真実の扉の前
12月の寒い空気が外を占領する中、老舗のこのカフェの室内はほどよいまどろみを誘うような温かい暖房が12席ほどの空間を包んでいた。
だが、僕は寒気さえ感じていた。
あの犯人と疑われるアレキは吉岡姉の元恋人であったなんて、誰が想像できようか。
さらに、そんな風に母親を引き合いに出され、脅しをかけられていたなんて誰が知るであろうか。
僕は言葉では有美ちゃんの言っていることが理解できていても、頭では分かりきってはいなかった。
そのことを察したのか、有美ちゃんは「ごめんね、こんなこと言われても困るよね」となぜか笑いながら言った。
「いや、そうじゃないんだよ。むしろ僕なんかに言ってくれて嬉しかった。よく一緒にいる友達には相談してるの?」
「いいえ、相談したらきっともっと心配しちゃうわ。わたしがいなくなっただけでもあんなに取り乱しちゃうんだもん。それになんて言って説明したらいいか分からないし、きっと相談しても…言葉は適切でないと思うけど、付き合いが長いからこそ、彼女たちができることはできないってなんとなく分かる。だから、彼女たちにとっても知らないことであった方が幸せだと思うのよ」
テーブルの上で両手を合わせた貝のようにしっかりと握り会わせて有美ちゃんは言った。
「知らないことの方が幸せなんて、僕も人生で言ってみたいな。かっこいいな」
「そんなことないわよ。きっと知らない方がいいことは、世の中にたくさんあるはずよ。例えば、家にあの黒光りする素早い生物がいることとか、自分の鼻から毛が出ていたりとか…ね」
カラン、とまた氷が音をならした。
今度は僕のアイスコーヒーのグラスの中だった。
いつの間にか僕は飲み干していたらしい。
「有美ちゃん、あまり進まないとと思うけど、聞いてもいいかな?」
「なぁに?なんでも言うわよ」
「そのアレキがそう言っているのは真実ではないとは思うけど、きっとアレキなりの根拠があってそう言ってると思うんだ。僕の目が悪いかもしれないけれど、彼はそんなに頭が悪い人ではいと思うんだ。きっと彼なりに仮説があると僕は感じた。それに、お姉さんと交際していたのであれば、吉岡家のことをそれなりにも知っていたと思うんだ」
僕はこうして数日間有美ちゃんと一緒にいるはずなのに、まだちゃんと目を直視できないでいた。
不意に抱き締めてしまったのもあるかもしれないが、とにかく僕はずっと汗をかいたグラスと常に目を会わせていた。
「そうね、それもあるかもしれない。わたしはなぜお姉ちゃんと荒木が別れてしまったのかは分からなくて、てっきりお姉ちゃんが荒木を振って、その腹いせにいじわるしているのと思っていたわ」
「いじわるにしては、なかなか悪の面が強すぎる気がするなぁ。なかなかお母さんを引き合いに出して、あんなこと言えたもんじゃないな、少なくとも僕なら。でべそでも限界だ」
「ふふ、ヨージくん面白いね。わかったわ。参考になるか分からないけど、お姉ちゃんの発見に少しでも役に立つならね」
「僕で役に立つかわからないけど」
「ううん、ヨージくんには知っておいてもらいたいんだ。なんかね、自分でもわからないけど、なんでも話しちゃうんだ。ほんと不思議」
有美ちゃんは年期が入った茶色のテーブルの上で固く組んでいた両手をほどいて、息を軽く吸った。
「わたしが知ってる吉岡家のおはなしを始めるね」
カラン、と再びグラスの中の氷が乾いた音を鳴らした。
今度は僕と有美ちゃんのグラスの中で音が鳴った気がした。




