Interlude Ⅳ - 何も知らなかった -
ボウリング場を出た私たちは、そのまま併設されているショッピングモール内のフードコートへ向かった。
休日のお昼時ということもあって、フードコート内はたくさんの人で賑わっている。
未萌の「オムライス食べたい!」という一言で昼食は決まり、私と想川くんが席を確保して、愛葉くんと未萌が注文へ向かうことになった。
二人の背中が人混みの中へ消えていくのを見送ってから、私は椅子に腰を下ろす。
「いやー……腹減ったー」
向かいに座った想川くんが、テーブルの上にぐったりと突っ伏した。
「七ゲームだぞ、七ゲーム。腹も減るって」
「三人ともすごいよね。私、三ゲームでもう限界だったよ」
「いや、普通はそうだから。七ゲームがおかしいんだって」
「ふふっ。未萌、負けず嫌いだから」
「勝つまでやるって言い出した時の目、怖かったもんな……」
「でも、最後には勝ててすごく嬉しそうだったよね」
「まあなー。俺はもう五ゲーム目くらいから、勝ち負けとかどうでもよくなってたけど」
楽しそうに笑う想川くんにつられて、私も笑った。
ボウリングの結果は散々だったけれど、楽しかった。愛葉くんにボールを選び直してもらってからは、少しだけ上手く投げられるようにもなったし。次に来ることがあったら、もう少し良い勝負ができるかもしれない。
そんなことを考えていると、想川くんが「あ、そういやさ」と声を上げた。
「俺、驚いたんだよな。恋ヶ淵さんと伊織、いつの間にあんな仲良くなったんだ?」
「仲良く?」
「ちょっと前まで全然話してなかったんだろ? それが今じゃ普通に一緒にいるし。しかも伊織が恋愛相談の手伝いって、あいつらしくないことしてるから余計に驚いた」
そこで一度言葉を切ってから、想川くんは何気ない調子で続けた。
「あいつ、中学の時に色々あってから、恋愛とか興味ないってスタンスずっと貫いてるじゃん」
「中学の時に色々?」
「……あれ?」
想川くんの表情が固まった。それから、しまったとでも言いたげな顔で私を見る。
「もしかして……その話って、まだ聞いてなかった?」
「うん」
私は小さく頷いてから、そういえばと思い出した。
「でも、そう言われると……確かに愛葉くんって恋愛の話になると……なんていうのかな。ちょっと消極的っていうか、悪い結果の方を考えてることが多いかも」
「あー……まあ、そうだな」
想川くんの表情が、少しだけ曇った。
ずっと気になっていた。どうして愛葉くんは、恋に対してあんな考え方をしているのだろう。
恋は、人を幸せな気持ちにするものなのに。
誰かを好きになることは、とても素敵なことなのに。
どうして彼は、そう思えないんだろう。
「中学の時、何かあったの?」
気付けば、そんな質問を口にしていた。想川くんはすぐには答えなかった。
「んー……」
困ったように頭を掻いている。その様子を見て、聞くべきじゃなかったとすぐに思った。
「あ、ごめん。無理に話さなくていいからね」
「いや……」
「愛葉くんが知られてほしくないことなら、私が勝手に聞くのもよくないと思うし」
想川くんが、じっと私を見る。何かを考えているような目だった。やがて、彼は小さく息を吐いた。
「まあ……恋ヶ淵さんならいいか」
少し迷うような間を置いてから、静かに話し始めた。
「あいつ、中一の頃から好きだった女子がいたんだよ。それが伊織の初恋」
「……初恋」
その言葉を、思わず繰り返す。なんだろう……言葉にできないような感覚が、胸の奥にたちこめた気がした。
「結構長いこと好きだったみたいでさ、俺もよく相談されてた。話しかけたいけど何話せばいいんだー、とか。今日目が合った気がするー、とか」
「愛葉くんが……?」
今の愛葉くんからは、まるで想像できない姿だと思った。
「それで中二の冬に、その子から伊織、告白されたんだよ」
「……え?」
「俺もびっくりした。伊織なんてもっとびっくりしただろうな。ずっと好きだった相手から告白されたんだから」
「じゃあ……付き合ったの?」
「ああ。伊織、すげえ照れてたけど嬉しそうだったよ。普段はカッコつけてるくせにさ、ずっとニヤニヤしてんの。俺がからかったら、うるせえって怒ってたけど」
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。
ずっと好きだった人から告白されて、すごく嬉しかったんだと思う。それこそ、夢に見ていたような瞬間だったのかもしれない。
なのに……どうしてだろう。いつものように、恋の話を聞いても感情は高ぶらなかった。
「でも、一週間くらいで終わった」
「……え?」
想川くんの声色が変わった。さっきまでの笑みも消えている。
「嘘告ってやつだったんだよ」
その言葉の意味を理解するまでに、少しだけ時間がかかった。
「……うそ、こく?」
「罰ゲーム。仲間内でなんかやってて、負けた奴が伊織に告白するっていう罰ゲームだったらしいぜ」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「だから、その子は多分……伊織のこと、好きでもなんでもなかったってわけ」
先ほどまで温かかった胸の奥が、すっと冷たくなるのを感じた。
「それが分かって……一週間で終わり」
私が何も声を出せないでいると、想川くんが寂しそうに笑った。
「あいつにとって初恋だったし、ずっと好きだった相手だったからな。しばらく塞ぎ込んでさ。学校でもほとんど喋らなくなった。それからだな、あいつが恋愛とかどうでもいいって言うようになったの」
今までの愛葉くんの言葉が、次々と頭の中に蘇った。
恋をすれば、傷付くかもしれない。気持ちを伝えれば、今までの関係が壊れるかもしれないと彼は言っていた。
依子ちゃんの相談を聞いた時、愛葉くんは、好きだと伝えることより、その先で何かを失ってしまうことを気にしていた。
でも私は、気持ちは伝えた方がいいって。恋は素敵なものだから。誰かを好きになることは、とても幸せなことだから。そう言った。
何も知らないくせに。愛葉くんがどうして恋に臆病になったのか。どうして傷付くことを怖がっているのか、何も知らなかったくせに。
愛葉くんの気持ちを思うと、自然と頬に何かが伝っていた。
「えっ、恋ヶ淵さん!?」
想川くんが素っ頓狂な声を上げる。頬に触れると、指先が濡れている事に気付く。
「あ……あれ?」
自分でも気付かないうちに、涙が流れていた。慌てて拭うけれど、止まらない。拭っても、拭っても、次から次へと涙が溢れてくる。
どうして……どうして、こんなに苦しいんだろう。
『私ね、人の恋の話を聞くのが、すごく好きなんだ』
『他人の幸せを見て自分まで幸せな気持ちになれるっていうのは、素敵なことなんじゃないか』
初めて話した、あの日。私は愛葉くんに、自分がどれだけ恋というものが好きなのかを話した。
恋は素敵だと。人の恋を見ているだけで、幸せな気持ちになれると。
そんな私を、愛葉くんは否定しなかった。自分には理解できないと言いながらも、素敵なことだと言ってくれた。
自分は、恋で傷付いたことがあるのに。
「私……何も知らなかった……」
「恋ヶ淵さん……」
「何も知らないのに……愛葉くんの前で、恋は素敵だとか……そんなことばっかり……」
恥ずかしかった。悔しかった。愛葉くんが抱えていたものを何一つ知らずに、私は自分の好きなものを無邪気に語っていた。
それでも彼は、私のことを変だとは言わなかった。むしろ、素敵なことだと言ってくれた。そのことを思い出すほど、涙が止まらなくなる。
想川くんは向かいの席で完全に狼狽えていて、何度も私と周囲を交互に見ている。
そんな彼の姿を見ても、頭の中に浮かぶのは愛葉くんのことばかりだった。
初恋の相手から告白されて。ずっと好きだった人と付き合えて。きっと嬉しくて、幸せで。
それが全部、嘘だったと知った時。愛葉くんは、どんな顔をしていたんだろう。どれだけ傷付いたんだろう。
また一粒、涙が頬を伝った。




