第4話 見捨てられた女剣士
その夜、俺は普段なら近づかない南の排水路へ向かった。
銀翼の牙の札入れに残っていた幻の中で、女は「上へ」と叫んでいた。下じゃない。なら、迷宮から上へ押し上げられる場所――崩落坑とつながる排水路しか思いつかなかった。
月も薄い。石壁は濡れ、鼻を刺す臭いがする。
「最悪だな」
独り言を漏らした時、奥の闇でかすかな金属音が鳴った。
剣先が石に触れたような音だ。
俺は歩幅を殺して進む。荷重歩法のおかげで、水を踏んでも音がほとんど立たない。
やがて、崩れた格子の向こうに人影を見つけた。
女だった。
金に近い茶髪が泥で汚れ、肩当ても胸当てもひどく割れている。それでも抱えた剣だけは手放していなかった。
「おい」
声をかけると、女は反射的に剣を向けてきた。
速い。
怪我人の動きじゃない。
「近づくな」
かすれた声だった。
「分かった。近づかない」
俺は両手を上げる。
女はじっと俺を見たあと、苦しそうに呼吸を吐いた。限界だったのだろう。剣先が震え、膝から崩れ落ちる。
慌てて駆け寄ると、脇腹が深く裂けていた。応急処置はされているが、雑だ。止血だけして捨てられた傷だ。
「誰にやられた」
「……仲間」
やっぱり、と思った。
「銀翼の牙か」
女の目が鋭くなる。
「なんでその名を知ってる」
「あんたの遺品を拾ったわけじゃない。だが、荷運びの鞄と、あいつらの札入れが変なところで繋がってる」
女はしばらく黙っていた。
それから、小さく吐き捨てるように言う。
「私はセリア。臨時で銀翼の牙に雇われた」
中層遠征の護衛不足を埋めるため、高い金で呼ばれたらしい。
「でも、連中は最初から探索をする気なんかなかった。欲しかったのは、封鎖区画の向こうにある“英雄の遺品”だけ」
「英雄?」
「アーク・ヴァレント。三十年前に迷宮を封じた英雄。そう記録されている男よ」
セリアは壁にもたれ、唇を噛んだ。
「でも現場にあったのは、英雄の祠なんかじゃなかった。人為的に塞がれた通路と、隠された遺体、それと……銀翼の牙が見られたくない何か」
そこで彼女は斬られ、囮として置いていかれたのだという。
「荷運びの少年も、見たのか」
「トーマ?」
名前を言った瞬間、セリアの顔が歪んだ。
「あの子、荷物持ちじゃないわ。証拠を運ばされてた。私に、これを渡すために」
彼女は血に濡れた腰袋から、小さな銅鍵を取り出した。
未練の色が濃く灯る。
『届けろ』
また、死者の声。
トーマの最後の願いはまだ終わっていない。
「立てるか」
俺が聞くと、セリアは鼻で笑った。
「無理に決まってるでしょ」
「じゃあ運ぶ」
「回収屋が剣士を?」
「あんたも今は遺品みたいなもんだ」
言った瞬間、睨まれた。
でも、その目の奥に、少しだけ生きる気配が戻った気がした。




