荒木の過去
荒木さんが口を開くまで、少し時間があった。
僕はその間、有美ちゃんのことを考えていた。
有美ちゃんのお父さんが来るまでの時間にお互いの今の悩みを話した。
僕は妹の可南子も失踪していることを話した。
そのときの有美ちゃんはもちろん驚いていた表情をしていた。
涙こそは流さなかったが、なんだか少し嬉しそうにも見えた。
同じ境遇の人がいたんだ、と言う風にも見えた。
その驚きとも喜びともかない表情は僕が初めて見るものだった。
なんとなくその表情を思い出していると、荒木さんが言葉を発した。
「もしかすると、僕の昔話を誰かにするのは初めてかもしれない」
「秘密主義者っぽいですもんね」
「よく言われる。昔はもう少しおしゃべりだった気がするが、いまは話すことよりも、何かを探したり考えたりすることの方に力を使いたいんだ。だから自ずと口数が減っていくんだ」
「わかる気がします」
「君は、僕についてどこまで知っているんだっけ?」
「そうですね…」
有美ちゃんたちに怖い言葉をかけて脅していること、足跡を残さない情報戦をしていること、有美ちゃんのお姉さんとかつて交際をしてたこと、そして突然変貌したこと。
そんなこと、素直に言える訳なかった。
「お姉さんと、付き合っていたことがあるくらいですかね」
「もうそこまで知ってるのか」
ツツ、と香り高いコーヒーを一口飲んだ。
「それで、かつての恋人を恋沙汰か何かで誘拐したとか思ったのかな?」
「大体その辺りです」
「君は真っ直ぐでいいな、ますます気に入ったよ。有美が仲良くしてるのも分かる気がする」
「僕が仲良くさせてもらってるんですよ。有美ちゃん、大学でもすごく有名で人気者なんです。雲の上のひとなんですよ」
「姉妹揃って大変だな」
荒木さんは先程からよくハニカミながら話すようになっていた。
「じゃあ、俺自身の目的もあるし、そろそろ本題と行こうか」
「はい」
急に喉が乾いてきたので、コーヒーを一口啜った。
ちょうどよい温かさが喉を伝って体に染み込んでいく。
「俺と有美の姉さんとの出会いは、君も知ってるかも知れないが、俺が大学生、あいつが高校生のときだった。俺が教育実習生として、母校を訪れて、そのとき副担任だったときのクラスにあいつが居たんだ。もちろん、俺は分別がある男だ。お互いに強く思いあっていても、それが禁じられていることも知っていた。だから俺は待とうと決めていた。高校を卒業するまであと半年だったから、なんてことはないと思った。
それが、俺の実習期間が終わる頃にある出来事が起こったんだ。」
「ある出来事?」
「そうだ。それは、いつか必ず知ることでもあったし、一生知らなくてもいいようなことだった」
「なにがきっかけだったんですか?」
荒木はずっとカウンターの奥にあるウィスキーのボトルを見つめながら話続けた。
「なんでもないある日だったんだ。二人で話をしているときに、ふとお互いの家族の話になったんだ。赴任して来た頃から、彼女が片親であることは知っていた。だが、その母親が俺が最も憎んでいるその人だとは思いもしなかったんだ」
「どういうことなんです?」
僕は全くついていけずにいた。
何も聞かないと話を理解できないまま、「おわり」となりそうな気さえした。
「俺はいままでの人生で二人だけ、愛した人がいたんだ。ひとりは、有美の姉さんだ。そしてもうひとりは」
「もうひとりは…?」
「俺の初恋の女性だ。いや、女性と言うにはまだ早かったな。女の子だよ。彼女はきっと年は7歳だったな。俺と同い年の子だった。よく一緒に遊ぶうちに自然に彼女を好きになったんだ。どこの家の子かは全くわからなかった。そのこの家も片親だったようだった。幼心に俺と住んでいる環境が違うんだなということは分かった。
俺らは毎日毎日日課のように遊んだ。ある日は砂場で日が暮れるまでお城を作り続け、ある日は彼女のままごとに付き合い、川や山にいっては、服も体もどろどろになるくらい遊び尽くした」
「そのあと、どうなったんですか?」
「ある日のことだ。俺はいつものように彼女と遊ぼうと思い、彼女を公園で待っていた。いつも学校が終わって16時頃には公園にいる彼女はその日はいなかった。
風邪か何かかと思い、その日は早々に諦めて帰ることにしたんだ。
そこで帰り道ふと思ったんだ。
彼女の家を見たいと思ったんだ。好きな子によくあることだよ。気になるからいろいろと知りたくなる。そこで俺は一度だけ彼女を帰りに見送ったことのある家に向かった」
「結局彼女には会えたんですか?」
「あぁ、会えたさ」
「良かったじゃないですか」
「…良かったのかな…」
そこで荒木は話すテンポを一気に落とした。
まるでアクセルを無くした車のように、急に下降した。
「…どうだったんですか?」
思わず僕もそのスピードに巻き込まれる。
「会えたんだよ、彼女には」
またスピードが落ちる。
「会えたんだ、けれどもそれは僕が知ってる彼女ではなかった。全く知らない彼女だった。知りたくなかった。見たくなかった。あのときそのまま家に帰っていたら、俺はいまこうして君とここで話は絶対していない。でも知りたかった。知るしかなかった。これが俺の運命だから」
「ど、どういうことですか?」
「…ヨージくんには不思議と話をしてしまうね。何度も止まりかけても、君には話をしたいと思ってしまう」
そういうと荒木さんは額のところで両手をきつく結んでまた話を始めた。
「彼女の家は他の一軒家とは全く違い一際大きかったから、すぐ分かった。二階建てのまるで保育園のような豪邸にすんでいた。俺は門を潜り、垣根の間を走り、一階奥の門と正反対の部屋に辿り着いた。そこに彼女はいた。なぁ、どんな姿でいると思う?小学生の俺には理解ができなかった。
窓にしがみつき、見た景色はこうだった」
アクセルの音が聞こえた気がした。
「大きなビーカーのような中に彼女はいた。服もなにも着ていなかった。顔にはサングラスのようなまぶたを隠してるような機械がついていた。そうだ、機械だ。まるで彼女は機械だった。人間なんてものとは程遠かった。全身に管が取り付けられていて、そのゆらゆらと動く水槽のなかで彼女は浮いていた。そう、死んでたんだよ。青白い水槽の中で彼女は何を感じていたんだろうか。
たくさんのパソコンや薬、よくわからない器具の中に彼女はポツンといた。
はじめは彼女以外にしか目がいかなかったが、すぐ後ろに黒く動く影があったんだ。よく見るとそれは人の形をしていた。俺はそいつの顔を一生忘れない。なんでかそいつは涙を流していた。泣きたいのは彼女であって、俺であって、そいつではないはずだ。」
「…まさか…」
「…察しがいいな。将来刑事になれるぞ」
「え…」
「そうだ、そのまさかだ。
その動いていた泣いた影こそが、彼女を殺した犯人だ。つまり、あいつだ」
「…有美ちゃんのお母さん…?」
「そうだ」
苦しくて息継ぎができなかった。




