008話:恋ヶ淵さんと幼馴染への恋①
無事に中間考査を終えた翌週の日曜日。
俺は約束通り、学校最寄り駅近くのカフェへと足を運んでいた。
先に店の中へ入っていようかとも思ったが、考えてみれば俺は相談者の顔を知らない。入口で恋ヶ淵さんが来るのを待っていた方が無難だろう。
というか、さらによく考えてみれば、恋ヶ淵さんに恋愛相談を持ちかける人物は、見知らぬ男が隣にいても問題ないのだろうか。普通に考えたら嫌じゃないだろうか。
今更になって、帰った方がいいような気がしてきた。相談者が陽大ならまだしも、他校の女子生徒からの恋愛相談を見知らぬ男子生徒が聞くというのは、どう考えても変だ。
帰ろう……そう思い、足を家へと向けた時だった。
「愛葉くん?」
聞き慣れた澄んだ声に呼び止められ、足が止まる。
「待たせちゃった?」
振り返った先にいたのは、間違いなく恋ヶ淵さんだった。ただ、いつも学校で見ている彼女とは印象が違って見えた。白いブラウスに、淡い水色のロングスカート。肩からは小さめのショルダーバッグを下げている。派手さのない落ち着いた服装なのに、彼女が着ているだけで目を惹かれてしまう。
「……愛葉くん?」
「あ、ああ。おはよう」
恋ヶ淵さんが、にこりと笑う。学校では毎日のように隣の席に座っている相手なのに、制服ではないというだけで、どうしてこんなにも違って見えるのだろう。
「どうかした?」
「いや、私服なの珍しいなって思って」
「分かる。学校でしか会ったことないから、なんだか不思議な感じがするよね……変かな?」
恋ヶ淵さんが、自分の服装を確かめるように視線を落とす。
「昨日、何着ていこうか結構悩んじゃって」
「え?」
「あ……」
なぜか恋ヶ淵さんが固まった。それから、誤魔化すようにスカートの裾を軽く整える。
「ほら、相談に来てくれる子と休日に会うわけだしね。あんまり変な格好で行くのも失礼かなーって」
「ああ……なるほど。別に変じゃないよ。似合ってると思う」
「……そっか」
恋ヶ淵さんは、ぱちぱちと瞬きをしたあと、ほんの少しだけ嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
その笑顔を見た瞬間、なんとなく目を合わせているのが気恥ずかしくなり、俺はカフェの入口へと視線を逃がした。
「それより、相談する子は?」
「もう中で待ってくれてるみたい。さっき連絡きたよ」
ここまで来ておいて、今更逃げ出すことはできないらしい。俺は緊張を誤魔化そうと小さく息を吐いてから、恋ヶ淵さんと並んでカフェへと入った。
店内は休日ということもあって、多くの客で賑わっていた。打ちっぱなしのコンクリートに木目の家具を合わせた、明るく開放的な造り。大きな窓から陽光が差し込み、並んだテーブル席の向こうには、道路沿いの緑が広がっている。
「依子ちゃんは……あ、いた」
恋ヶ淵さんの視線を追う。店の奥、窓際の席に一人の女子が座っていた。俺たちに気が付いたのか、こちらへ向かって控えめに手を上げている。
「真奈ちゃん、こっち」
「お待たせ、依子ちゃん」
俺も恋ヶ淵さんの後に続き、彼女の待つ席へと向かった。
片瀬依子。メモ用紙に記載されていた、恋ヶ淵さんに恋愛相談を持ちかけた人物だ。
肩より少し長い黒髪を真っ直ぐに伸ばし、前髪も綺麗に切り揃えられている。真面目そうな、どこにでもいそうな普通の女の子。そんな第一印象だった。
「久しぶり。高校に入ってから全然会ってなかったよね」
「うん。真奈ちゃん、変わってないね。相変わらずオーラ半端ないんだけど」
「オーラなんてないって……依子ちゃんも元気そうでよかった」
二人が久しぶりの再会を喜ぶように言葉を交わす。
さて、問題はここからだ。俺は片瀬さんとは初対面。しかも、これから彼女が話すのは恋愛相談だ。
やっぱり俺、いない方が――。
「あ、愛葉くんだよね?」
「……え?」
突然名前を呼ばれ、間の抜けた声が出た。片瀬さんは俺を見ると、軽く頭を下げる。
「真奈ちゃんから聞いてるよ。恋愛相談のお手伝いをしてるんだよね?」
「あ、ああ。まあ……今日が初めてだけど」
「今日はよろしくね」
「……こちらこそ」
俺がここに来ることは事前に伝えられていたようだ。さっきまで一人であれこれ心配していたのが馬鹿らしくなってくる。
俺たちは席に着くと、注文を済ませた。俺はアイスコーヒー。恋ヶ淵さんはカフェラテ。片瀬さんはアイスティー。
しばらくして、注文した飲み物が運ばれてくると、それまで懐かしそうに恋ヶ淵さんと話していた片瀬さんの表情が少しずつ硬くなっていった。両手でグラスを包み込みながら、視線を落とす。
「今日は時間作ってくれてありがとう」
「ううん。全然いいよ」
「誰に相談したらいいのか分からなくて……それで、真奈ちゃんのこと思い出したの」
「私でよければ、いくらでも話を聞くよ」
「ありがとう」
片瀬さんが小さく笑う。けれど、その笑顔はすぐに消えてしまった。
何かを言おうとして、躊躇う。アイスティーへ視線を落としたまま、しばらく沈黙したあと、彼女は意を決したように顔を上げた。
「私ね……好きな人がいるの」
その一言で、恋ヶ淵さんの表情が変わった。
「うん」
目をキラキラと輝かせ、今にも身を乗り出しそうになるのを必死に抑えている。
恋ヶ淵さん……相談者は真剣なんだから、ちゃんと真面目に聞くんじゃなかったのか。まあ、本人なりに大真面目なのだろうけど。
「その人、幼馴染なんだ。小さい頃からずっと一緒で家も近くて。小学校も中学校も同じだった」
「高校は?」
「うん。同じ高校。離れるのが嫌で、同じ志望校にしちゃった。昔は、本当にただの幼馴染だったんだけど……いつからだったかな。気付いたら好きになってた」
片瀬さんが困ったように笑う。
「でも、ずっと一緒にいたから……今更なんだよね。向こうは私のこと、女の子として見てないと思う。普通に家に来るし、二人で出かけることもあるけど、友達としてっていうか……だから、告白したいとは思ってるんだけど……できなくて」
グラスを握る片瀬さんの指先に、少しだけ力が入った。
「もし気持ちを伝えて、向こうが私のことをそういう風に思ってなかったら、今までみたいにはいられなくなるかもしれないでしょ? それが怖いの」
恋ヶ淵さんは口を挟まず、静かに片瀬さんの言葉を聞いている。
「今だって一緒に帰ったり、休みの日に遊んだりしてる。それだけでも十分楽しいし、このままでいれば、ずっと仲のいい幼馴染でいられるかもしれない……でも、このままずっと、ただの幼馴染でいるのも嫌なの」
好きだから、気持ちを伝えたい。でも、伝えたことで今の関係が壊れてしまうのが怖い。進みたいのに、進めない。
片瀬さんが本気で悩んでいることは、恋愛に疎い俺にだって分かった。
「私……どうしたらいいのかな」
小さな声が、テーブルの上へと落ちる。恋なんて、したところで傷付くだけだ。そんな風に思っている俺に、片瀬さんの悩みに対して掛けられる言葉なんて、何一つない。
俺はアイスコーヒーのストローを指先で弄りながら、やっぱり自分は場違いなんじゃないかと居心地の悪さを感じていた。




