がないのかすぐにそっぽを向いてしまう。
早く皆を助けだしてあげないと。助ける必要がある。
部屋を次々と覗いていく。松葉はどこにいるのか。彼はこの中でも最重要人物だ。
一階の探索を終え、二階に移動する。
そして、三つ目のドアに差し掛かったとき。
見つけた。松葉だ。
白い髭が少し伸びている。ここだと整えることはできないのだろう。だがそれでもどこか気品が感じられる。
松葉はこちらを見て、目を見開いた。
ここだ。僕は、ここにいる。
心の中で念じる。
僕は江洲薫だ。
だが、松葉が反応を見せたのはわずかな間だけだった。他の人と同じようにすぐに僕から視線を外してしまった。
なぜだ。
その時、背後から声が聞こえた。
「おや、木崎さん」
知的な高い声。この声を僕は知っている。
振り返る。白衣が見えた。そして男には珍しい長髪も。さらさらとした髪は後頭部で束ねられている。
大石先生だ。
「見回りご苦労様です。そこの方を見ていたようですが、どうかされましたか?」
彼はお辞儀をしながらこちらにすたすたと歩み寄ってくる。
僕をこの事件に巻き込んだ張本人だ。
だが、怒りの感情は湧いてこなかった。潜入という異常な状況で精神がどうにかしていたのかもしれない。もしくは上手く感情をセーブすることができていたのか。
「いえ、何でもありませんよ。大石さんこそ、こんなところまで」
大石先生の眉がぴくりと上がる。
「ちょっと気になることがありまして。それにしても、暑いですね」
「ええ、ほんとに参ってしまいます」
大石先生はポケットに手を突っ込んで、天井を見上げる。
「はあ、助けてくれ」
声をわざと大きくして、手を伸ばす。
暑いというだけで大げさなことだ。
「実は、極秘プロジェクトで来ているんですよ」
彼は手を後ろで組み直し、エントランスの方に向かって歩く。
「極秘ですか」
「はい。気になりますか?」
「そう言われると」
「そうですか」
僕からは少し離れた場所に立ち、彼はこちらを振り返った。そして微笑する。
「生憎ですが、『アブノーマル』にお渡しできる情報はありません」
「な――」
やられた。
僕は舌打ちする。何を失敗した。やらかした覚えはない。
彼が管理棟に連絡する前に――。
「白石先生!」
「遅いですよ」
「これでも最速です。で、あいつですか?」
「ええ。関係者ではないことは明らかです。私を『大石』と呼びましたから」
白石。そういうことか。まんまと一杯食わされた。
そして、後からやって来た人物にも見覚えがあった。夏目が挙げていたリストの一人。肉体強化能力を持ったアブノーマルだ。いつの間に連絡を取ったのか。
「じっとしてて下さいね!」
疾い。青年は早送りされた映像のように不自然な動きでこちらへと飛び込んでくる。
彼の足があがった。
そして次の瞬間には、それが僕の頭にめり込んでいた。
僕は脳震盪を起こし、その場に崩れ落ちる。
だが、不思議なことに、僕は僕の意識が落ちた瞬間をたしかに「知覚」していた。
「よくやってくれました。変装の能力ですかね。厄介な相手ですが、戦闘能力はないようで助かりました」
慌てて脳のダメージの修復にとりかかる。
頭が床についてしまう前にそれを終え、とっさに手をつく。
大石先生は信じられないといった様子で後ずさりした。
「まだですよ、そいつまだ気を失っていない!」
「そんな馬鹿な――」
大石先生の方に向いていた青年がこちらを振り返るより先に。
僕は手を軸にして体を回し、足を振り出す。すねが青年の腰にめり込む柔らかい感触がした。
青年はそのまま壁に叩きつけられ、ぐったりとうなだれてしまった。もしかして死んでしまっただろうか。
「おい! 寝てる場合じゃないですよ!」
「まさか、名前を使い分けているとは思いませんでしたよ」
恐怖で尻もちをついた大石先生の前に立ちはだかる。
「お久しぶりです、先生」
僕はわざと時間をかけて顔を元のものへと『再構築』する。
ルービックキューブのように元の顔をバラバラに配置し、がちゃがちゃと回していく。
我ながら悪趣味な演出だ。
数秒かけて完成した顔をみて、大石先生は完全に腰が抜けてしまったようだ。
「薫くん、薫くんか!?」
「ええ」
「どうしてこんなところに」
「あなたのせいでしょう、先生」
手と足を使い、大石先生は蜘蛛のようにして僕から離れようとする。
それを追いかけるような無粋な真似はしない。もう、チェックメイトだ。
「その能力は――」
「新しくデザインしてもらったんですよ。先生が手を加えた、この体にね」
「違う、違うぞ薫くん。誤解だ。いや、たしかに君の体に手を加えたのは私だが――事故で仕方なかった! 過剰な再生能力を組み込まなければ、確実に君は死んでいたんだぞ!」
「全部そこから始まったんですよ、先生」
僕は静かに言い放つ。
なぜだろう。僕の体が、僕のものではないような気がした。
怒りが湧いてきてもおかしくないはずなのに。なぜか心は穏やかだ。穏やかというより、無。
怒るってなんだろう。ああ、もう何もかもがどうでもいい。
「薫くん? もしかして君、感情が――」
大きな爆発音が遠くから聞こえた。管理棟への攻撃が始まったのだろう。僕も僕の使命を果たさなくちゃ。
「聞いてくれ、薫くん。君の今の状態は非常に危険だ。早く治療しないと、手遅れに」
大石先生の声など、もはや聞こえていなかった。
僕はドアを握力でむりやりこじ開ける。まずは松葉の部屋から。ドアの前に倒れていた肉塊は邪魔だったので横に蹴り飛ばしておいた。
「松葉さん。江洲薫です。助けに来ましたよ」
「ありがとう、江洲くん。お礼は後で」
そう言い残して松葉は階下へ急ぐ。
何も伝えていないが、彼の能力で僕の考えを読み取ったのかもしれない。
「薫くん! 大丈夫だったか!」
「ちょっとあんた、結構派手にやってくれたわね」
奈都美と海堂の姿が見えた。奈都美は松葉とすれ違わなかったのだろうか。
すれ違っていたなら、誰が何と言おうと彼との再会を喜び、今頃戦闘どころではなくなっているはずなのに。
「松葉さんとは会わなかったの?」
「会ったわよ。それが何か?」
「感動の再会、みたいなことはなかったの」
「うーん、何だか今はいいかなって思った。それより重要なことがあるでしょ」
正論だ。正論すぎて、奈都美らしくない。
彼女は僕の背後に回り、牢の鍵を開けて同志を解放し始める。
海堂はというと、大石先生を見つけて満足気な表情をしていた。
「あれ、大石医師じゃないですか」
海堂は通路に座り込んでいた大石先生の横に立って顔を覗く。
大石先生は怒りの形相を彼に向けていた。
「君か。散々、薫くんを弄んでいるのは」
「どういうことでしょう。大石医師は面白いことを言うなあ」
「とぼけるなよ! お前のやっていることは――」
「薫くん、大石医師にむかつかないの? 君がこうなってしまったのは彼のせいだと思うけど」
海堂はこちらを見る。
大石先生に対して怒りの感情がふつふつと湧いてきた。むかつく。むかつかないわけがないじゃないか。
誰のせいでこんなことになってしまったと思っているんだ。
「憎き相手だね」
「はい、レオさん。本当ですよ」
「薫くん! やめてくれ!」
「大石医師、今さら命乞いですか? 仕方ないんですよ、あなたが悪いんですから」
海堂の言葉に、大石先生が突然しおらしくなった。
こめかみに浮いていた青筋はなくなり、かわりに唇が青白く変化する。その唇はわなわなと震えていた。
「そうか、そうだよな。元はと言えば、僕のせいだ。ごめん薫くん」
「そうですよ。大石先生」
僕は大石先生に近づく。もう彼は逃げようとしなかった。
海堂は立ち上がってその場から離れる。
「ちょっと! あんた! 何しようとしてるの!」
「おっと、三人はさすがに無理だったか」
後ろで奈都美が僕を止めようとこちらへ走ってきているのが「見えた」。
それを体で制止する海堂。
そして、気付いたときには、僕の腕は大石先生の体を貫いていた。
もう彼が何か言葉を発することもない。
怒りの感情がおさまる。復讐は達成されたのだ。
奈都美もいつの間にか牢の解錠作業に戻っていた。
手から前腕へ、前腕から肘へ、肘から上腕へ、そして上腕から僕の着ている白シャツの袖へと。鮮血がしたたり、赤い染みをつくる。
「解放も終わった。さあ、管理棟に向かうぞ」
まだ、一仕事残っているはずだ。
あの正体不明の複合能力者を仕留めなければ。




