部屋の奥に
大学の側にある老舗のカフェを出ると、外はもう暗くなっていた。
お店を出る前に見た古い壁掛け時計は時刻を四時を指していた。
年の瀬ということもあり、日が暮れるのが早くなっている。
その夜が来ることが早いことは、なんとなくもう今年も終わりが近いことを強調していたり、今日という一日が終わることを暗に主張しているようで、妙な焦りを感じさせた。
さらに、可南子が失踪して2日目になるが、まだ有力な手がかりがないことも指摘されているようで、より一層気持ちは沈んでいくばかりだった。
荒木さんの実家と言われる駅前のドーナツ屋まで徒歩でゆっくり歩いても15分くらいだったが、道中僕らは一言も言葉を交わさなかった。
僕は可南子のことをずっと考えていたが、途中から大切な人を失った荒木さんの幼少時代の心境や急変した有美ちゃんのお母さんの心境をがんばって感じ取ろうとしたが、できなかった。
気がつくと人が増えているなと思い、辺りを再確認するともう駅前のロータリーまで来ていた。
夕方の帰宅ラッシュまでには時間がまだあるが、学校帰りの小学生や買い出しに来た主婦らしき人の姿が多くあった。
ロータリーを抜けると、すぐ駅の中央改札口が見え、そのすぐ隣の一等地に例のドーナツ屋がある。
50メートルほど離れていても分かる、ドーナツの甘い砂糖の匂いや揚げ物の食欲をそそる香ばしさやコーヒーの香り高さが五感を刺激した。
荒木さんはまるでお客さんのようにドーナツ屋のドアを開け、すたすたと裏のキッチンまですたすたと進んだ。
店内は満員で、学生らしき集団が美味しそうにドーナツをほお張っていたり営業マンのようなスーツ姿の男性がパソコンの画面でにらめっこしていたり、参考書を広げるひとやいろいろな目的で集まったひとで賑わっていた。
荒木さんはその店内の様子には一瞥も加えることなく、どんどんと店内の奥に入っていった。
レジの店員は荒木さんのことをちゃんと認識しているようで、にこっとサービススマイルで笑いながら軽く会釈をした。
それに気がついた荒木さんは、「よっ」と少年のように声をかけ、左手を上げた。
僕はそのまま荒木さんについていっていいのか分からずレジの前に少し立っていたが、店員さんが「たぶん奥に入っても大丈夫だと思いますよ」と周りのお客さんに聞こえないくらいの声量で優しく教えてくれた。
「ありがとうございます」と僕も小声になり、まるで唐草模様の被り物をした泥棒のように猫背でおそるおそる店内の奥に入っていった。
ドーナツ屋の奥は普通の厨房だった。
シルバーのシンクで統一された清潔かんのあるキッチンは好感が持てたし、何よりドーナツを作っている店員さんたちが楽しそうだったのが印象的だった。
荒木さんがさらにキッチンの奥のスタッフルームに入るときに、スタッフのみんなに「おつかれさま」と声掛けしたときに、みんな一瞬作業の手を止めて、「おつかれさまです!」とハツラツとしたあいさつを返していときには、荒木さんのこの店での存在感の高さが際立っていると感じた。
そんな感心している僕をよそ目に、荒木さんはどんどんと奥に進んでいく。
スタッフルームを抜け、突き当たりの廊下にあるドアを開けるとそこには、生活感に満ち溢れた空間があった。
まるでテレビやドラマの世界にそっくりそのまま入ったかのような昭和の家庭と言った家具や小物で埋め尽くされていた。
一軒家にしては少し手狭なくらいの大きさの部屋だった。
キッチンとダイニングと居間が一緒になっている部屋だった。
電話は今時めずらしい黒電話だったし、文字盤と取っ手には花柄の手作りであろうカバーがされてあったし、キッチンのテーブルの上には褪せた水色のハエ避けネットがしてあって、テレビは薄型のハイビジョンのものだったが脇にはこけしだったり五月人形だったりいまの現代の家庭にはあまりないグッズがところせましときれいに並べられていた。
夕方の夕日はとうに過ぎているにも関わらず、心なしか柔らかいオレンジ色の夕日が窓から差し込んでいるように感じられた。
「珍しいだろ、いまどきこんな昭和レトロな家なんてなかなかないだろうな。父さんと母さんの趣味なんだそうだ。であったあの頃を忘れないためにもって、わざわざ遠くから買い集めてくるんだぜ」
「いえ、とても素敵だと思います」
僕があたりをきょろきょろとしていると、「話はここじゃなくて、俺の部屋でしたいから、こっちについてきて」と茶色の木の玉を繋いだ暖簾を押し上げながら荒木さんは奥の部屋を指差した。
駅前のドーナツ屋の裏にこんな空間が広がっているなんてまるで異世界に繋がっているかのような不思議さと驚きがあった。
使い込まれたキッチンのシンクの横を通り越し、長い廊下に出た。
廊下の突き当たりは玄関になっているようで、普段はその玄関から行き来しているんだろうと思った。
廊下の両脇には部屋がいくつかあって、トイレだったり、物置だったり、夫婦の寝室らしかった。
その夫婦の部屋らしきところの左に質素なベニヤ板で作られたようなドアがあった。
明らかに他の部屋のドアとは作りが違っており、安価な板で簡易的に応急処置として作られたドアのように感じた。
荒木さんはドアノブを何回かガチャガチャと右左に回した。
すると、そのドアノブが外れ、中から鍵穴のようなすき間が出てきた。
「え!どういうことなんですか」
「仕組みはダイヤル式の鍵と一緒なんだ。右左に決められた回数ドアノブを回すとドアノブが外れて中から俺の部屋につながる鍵穴が出てくる」
「もし普通にドアを開けたり、ダイヤルの回数を間違えたらどうなるんですか?」
「そのときは外向きの部屋が開くだけだ」
「外向きの部屋?」
「そうだ。このドアの向こうには部屋が二つ存在している。ひとつは母さんと父さんが知っている有名大学を無事に首席で卒業をしてフリーランスのシステムエンジニアとして自立した立派な息子の部屋だ」
「もうひとつは?」
「もうひとつは、好きな女の子を殺した犯人を探しだす世界中をハッキングするひとりの男の部屋だ」
どんな部屋なんだ?
僕は立派な息子の部屋に入りたかったが、荒木さんは先程開けたドアノブに鍵を差し込み、世界と戦う男の部屋の鍵を開けた。
僕は入りたくないという後ろ向きな気持ちをなんとか押し上げながら、荒木さんが開けたドアの向こうに視線を向けた。
暗闇のなかに何があるのか僕は怖い気持ちしかなかった。




