第2話 魔王候補は、パンを隠して眠ります
フィンは、パンを半分だけ食べた。
残りを上着の内側へ入れ、私の視線に気づくと取り出した。
「ごめんなさい」
「持っていていいのよ」
食卓の向かいで、料理長のドロテが口を結んだ。
私は彼女が何か言うかと思った。
けれどドロテは、パンを包む布を一枚持ってきた。
「こちらへ。服では、くずが落ちますからね」
少年はその布を見た。
なかなか手を出さないので、ドロテが包み、彼の皿の横へ置いた。
医師は、衰弱と、手首の傷を記録した。
熱はない。食べ物を急にたくさん与えないように、と教わる。
私は前世で絵本を作っていたが、子どもを育てた経験はなかった。
本に書いた「元気いっぱい」の七歳と、目の前の七歳は違った。
「治療の間、屋敷で暮らせるようにしてください。過ごし方は、院へも照会を」
医師の頼みに、私はうなずいた。
今すぐ養子にします、と言えば、全部解決するわけではない。
彼の出自も、誰が連れてきたのかも、まだ確かめなければならなかった。
叔父はもう帰っていた。
夕食の前に、私の帳簿を届けると約束して。
本では、この屋敷の地下で魔王が育つ。
私は地下室へ鍵をかけ、客室を一つ開けた。
ミラが、寝間着を用意してくれた。
丈が長すぎたので、裾を折る。
フィンは腕を出すたび、こちらの顔を見た。
「ミラは、お風呂と着替えを手伝ってくれる人よ。嫌なことがあったら、言って」
「アデルさまも、怒らない?」
「怒ることはあると思う。でも、嫌だと言っただけでは怒らない」
自分がいつも穏やかな人間であるとは、約束できなかった。
前世でも、原稿の締切が迫ると、返事が短くなった。
その短い返事を、子どもがどう受け取るのか。私は考えたことがなかった。
フィンは、寝台を見て立ち止まった。
「ここに、誰か来る?」
「今夜は、あなたの部屋よ」
「明日も?」
「明日も。この部屋を使っていていい」
私が出ようとすると、小さな声が追いかけてきた。
「灯りは」
「消さないでおく?」
返事が来るまで、待った。
フィンは、唇を結んでからうなずいた。
私は燭台を少し離した。
燃え移る物がないことをミラと確認し、廊下の灯りもつける。
彼が眠るまで、扉は細く開けておくことになった。
自室へ戻ると、私は紙へ思い出せることを書いた。
半年後の祈灯祭。王太子ローデリク。聖女マリア。
祭りで聖冠に異変が起き、アデルの陰謀が暴かれる。
十二年後、フィンが魔王となり、国へ復讐する。
どうすれば、その前に止められるだろう。
彼を別の家へ預ける。
王都から遠ざける。
叔父を追い出す。
三つ目を書いたとき、廊下で床板が鳴った。
フィンが、部屋の前にいた。
寝間着の胸が、少し膨らんでいる。パンの包みだった。
「お水」
それだけ言い、私の顔を見た。
私は杯を持ってきた。
彼が飲み終わると、パンの包みが少しだけ動いた。
「なくなっても、明日の朝に出るわ」
フィンはうなずいた。
それでも、包みは離さなかった。
私は部屋まで送った。
寝台へ上がり、枕の隣にパンを置く。
その様子を見ていると、さっき紙へ書いた「別の家」が、ひどく簡単な字に思えた。
今日ここへ来て、明日どこかへ出される。
私の都合で、それを繰り返していいのだろうか。
「おやすみ、フィン」
少年は、布団の中で固まった。
返し方が、わからないのだと気づいた。
「眠る前の挨拶よ。返事は、しなくても大丈夫」
私は扉を細く開けたまま、椅子を廊下へ運んだ。
本の先を考える仕事は、今夜、ここでもできた。




