プライド
有美ちゃんが行方不明になってから4日が過ぎた。
月曜日にあの衝撃的なニュースを聞いてから、もう今日は木曜日だ。
明日は有美ちゃんの友人に声をかけてもらって、捜索のビラを学食で作るようだ。
それまでなにもせずにはいられなかった。
いまの瞬間にも有美ちゃんは息をしているのか、はたまたもう…
そんなことは考えるのを辞めて、僕は朝の講義のために学校へ向かった。
学校へは徒歩で20分ほどだ。
駅まで10分歩き、その後10分長い坂を登り、正門の前につく。
朝の講義はできれば避けたかったが、卒業に必要な必修科目となれば、全力で朝起きて受けなければ行けない。
朝は苦手だ。
高校までは母さんに起こしてもらっていたが、さすがに大学生になってまで、母さんのモーニングコールだとは友達に言えない。
最近の携帯電話は高性能で、『Hi,my phone!』と言えば『何かご用ですか?』と要件を訪ねたてくれて、『明日の目覚まし時計を8時にセットして』と言えば、『かしこまりました』と目覚まし時計の設定を変えてくれるのだ。
この機能は本当に便利なもので、『ラジオ体操の動画を流して』とか『写真撮って』とか、『エッチなビデオ見たい』とかにも従順に応えてくれるスーパー彼女のような存在なのだ。
いまではどの携帯電話にも搭載されている機能で、『マリア』と世界的に名付けられている。
なぜマリアかと言うと、お母さんのように何でもやってあげますよ、という母性本能から製作者が名付けたらしい。
僕はこのマリアのお陰で、必須科目の英語の講義に間に合っている。
学校に着いたのは8時35分だった。
朝の1コマは8時40分から始まるので、ちょうど良い到着だ。
しかし、面倒なことに英語の講義は棟の4階で行われるので、ここから階段をえっちらおっちら登らなければ行けない。
節約家の学生課の方々がエスカレーターを禁止したせいで、教授を含めた僕らはみんなこの階段を否が応でも登らなければならないのだ。
(たまに、スカートが短い子がいるのは、その子が短いスカートを履いているのが悪のであって、たまたま階段を僕より先に登る彼女たちが悪いのだ)
はあはあ息を切らせながら4階まで登り、教室へと向かう。
ポケットに入れた携帯電話の画面を見る。
『8時39分』
ぎりぎりだ。二度寝したのが悪かったな。
明日は二度寝予防にあと5回は目覚ましをセットしよう。
教室に入ると、数十人の生徒たちが談笑をしていた。
僕は窓際のすぐ右の席にタケシがいるのを見つけて、隣の席に座った。
「おはよ」
「おはよ」
タケシがにっと笑いその白い歯を覗かせた。
「今日も朝練?」
「そうだよ。冬こそサッカーは練習が大事なんだよ」
「朝からご苦労様」
タケシは高校から注目されていたサッカープレーヤーだ。
この街では知らないひとがいないくらい、新聞にも取り上げられていたプレーヤーだ。
大学からスポーツ推薦も来ていたが、父が学校の先生をしていて、その姿に幼少気から憧れを持っており、将来は学校の先生と決めていたのだ。
そうしてタケシはこの大学の教育学部に入り、教員免許の取得を目指してがんばっている。
がやがやとした空間に、アメリカから来ている先生が「hello!」といつもの高いテンションで入ってきた。
生徒たちは次々に席につき教科書やノートを出して授業を受ける準備をした。
この英語のクラスは有美ちゃんと一緒のクラスだった。
いまは違うが、夏場は席が近くて、たまに英語のコミュニケーションをするペアをしていた。
有美ちゃんはどうやら帰国子女なのか、親が海外で仕事をしていたとかなんかで、すごく綺麗な英語を話していた。
彼女が先生から渡されたわら半紙のプリントを読んでいるときに、伏し目の長いまつげを見ているのが好きだった。
それでよく僕は自分の番に発言するのを忘れていた。
よく「次、山本くんの番だよ」と言われ、その黒く深いくりくりとした目に見つめられると、どうしようもなくなってしまい、自分が次にどこのパートを読めば良いのかも真っ白になってしまっていた。
そうすると、有美ちゃんは、ここだよ山本くんと白くすらっとした長い指で僕の道しるべを指し示してくれていた。
爪は透明なピンクのようなマニキュアをしていて、キラキラと光を浴びて光る爪は宝石のようだとも思った。
総じて、彼女は僕にとっては天使のような、女神のような、後光を従えた仏様のようにいつも映っていた。
彼女の気立てのよさを知っているのは、もちろんぼくだけではなかった。
教授たちからもよい評価を得ているようで、課題をみんな分回収をしたり、掲示物を張ったり、何かしらいつも教授たちのお手伝いをしているようだった。
学級委員のような正義感や責任感をかんじさせるなかで、主張をしすぎない、あくまでも控えめに他人愛に満ち溢れている彼女の行動が、より好きになってしまった。
思い返しても、僕は彼女のそうした人柄に惹かれていた。
どこからどう見ても完璧な彼女は、絵に描いたような素晴らしい女性だった。
クラスや学校にひとりはいる絶大な存在を誇る女性。
人に対する優しさを常に持ち、人と分け隔てなく、損得で付き合わない彼女の真っ直ぐな姿勢に、誰もが尊敬の眼差しを持っているだろう。
加えて、人懐っこいその顔立ちは、ますます周囲のひとを魅了させた。
黒く長いたわわな髪やすらりとした足や手は健康さを際立たせ、胸元は豊かに盛り上がり、陶器のような澄んだ肌は、いつも滑らかに光を帯びていた。
意思の強さが感じられる漆黒の瞳は、明確な二重まぶたで覆われ、唇は桜色をしていて、いつも春を感じさせるような甘い雰囲気を醸し出していた。
遠くでアメリカの教授の英語を耳に感じながら、有美ちゃんの姿を想像していた。
そうだ、初めて有美ちゃんと会った日も、こんな朝が早い日だった。
4階の窓から澄みきった空が見える。
有美ちゃんは覚えてないが、僕は昨日のことのように思い出せる。
初めて会ったひのこと。初めてした、一目惚れのこと。




