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王太子の馬車

 調査開始から五日目。


 アリシアは第二王子エドワードの屋敷から少し離れた通りに停めた馬車の中で、朝からずっと正門を見張っていた。


 窓の外には秋晴れの空が広がり、貴族街の街路樹は少しずつ黄色く色づき始めている。道行く人々は皆それなりに上等な服を着ており、荷馬車一台ですら磨き上げられた金具が陽光を反射していた。


 そんな優雅な街並みとは裏腹に、アリシアの気分はあまり晴れなかった。


「……暇ねえ」


 手にしていた懐中時計を開き、時刻を確認する。


 午前十一時。


 張り込みを始めてから、かれこれ三時間が経過していた。


 昨日も同じように屋敷を見張っていたが、目ぼしい収穫はなかった。出入りするのは使用人や食料品を運ぶ商人ばかりで、肝心のエドワード本人は一度も姿を見せていない。


 もっとも、王族がそう簡単に屋敷の外を出歩くはずもないのだが。


「アリシアさん、今日も一日ここにいるんですかい?」


 御者台から声が掛かった。


 今回の調査のために雇った御者のトーマスである。四十代半ばの気さくな男で、普段は市場と商業地区を行き来する客を相手にしているらしい。


「そのつもりよ。退屈なら新聞でも買ってきたら?」


「いやあ、こっちは馬の世話でもしてますから構いませんがね。あんまり長く停まってると、巡回の衛兵に怪しまれますぜ」


「そこは上手く誤魔化してちょうだい。追加料金は払うから」


「へいへい。お貴族様の仕事ってのは大変ですなあ」


「私は貴族じゃないわよ」


 アリシアは苦笑し、再び窓の外へ目を向けた。


 これまでの調査で分かったことは、決して多くない。


 エドワードの屋敷には王太子が頻繁に訪れていること。顔に大きな傷のある商人風の男が出入りしていること。そして、第二王子の家臣が私設兵団の兵士を募集していること。


 どれも気になる情報ではあるが、肝心の婚約破棄との関係は不明なままだった。


 王太子と第二王子は兄弟なのだから、頻繁に会っていたとしても不思議ではない。商人の訪問も、何らかの取引があるのなら当然だろう。私設兵団についても、王族が護衛を増やすこと自体は珍しくない。


 それぞれ単独で見れば、何の問題もない出来事ばかりである。


 ただ、これらが同じ時期に重なっていることが、アリシアにはどうにも引っ掛かっていた。


「……ん?」


 正門の向こうで動きがあった。


 屋敷の敷地内から、黒塗りの立派な馬車がゆっくりと姿を現したのである。


 四頭立ての大型馬車で、車体には金色の装飾が施されていた。扉には王家の紋章が描かれており、その周囲を騎乗した護衛らしき男たちが四人、取り囲んでいる。


 アリシアは窓際に身を寄せた。


「あれは……」


 王家の紋章自体は、エドワードの屋敷でも見慣れている。しかし、馬車の扉に描かれた意匠は少し違っていた。


 王冠を戴く獅子の紋章。その下に刻まれた小さな金色の百合。


 王太子の馬車である。


「トーマス!」


「へい?」


「あの馬車を追って!」


「ええっ!? 王家の馬車ですかい!?」


「そうよ。見失わない程度の距離でお願い」


「勘弁してくださいよ。あんなの追いかけてるところを見つかったら、俺までお縄になっちまいますぜ!」


「追加で銀貨五枚」


「……へい、任せてくだせえ!」


 現金な男である。


 トーマスは素早く手綱を握り直すと、馬車をゆっくりと発進させた。


 王太子の馬車は大通りを南へ進み、王城へと続く広い街道に入った。護衛の男たちが周囲を警戒しているため、他の馬車や通行人は自然と道を譲っていく。


 アリシアたちは少し距離を置きながら、その後を追った。


「……王城へ戻るのかしら」


 窓から見える街並みを確認し、アリシアは小さく呟いた。


 しかし、馬車は王城へ向かう分岐路を通り過ぎ、そのまま西へと進んでいく。


 どうやら行き先は王太子の私邸らしい。


 王太子の屋敷は王城の西側に位置しており、そこへ向かうには貴族街を抜ける必要がある。


 アリシアは懐中時計を確認し、手帳に時刻を書き込んだ。


 午前十一時二十分。


 王太子の馬車、第二王子邸を出発。


 行き先は王太子邸と思われる。


 それにしても、何のために第二王子の屋敷を訪れていたのだろう。


 兄弟の親睦を深めるためなら、それで構わない。だが、庭師の話によれば、ここ数週間で訪問の頻度が急に増えたという。


 何か事情があるのは間違いなさそうだった。


「アリシアさん」


 不意に御者台から声が掛かった。


「何?」


「ちょいと妙ですぜ」


「どうしたの?」


「前の馬車、さっきから大通りを避けてるんですよ。王太子様のお屋敷へ行くなら、もっと広い道があるはずなんですがね」


 アリシアは窓の外を見た。


 確かに、いつの間にか周囲の建物は低くなり、人通りも少なくなっていた。立派な貴族の邸宅が並ぶ大通りから外れ、倉庫や使用人向けの住居が立ち並ぶ一角に入っている。


「……道を間違えたのかしら」


「いや、王太子様の御者が道を間違えるとは思えませんがね」


 その時だった。


 前方を走っていた王太子の馬車が、突然速度を上げた。


「あっ!」


 アリシアが声を上げる間もなく、馬車は角を曲がり、建物の向こうへ姿を消した。


「トーマス、急いで!」


「分かってますって!」


 トーマスが手綱を振るい、馬車が速度を上げる。


 しかし、角を曲がった先には王太子の馬車の姿がなかった。


 代わりに待っていたのは、道の中央に立つ数人の武装した男たちだった。


「……え?」


 男たちは革鎧や鎖帷子を身に着け、腰には剣や短剣を下げていた。装備は不揃いだったが、いずれも使い込まれたもので、素人ではないことが見て取れる。


 そのうちの一人が片手を上げると、残りの男たちが素早く馬車を取り囲んだ。


「止まれ!」


「ひ、ひいっ!」


 トーマスが慌てて手綱を引き、馬車が急停止する。


 アリシアは座席から転げ落ちそうになりながら、何とか体勢を立て直した。


 次の瞬間、馬車の扉が乱暴に開かれた。


「中の奴、出てこい!」


 鋭い声と共に、剣を抜いた男が顔を覗かせる。


 アリシアは一瞬だけ身を強張らせたが、すぐに両手を上げた。


「ちょ、ちょっと待って! 私は怪しい者じゃないわ!」


「怪しくない奴が、王太子殿下の馬車を尾行するかよ!」


「それは……まあ、そうなんだけど」


「ふざけるな! さっさと降りろ!」


 有無を言わさぬ口調だった。


 アリシアは大人しく馬車を降りた。


 周囲を見回すと、男たちは全部で六人。先ほど王太子の馬車を護衛していた者たちも混じっている。彼らの鎧には王家の紋章がなく、身なりも統一されていなかった。


 どうやら王太子所有の馬車ではあるものの、本人は乗っていないらしい。男達も正規の兵士ではなく、雇われた冒険者のようであった。


 その中でも一際体格の良い男が、アリシアの顔をじろじろと眺めた。


「女か……。どこの国の間者だ?」


「間者?」


「とぼけるな。王太子殿下の動向を探ってたんだろうが!」


「違うわよ! 私は私立探偵!」


「探偵だと?」


 男たちは顔を見合わせた。


「なんだそりゃ。冒険者みたいなもんか?」


「全然違うわよ。依頼を受けて、人探しや素行調査なんかをする仕事なの」


 アリシアは右手の人差し指と中指でゆっくりと胸のポケットから名刺入れを取り出し、男達に名刺を差し出した。


 男達は名刺を見てからお互いに顔を見合わせ、そして最後にアリシアを見る。


「……へえ。それで朝っぱらから若い女が、殿下の馬車をコソコソと嗅ぎ回ってたってわけか」


「そういうこと」


「ますます怪しいじゃねえか!」


 男は呆れたように吐き捨て、取り巻きの一人に命令した。


「おい、こいつを連れてこい。雇い主に突き出せば、追加の報酬出るかもしれねえ」


「ちょっと待って! 話くらい聞いてよ!」


 冒険者の一人がアリシアの腕を掴んだ。


 思った以上に強い力だった。


 このまま連れて行かれれば、少なくとも数日は拘束されるだろう。下手をすれば、他国の間者として厳しい尋問を受けることになるかもしれない。


 アリシアは必死に頭を回転させる。


 相手は王太子に雇われた冒険者。王家の正規兵ではないのなら出方次第では、交渉の余地はあるかもしれない。


「分かった! 身元を証明するものがあるわ!」


 アリシアは声を張り上げた。


「私の鞄を開けさせてちょうだい。正式な契約書が入っているから!」


 男たちは警戒した様子で顔を見合わせたが、やがて大柄な男が頷いた。


「妙な真似をするなよ」


「分かってるわよ」


 アリシアはゆっくりと鞄を開いた。


 中から取り出したのは、丁寧に折り畳まれた一通の書類だった。


 上質な羊皮紙には、調査の委託内容と報酬に関する取り決めが記されている。末尾にはクラウディア・フォン・クロイツの署名があり、その隣には公爵家の家紋が刻まれた赤い封蝋が押されていた。


「これを見て」


「……クロイツ公爵家?」


「そう。私はクラウディア・フォン・クロイツ様から正式に調査を依頼されているの」


 男は書類を受け取り、眉間に皺を寄せながら目を通した。


「クラウディア様っていやあ、第二王子殿下の元婚約者じゃねえか」


「ええ。その婚約破棄の理由を調べているのよ」


「……なるほどな」


 男は書類を仲間にも見せた。


 公爵家の正式な契約書となれば、簡単に偽造できるものではない。少なくとも、どこの馬の骨とも分からない間者という疑いは薄れたらしい。


「それで、なんで王太子殿下の馬車を追ってたんだ?」


「エドワード殿下のお屋敷に、王太子殿下が頻繁に出入りしていると聞いたからよ。婚約破棄と何か関係があるんじゃないかと思って」


「……へえ」


 男の目が細くなった。


「随分と嗅ぎ回ってるみたいだな」


「それが仕事なの」


 アリシアは差し出された契約書を受け取り、鞄にしまった。


「事情は分かっただろうし、もう帰してもらえるかしら?」


「そうはいかねえな。王太子殿下の馬車を尾行してたのは事実だ。念のため、雇い主に確認を取らせてもらう」


「……困ったわね」


 アリシアは小さくため息をついた。


 正式な契約書を見せても、すぐに解放してくれるわけではないらしい。


 しかし、男たちの様子を見ているうちに、アリシアは一つの可能性に思い至った。


 彼らは王家に忠誠を誓った騎士ではない。


 金で雇われた冒険者だ。


 ならば、交渉の余地は十分にある。


「ねえ、ちょっと取引をしない?」


「取引?」


「ええ。私が知りたいことを教えてくれたら、お礼をするわ」


 アリシアは鞄から小さな革袋を取り出した。


 袋の口を開き、手のひらに金貨を一枚乗せる。


 秋の日差しを受けて、金貨がきらりと輝いた。


「……おいおい」


 男の表情が変わった。


「金貨じゃねえか」


「そうよ。質問に答えてくれたらこれを差し上げるわ。悪くない話のはずよ。第一、私を殿下のもとに連れて行った結果、私の雇用主が公爵家のご令嬢だと分かったら、貴方達だって困るんじゃなくて?」


 周囲の冒険者たちも、興味深そうに金貨を覗き込んだ。


「お頭、金貨だぜ」


「分かってる。……少し考えさせろ」


 大柄な男は仲間を制すると、アリシアに向き直った。


「俺たちは一応、王太子殿下に雇われてる身だ。殿下の不利になる話はしねぇぞ」


「もちろん承知しているわ。だから、答えられる範囲で構わないの」


「……質問は何だ?」


 アリシアは内心で胸を撫で下ろした。


 どうやら、交渉の余地はありそうだ。


「単刀直入に聞くわ。王太子殿下は、なぜ最近になってエドワード殿下の屋敷を頻繁に訪れているの?」


 男たちは一瞬、互いの顔を見合わせた。


「……なんだ、そんなことか」


 大柄な男は拍子抜けしたように肩をすくめた。


「もっと大層なことを聞かれるのかと思ったぜ」


「知っているの?」


「ああ。俺たちも、そのために雇われてるようなもんだからな」


 男は周囲を見回し、人通りがないことを確かめてから声を落とした。


「第二王子殿下に、反乱の兆しがあるんだとよ」


「……反乱? あのエドワード殿下が?」


「ああ。そう聞いてる」


 男は頷いた。


「最近、第二王子殿下の家臣が兵士を集めているって話は知ってるか?」


「ええ。私設兵団を募集していると聞いたわ」


「それだけじゃねえ。怪しい商人も屋敷に出入りしてるらしい。何でも、武器を大量に買い付けてるんじゃねえかって噂だ」


 アリシアの脳裏に、庭師から聞いた大男の姿が浮かんだ。


 顔に大きな傷のある商人。


 まさか、あの男のことだろうか。


「王太子殿下は弟君の動きを警戒しているってわけさ。もっとも、直接聞いたわけじゃない。屋敷の奴らも俺たちの事なんざ、使いっ走り程度にしか思ってねえからな。……ま、とにかく最近の訪問もその動きを牽制するためって事らしい」


「つまり……エドワード殿下が王位を狙っていると?」


「さあ? それは知らねえよ。俺たちの仕事は今日みたいな定期訪問と、王子殿下の身の回りに不審がないかの報告だけさ。名目上は弟君へ献上品を届けるって体だけどな」


 男は肩をすくめた。


「王太子殿下は弟君と争いたくないらしい。だから直接屋敷を訪ねて、何度も話し合ってるんだとさ」


「……なるほど」


 アリシアは黙って話を聞いていた。


 第二王子が反乱を企てている。


 もしそれが事実なら、婚約破棄の理由も説明できるかもしれない。


 反乱を起こすつもりなら、婚約者であるクラウディアを巻き込むわけにはいかない。公爵家との婚約を解消し、関係を断っておけば、少なくとも彼女への累は及びにくくなる。


 王家が違約金を全額負担すると申し出たのも、そのためだと考えれば筋は通る。


 しかし……。


「……本当に、あのエドワード殿下が?」


 アリシアは思わず呟いた。


 王都でも評判の良い王子。


 貧しい者に手を差し伸べ、私財を投じて慈善事業を行ってきた人物。


 もちろん、評判の良い人間が必ずしも善人とは限らない。人前で見せる顔と、裏で考えていることが違うなど、探偵をしていれば珍しくもない話だ。


 それでも、何かが引っ掛かった。


「それで質問は終わりか? こんな話に金貨一枚分の値打ちがあるとは思えないがね。まあ同じ雇われのよしみだ、ここであった事は忘れてやるよ」


 大柄な男の声で我に返った。


「ええ、十分よ。どうもありがとう」


 アリシアは手にしていた金貨を男に差し出した。


 男はそれを受け取ると、指先で弾いて音を確かめ、満足そうに笑った。


「毎度あり」


「随分と簡単に話してくれるのね」


「勘違いするな。俺たちは金を貰って適正な仕事をしてる。ただ、そこにそれ以上の値をつけるバカが居たから、少し付き合ったまでの事だ」


「なるほど、勉強になるわ」


「……もっとも、この話は他言無用だ。もし俺たちからこの話を聞いたと言ってみろ。その時は、お前がこの紙っきれだ」


 男は再び名刺に目を落とし、アリシアに見せつけるようにグシャっと手のひらで握りつぶした。


 アリシアは黙って大きく頷いた。


「ふん。それから二度と王太子殿下の馬車を尾行するんじゃねえぞ」


「努力するわ」


「おいおい。……そこは約束しろよ」


「約束します!」


 男がジロリと睨むとアリシアは慌てて両手を上げた。


 そうして男は呆れたように笑い片手を振ると、仲間達は無言のままぞろぞろと路地の奥へと去っていった。


 冒険者たちの姿が見えなくなると、アリシアは大きく息を吐いた。


「……まったく、とんだ災難だったわ」


 馬車の傍らでは、トーマスが真っ青な顔で震えていた。


「ア、アリシアさん……俺、もう駄目です。絶対に牢屋に入れられると思いましたよ……」


「大袈裟ね。ちゃんと帰してもらえたじゃない」


「大袈裟なもんですかい! 王太子様の馬車を尾行するなんて二度と御免ですからね!」


「分かった分かった、悪かったわよ。迷惑分のお金はちゃんと奮発するから、今日はもう帰りましょう」


 アリシアは馬車に乗り込み、座席へ深く腰を下ろした。


 トーマスが御者台に戻り、馬車がゆっくりと動き出す。


 窓の外には、いつもと変わらない王都の街並みが広がっていた。


 商人たちは荷車を押し、子供たちは路地を駆け回り、道端では露店の主人が威勢のいい声を張り上げている。


 その平穏な日常の裏側で、王族同士の争いが起きようとしているのかもしれない。


 アリシアは手帳を開き、先ほど聞いた話を書き留めた。


『第二王子エドワード、反乱の疑いあり』


『王太子はこれを警戒し、直接説得を続けている』


『私設兵団の募集、素性不明の商人との接触』


 そこまで書いたところでペンが止まった。


 クラウディアの切実な表情が思い浮かんだ。


 突然婚約を破棄され、それでもなおエドワードを信じようとしていた公爵令嬢。


 彼女はこの話を聞いてどう思うだろうか。


 今や衆目の話題の人となっているあの若い令嬢が人目を忍び、町外れの寂れた探偵事務所を訪ねるなど、きっと藁にも縋る思いだったに違いない。


 そう考えると、胸が痛んだ。


「……嫌な仕事を引き受けちゃったかしらね」


 依頼人が望む答えと、調査によって得られる答えが一致するとは限らない。この仕事では良くある話だ。


 それでもあの令嬢の悲しげな表情を思い出すと、なんともやりきれない思いだった。


 アリシアは手帳を閉じ、窓の外へ目を向けた。


 秋の柔らかな日差しが、王都の街並みを明るく照らしている。


 調査開始から五日。


 依頼の期限まで、あと五日。


 そして今、アリシアの手元には婚約破棄の理由を説明できる一つの仮説があった。


 だが、それが真実であるという確証はまだどこにもなかった。

明日完結になります。

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