わたしの番
荒木さんは変わらずモニターに釘付けで、わたしの方を振り返りもしなかった。
それでいい。
わたしは、自分のやることをやる。
「お父さんは、まだわたしたちが恋人同士だと思っているみたいですね。本当はそうじゃないのに、なんだか申し訳ないです」
独り言のようにつぶやいた。
「それは、仕方がない。この目的を果たすためには、そっちの方が都合がいい」
カタカタと絶え間なくキーボードを打つ音が六畳ほどのこの地下室に響く。
「君もこの家に出入りが多いのに、付き合ってませんなんて、そっちの方が親も心配するよ。大事な娘が週4で独身男性の実家を訪ねて、そこで最低4時間も居座れば、俺たちが普通の間柄じゃないってことは、誰でも疑問に思うさ。だからこのままでいいんだよ。真意はお互いにある」
真意はお互いにある、その言葉が妙に耳に残った。
そうだ、お互いの真意は乱れていない。
これは、契約的な交際だ。
荒木さんはアイリ、わたしはヨージくん。
お互いのベクトルはしっかりと向きを定めている。
「最後のメッセージ、二人はもう与えられた運命を受け入れて、新天地で生を全うする言い方でしたよね」
「ああ」
珍しく短い返事だった。
あの事件、お姉ちゃんが連れ去られ、山の上にある施設に三人で向かったあの日。
あの日からもう数ヶ月。
最後にサルヴェ・レジーナが放った光を受けて、わたしと荒木さんは気を失った。
そして、しばらく気を失った後、目が覚めると自分の体が変わっていた。
ただ、床には夥しいほどの血液が広がっていて、わたしはその生温かさが残る液体の海の中で気を失った。
次の記憶は、荒木さんがわたしを背負って階段を登っている光景だった。
暗闇に慣れすぎた両面は、階段のてっぺんから降り注ぐ光を視界に入れることを拒んでいた。
「いや」
と小さく言葉をこぼしたのを覚えている。
すると、後ろから優しくて温かい手がそっとわたしの肩に触れた。
「大丈夫だよ、有美。お姉ちゃんがいる」
懐かしい声だった。
わたしはその声を聞いて、安心してまた気が遠くなるのを感じた。
次の記憶は、病院だった。
真っ白で無機質で消毒液の臭いでいっぱいの個室で目を覚ました。
どのくらい寝ていたかは分からない。
何よりも体が重かった。
自分の体じゃないみたいに。
そう、結果として自分の体ではなかったのだが。
しかし、目が覚めてからはみるみるうちに体が“自分”になれていくのを感じた。
そして2日も経ったところで、体の違和感は無くなり、走れるようになった。
体の自由が利くようになって、病院の一回にある喫茶店でお茶を飲んでいたときだった。
衝撃的なテレビ番組を目にした。
「連続誘拐、解決か?人質は無事解放、1名行方不明」
その不気味な文字が並ぶテロップは、さらにわたしの心を奪っていく。
「誘拐された吉岡さんのお姉さん、そして小学生の可南子ちゃんは無事に警察に保護されいまは病院で療養中とのことです。さらに、お姉さんを助けに行ったと思われる妹の有美さんも無事との情報です」
アナウンサーがたんたんと情報を読み上げる。
有美は、わたし?
テレビはさらに続く。
「その有美さんと一緒に施設で探索に当たったとみられる荒木青年も無事ということで、すでに退院されたとのことです」
荒木さん、無事だったんだ。
よかった。
それにもう退院なんて、さすが。
しかし、わたしの安堵は次の言葉によって一気に奈落の底に落とされる。
「しかし、その探索に同行をしていた県内の大学2年生の学生はまだ安否の確認が取れておりません。警察は操作を進めております。なにか情報をお持ちのかたは、こちらの連絡先まで一方をお願いします」
画面一杯に写し出されるヨージくんの顔。
あんなにも近くにいた彼は、いまはテレビの中で不器用に笑っていた。
ヨージくんが?
なぜ?
わたしは息苦しくなって、そしてゆっくりとまた気を失った。
次に起きたのも、また同じ病院内の個室だった。
お父さんがベッドのわきで頭を抱えるように祈っていた。
「お父さん」
わたしはいつも通りに呼んだ。
しかしお父さんは目に涙を一杯にためて、わたしを勢いよく抱き締めた。
「よかった、本当によかった」
それしか言わなかった。
いや、きっと言えなかったんだと思う。
お母さんの次に、わたしたちが二人同時にいなくなるなんて、お父さんにとっては地獄と一緒だ。
言葉は多くなくていい。
お父さんはわたしたちを変わらずに愛してくれているから。
「お父さん、ごめんね、ただいま」
しばらくお父さんは泣き止まなかった。
一時帰宅の日だった。
わたしは荷物を軽くまとめ、お父さんと一緒にタクシーで家に向かった。
荷物なんてほぼ無かった。
保護されたときの荷物がそのままだ。
携帯電話、財布、ハンカチ、リップクリーム、それだけだった。
服はお父さんが家から適当に取ってきてくれた。
事件当時に来ていたお気に入りの白いワンピースはクリーニングに出してくれたそうだ。
わたしは、久々に鼻の中に広がる外の空気が、あの日の空気と全く違うことに気がついた。
春が、近いのだ。
ヨージくんは、いまどこに?
彼も同じように春を感じているの?
メディアが遮断された病院内では、事件のことを知るすべはなかった。
特に、わたしは。
お父さんが気を遣って敢えてテレビがない病室を用意したのに、わたしがふらふらと待合室に行くものだから、お父さんの心配は現実のものになってしまったのだ。
でも、わたしには知る権利がある。
だって、あの事件の当事者だから。
タクシーは病院の駐車場にたくさんいたので、待つ必要はなかった。
乗り場にいる一番先頭のタクシーの運転手にお父さんが話しかけ、行き先を伝えた。
タクシーの中はきれいに除菌された独特の臭いで満ちていた。
病院の消毒液の臭いとどちらがいいだろうか、どちらでもよい。
席にどっぷりと腰を掛け、そういえばと携帯電話を開いた。
たくさんの着信、そしてメールが入っていた。
お父さんのもの、友達のもの、たくさんあった。
それを見ると申し訳ない気持ちになって、そっと画面をオフにした。
たくさんのひとに迷惑は掛けたと思うけれども、わたしは間違ったことはしていないと思っている。
自分が正しいと思うことをした、それだけだった。
唯一の姉を助けるために妹が出かける、そして好きなひとの力になりたくて、体を盾にした。
そうだ、間違ってない。
迷惑をかけたことは、謝るしかない。
でもわたしはあの日を誇りに思うのだ。
吉岡有美として生きた、最後のあの日に。
病院から家路の途中にある駅前に差し掛かったとき、ブブブとバイブレーションが鳴った。
きっと仲が良い友達の誰かだろう。
わたしの退院を聞き付けて、心配して連絡をくれたのだ。
そう思い携帯電話の画面をオンにした。
見慣れた待受画面の中に、見覚えがないアイコンが優しく点滅していた。
メールマークのようだが、いつもと違う。
怪しく思いながらもそのアイコンをタップした。
すると、画面が一気に真っ白になった。
まさか、ウイルス?!
と思った矢先だ。
画面の真ん中に柔らかい青色をした光が浮かんできた。
その光は規則的に光を強めたり、弱めたりを繰り返した。
始めてみる光景なのに、なんだか妙に心が落ち着いていくのを感じた。
その光は15秒ほど点滅をした後、画面に「ありがとう」の言葉を残して消えた。
同時に画面もオフになったので、急いで電源ボタンを押して、画面をつけた。
待ち受けにはあの不思議なメールマークはない。
しかし、いつもどおりのメールマークがそこにはあった。
「新着メール」とかかれたそのアイコンをタップする。
メールのアプリが立ち上がり、未読メールありの表示がされる。
宛先は?
白の世界から?
どういうこと?
やっぱりウイルスだったのだろうか。
それでもいい、開いてみたい。
恐怖よりも、好奇心で胸が一杯だった。
白の世界さんからのメールを開く。
中身は普通の文章だった。
しかしその文章はウイルスでも、チェーンメールでもなかった。
これは…。
「ヨージくん…」
思わず言葉が漏れた。
隣に座っていた父がわたしの方に顔を向ける。
きっと、お父さんも事件のことは何となく知っていて、ヨージくんの名前もきっとわかっていたのだろう。
だから、不安な顔でこちらを見たのだ。
「お父さん、大丈夫だよ。わたしはどこにも行かないから。それにね」
わたしはその時自然に目から涙をこぼしていることに気づいた。
それは止めどなく頬を流れては、輪郭から携帯電話へとぽたぽたと落ちていくのだった。
「それにね」
涙声で続けた。
「ヨージくん、無事みたい。よかった。これで警察も安心だね」
「どういうことなんだ?見つかったのか?」
「うん、見つかったの。でも、探せない、わたしたちじゃ」
「どういうことだ?」
「そういうことだよ。でも、“生きてる”ってことが分かったよ」
「有美、分からないよ、それじゃ」
「じゃあ、話してあげるねお父さん。今日は豪華にすき焼きにしよう!あとはデザートに駅前のドーナツ!お姉ちゃんはもう家にいるんだよね?今日はパーティだよ。
運転手さん、ここで一旦止めてもらっても良いですか?駅前でドーナツを買うので。すぐ戻ってきます。なんなら、運転手さんの分も買いますよ」
わたしは助手席に体をぐいっと乗り上げて、勢いよく言った。
お姉ちゃんは無事だった。
やはり、わたしのときと同様で前後の記憶はすっぽり無くなっていた。
その代わり、首の後ろに虫刺されのような傷が二つついていた。
わたしにも誘拐の解放後、同じ傷がついていた。
これは適合試験をするために、必要な傷だ。
機械と体を管で接合するためにはどこかをつながなければならないが、アダムとイブ計画では脳と脊髄を結ぶ首に管を接続したのだ。
そのうち傷はなくなるので、気にしなくても良い。
お姉ちゃんは、荒木さんのことや地下で起きたことは知らせていない。
そして、お母さんのことも、アイリのことも。
今でないときに、いつか教えてあげるんだ。
そう、アイリが帰ってきたときに。
少しお互いにぎくしゃくした豪華な晩餐会を終え、わたしは部屋に戻った。
ヨージくんからのメッセージを読み返すのだ。
そしてそれをヒントに、ヨージくんも取り戻すのだ。
今度はわたしの番だよ、と心のなかで大切なひとに話しかけ、わたしはメッセージを開いた。




