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接触

「ここがそこなの?」

暗闇の中、有美ちゃんが車の後部座席で息を潜めて言った。

「あぁ、そうだ。かつてはここはMARIAの日本の本拠地のひとつで、俺の初恋の相手が人体実験をされていた場所だ」

荒木さんはハンドルに両ひじをかけ、その建物に鋭い視線を送っていた。

「ここって…」

僕はなにも言えずにいた。

「とりあえず、今日は下見だけだ。俺が昔来たときよりも環境が変わってるからな。外観を見て、それでさらに作戦をたてる。もしここが本当に、ヨージの友達が言うように犯人の拠点か、被害者をかくまっている場所であれば、慎重に行動して作戦を練らなければならない。ただ、俺が思うにもう俺たちは犯人の手中にいる。そうであればこうやって音を殺して偵察しているのも、どこかの監視カメラで丸見えにちがいない。そうであれば堂々とやるのも悪くないって話だ」

荒木さんはすらすらと低く小さい声で僕らに言ったが、よく聞こえる発音だった。

僕たちはいま敵のアジトと思われる場所の偵察をしている。

時刻は夜の11時30分。

荒木家でのドーナツ団欒を終えて、作戦をたてたあとに、僕らは一旦何事もなかったように家に戻り、家族に内緒で家を出て再び荒木家に集合した。

そして荒木さんの運転でこの場所に来た。

この場所は、アイリが示した場所だ。

「ヨージの友人はなんて言ってる?」

「ここにやっぱり反応があるって」

「よし、そうであれば心当たりあるところは当たるしかいまはないな。犯人に俺たちの行動が筒抜けでもな」

僕は手の中にある携帯電話の画面をじっと見つめた。

アイリが指したこの場所、本当にここに犯人がいるのだろうか。





時は戻って、荒木家の居間になる。

時刻は7時過ぎ。

日に焼けたレトロな壁掛け時計が静かに時刻を教えてくれている。

「わたし、一回お父さんに連絡を入れないと。お姉ちゃんがこんな状況だから余計に心配しちゃう」

「僕も妹がいなくなって母さんも衰弱しちゃってるから、余計な心配は掛けられない」

各々の事情を話すと、

「じゃあ一旦、家に帰ろうか。それで時間が大丈夫そうなひとは、もう一回俺の家に来てくれ。それで調査を進めよう。俺は引き続きこれまでのデータの復旧と捜査を続けておく」

と僕らの事情を快く了承してくれた。

それぞれ軽く身支度、と言っても忘れ物がないか確認するぐらいの支度をして玄関に向かった。

荒木さんが帰りに「ドーナツ家におみやげどうだ?」と提案してくれたけれども、断った。

有美ちゃんの方は、お父さんがドーナツという気分でもないということだった。

僕の方は、可南子が居なくなった原因が母さんがドーナツを買いにお使いに行かせたからだと思っているので、いまここでドーナツを出すのは少し母さんに酷だと伝えた。

荒木さんは「わかった」と言って、「食べたくなったらいつでも言ってくれ」と優しく話してくれた。

そして僕らはお店の方の玄関に向かった。




ブブブ

立ち上がったとき、ポケットの携帯電話が震えた。

「あ、メールだ」

母さんか父さんが心配して連絡をしてくれたんだろうか?

ポケットから携帯電話を取り出す。

そういえば、アイリがさっきメッセージを送ってきてくれていたなとふと思い出した。

みんなと別れてからすぐメッセージを見ようと思ったとき、目の前にコツリと何か落ち、僕の足元に転がってくるのが見えた。

リップクリームだった。

「あ、落ちちゃった」

リップクリームの上から、持ち主である有美ちゃんの声が聞こえた。

柔らかいピンク色のリップクリームだった。

僕は右ポケットに携帯電話をしまい直して、軽く屈み、足元に転がるリップクリームを拾った。

有美ちゃんが僕の足元を見ていた。

こうなるならちゃんと、新しい靴下を履いてくるんだったなと思ったが、もうこの捜査が終われば、一緒に終止符が打たれる恋だからすぐ諦めがついた。

「はいどうぞ」

と左手にリップクリームを持ち、立ち上がったとき、コンとまた何かが落ちる音がした。

きれいに掃除機を掛けられた厚手の冬用の絨毯の上に携帯電話が顔を覗かせていた。

有美ちゃんの足元に近いところにある僕の携帯電話は早く帰りたそうに見えた。

「あは、なんか面白いね。お互いに荷物落っことすなんてね」

「そうだね」

有美ちゃんも軽くかがんで、携帯電話に触れたその瞬間だった。

「あっ…!」

女のひとの短い叫び声に近い音がした。

「?」

僕らは一瞬しんとなった。

「なんだいまの声?」

「女のひとの声だったよね?」

「有美ちゃんの声?」

「そんな、携帯電話触ったぐらいで声はでないよ」

「じゃあなんだ?」

全員の視線が携帯電話に集まる。

「…まさかな」

荒木さんが、馬鹿馬鹿しいと言った表情でいた。

「うん、そのまさかだよ」

有美ちゃんがしゃがみながら、足元にある携帯電話を見る。

「う、うん、きっと外の声だよ」

と僕が発言した。

しかし、自分で発言したのと同時に、この居間に小一時間いたが外から何か物音がすることなんてなかったとふと思い出したので、すぐに

「それか、お化けか」

と、すぐにフォローを入れた。

「そんなぁ、まさか」

と有美ちゃんが少しひきつりつつ笑った。

お化けが苦手なのかなと、女の子らしい一面にどきりとした。

「そんなもの一ミリも信じない」

と荒木さんらしい発言をした。

「とにかく、一旦家に帰ろう。みんなきっと心配してる」

「そうだね」

有美ちゃんが頷きながら言った。

そして再び僕の携帯電話を拾おうと手を伸ばした。

「ひゃっ!」

今度ははっきりと聞こえた。

「…?」

「…?」

再び三人の空間がしんと静まり返った。

「ヨージくん、携帯電話になにか変なことしてるの?」

有美ちゃんが笑いながら言った。

セーフか?

「あ、え、ううん、きっとタケシのやつが何かイタズラしたんだよ。あした大学で会ったら言っておくわ」

と、今度は僕自身が屈んで、携帯電話を拾った。

今度は、声は聞こえなかった。






ドーナツ屋の前で僕らは別れた。

帰り際に、「今日また俺の家に来れそうなら連絡をして」とお互いに連絡先を交換しあった。

好きなひとの連絡先を知るのに、こんなタイミングがあるとは思わなかったなと思いつつ、あっけなく有美ちゃんは駅の人だかりの中に消えていき、荒木さんは「気になることができた」と言ってすぐに家の中に戻っていった。

僕も帰路にまっすぐに着いた。

とにかくすぐにアイリと二人きりにならないとという思いだけで、足早に駅前の人だかりから抜け出した。

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