表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
香りの魔女と王宮の冷徹参謀  作者: 佐倉穂波


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/41

32 指輪の記憶

 ミアの魔力。

 前国王ルシアンの魔力。

 そして、ルシアンの胸元で光る指輪から溢れた魔力。


 絡み合った三つの魔力は、やがてゆるやかな渦を描きながら指輪へと吸い込まれていった。


 そしてーー

 

 指輪の上に淡い光の膜が張る。

 水面のように光の膜がゆらめき、その内側に、ゆっくりと人影が浮かび上がってくる。


 春の陽を閉じ込めたような淡い金髪が肩口でやわらかく揺れる。。

 琥珀色に宿る、穏やかな視線。

 静かで思慮深そうな微笑み。


「……アイリス」

 ルシアンの掠れた声が聞こえた。

 それは名を呼ぶというより、思わずこぼれ落ちたつぶやきのようだった。

 アレックスも、瞬きを忘れたかのように映像を凝視している。


 指輪の映像の中の女性――アイリスは、腕に小さな赤子を抱いていた。

 白い産着に包まれた、まだ生まれて間もないであろう赤子だった。

 かすかに身じろぎ、小さな指を握りしめている。

 映像のはずなのに、不思議と温度を感じた。


 アイリスは一度、その小さな命を見下ろし、指先で頬を撫でる。

 それから、ゆっくりと視線を上げた。


「……ルシアン」

 アイリスはルシアンの名を呼んだ。まるで、本当に彼が目の前に居るように。

「魔塔の中に、王宮の力を削ごうとする動きがあるわ」

 穏やかな声。

 けれどその瞳の奥には、拭いきれない疲労の影が差していた。

「表立った動きは、いまはまだ起きていない。でも、水面の下では確かに流れが変わっているの。静かな流れほど、気づいたときには止められないものよ」

 腕の中の赤子が小さく声を漏らす。

 アイリスはすぐに揺らし、あやす。

「魔術師が、王に従う者ではなく、自らが主となる未来を望む者がいるの。王宮の庇護を受けるのではなく、王宮を従える未来を」

 王宮を従えるーーつまり、王位転覆を狙う者がいるということ。それは、デュークの父ヴァルガス・エルヴァインの事を示していた。

 そこで、アイリスの視線がわずかに伏せられる。

「そのために、利用できるものは、なんでも利用するでしょう」

 赤子を、きゅっと抱き寄せる。

「この子の香りは、私と同じ。香術の才を持っているの……いえ、それ以上かもしれない」

 一瞬、まぶたが閉じる。

「このままでは、この子は間違いなく重い運命に巻き込まれてしまう……そうなれば、王宮……いえ、国を巻き込んで混乱を生じてしまうでしょう」

 アイリスの声は、悲しみの色が滲んていた。

 その指先が、わずかに震えているのが見えた。

「だから私は……この子に、禁を犯すわ」

 顔を上げたアイリスの瞳には、運命を変えるという強い意思を抱いていた。

「この子の魔力を封じる。そして王宮から遠ざけるわ。名も、身分も、すべて隠して」

 言い切ってから、アイリスは小さく息を吐く。

「何度も考えたの」

 瞳に、少しの揺らぎが生じた。

「何度も、この子を抱きしめて、何度も迷った。力を奪うことが、この子の幸せなのかと。王女として生きる未来を、私が断ってしまっていいのかと」

 赤子の額に、そっと唇を寄せる。

「でも……ほかに道が見つからなかった」

 その一言に、すべてが詰まっていた。

「この子のことは、セレナに託すわ」

 セレナーーミアの母の名前。

「セレナなら、私の代わりにこの子守ってくれる」

 アイリスの言葉に、ミアの胸はドクンと脈打つ。自分にとって、とても重要な話をしている気がする。

「この子には、王宮とは関わらず、何の陰謀にも巻き込まれずに、生きてほしい。ただそれだけを願うわ」

 赤子に向ける、慈愛に満ちた眼差し。

「でもね、絶対の安心なんて、どこにもない。私はそれを知っている」

 視線が、まっすぐにこちらを射抜いた。

「だから、もしも。もしもこの子が運命に引き戻されることがあったなら……そのときのために、この映像を残すことにしたの」

 白銀の指輪が、静かに光を強める。

「この子の魔力と、ルシアンの魔力。そして、この指輪に込めた私の想い。それが揃ったとき、私は目覚めるようにしたわ」

 アイリスは、この子と言った。


 アイリスは、もう一度赤子を見下ろす。

「……私の命は、あまり永くないみたいなの」

 穏やかなままの声。

 けれど、瞳には涙が溢れていた。


「ルシアン。アレックス。愛しているわ」

 そして、ほんの一拍の沈黙。

「そして、あなたも――」

 赤子ではなく、アイリスの視線は前を向いていた。まるで、目の前のミアを見ているようだった。

「ミリアリア」

 ミアはこれまで、ミリアリアと呼ばれたことはない。

 なのに、はるか昔、彼女の優しい声で呼ばれたことがあるような、そんな気がした。

「あなたには、ただ、幸せに生きていてほしい。それだけでいいの」

 ミアの頬に、涙がひとすじ頬を伝う。

「王宮に戻ることも、戦うことも、望んでいない」

 それでも、目は逸らさない。

「……でも、この映像を見ているということは」

 小さく息を吸い、

「やっぱり、戻って来てしまったのね」

 その声には痛みがあった。

 けれど同時に、確かな安堵もあった。

「願わくば、あなたが幸せになれますように」

 赤子を抱きしめる腕に、力がこもる。


 光が揺らぎはじめる。

「どうか、自分の香りを見失わないで。誰に奪われることもなく、あなたが選ぶ道を歩んで」

 最後に、春の陽だまりのような微笑みが浮かぶ。

「私は、いつでもあなたの味方よ」

 光がほろほろと、ほどけていく。

 そして、水に溶けるように消えていった。


 誰も、すぐには言葉を発せなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ