第六話 遺されたもの
私が目を覚ましてから時が過ぎ、季節は移り変わろうとしていた。
夏が終わり、城下の畑に植えられた黄金色に輝く麦の穂は、収穫の時を待っているようだ。
城内は既に日常を取り戻していて、私は父の公務の補佐をしながら空いた時間は書庫に通う、という日々を送っていた。
そんなある日の朝、事件が起こった。
「あれ、おかしいな。お菓子ばかり食べ過ぎたのでしょうか。」
公務に備えて着替えようとしていたのだけれど、腰周りがどうも苦しい。
だって、秋の実りは美味しいものばかり。
それらを使って給仕長が作る甘味は、食事をした後でも私のお腹の中に消えていく。
特に、とろりとした蜜をかけた焼きりんごの甘酸っぱさが絶品で、豊穣祭以来すっかり私のお気に入りになってしまっていた。
あぁ、淑女が体型を崩すなんて……。
そんな風に嘆きながらドレスと格闘していると、背後から侍女の声が耳に届いた。
「王女様、お着替えはお済みでしょうか?」
「あ、お姉ちゃ――」
「……王女様、そのままこちらを向いてもらえますか。」
あれ、私の言葉を遮るのは、怒っている?
それになんとなく声色が冷たい気がする。
侍女の声に促され、振り向いて背筋を伸ばす私。
ドレスを放り投げ、下履き姿で直立する私を穴が開くほど睨みつけてくる。
うぅ……やっぱり食べ過ぎだったんだ。
いやでも……給仕長が美味しいお菓子をたくさん作るのがいけないんだ。
侍女の視線は、首から下に向かい胸とお腹、下半身、そしてまたお腹へと、何度も腰周りを行ったり来たりしているように見える。
そうだよね、その辺りがきつくなってきていて……。
「最近給仕長が、『王女様のお食事の量が以前よりも多くなって、とても作り甲斐があるんですよ。給仕冥利に尽きます。』なんて嬉しそうに言っていたけれど……。」
そう切り出した侍女の目は、全く笑っていなかった。
「だって、なんだかいつもよりもお腹が空いてしまって……。」
私のこの言葉を聞いた侍女は、口元をへの字に結んだあと、軽くため息をついた。
「だってじゃありませんよもう、子どもでもあるまいし。私は別に責めているわけじゃないわ。あなたの身体に明らかな変化が見られるので、慎重に確認しているの。……最近、変わったことがあるでしょ?」
そう言いながら侍女は、私が放り投げたドレスを衣服掛けに掛け直していた。
代わりにゆったりとした形のドレスを見繕っている。
「……変わったこと?えー、食事の量の話ではないのでしょう?なんだろう?」
全く検討がつかない。
蘇生前よりもお腹が空くこと、焼きりんごがとても美味しいこと、それくらいだなぁ。
「もう……自分のことくらい自分で気付きなさいね。最近眠気は強くない?」
「……はぁい。そういえば昼間によくあくびが出るかも。」
「それとあなた、以前からそんなに甘酸っぱいもの好きだったかしら?」
「えーと、豊穣祭で初めて食べた時とても美味しかったから食べてるけれど、酸っぱいものはどちらかと言うと苦手だったかも。言われてみればそこまで好きじゃなかったような?」
侍女の呆れた顔と、大きなため息が静かな部屋に響き渡る。
「はぁ……じゃあ、月のものは?ちゃんと来ているの?」
月のもの、あれ、そういえば……。
「……来てないかも。あれ、最後に来たのいつだったかな。」
侍女に恐る恐る視線を送ってみると、その瞳には呆れを通り越して、怒りが宿っているように見える。
怒っている、確実に。
思い返せば私は、頭のどこかで月のものがないことを凄く楽に思っていたのは確かだ。
それがこんなにも侍女の怒りを買うことになるとは……。
「本当にもう、あなたはそういうところが無頓着すぎるのよ。月のものが来てないってことは?どういうことかわかっているの?」
どういうことかなんて、そんなことは言われなくてもわかっている。
私はもう子どもなんかじゃな……ん?え?
「……あ。」
あの時まさか、とは思ったけれど、どこか軽く捉えていたのかもしれない。
知識としては分かっていたけれど、そんなことが自分の身体に本当に起こるなんて、夢にも思わなかったからだ。
「本当呆れた……断言は出来ないけれど、あなたのお腹にはきっと生命が宿ってる。一度治癒士様に診てもらうといいわ。」
「え、え、でも公務が……。」
「公務と言ってもあなたは補佐でしょう?まだ時間もあるし、陛下におまかせしても大丈夫よ。先に確認していらっしゃい。」
それは横暴な気がするけれど、確かに一大事と言えば一大事でもある。
結局私は侍女の言葉に促され、治癒士の元へ向かうことにした。
「……って、ちょっと待ちなさい!あなたその格好で向かう気なの?」
あ、下履きのままだった、危ない危ない。
またからかわれる要素を作るところだった。
――診療室。
王城と同じ敷地内に併設されていて、廊下一本で繋がっている。
消毒液の匂いがするのと、色んな薬草が保存瓶に入れられていて、種類ごとに棚で管理されている。
小さい頃は少し苦手な場所だった。
当然と言えば当然なのだけれど、生と死の匂いがして、得体の知れない怖さを覚えるから。
幼い頃、侍女とかくれんぼをした際に思わず訪れたことがある。
その頃は魔物との戦いで負傷した兵が病室のベッドに横たわっていて、痛みに悶える声がそこらで響いていた。
それがたまらなく怖かったことを思い出した。
「王女様?何か御用でしたか?」
診療室に入ってすぐ、机に向かっていた治癒士が声をかけてきた。
「はい、ちょっと確認したいことがあって。」
私がそう言うと治癒士は、開いていた書類を閉じて襟を正す。
「そうでしたか。侍女に言付けていただければすぐ伺いましたのに。」
「いえ、ちょっと表立っては出来ない相談というか……。」
少しだけ声を潜める私。
「ふむ。わかりました。人ばらいをしましょう。皆、すまないが少し席を外してくれないか。」
治癒士のその声で、周りにいた助手達が診療室を後にした。
少し申し訳ない気持ちになった。
「では改めて。王女様、いかがいたしましたか?」
「はい、実は――」
私は体型が変わったこと、食事の量や好みが変わったこと、眠気が強くなったことや月のものがずっと無いことを伝えた。
それと、侍女が言っていたことも。
治癒士は私の訴え一つ一つに丁寧に相槌を打ち、身体の変化を目視で確認したあと、「では、そのベッドに横になっていただけますか?」と言って立ち上がった。
私はその言葉に促されるまま、ベッドに仰向けになる。
「では、失礼します……。」
治癒士は私のお腹に手を当てて、静かに目を瞑る。
ほんのり暖かいと思った瞬間、その手が淡い光を帯び始めた。
「これは……やはり間違いない。」
少しずつ手の位置を変え、唸りながら何かを確信しているようだった。
「あの、間違いない、というのはつまり?」
治癒士の反応を見るに答えは出ているようなものだけれど、恐る恐る尋ねてみる。
「つまり、王女様はご懐妊されているということです。おめでとうございます!いやぁ、王女様の話を聞く限り間違いないとは思っていたのですが念の為、感知魔法で確認したんです。感知魔法は本来、目視では生死が分からないような患者に対して使ったり、戦場だと索敵に使う魔法なんですけどね。妊娠の判別にも使えるということを私が発見したんですよ。しかももう3カ月、いや4カ月くらいでしょうかね。となると、王女様が蘇生された頃からになるのかな。あれ、ということは……。」
治癒士は興奮しているのかまた早口になっていて、今日は少し狂気を感じる。
この調子だと、人ばらいをした意味が無くなりそうな気がする。
余計な情報が多すぎて思考が追いつかないけれど、とりあえず侍女の言った通りだった。
そして、人間というのは現金なもので、それが事実と分かった途端、不思議と自分のお腹が急に愛おしくなった。
夢で感じたあの鼓動は、この子のものだったのかな。
この子が居たから、生きることを望むことができたのかな。
お腹を撫でながらそんな風に思った。




