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香りの魔女と王宮の冷徹参謀  作者: 佐倉穂波


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35 選択

 デュークとイリオンの処遇について、ミアにも意見が聞かれた。


「最もこの件で被害を受けたのは君だ。彼らの処遇について、君にも意見を聞くべきだと判断した」


 そうミアに告げたアレックスの声は、兄としてではなく、国王のものだった。


 ミアはレオンの執務室を訪れていた。室内は、人払いがされている。

「クマができているな。眠れなかったのか」

 感情の薄いいつもの声だったが、その中に心配する気配があった。

「目が冴えてしまって……」

「色々と、あったからな」

 それ以上、レオンは言わなかった。もっとも、そういう彼の目元にも、よくよく見ればうっすらとクマが出来ている。事後処理に追われ眠れていないのは、レオンも同じだろう。

「魔法庁副長官とイリオンの処遇についてだったな」

 本題をレオンが切り出した。

「はい……処罰は、望みません」

 ミアは真っ直ぐにレオンと視線を合わせ、告げた。レオンの目がわずかに細められる。


「理由は?」


 短く、端的な問いだった。そこに非難も同情もない。ただ判断材料を求める声。ミアは一度、息を整えた。


 デュークの顔が浮かぶ。イリオンの、掴みどころのない笑みも。彼らは確かに事件を起こした。王宮に混乱を招き、ミアを危険に晒した。それでも——


「……あの人たちは、前魔法長官の思想に巻き込まれたのだと思います」


 静かに言葉を選ぶ。


「迷いがなかったとは……思えないのです」


 完全に思想に染まっていたのなら、ミアはここにいないだろう。あの瞬間、デュークにはわずかな躊躇があった。それが確かにあった。


 ミアも、この処罰を決めるときに迷った。断罪することもできた。けれど、心の奥で何かが引き留めた。もし彼らに、ほんのわずかでも人としての揺らぎがあったのなら——それを否定する選択は、したくなかった。


「私は……その迷いを信じたいのです」


 顔を上げる。


「そして、自分も負けたくありません。憎しみに飲み込まれることに」


 実の母アイリスの死も、ミアが魔力を封じられ王宮から遠ざけられたことも、ヴァルガスという男の執念によるものだ。その思想を受け継いだデュークを憎むことも出来た。でも、ミアはそうしたくなかった。


 レオンは沈黙した。やがて、ゆっくりと口を開く。


「本当に、それで良いのか」


「はい」


 迷いのない返答だった。レオンはわずかに息を吐く。


「承知した。ただ、周囲に与えた影響は少なからずある。それらを考慮した処遇を調整しよう——謹慎処分くらいが妥当だろう」


「はい。それで構いません。よろしくお願いします」


 ❊❊❊❊❊


 公的には、こう発表された。枯れた花の事件は、デュークが試作していた魔道具の暴走による事故。禁書盗難については、いつの間にか書庫へ戻されていた。机の上には一枚の紙が残されており、そこには『返すね』とあった。イリオンらしい、気の抜けた文字だった。


 とはいえ、王宮に混乱を招いた責任は重い。二人は謹慎処分となり、それで事件は幕を閉じた。ちなみに、ミアが居なくなったことは、空き部屋で作業中に鍵が掛かり閉じ込められてしまったということになっている。


 王宮は表向き平静を取り戻した。だがミアは知っている。これは終わりではなく、自分が選んだ始まりだということを。


 ❊❊❊❊❊


 数日後、離宮での再謁見が設けられた。待っているのはルシアンとアレックスだけだった。


 陽の差す小さな応接室は、豪奢ではないが落ち着いた空気があった。二人の前に立つと、胸がわずかに強張る。自分が王女だという事実は、まだ実感がない。血が繋がっていると知っても、これまでの自分が消えるわけではないのだから。

「処遇については聞いている」

 ルシアンの声は穏やかだった。

「君の選択だ。尊重する」

 アレックスも柔らかく微笑む。

「ミアらしい決断だと思うよ」

 その言葉に、少しだけ緊張が和らいだ。

 ミアは深く息を吸った。

「……まだ、王女だという実感はありません。何をすべきかも、分かりません」


 沈黙が落ちる。逃げ出したくなるような重さではない。考えるための静けさだった。

「ですが——今、したいことはあります」

 二人の視線が向けられる。

 ミアは、その視線から目を逸らさず、はっきりと自分の気持ちを言葉にした。

「もっと、香術を学びたいのです」

 王女である前に、自分は香術士だ。

 アイリスから受け継いだ香術の才と、セレナから教えてもらった魔術の知識。それを、自分のものとして育てていきたい。


「私は、まだまだ未熟です。力を正しく扱えるようになりたいのです」

 誰かに期待されたからではない。自分の意志で。

 やがてルシアンが頷いた。

「急ぐ必要はない」

 低く、揺るぎない声だった。

「ここは君の家だ。王女であろうとなかろうと——君は私の娘だ。それは変わらない」


 胸が、静かに熱を帯びる。先日アレックスから贈られたものと同じ言葉を、今度はルシアンが口にした。


 アレックスが続ける。

「君には帰ってこられる場所があることを、覚えていてくれたら良いんだよ」

 ミアはゆっくりと頭を下げた。

「……ありがとうございます」

 まだ覚悟は固まりきっていない。それでも、逃げないと決めた。自分の足で、選び続けると。


 ❊❊❊❊❊


 離宮を出ると、夕暮れの風が頬を撫でた。庭に咲く花の香りが、やわらかく漂う。


 目を閉じると、香りの層が重なり合うのが分かった。微かな違い、揺らぎ、調和。香りは単純ではない。甘さの奥に苦みがあり、澄んだ中に濁りが混じる。人も、きっと同じだ。迷いがあるからこそ、選べる。


 ミアは静かに息を吸い込んだ。


 自らの意志で歩む未来を、静かに選び始めていた。

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