展開
軋む真っ直ぐな廊下を歩いていく。
有美ちゃんも荒木さんも、まるでこの施設の中にいないかのように、物音ひとつ聞こえてこなかった。
突き当たりにぶつかり、右手に折れる。
角を曲がるとそこにはまた埃で静けさをたたえた廊下が広がっていた。
10年も前の記憶だが、いまでも鮮明に思い出せる。
(あそこは、先生たちの部屋があるところだ)
先生が朝会議をしたり、給食を作りに部屋に入っていくのを何度も見た。
施設自体に興味がなかったので、僕はこの部屋に一度も入ったことがなかったし、中も除いたことはない。
でも犯人に繋がるヒントがあるなら入って詮索するのが第一だ。
この施設の人間と犯人が何かしらで通じているのは確かな事実だ。
きっと手がかりがあるにちがいない。
部屋に近づくと、ドアがすでに空いていた。
もしかして犯人が中に?と思って抜き足で部屋に近づき慎重に中を覗いた。
部屋には誰もいなかった。
オフィスにおいてあるような普通の白いデスクが整然と並べられているだけだった。
ただ、デスクの上はひどくきれいで、コピー用紙一枚すら落ちていなかった。
文字通りデスクのみがそこにあった。
まるで大事な情報をひとつ残らずここから滅却したかのように、清々しいくらい何もなかった。
白いカーテン越しに月の光が差し込み、無機質なテーブルを照らすだけだった。
ここに何もないというのは、逆にここに何かあったことを示している。
誰かに持ち去られては困る情報があったということだ。
それを裏付けるかのように、この部屋には書類棚すら存在していなかった。
養護施設であれば、子どもの情報だったりと何かしらの書類があってもおかしくはないのだが。
ひとまず相手は相当完璧に物事を運ぶ人物だということだ。
そして組織が徹底して動いていたということだ。
この部屋に荒木さんも有美ちゃんもいないことが分かったので、僕は引き続き彼らを見つけることにした。
この世界から音が消えてしまったかのようにひっそりと辺りは静まり返っていた。
部屋を出ようとしたとき、無機質な部屋の奥に扉があるのが見えた。
しかもその扉は少し空いていた。
壁の色に同調するかのように白で統一された、透かしガラスの入った木のドアだった。
銀色のドアノブが誘うように隙間を見せていた。
わずかな隙間から、奥にまた部屋のような空間があることがわかる。
ここに犯人が?と思ったが、きっとそんなに抜けているとは思えなかった。
僕はまた抜き足でそのドアに向かった。
音をたてないようにそのドアに近づき、数センチの隙間から部屋のなかを覗く。
そこに、人の影があった。
ドクンと大きな鼓動がして、一気に体内に血液が回る感覚がする。
冷や汗とも発熱とも思えない不思議な感覚が身体中をかけめぐる。
僕は夜の暗闇になれてきた目をその人影に向けた。
月の光がタイミングよく僕に見方をするように、その人影を照らし出した。
薄手の白のカーテン越しに、ゆっくりと月の光が差し込む。
じんわりと形を表した人の姿。
「荒木さん」
僕は安堵して扉を開けるのと同時に声をかけた。
「一瞬犯人かと思って、びっくりしました。ここにいたんですね」
荒木さんは、白衣のポケットに両手をいれ、部屋の真ん中に立っていた。
「あぁ、悪いな置いていって。」
「まだこれから合流します。きっとそんなに遠くに入っていないはずです。ちなみに、何か発見しましたか?」
「いいや、まだだね。やっぱりここにはなにもないのかもしれない。久々にここに来たから、ちょっと昔を思い出したくてね」
そういうと荒木さんは、首を窓に向けてそしてまた元の向きに戻って前を見据えた。
そこには人の背丈を越えた機械のような影があった。
「これってなんですか?」
影と荒木さんに近づきながら問いかけた。
荒木さんの左隣に並び、その影の姿を確認した
そこに立っていたのはガラスでできた多きな筒だった。
クリアな厚みをたたえたそのガラスは、大人一人がすっぽりと入れるほどの大きさだ。
空洞な筒のしたには、何やら水槽のろ過機のような格子のような機械層が見える。
上には白い円柱が家の屋根のように筒の蓋を塞いでいた。
そしてその円柱からは白い管が大少さまざまな太さで伸びていた。
その管はガラス間の後ろにあるパソコンのサーバーのような重厚感がある白い箱の中へと続いていた。
「これってなんですかね?」
僕がガラス菅を不思議そうに見ながら言った。
「これは、彼女の入れ物だ」
「彼女の入れ物?」
「そうだ。彼女がここにいたんだ。ヨージ、覚えていないか?俺が彼女を追ってこの施設に来たとき、正門を潜り抜けて見つけたんだ。吉岡の母さんが彼女をここに入れていたのを僕は見たんだよ。ここに、あの子が、いたんだ。あの子が」
荒木さんは冷たいガラス菅に向かって手を伸ばし、そのガラス菅に優しく触れた。
「あのとき、俺が声をあげていたら、あの子は助かったんじゃないかって、毎日思うよ。俺は怖かったんだ。初めて光景で、大切な子が水に浸されたこの水槽の中で浮いてたんだ。俺は力不足だった。無知で幼くて、好きな人も救えないクズ野郎だったんだ」
唇を強く噛みながら、辛い表情で地面をにらむ。
優しくガラス菅に触れていた手は、いつの間にか拳の形に代わり、わなわなと力がこもっていた。
バンッ
ガラス菅を強く殴る音がした。
しかしその音は空しくも無音の世界にのまれ、すぐにもとの静寂が訪れた。
僕は何という言葉をかけたらよいか分からなかった。
大丈夫ですよ。
いまがんばってるじゃないですか。
彼女も荒木さんに好かれて嬉しかったと思いますよ。
「…っ」
違う。
どんな言葉をかけても、荒木さんの心は晴れない。
犯人を見つけ出すまでは。
僕は荒木さんとガラス菅を同時に視界に納めた。
ここに人の温かさは全くない。
あるのは、冷たさと静けさだけだ。
荒木さんのためにも、見つけ出したい。
「あ、いたいた!ここにいたんだね~。探したよ」
鋭い静けさを保った空気と僕の歯がゆい気持ちが一瞬にしてほぐれた。
「有美ちゃん」
扉からひょっこりと顔を覗かせる。
「二人とも自由なんだから。ちょっと面白いもの見つけたの!でも私の力じゃどうしようもできなくて」
「面白いもの?」
「そう!ここの反対側の部屋がね、キッチンだったんだけど、床に扉みたいなものが見えたの」
「扉?」
「そう、扉?」
「キッチン台の下なんだけど、妙にそこから冷たい風が来るなって思ってよく見たら、扉みたいな隙間があって。よく見ないとわからないんだ。だって床は板目だから同調してるの。ちょっと見に来て」
僕らはすぐにその部屋に向かった。
有美ちゃんが不思議だと言った部屋は、僕らがガラス菅を見ていた部屋と真逆の場所だった。
この施設はコの字型をしている。
真ん中の広場を囲むように、建物がたっている。
軋む床を足早に進む。
「ここだよ」
有美ちゃんが指し示した部屋は、小学校や中学校等で見るような家庭科室のような雰囲気だった。
シンクがあり、ガスコンロがあり、食器棚が整然と並ぶ普通のキッチンだった。
僕が把握しているだけで、施設の子どもは常に30人ほどいた気がする。
30分の子どもの食事であれば、ガスコンロが9こあるこの部屋でも充分に作ることができるだろう。
「こっちだよ」
有美ちゃんはぐいぐいと僕らを引き連れ、あるシンクの場所に向かった。
3つあるシンクとガスコンロの窓際の一番奥。
「ここ見て」
一見普通のシンクだ。
一度も使われていないような、きれいな銀色で磨かれたシンク、お湯と水を調整する二つのひねりに湾曲したシンク。
ガスコンロは3口でいずれもきれいなままである。
有美ちゃんが指差したのは、シンクの下の床との繋ぎ目だった。
僕にはただの床にしか見えなかった。
扉なんてあるわけがない。
「手を当ててみて」
言われるがまに、手を伸ばす。
すると、
「若干だけど風を感じる」
驚いたことに、シンクの下から風の流れを感じたのだ。
「ね、何かあるよね。もしかしたら地下に繋がる扉とか!」
目をキラキラさせて言う有美ちゃんが可笑しかった。
試しに他のシンクの下も全て試したが、風を感じるのは有美ちゃんが言っていたのシンクだけだった。
「これは、もう動かすしかないな」
荒木さんが白衣の腕をまくりながら言った。
「ヨージは力持ちか?そっち頼んだぞ」
大人二人がシンクをどけようと力を振り絞った。
見た目は引っ越し業者のようだった。
力を絞りながら僕はふと思った。
「シンクなら、水道管とかがつながってたりしませんか?それならいくらがんばっても動かせませんよね」
「そう言われてみるとそうだ」
僕らはとりあえずシンクのなかを見ることにした。
三人ともしゃがんで開けた扉の中を覗いた。
そこには思いもよらない光景があった。
「扉だ」
有美ちゃんが言った。
「扉だ」
僕が言った。
「扉だな」
そこには、床下収納のような簡素な扉があった。
荒木さんが恐る恐るつまみを持ち、扉を持ち上げた。
鍵はかかっていない。
すべての扉が空いたとき、そこにはもっと驚くべき光景があった。
「階段だ」




