003話:恋ヶ淵さんと恋が叶うジンクス
想川陽大は、中学からの友達だ。
短く切った黒髪に、バスケ部らしい引き締まった長身。顔立ちはそれなりに整っているが、いつもどこか悪戯っぽい笑みを浮かべているせいか、爽やかというより軽そうな印象が先にくる。
見た目以外に一言でそいつのことを表すなら、バカだろう。
底抜けに明るい性格で、いつも周りに元気を与えてくれるような存在ではあるのだが、稀に信じられないような発言や行動で周囲を呆れさせることがある。
そんな陽大とはやけに気が合い、中学では一緒にバカをやりつつ、高校も同じところへ入学することになった。
残念ながらクラスは別になってしまったが、時折ふらりと俺のクラスへやってきては、バカみたいな話を持ちかけてくる。
そして、今日も今日とて、昼休みも後半に差しかかった頃、陽大はいつものニコニコ顔で俺のいる教室へ入ってくると、真っすぐこちらへ歩いてきた。
「愛葉ん家の伊織くん!」
「なんだ、想川んちのバカト君」
「バカト、ノーノーノー。陽大、イエスイエスイエース」
頭が悪くなりそうな会話だった。にやけ面に加えて、いつにも増してテンションが高い。もしかしたら、脳に何か致命的な欠陥でも起きているのかもしれない。
「いつも以上にテンションがおかしいが、何かあったか?」
「聞いてくれるか、友よ」
「聞くから話せ」
「もうすぐ俺に、彼女ができるんだぜ」
「いや、ダメだろお前」
「は? 何がダメなん?」
「お前にはどきどきわくわくメモリアルのハルカちゃんがいるだろ。なんだよ、あんなに好きだって言ってたのに、違う女子に行くつもりか?」
どきどきわくわくメモリアルは、陽大が中学時代にハマっていた美少女恋愛シミュレーションゲームだ。こいつが家でプレイしていたのを俺も横で見ていたのだが、ハルカというキャラクターにゾッコンで「ハルカちゃん可愛い」という台詞を百回以上は聞かされた。
「いや、ゲームじゃん! ゲームとリアルは違うんだよ! カニカマとカニくらい違うんだよ!」
「いやいや、今のカニカマは凄いぞ。ほぼカニっていう商品があってだな。これが食べるともう本当にほぼカニで」
「そこ拾わなくて良いわ! カニカマの話しにきたわけじゃないんだわ!」
「あー、はいはい。彼女ができそうなんだろ。おめでとう。頑張れよ、応援するぞ」
「え、適当すぎない? もうちょっとさ、親友の恋に興味持とうよ」
「……そういうの、興味ないって知ってるだろ」
俺の一言に、陽大はやれやれと肩を竦める。
「ああ、そうね。お前は恋とかそういうの、もうどうでもいいとか思ってるもんな」
「ムカつくな……まあ、事実だからいいけど」
そこでふと、俺はあることを思う。陽大が来てからこいつを弄ることに夢中で気にしていなかったが、恋ヶ淵さんは隣にいるのだろうか。
さりげなく視線を横へ向けると、恋ヶ淵さんの姿は左隣の席にあった。頬杖をつきながら窓の外へ視線を向けているため、その表情は見えない。
でも、どうしてだろう。こちらを向いているわけでもないのに、恋ヶ淵さんが俺たちの会話に興味を向けているような、そんな気がした。
考えてみれば、陽大が俺に話そうとしているのは彼女の大好物である恋バナだ。もしかしたら、聞きたいという気持ちがどこかに滲み出ているのかもしれない。
「話したいことがあるなら話せよ」
俺の言葉を聞くと、陽大は嬉しそうにいつものにやけ面へ戻り、話を始めた。
「実はさ、おれ好きな人っていうか、気になる人がいてさ。その人から、あるジンクスの存在を教えてもらったんだよ」
「ジンクス? どんな?」
「それがさ、恋が叶うジンクスらしい」
恋が叶うジンクス。その字面を想像するだけでもう、お腹いっぱいになりそうだ。というかジンクスというのは、そもそも悪い意味で使われる言葉ではなかっただろうか。そんな話を、どこかで聞いたことがあるような気がする。
「ジンクスの詳しい内容は?」
「そこまでは聞いてなくて、今度教えてくれるらしい。ただ、そのジンクスを使うと恋が叶うって言われてるから、俺の恋が叶うのも、もうすぐってことだ」
「ジンクスの内容すら知らないのに?」
「細かいことはいいんだよ。恋が叶うっていう結果が分かってるんだから」
「お前、ジンクスって言葉の意味分かってる?」
「もちろん。なんかこう、運命的なアレだろ?」
「絶対分かってないだろ」
そもそも、そんな都合のいいジンクスが本当にあるのかも怪しい。恋が叶うなんて、そんなものがあるのなら、世の中から失恋という言葉は消えているだろう。
「まあ、頑張れよ。ジンクスだかなんだか知らないけど、うまくいくといいな」
「おう! 絶対うまくいくぜ!」
相変わらず、何の根拠もない自信に満ち溢れている。昔からこいつはこういう奴だ。失敗するかもしれないとか、傷付くかもしれないとか、そんなことを考えるより先に行動する。俺とは正反対だ。
「じゃ、俺そろそろ戻るわ」
陽大は軽く手を上げると、数歩進んだところで何かを思い出したように足を止め、こちらを振り返った。
「あっ、そうだ。伊織。俺に彼女ができても、お前とは今まで通り遊んでやるから安心しろよ」
「余計なお世話だ」
俺が追い払うように手を振ると、陽大は「じゃあなー!」と笑いながら教室を出ていった。
まだ付き合ってもいないどころか、恋が叶うというジンクスの内容すら知らないくせに、どうしてあそこまで自信満々でいられるのだろうか。
少し呆れながら、その背中が消えていった教室の入り口を眺める。
やがて俺は、ふと思い出して左隣へと視線を向けた。
恋ヶ淵さんは、さっきと変わらず頬杖をついたまま、窓の外を眺めている。結局、陽大との会話には一度も入ってこなかったし、こちらへ顔を向けることもなかった。
だったら、さっき感じたものも俺の勘違いだったのかもしれない。そう思いながら、俺は彼女から視線を外し、次の授業の準備に取り掛かる。
「……あれ?」
机の中に手を突っ込み、目当ての教科書を探すが見つからない。
一度鞄の中を確認してから、もう一度机の中を漁ってみる。やっぱりない。
「……忘れた」
次は現代の国語。どうやら教科書を家に置いてきたらしい。先生に忘れたと申告するのも面倒だし、誰かに見せてもらうか。
そう思って、俺は右隣の席へ顔を向けた。
「照沢、教科書忘れたわ。次の授業、教科書見して」
「ん、いいよ」
照沢佳奈。俺や陽大と同じ中学出身で、高校では偶然にも俺の右隣の席になった女子だ。
中学時代からそれなりに話す間柄だったこともあって、こういうときに気兼ねなく頼める程度には仲がいい。
「助かる」
自分の机を持ち上げ、照沢の机へ横からくっつける。
ちょうどそのタイミングで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、教室のあちこちで生徒たちが慌ただしく席へ戻り始めた。
やがて先生が教室へ入り、号令とともに午後の授業が始まる。
俺は照沢が机の中央に広げてくれた教科書を横から覗き込みながら、いつもより少し窮屈な姿勢で授業を受けるのだった。




