第十話<進化>
「へへ、初めまして。エスくん、だったかな?」
診察室と思しき個室で僕と対面している彼が「デザイナー」と呼ばれる人物らしい。
彼を見た人間は誰もが口を揃えてこう言うだろう。マッドサイエンティスト、と。
不自然なまでにだらりと伸びたか細い腕。ぐねぐねとうねっている髪。牛乳瓶の底ほどある厚いメガネ。
マッドサイエンティストの模範像だ。
「楽しみだねえ。なんせ、キャパシティオーバーを考える必要がない。こんなにワクワクするのは初めてだ!」
マッドサイエンティストは交差していた足を逆に組み替え、メガネをくいっと持ち上げる。
夏目が後ろでため息をつくのが聞こえた。奈都美と海堂は別室で能力のメンテナンスを行うとのことで、ここにはいない。
「検査結果が出たようだよ。どれどれ」
彼は再びメガネを動かすと、何もない空中を指でなぞりながら感嘆の声を挙げた。
ああでもない、こうでもない。彼はぶつぶつと独り言つ。腕組みをしてにやにやとしばらく虚空を見つめた後、ペンを胸ポケットから取り出して一心不乱に何かを書き始めた。
「コウジ。夢中になるのもいいが、ちゃんと俺たちにも説明してくれ」
「すまんなあ。つい夢中になってしまう。俺もこの目で見るまで信じられなかった。たしかにこいつは今までの科学史を塗り替えるほどの逸材だ!」
「重要なのはお前がデザインできる能力だ。科学の発展なんか俺たちにとってはどうでもいい」
「エスくんよ。君は再生能力を持っているみたいだな。しかも、そんじょそこらの再生能力とはわけが違う。なんせあの大石医師のデザインだ! 君の容量は無限に近いから、この能力はかなりのリソースを割いてデザインされている。普通ならキャパシティオーバーだよ。だがその分、能力も強烈だ。たとえばなあ」
コウジと呼ばれたマッドサイエンティストは手近のボールペンを手に取る。
そして、迷いなく僕の腕にそれを突き刺した。
「コウジ! 何してる!」
夏目がコウジの手を的確に蹴り飛ばした。ボールペンは壁に勢い良く飛んでいき、接合部が当たった衝撃で破損し真っ二つになった。
僕の腕から血が流れた。血は嫌いだ。僕は目を背ける。
「ちゃんと見ろ。そして念じろ。治れってな」
コウジはぐいと体を乗り出して僕を下から覗き込む。
このマッドサイエンティストは人に危害を加えておきながら謝罪の言葉一つもないのか。
怒りは一旦横に置いて、僕は言われた通りに傷口を見つめて治れと念じる。
するとボールペンの穴が空いていた僕の腕は文字通り「再生」を始めた。
その過程はおぞましいものだった。
まず、血がとまる。次に、穴が開いていた部分の皮膚が、ごぼごぼと気泡を内に含んだかのようにいくつも膨れ上がった。その膨れ上がった皮膚はやがて限界をこえて破裂し、薄透明な古皮が剥がれていく。最終的に、新しくのぞいた腕の皮膚はすっかり元通りになっていた。一センチ四方の蛇の抜け殻のような皮膚が何枚も床に落ちている光景が痛々しい。
「な――」
僕は絶句する。
これは本当に僕の腕なのだろうか。腕だけじゃない。再生能力は僕の全身に刻み込まれているはずだ。
あまりに衝撃的な光景に、夏目も言葉が出ないようだった。
コウジは椅子から立ち上がり、大きく手を広げた。彼は言葉を続ける。
「見たか! これは進化だよ! 彼を調べあげてそのメカニズムを探れば人類は新しいステージに移ることができる! 今までちまちまちまちまと交雑を繰り返して取るに足らない進化を遂げてきたが、もうそんな必要はない。自然淘汰で優秀な人間を選別していかなくても良いんだよ。ゲノム編集でさっさと――」
「コウジ」
その声は冷たく、向けた相手だけでなく僕までをも震え上がらせた。
「もう一度言う。そんなことはどうでもいい。必要なのはデザインできる能力のリストだ。それに、今の言葉は江洲くんに対して失礼だぞ」
「……はいはい。これだから科学者じゃないやつは」
コウジは頭をぽりぽり掻きながら腕のスマートフォンで壁に映像を映し出す。
それぞれの能力とその成功確率がリストになって表示されていた。
「やはり最初の能力に引っ張られているのか、再生や体の再編成みたいな能力が適合しやすいみたいだ」
「成功確率がやたら高いな」
成功確率は80から100パーセントの幅に収まっていた。これが高いのかどうか僕には判断できなかったが、通常は20から50パーセント程度だという。
「二回目というのもあってなあ。一回目の遺伝子操作の失敗時に起きるショック死はない。そこは安心してくれ」
「この再構築っていうのはさっきの再生と何が違う?」
十個あるリストの上から三つめにあった能力を夏目が指差す。
「再生だと以前の形をそのまま再現するが、再構築は自分の望んだ形に作り変えることができる。ただ、羽を生やすだとかは無理だ。変装程度なら簡単にできるだろう。能力が定着して自己進化が起きれば、いつかは骨格すら変えられるかもしれんがなあ。へへ」
それは今の僕にとってぴったりの能力のように思われた。
変装が出来れば警察の目を誤魔化すこともできるし、松葉を救出するのにも役立つことだろう。
「それがベストかもしれんな」
僕も異論はなかった。
「二人とも勘違いしていないか?」
同意の視線を交わした僕たちを見て、コウジはがっかりした様子で頭を抱えた。
「つけられる能力は、一つじゃない。二つ、三つ。このリスト全部の能力を発現させることもできる」
「今は負担が大きい。やめておくべきだ。どんなリスクがあるかも分からないんだぞ」
「リスクは限りなく低い」
「だが」
「やります」
僕は立ち上がって宣言した。
今なら何でもできる気がした。全知全能の神にでもなったつもりだったのだろう。保守的だったはずの僕の性格はすっかり瓦解してしまったのか。二人の僕が頭の中で議論を繰り広げる。昔であれば保守的な考えが圧倒的な権力を持っていたはずだったが、今はそうではなかった。遺伝子操作で性格までねじ曲がってしまうのか? いや、これは間違いなく僕だ。昔の僕と違っていたとしても、今の僕は僕だ。
「分かった。だが、あと一つだけにしておいてくれ。君を失うわけにはいかない」
「はい」
能力は一番無難であろう肉体強化を選んでおいた。
僕は促されてベッドに寝転んだ。
コウジは注射器でバイアルから液を吸い上げ、空気抜きをする。注射は嫌いだったので、緊張して体ががちがちになる。
「注射なんですか?」
「ああ。この中にいらないDNA部分を切断するハサミと、そこに入れ込みたいDNAやその他もろもろが入っている。詳しいことはよく分からんと思うがなあ。やるぞ」
刺される前に目を瞑ったが、ほとんど針の感覚はしなかった。
痛くないことに一安心していた直後。
体が猛烈な熱を帯び始めた。内側から沸き起こってくる熱は痛みに変わり、たまらず叫び声をあげる。
「しばらくの辛抱だ。むりやり体の設計図を書き換えているんだからなあ。体も抵抗する」
体が痙攣する。自分の意思に反して体がのけぞる。
頭の中でぱちぱちと火花が弾けているような感覚。視界が不透明だ。前のときもこんな痛い思いをしたのだろうか?
視点が定まらない。
僕はなぜこんなことをしている。なぜ苦しまなければならない。
それは僕のため、人類のため。
そう応えるのは僕の心ではなく、僕の脳。
シナプスが神経伝達物質を吐き出し、発生した電気信号の末に生まれた機械的な感情。
感情なんてものはどこにもない。それも紐解いてしまえば化学反応の集まりに過ぎない。
これは本当に僕の意思なのか?
これは、本当に――。
そして、永遠に続くかとも思われた時間が過ぎ去った。
体は落ち着きを取り戻し、僕の意識もはっきりとしてくる。
「お疲れ様」
「エスくん、気分はどうだい? 一番気になるのは能力のほうだがねえ」
僕は手を開いてもう一度握る。
体はまだ少し熱いが、生命活動に支障はなさそうだ。
ベッドから立ち上がる。
「ちょっと試してみようかあ。俺の顔を真似てみてよ」
真似てみろと言われてもやり方が分からなかった。マニュアルでもあればいいのだが。
とりあえず念じてみた。
この眼の前の男の顔になれと。
僕の体の一部である顔が形を変えていくのが分かった。ぐにゃぐにゃと水のように流動性をもって動き始める。
熱くも冷たくもない。痛みもない。体の知覚範囲が少し広がった程度だ。
それだけに、顔のうねりが収まったときには本当に自分の顔が変わったのか分からなかった。
「こりゃすげえ」
「ほう……完璧、だな」
二人は頷く。
夏目が鏡を寄越してくれた。
鏡に映っていたのは見覚えのある男の顔。もちろん自分ではない。牛乳瓶の厚底という装飾品はないものの、それは紛うことなきコウジの顔であった。
「元に戻るのか? 自分の顔って案外分からないぞ」
「やってみます」
夏目の言う通り、何も見ずにイメージだけで自分の顔を作り上げるのは少し骨が折れる作業だった。僕はどんな顔だったろうかと一生懸命思い出す。
試行錯誤を繰り返して、なんとか顔を完成させた。うまくいっただろうか。
「ううん。なんだか少し違う気もするんだが、分からん」
夏目は僕の顔と昔の顔写真を交互に見比べながらうなる。
僕はその写真を受け取って、もう一度皮膚とパーツを再構築する。
「これでどうでしょう?」
「多分大丈夫だ。確信はないが」
夏目は笑う。その笑顔はどこか引きつっているような気もした。
自分の形が定まらないというのは落ち着かない気分かと思ったが、それほどでもない。特別な感情は湧いてこなかった。
「一応検査をしておこうかなあ、同時に二つも能力を発現させるなんて前代未聞だからなあ。それと、もう一つ気になることがあったんだ」
「僕?」
「ああ。君のゲノムを調べたんだけど、なんだか一箇所普通の人間にはない――ううん、なんていったらいいのかなあ――人工的な配列があったんだ」
「誰かが付け加えたってこと? それがキャパシティーに関係しているんですか?」
「いやあ。能力の発現には関係ないんだ。それどころか、全くといっていいほど生命機能に関連がなさそうなんだよなあ。誰がつけたんだろう――大石医師? はたまた」
「悪影響を及ぼさなければいいんですが」
「そうだねえ。可能性はほとんどゼロに近いだろう。削除する必要もないからそのままにしてあるけど。一応配列を渡しておこう。もし何か分かったらまた連絡するからさ」
僕の腕のスマートフォンからぴぴっという音がなった。メッセージだ。
そこには件名も本文もない、添付ファイルだけのメッセージが表示されていた。差出人のアドレスにはkoujiという単語が含まれていたので、すぐに彼が送ったものだと分かった。
添付ファイルを開くと半角英字が画面にずらりと並ぶ。数十行にもわたって続く設計図の配列を見てもさっぱりだ。
「コウジ、お前でも分からないのか」
「分からないねえ。何か意味があるわけでもないし、ただのジャンクだ。大石医師がゲノム編集を施したときの副産物だと思うがね。何かちゃんと分からないと触りようがないなあ。大石医師も怖くていじれなかったのかもしれないねえ」
僕たちが話していると、ドアががらりと開いて人が入ってきた。
奈都美と海堂だ。メンテナンスが終わったのだろう。アブノーマルはときどきこうやってメンテナンスをしてやらないと、能力を思うように発揮できなくなるらしい。
「薫くん、大丈夫だったか?」
「ええ」
驚かせてやろう。
僕はとっさに顔を書き換え、海堂そっくりの皮膚を作り上げる。
「ちょっとあんた! え、どういうこと!」
奈都美が叫び声をあげる。海堂も目を見開いていた。
僕はすぐに元の顔に戻す。視界の端でぐにゃぐにゃと皮膚が蠢く様は自分で見ていても気持ちがいいものではない。
「こういう能力になった」
「ええ――なんて言ったらいいのかしら――ちょっと、気持ち悪いわね」
「結構ずばっと言うんだな」
「ごめん」
「さあさあ! 遊んでる暇はないぞ」
夏目が手を叩いて話をさえぎる。
「江洲くんの能力をうまく使えばケーイチだけでなく、京都収容所に捕まっている何十人の仲間を救い出すことが出来る。帰って作戦を練り上げるぞ」
夏目も、奈都美も、海堂までもが希望に満ち溢れた目をしていた。
ここから、僕たちの反撃が始まる。




