器
一分ほど歩くと、もう人混みどころか人がほとんど歩いていないくらいの閑静さのなかにいた。
いくら町といえども、栄えているのは駅前くらいであるから、当たり前である。
少し歩いただけで、住宅街に入り、暗闇の中に定点的に光る電信柱の明かりのみが唯一存在感を示している。
時々すれ違うひともいるが、まっ暗闇の中なので、誰かもわからない、表情も見えない、そんな感じだ。
家についてからでも、アイリと話す時間は確保できると思うが、確約はできない。
もしかしたら、家が混沌としていて、それどころではない可能性もある。
または、荒木さんが何か核心的な手がかりを掴んで、とんぼ返り的に荒木家に戻らなければいけないこもある。
いましかないと思った。
「アイリ?聞こえる?」
「…えぇ、もちろんよ」
少しだけ間があって、返答が返ってきた。
「なぁ、いろいろ聞きたいことがあるんだ」
「…うん、分かっているわ」
「いろいろあるんだけど、まずはさっきのからでもいいかな?」
「もちろんよ」
「あの声は、アイリのだったよね?」
「…えぇ、そうよ」
また少しだけ間が空いて、返事が返ってきた。
「大丈夫なの?どこか悪くなっていたりとか、故障していたりとか、何かあった?あの爆発で少し壊れてるとか?」
「え?」
「え?」
アイリがなぜ聞き返してくるのか分からず、僕も反射的に聞き返してしまった。
「やっぱり、どこか悪い?」
「え?えーとね、どこも悪くはないんだ」
「良かった。それだけ聞けたら良かった」
「怒らないの?」
恐る恐る聞くような声だった。
「どうして?」
「だって、他のひとの前で声を出しちゃったのよ。いままでヨージが隠してくれて、守っていてくれていたのが、ばれてしまうところだったのよ」
「怒らないよ」
「どうして?」
まるで子供が親に怒られるのをびくびくと怯えるような話し方だった。
悪いことをして、怒られて当然といった雰囲気を出す。
「どうしてって、僕にアイリを怒る理由がないからだよ。ただ、ほれだけだよ。確かに、ちょっと声が出たときはびっくりしたけど、アイリにも感情はあるし、それにアイリをそこまで制御する権利もない。アイリは賢いから、きっとあのとき何かあったんだよね。それで僕はアイリに何かあったんじゃないかって心配だった、それだけだよ」
「…」
「いつか、みんなにもアイリのことを紹介できたらいいなって思ってるよ。でもそれはいまじゃないんだろうな…もう少し落ち着いてからだね」
「…」
「アイリ?どうした?電池切れ?」
歩きながら話していた足を一旦止める。
それでもアイリは何も話さない。
「ほんとにどうした?」
「あ、ごめんね、ちょっとあまりにもヨージが優しすぎて、なんて返したらいいか分からなくて。スーパーAIでもプログラミングされていないこと以外は難しいものね」
「アイリにも難しいってことがあるんだな。荒木さんはアイリのことべた褒めだったぞ。聞こえてた思うけど」
いつもどおりのアイリの調子に戻った。
「まぁね、誰が作ったか分からないけど、最先端技術の集結だからね」
「もしかしたら未来から来たのかもな」
アイリが飾られていたディスプレイを思い出す。
綺麗に磨かれたガラス窓の中にある白い台に丁寧に置かれた深緑色のボディ。
完全にひとめぼれだった。
このなんとも一言では言い表せない神秘が秘められたような雰囲気がある携帯電話に吸い込まれるように魅了され、即購入したのを思い出した。
「この事件が終わったら、次はアイリの出生を辿ろうか。もちろん協力するから」
「ありがとう。本当にヨージは優しいね。ヨージという器が優しさしかないみたい」
「それは言い過ぎだよ」
もともと僕という器をいっぱいにしていたものは、すっかり干からびてしまい、一時はなにもなくなってしまった。
だが、いまは家族がいて、友達がいて、アイリガいる。
それだけで、僕はいっぱいだ、満たされている。
「そういえば、なんで声が出たんだ?携帯電話落とされてびっくりした?」
「うーん、そうじゃないのよね。体感的に落ちる感覚はあるから、別に落ちたり、壊されるくらいで何か不具合が起きる訳じゃないの。なんて言うのかな。なんか電気みたいなのが走ったのよね、ビリっと」
「有美ちゃんは静電気持ちなのかもね」
「そうかもね」
「そういえば、メッセージ送ってくれていたよね?あれは何だったの?」
「あれはね、犯人の映像なの。爆発される前、ヨージとアレキが地下から地上に上がるときに、嫌な予感がしてね、さきにできるところまでデータのバックアップをしておいたの。でもアレキのデータを守るちからは相当なもので、あの短時間では少ししかデータを抜き取れなかったわ。でも安心して、わたしが見た限りでは、犯人はデータを持ち去っていない。今回の目的は完全にデータの抹消と牽制ね」
「さすがアイリ!すごいな!」
静かな住宅街に僕の大きな声がひときわ響いた。
「ちょっとヨージびっくりするじゃない」
「ごめん、感極まって」
これで、犯人を捕まえられる。
アイリがいれば、問題ない。
再び感じた高揚感とともに、ぼくは家路を急いだ。
家に帰って、あとからそっと家を抜け出し、荒木さん家に戻ろう。
僕はアイリを右手で握りしめ、小走りに人が誰もいない暗くて静かな道を進んだ。




