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香りの魔女と王宮の冷徹参謀  作者: 佐倉穂波


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34 悔恨(ルシアン視点)

 王宮から少し離れた離宮は、夜更けになると昼間よりも更に静寂に包まれる。


 ルシアンは椅子に座り、目を閉じた。


 胸元に手を伸ばす。鎖に通した銀色の指輪を、優しく握りしめる。この十七年、この指輪に触れぬ日はなかった。長い年月でわずかにくすんだその銀を、あえて磨かずにいた。彼女と過ごした時間が、そこに染み込んでいる気がしていたから。


 その指輪が、今日、記憶を見せた。


「……ミリアリア」


 娘の名を、小さな声で呟く。生きていた。禁呪で消滅したと報告された我が子は、生きていた。そして真実も知った。アイリスは、死者を蘇らせようとしたのではない。国を守り、娘を守るために禁呪を使ったのだ。


 だが。知ったからといって、過去は変わらない。


 ルシアンは椅子に深く身を沈め、息を吐いた。


 ◇


 記憶が、否応なく浮かび上がる。


 初めて会ったとき、アイリスは真っ直ぐな瞳でルシアンを見た。王だからといって媚びることも、臆することもなく。


「私は国のために力を使います。派閥のためではありません」


 その言葉は、彼女の全てを表していた。強く、揺るがない。その意志の強さに、ルシアンは惹かれた。王としてではなく、一人の男として。


 縁談の噂を聞いたとき、ルシアンはなりふり構わず求婚した。アイリスは慎重だった。それでも、最終的に彼女はルシアンを選んでくれた。


「あなたの熱意に負けたわ」


 呆れたように、けれど嬉しそうに笑っていた。それくらいしつこく求婚した自覚はあったから、ルシアンは何も言い返せなかった。


 王妃となってからも、アイリスは変わらなかった。国を想い、民を想い、傍らに立ち続けた。


 王女が生まれた夜のことを、ルシアンは今でも鮮明に覚えている。


 知らせを受けて駆けつけたとき、アイリスは疲労で顔色を失っていた。それでも腕に小さな赤子を抱き、微笑んでいた。柔らかな、母の顔で。


「どうか、この子が健やかに育ちますように」


 その願いは、ささやかで、ただの母のものだった。王妃としてではない。ただ、この子を愛している母の言葉だった。


 ルシアンは赤子の小さな頬に触れた。温かかった。こんなにも小さいのに、確かに生きていた。


「次は、アレックスも連れてこよう」


 妹の誕生を楽しみに待っていたアレックスは、夜中のため連れてきていなかった。


「そうね。明日はアレックスと一緒に来て下さい」


 アイリスも、そう言って微笑んだ。


 しかし、その"次"は、来なかった。


❊❊❊❊❊


 禁呪行使の報告を受けたとき、ルシアンは最初、意味が理解できなかった。


 赤子は消滅。アイリスは拘束。


 アイリスが禁呪を使うなどあり得ない——そう思った。しかし証拠は揃っていた。彼女の部屋には禁呪の痕跡が残されており、アイリス自身も使用を否定しなかった。拘束された部屋で、ただ沈黙を貫いた。


 国王として、調査を命じるしかなかった。禁呪の痕跡がある以上、拘束を解除することはできなかった。


 なぜ黙っているのか。なぜ何も言わないのか。


 問いかけることも、許されなかった。


 そして数日後、獄中で病に伏していたアイリスは、そのまま息を引き取った。死に目に会うことも、できなかった。


 アイリスの遺品はすべて、罪人のものとして処分された。だが、この指輪だけは処分できなかった。初めて彼女に贈ったものだった。これを失えば、彼女との日々まで消えてしまう気がした。だから鎖を通し、首に掛けた。



 指輪を、ルシアンは強く握る。


 あの記憶を見たとき、すべてが繋がった。禁呪を発動する直前のアイリスの表情。国を守る覚悟。そして、母としての選択。最後まで、私欲ではなかった。やはり彼女は、国を想っていた。娘を守っていた。


 なぜ黙っていたのか、今ならば分かる。


 言えば、娘の居場所が露見する。だから彼女は、何も言わなかったのだ。


 その事実が、胸を締めつける。


 ルシアンは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。夜空は澄んでいた。


「……アイリス」


 声は、誰にも届かない。瞼を閉じる。一筋の涙が、静かに頬を伝った。音もなく落ちたそれは、指輪の銀に小さな痕を残した。


 王ではない。ただの男の涙だった。

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