吉岡家の過去
「前、出会った頃にも話したと思うけどね、わたしのお母さんはいま行方不明なんだ。いま生きてるかももう亡くなってるかも分からない。ただ、わたしはお母さんがいない時間が長かったから、変な話だけど、いないのが当たり前だった」
彼女は僕の目を見たり、ときどき思いにふけりながら、記憶をたどるように語り始めた。
話はこう続いた。
有美ちゃんが物心つくまで、アメリカのサンディエゴにいた。
太陽が一年中降り注ぐ、海と晴れの日がよく似合う西海岸にて幼少気を過ごした。
映画の撮影現場になった海岸沿いの小洒落たバーやパラソルに守られたストリートの路面レストランによく連れていってもらっていた微かな記憶はあるようだった。
お母さんとお父さんは、このサンディエゴの町で出会った。
たまたま海外視察に訪れていた父さんが、輝く波のような母さんに惹かれ、限られた時間ではあったが、意気投合をして二人は付き合い始めた。
日本人がなかなかいないという職場の環境もあってか、二人は日本語が話せる貴重な存在として、二人が恋に落ちるのにはそう時間はかからなかったようだ。
有美ちゃんのお母さんは大学から日本を飛び出し、研究職として優秀な枠で業務に励んでいた。
言語については、全く苦慮していなかったようだったが、やはり生まれが日本ということもあり、根っこの部分は日本人であったようだった。
父さんが日本に帰国した後も二人は交際を続け、交際開始のわずか3か月後に運命的な海外赴任を会社から言い渡され、辞令があったその日の夜に家を解約し、荷物をまとめ、サンディエゴ行きの最終便に飛び乗ったのだそうだ。
そして、その翌年生まれたのが、吉岡有美の姉である。
この話は全て父や姉から聞いた話だそうだ。
有美が生まれるまでの吉岡家は、絵にかいたような笑顔が溢れる家族だったようだ。
父も母も本当にたくさんの愛情があり、何不自由なく過ごしていた。
しかし、吉岡姉が生まれてその四年後に有美が生まれる頃からなにかがほろこび始めたようだった。
父も母も第二子に対しては、非常に積極的であったし、家族が何人に増えても、父も母もどちらも共働きであったので、経済的な余裕はかなりあった方だった。
父も姉もこのまま楽しい日々がずっと続くものだと思っていた。
ある日産婦人科で母が診察を受けた日から人が徐々に変わっていったようだった。
当初第二子は女の子一人の予定であったそうだが、定期検診でエコーをかけたとき、そこに胎児の影が二つ写ったようだ。
もちろん父も姉も家族が増えることに対して大いに喜んだ。
父はつぎの日には、双子用のベビーベッドとベビーカーを買ってきて、姉と一緒に出産予定日までのカウントダウンカレンダーをこしらえていた。
母も表情では喜んでいたようだったが、心のそこから喜ぶには何かが引っ掛かっているようなそんなくすんだ笑顔をしていたらしかった。
父も姉も、初めての二子の出産で不安を感じているんだろうな、それぐらいの気持ちだった。
そして月日は巡り、出産当日。
予定日から5日後のことだった。
朝方に産気付いた母は、二人の子を生むべく、定期的に波のように押し寄せる痛みと熱と戦い、太陽が高く上がる昼前に二人の女の子がこの世に高々と産声を上げた。
そして、事件が起こった。
「双子だったんだけどね、わたしの方が先にこの世に顔を出したんだ。自分でも分からないよ。だって自分で決めたんじゃないし、もし決めれられるならそうしてたもん」
「決めるって言うのは?」
「お父さんいわくね、結構母子ともに危険な状態にあって、もう産気付いていたときには体力が無くなってたんじゃないかって。もしかしたら、先に出てくるのが二人目の子だったら、有美がこの世に産声を上げていなかったかもしれないって言われたんだ。だからね、双子のもう一人の子はお腹のなかでばいばいになっちゃったの」
「大変な出産だったんだね。きっと、二人目は優しい子だったんだね」
「うん、絶対そうだと思うよ。だって、その子もきっと生きてきたかったと思うんだ。女の子だったんだけど、お洒落したり、恋したり、きっといろいろしたかったと思うんだよね」
「生まれてたらどんな子だったんだろうね。でも余計なお世話かもしれないけど、有美ちゃんがそれを責務として彼女のためにも生きなきゃって言うのはなんとなくだけど、違うと思うな」
「え?どうして?どうしてわかったの?わたし、いままでそうやって生きてきたのよ。その子だったら、きっとこの人を好きにならないかもとか、きっとこのごはんが好きだったんだろうなって」
有美ちゃんが目を少しキラキラと光らせながらこちらを見据える。
涙だろうか?それとも太陽の日が窓から差し込んでいるのだろうか?
「第三者が言えたことじゃないから、僕が言ったことは聞き流してね。僕がもしその子だったら、“自分らしく生きて、わたしの代わりなんて思わないでね”って言うと思うな」
「それは、どうして?」
「だって、優しい子なんでしょう?きっとわたしのことは気にしないでって思ってると思うんだ。あくまでも、第三者の意見だからね」
そこまで言うと有美ちゃんは、音もなくしくしくと静かに目から大粒の涙をこぼした。
その涙は昼過ぎの傾き始めた太陽に照らされ、キラキラとまるで宝石のように耀いた。
「ごめん、僕またなんか変なこと言った?」
僕は好きな女の子を困らせてばかりで本当に情けないとつくづくこのときも感じた。
やっぱり僕は誰かと幸せになる道なんてないんだ。
「違うの。違うの、本当に違うの」
彼女はそのきれいな涙をぬぐいながら続けた。
「そんなこと言ってくれたのはじめてなの。お父さんもお姉ちゃんも、こういうことを話すと“そうかもしれないね”なんてことをいつも言っていたの。だから、わたしはその子の分まで生きないとって決めたの。きっとお父さんもお姉ちゃんもそれを願っているから。でも初めて。ヨージくんは違うんだね」
「そんなことないよ。僕だったらそう思うってだけだよ。有美ちゃんは有美ちゃんらしくでいいと思うんだ。そのままでも十分素敵だから」
そう言った瞬間、僕の脳裏に以前浮かんだ僕と有美ちゃんのあり得ないイメージが再び出てきた。
けれど僕はもう区切りをつける恋に未練はなかった。
好きになったひとを幸せにすること。
そしてそこに僕はいないこと。
この二つが条件だ。
よし、と再度覚悟を決めたときだった。
ブーッブーッ
地に響くような機械音が空気を震わせた。
僕かなとポケットの携帯電話を見たが、ディスプレイは真っ暗だった。
アイリからのメッセージかなと思い、電源を入れたが、そこにはいつもの待受画面があるだけだった。
(着信は有美ちゃんの方かな)
「あ、もしもし?お父さん?うんわたしだよ、うん電話かけたよ。忙しいのにごめんね…」
有美ちゃんはごめんねっとサイレントに会釈をして僕に向いた。
そしてごめんね、と口パクで言ったかのように口を動かし、少し席を立った。
三分後くらいに有美ちゃんが帰ってきた。
「ごめんね、お待たせ。お父さんに事情を話したわ。これからお父さんと落ち合うことになってる。そしてそのまま警察に行くわ」
「気を付けていってきてね。また僕にできることあったらなんでも言ってね」
「ありがとう」
有美ちゃんは少し赤くなったまぶたを緩めて笑った。
「じゃあ、もう少し付き合ってくれる?」
「もちろんだよ」
「お父さんがいま急いで仕事をかたづけてくれいるから、それまでお願いね」
「いつまでも大丈夫だよ」
僕の午後の講義は全てタケシに巻かせているからなんの心配もなかった。
代筆もノートもタケシならお茶の子さいさいだ。
「あ、じゃあさ、よかったらなんだけど」
「なに?」
「連絡先聞いてもいいかな?またお姉ちゃんの件で相談したいから」
有美ちゃんはまるでいま実の姉が失踪していないかのような明るい雰囲気で話をしていた。
それはまるで、女の子同士でつぎの休みは何をしようかなんて気軽なことを話しているかのようなテンションにも感じられた。
そんな中、つられて僕もまるで自分の大切な妹も失踪していないかのような明るさになっていた。
僕は携帯電話を取り出して、有美ちゃんの連絡先を電話帳に登録した。
「きれいな色の携帯電話だね。珍しいね」
「駅前の中古ショップで買ったんだ。海外の無名メーカーみたいで、壊れたら修理できないんだけどね」
「そうなんだ。それなら大切にしないとね。それじゃあ、さっきの話の続き、話しちゃうね。お父さんが来るまで辛抱してね」
「そんなことないよ。僕も有美ちゃんに話さないといけないことがあるんだ」
そうして僕らは有美ちゃんのお父さんの仕事が終わるまで、有美ちゃんの双子の妹がなくなったあとの吉岡家の話と、僕の妹が昨日から同じように失踪をしていることを話した。




