答え合わせ
有美ちゃんがそのしなやかな体を扉の中に投下するのを僕は手伝っていた。
自然と彼女の左手をつかみ、扉の中に体重をうまく持っていけるように支えていた。
それまでの僕は、ひとを好きななったことは人生で三回あったが、こうして異性と手を繋ぐなんて体験は一度もなかった。
学生時代にキャンプファイヤーを囲みながらダンスを踊る文化なんてこの街にはなかったし、誰かと手を繋ぐ必要性なんて僕の人生の中には全く存在していなかった。
それもあって、いまこうして鋤きな人の手を何事もなくつないでいることが不思議でならなかった。
そして、さらに不思議なことに好きな人なのに、高揚感も興奮も微塵も感じなかった。
きっと、人がこうして極限に近いような状態だったり、廃墟の一室に空いた穴に入ろうとする非現実な行動をとると感情がよく分からなくなるんだろうなとなんとなく思った。
「どう?大丈夫?」
有美ちゃんが胸元まで体を穴に沈めていく。
「うん、大丈夫そう。荒木さんあんなにスムーズに入っていったのすごいね。意外と中は狭くはないけれども、広くもない。あと、階段は思ったよりも急で、足を置く幅は狭いみたい」
「ゆっくりでいいよ」
「うん」と有美ちゃんが言うと、さらにその体を穴に進めていった。
少し予想はしていたが、有美ちゃんは割と胸が大きいらしいので、穴に少しつっかえながらからだ全身を穴に埋めた。
「えへへ」「ごめんね」とはにかみながら、申し訳ないといったふうにその豊かに育った胸を穴に納めた。
僕はこの施設にはいるときにドアに胸が挟まっていたこともあったなと遠い記憶を思い出していた。
「足元が暗闇で見えにくいと思うから、携帯電話の明かりで照らしながら行くといいよ」
「うん、そうする」
「僕も続くよ」
「わかった」
有美ちゃんが完全に暗闇の中に紛れて30秒ほどたった後、携帯電話の明かりが見えなくなり、足音が聞こえなくなったのを契機に僕も扉の中に両足を差し入れた。
あまり距離が近すぎると、有美ちゃんとぶつかってしまったり、僕が階段を踏み外してしまったとき怪我をさせる恐れがあったから間隔は十分にとりたかった。
有美ちゃんが言っていたとおり、思っていたよりも狭くはないが広くもなかった。
サイズとしてはA4サイズの大学ノートを開いて4つ並べて一回り小さくしたくらいの大きさだった。
階段は簡素な作りだった。
鉄板ような足触りではなかった。
でもそんなに柔な間隔はしなかった。
階段を降りる前に、やらなければいけないことがある。
「アイリ、そのあと何か手がかりは掴んだりしたか?もしかすると、地下に降りたら連絡が取れなくなるかもしれない。その前に話しておきたい」
「今のところは手がかりはなし。あのとき、なぜここが犯人の居場所だと分かったのか、いろいろ検証を重ねてみたけれども、確証は得られなかった。でも、そのときは確実にここだと分かったのよ。ここの位置情報が入ってきて、座標もすべて狂いなくここだった」
「もしかすると、有美ちゃんが関係あるのかな?一度誘拐されているから、そのときの場所がここだったのかもしれない」
「それはあり得る仮説ね。だとすると、ここが犯人の居場所ということもあながち間違いではないわね。でもなぜ吉岡有美と電話をしたときにここの位置情報がわたしに取り込まれたかが謎なのよね」
「ここがスーパーAIの腕の見せ所だぞ」
「そんなこと分かってるわ。でも今回の件は、ただの誘拐事件じゃないのよ。裏で何者かが操っているのは事実。そしてそれは表組織のものではない。国家に関わるものでもない。政治絡みくらいの情報なんて、私の力があればすぐにセキュリティの壁を壊して、情報の海の中にダイブできるもの」
「それがわかっただけでも手柄だよ。やっぱり警察でもお手上げって訳だな。父さんには申し訳ないけど、僕ががんばるしかなそうだな」
アイリを見ると、時刻はすでに12時10分を指していた。
果たして、僕らは何時にいつもの寝床につけるだろうか。
それとも永遠の寝床につくことになるだろうか。
それはこの地下を降りてみないと分からない。
空振りでもいい。
可能性は少しでも当たっていきたい。
「電波が完全に遮断される前に教えてほしい。じゃあ引き続き協力をお願いします」
「もちろんよ、ヨージのためだもん」
「いつもありがとう」
アイリに微笑んで僕は、携帯電話を握りしめ体を闇の中に沈めた。
有美ちゃんはいまどこだろうか?
荒木さんはもう階段を登り終えただろうか?
荒木さんが折り返してきていないことを考えると、きっとまだ階段をくだっているはずだ。
彼の性格でいえば、物事を中途半端にはしない。
つまり階段を下り終えて、そこで辺りを調査し、何事もないことを確認した上でしか上には戻らないということだ。
有美ちゃんもおなじだと思う。
穴の中の空間はなんだか変な言い方だが、居心地がよかった。
確かに空気は冷たく、四方八方が土を掘っただけの割と雑な穴だ。
だけれども、何故かあまり不安な気持ちにはならないものだった。
両手を前方と横の壁のへりにつけながら、一歩一歩下っていく。
こんな穴、誰がなんの目的で作ったのか?
調理場を考えると食料の貯蔵庫か?
それとも工事の際の水道管をわたすときの残骸か?
いろんな考えが浮かんだが、その全てはどれも確信がないものだった。
3分ほどたったころだろうか。
視界がぼんやりとしてきた。
(空気が薄くなってきている…?)
これはまずかった。
どんどん地下に降りる度に死へと近づく感覚が増してきた。
でも、今度は迷わない。
僕は何も考えず、とりあえず二人と合流することを考えた。
この施設がもし、荒木さんが目撃したように人体実験を行っている場所だとしたら、この穴はそれに関係しているのではないだろうか。
そうだとしたら、何かあらぬものがあってもおかしくはない。
そう思った。
もし僕がそうなったとしても、みんなの願いを叶えてあげたい。
それが僕の願い。
大切なひとの大切なひとを守りたい。
僕はさらに奥へと進んだ。
またしばらく下ると、足元がうっすらと見えてきた。
いままで僕のまわりは墨汁のようにどこまで手を差しのべても黒しかない空間だった。
穴のなかはそこまで光が入らないのだ。
当然自分のからだの部位なんて認知できるわけがない。
ただ慎重に階段を降りる両足、穴の壁面を押さえる左手、携帯電話を持つ右手が交互にバランスをとって落ちないように一歩ずつ地下へ進んでいっていただけだった。
そんな暗闇に光がある。
それはつまり、この穴のゴールなのではないか?
こんな地下なのに、外に繋がっているわけはない。
小学生の何かの授業のときに、地面を掘っていくと反対側のブラジルにつながりますと聞いたことがある。
その当時の小学生の僕の知識では、マグマが存在することを知らなかったので、ドリルで穴を掘ればブラジルに無料で旅行できると信じていた。
ここがもしブラジルなら僕らは相相当な発見をしたことになる。
その答え合わせは、この階段を降りれば自ずと見つかるはずだ。
一歩進む度に光はからだ全身に行き渡るようになり、そしてさらに進むと光の出所が見えるまでになった。
丸い点だったものがその外郭をじわじわと広げ、大きな丸になっていく。
その丸が放つ光は僕を安心させた。
原始人が火を発見して、文明が栄えた理由がわかった。
光はここらに安心をもたらしてくれるのだ。
僕の光。
僕の回りにいるひとびと。
みんなによって、僕は光を浴び、僕が僕だと知覚できるのだ。
階段の終わりはもうすぐだった。
床が見えたのだ。
床といってもそこはただの土色の平面だったが、ようやく終わるこの下降に安堵した。
最後の階段から床までは割と距離がありそうだった。
僕はからだのバランスを整え、最後の階段に両足を乗せ、壁でからだの体重を支え、一気に落ちた。
さぁ、答え合わせだ。
ここはブラジルかどうか。
光に目がなれるまで若干の時間はあった。
徐々に目の前に現れる光景。
僕は目を見張った。
長いトンネルを抜けてたどり着いた地下の場所。
そこにはなんと町があったのだ。




