親不幸の罰
最終話です。
私達が邸に入るとやすらぎがわざわざ庭にまで出て迎えてくれた。
「よかった。二人とも無事だったのね」
「心配かけてごめんなさい。今、身なりを整えたらお方様にご報告に行くわ」
私は康行に馬から降ろしてもらいながら言った。
「そんなのんきな場合じゃないの。すぐにお方様に参上して。康行も来るのよ」
「俺? なんで俺がお方様の前に行くんだ? ご心配いただいたのはありがたいが、もう大丈夫だから」
康行が狼狽した。今日はすでにお方様の寝所の庭先で、お方様と声をかわしている。緊急事態だったので特別に許されはしたが、本来ならあり得ない事だったはず。それをこう、ちょくちょくと……どうなってるんだ?
「私もひどい格好よ。一度かもじが取れてしまったので髪の中はひどく絡まって膨らんでいるし、実は下着の袖も破れているの。せめて着替えないと」
するとやすらぎは、彼女らしからず眉を吊り上げる。
「いいから二人ともいらっしゃい!」
そう言って私達を引っ張って行く。
お方様の寝所の庭に出て建物に近づいていくと、見慣れた顔が見えて私達は驚いた。
「花房!」
「お父様?」
私は思わず声を上げた。何故かそこには私の父と康行のお父様がいたからだ。
「康行! お前という奴は何と情けない奴だ。悪党なんぞに捕まって、花房様を巻き込んで」
「お義父上、親父も! なぜ、都に?」
康行も目を丸くしている。
「何故も何も、花房様の文を受け取ってからというもの、ご主人さまの取り乱されようと言ったら大変なものだったのだ。俺も大口をたたいたお前がどうなっているものかと心配していたら、このお邸に着いた途端にお前はさらわれ、花房様が巻き込まれ、それをお前がまた助けに行ったというではないか。仮にも侍で馬飼いのお前が連れ去られるとは何たる失態。大体お前は……」
康行のお父様は康行の顔を見て、早口でまくしたてている。
「ちょっと、落ち着いて下さい。ここはお方様の御前ですよ」
やすらぎが康行のお父様を慌ててなだめた。目の前の寝所の建物の中、御簾と几帳の向こうにはお方様がいらっしゃるのだ。康行のお父様も思わず口をつぐまれる。
「お方様が早く山寺での出来事を知らせるようにとおっしゃっていますよ。詳しい話を聞かせなさい」
お方様の乳母がそう言って私達を見る。私達の親がいるからやすらぎは私達を急がせたのか。
「あのう。今、ここで全部お話するのでしょうか?」
私は康行と眼を見かわすと、乳母にそう聞いた。
「ここでは話せないというのですか? 花房」
今度はお方様が直接お声をかけて来る。これでは説明しない訳にはいかない。
「きちんと、正直に話すのですよ。御父上の前だからと言って適当に誤魔化したりしてはいけませんからね。二人ともこれまでに十分、御父上方にはご心配をおかけしているのですから。これは皆に心配をかけた罰です。姑息に取り繕っても、後で殿にお聞きすれば分かるのですからね」
お方様は私達の考えなどお見通しになってしまわれている。観念するよりなさそう。
仕方なく私達はおずおずと山寺での出来事をご説明申し上げた。途中で康行が馬を盗んだ事に康行のお父様が、
「お前はそれでも馬飼いか! 人様の馬を盗み出すとは馬飼いの風上にも置けぬことをして。今その性根をたたき直してやる!」
と言って康行に殴りかかろうとしたのをやすらぎが「お方様の御前です」と止めたり、私が院様に捕まり、太刀を持った院様から逃れようとした事に父が顔色を青くして、怒鳴りたいのを懸命にこらえたりしていたが、どうにか全て話し終える事が出来た。
「花房は本当に危ない事をしましたね。これでは親不幸と言われても仕方ありません。あなたにはもう一つ罰を与えねばなりません」
聞き終わったお方様がそうおっしゃった。
「罰……ですか」
これはもう仕方がない。私の行動がたくさんの方々にご心配とご迷惑をおかけしたのだから。
「康行、そなたは花房を守りはしても、無理に妻にならなくてもよいと言ったそうですね。花房の生き方を縛りはしないと」
「は……はい」
康行は真っ赤になっている。そりゃ、そんなこと人前で言われたら恥ずかしくもなる。
「私はそれを許しません。花房を甘やかしすぎです。花房には厩に近い所に特別に部屋をあてがいましょう。康行は毎日そこに通うように。三日夜も済ませ、正式に妻にするのです。そうでなければこのやんちゃ者は、いつまでたっても落ち着いて仕える事が出来ないでしょうから」
「そんな、そんな事をしていただいては」
「花房もあなたも、今更他人の目など気にしないでしょう? 私はここの女主、どなたにも文句は言わせません。いいですか? 康行は花房をしっかりと捕まえておくように。この寝所を出たら最後、花房は何をしでかすか分からないのですから」
「そのようなお気づかいをしていただき、もったいない」
康行も、父も、康行のお父様も、額をこすりつけてお方様にひれ伏した。私などはもう、声も出ない。
「康行、私の大切な琴弾きを、守ってやって下さいね」
お方様にそう言われて、私は頭を下げながらこっそり袖で涙をぬぐっていた。
「二人の御父上方も、もう二人を叱らないでくださいまし。十分に罰を受けたようですから」
お方様にそう言われて私達は一層ひれ伏した。そうは言っても多分、後でしっかりお説教されるだろうけどね。
「二人への罰も済んだようですし、まずはめでたしですわ。そこでお方様、私からお願いがあるのですが」
「まあ、やすらぎ。珍しいこと。何でしょう?」
お方様が不思議そうにお聞きになる。やすらぎは自分の母の乳母とちらりと目を合わせた。
「実は私、懐妊したことが分かりました。思う節がございましたので正成の容体を見てもらった典薬に、落ち着いた時に御相談してみたのです」
やすらぎが嬉しそうに微笑む。私達も顔を見合わせ、思わず笑顔になる。
「おめでとう、やすらぎ」
「おめでとうございます」
私と康行はそれぞれに言葉をかける。お方様も嬉しそうな御気配だ。
「それは、おめでとう。やすらぎ。良かったわね。忠長にはもう、伝えたの?」
お方様はお聞きになった。
「いいえ。先にお方様にお伝えしたかったのでございます。忠長にもはっきりしたら知らせると言ってありましたので、御所で侍から私の事で知らせがあると聞いて本人がすっ飛んで出てきたそうです。だから東宮様の身の上が危ないと、すぐに大将様にお知らせ出来たのですわ。急ぎの伝言と聞き、てっきり私の事だと思っていたでしょうから、別の知らせと聞いて忠長はさぞ、がっかりしたことでしょうね」
「忠長が首を長くしているでしょうに。早く知らせておあげなさい」
「ええ、先ほど童女に知らせに行かせました。でも今日は忙しいでしょうから、あとでゆっくり話をします。そこでお願いの件なのですけど」
「ああ、宿下がりをしたいのね? もちろんかまいません。ゆっくり休んで良い子を産むように」
お方様も嬉しそうにおっしゃったが、
「いえ。まだ具合も悪くはありませんし、幸い私には母がここにおりますので身体が変わってしまうまでは宿下がりの必要はありません。お願いというのは別の事でございます」
「別の願い? 何でしょう?」
「私はずっと母のようになりたいと思っておりました。お方様の乳母としてお方様におそばに仕え続けている母のような生き方をしたいと夢見ておりました。そしてお方様の女房としてこうしてお仕え出来ておりますが、このたび幸い、懐妊する事が出来ました。こうなったら是非、私もお方様のお子様の乳母になりとうございます。それが私の夢なのです」
「私の子の、乳母に?」
「そうです。このところ中納言家からも、大納言家からも、御懐妊はまだかと矢のようなお文が来ているではありませんか。本当に、お早くお子様を儲けて下さいませ。そして私の夢をかなえて下さいませ」
「でも……。それは殿と御相談の上で考えないと」
そう言ってお方様はもじもじしておられる様子。
「お方様はいつもそんな事ばかりおっしゃって。少しはお方様の方から殿をお誘いになって下さいませんと。男君はこういう時に意外と無頓着でいらっしゃるのですから。中納言様達もそれはそれは姫君のお誕生を待ちわびておられるのですよ。是非、私の夢をかなえて下さいませ」
やすらぎは真剣にお方様に訴える。お方様は恥ずかしそうに「ええ」「でも」「その」と、繰り返されている。
「お方様、私もお願いしますわ。やすらぎの願い、是非叶えて下さいませ。殿に私からもお願いしますから」
私もとうとう口をはさんだ。
「花房ったら、さっきの仕返しをしているようですね。皆でやすらぎの味方になって」
「もちろんですわ。中納言様をお待たせしているのは、お方様の親不幸。私もお方様のお子様が生まれるのを楽しみにしているんですから」
「それならあなた達と私たち、どちらが先に子を授かるか競争しましょうか?」
お方様がお戯れになる。
「え? ……まあ、それは、その」
今度は私が康行と顔を合わせて赤くなってしまった。
それを見てお方様はコロコロとお笑いになった。私がお方様と初めてお目にかかった時のように。
美しい紅葉の庭に、お方様の笑い声がのどかに響き、私達は皆、幸せな気持ちでそれを聞いていた。
完
完結を迎えました。この話の執筆にあたって、以下の書籍を大変参考にさせていただきました。
全体の雰囲気 円地文子 訳「源氏物語」
文化背景・時代背景 田辺聖子 著「むかし・あけぼの」
衣装・建築様式 大和和記 著(漫画)「あさきゆめみし」
和歌 (集英社わたしの古典シリーズ)尾崎左永子の古今和歌集|新古今和歌集
歴史に疎く、大半を自己解釈しているので、お見苦しい点などもあったかもしれません。
でも本人はとっても楽しく書かせていただきました。
読んで下さった皆様、本当にありがとうございました!




