第四話 日常と非日常
「あ、お父様。お気遣い感謝いたします。」
「ん、なんのことだ?わしはただ、お前が腹が減っているだろうと思ってだな。」
父の目をじっと見つめて感謝を述べると、その目は泳いでいるように見えた。
こういう時の父は、誤魔化すのが下手だなぁと思った。
「はい、安心したらお腹が空いてきました。」
よくよく考えたら、あの晩以降何も口にしていない。
なにより胸がいっぱいで、空腹を父に指摘されるまで気が付かなかった。
給仕長が運んできた配膳車には、いくつかの器が載せられている。
水が注がれたコップとシチューのようなもの、それと果物の香りがするジャムのようなものだ。
「さぁ、王女様。これは牛の乳にちぎったパンを入れて煮込んだパン粥でございます。」
給仕長はそう言って、私に粥の入った器とスプーンを手渡してくれた。
「いきなり固形のものを召し上がると胃が受け付けないだろうと治癒士が言っていたので、このような調理をしてみました。味付けはほとんどしていません。」
器に盛られたパン粥は、パンがくたくたになるくらい煮込まれていて、ほんのり甘い香りがする。
「……いただきます。」
「はい、熱いのでお気をつけてお召し上がりください。」
スプーンで掬って息を吹きかける。
頃合を見て口に運ぶと、とろりとした食感とともにやさしい甘みが口いっぱいに広がった。
給仕長が味付けをしていないと言っていたのに驚くほど味を感じて、思わず頬に手を添えてしまう。
「……美味しい。給仕長、こちらは?」
粥の入った器よりも小さな器に盛られた、ほんのり透き通った琥珀色のジャムのようなもの。
なにやら甘酸っぱい香りがする。
「はい、こちらは焼きりんごを細かく刻んで煮込み、ジャムのように仕立ててみました。豊穣祭で召し上がったとのことなので、お口に合うかと思いまして。粥と一緒に召し上がってみてください。」
りんごをわざわざ焼いて煮込むなんて?と疑問に思ったが、淡白な粥に焼きりんごのほどよい甘酸っぱさが合っていて美味しかった。
こちらも食感はほとんどないくらい煮込まれていて、給仕長の配慮を感じた。
王城に仕えている従者達は優秀な人ばかりだなぁと、改めて実感した。
「……給仕長よ、すまんが娘の食事を見ていたらわしも腹が減ってきた。そうだな、肉だ。猪の肉がいい。軽く炙ってくれないだろうか。」
と、父が少し申し訳なさそうに伝えていたが、給仕長はお見通しだったらしい。
持ってきた配膳車は上下段になっていて、蓋がされた下段の方には炙った肉が用意されていた。
「はっはっはっはっ!さすがだな給仕長。わしが見込んだだけのことはある。」
そう言って父は豪快に肉にかぶりつき、満足そうな顔を浮かべていた。
5日前に見たやつれた姿が嘘のようだ。
そして、この給仕長は何者なんだろう?と思った。
――そうして私が、ふた月と5日ぶりの食事を終えかけた頃、なにやらかしこまった様子で声を上げたのは侍女だった。
「陛下、恐れ入ります。治癒士様がお見えになっております。」
「おお、そうか。調理場に行く前に娘が目を覚ましたことを伝えておいたのだ。話があるとのことだったのでな。……すまぬが、そなたと給仕長は下がってもらえるか?」
「「かしこまりました。」」
二人はそう言って頭を深く下げ、部屋を後にした。
侍女は退室する際、私に目配せをしていたので小さく手を振ったのだが、父に気づかれてはいないだろうか。
いや、気づいているだろうな。
そうじゃなければ、私たちに気を遣って時間を作ってくれたりはしないだろうから。
二人が退室してから少し間を置いて、治癒士が扉を開けた。
「失礼します。王女様、体調はいかがですか?」
「はい、ゆっくり休めたので元気です。」
「それはなによりでございますね。」
私とそんな些細な会話をした後、治癒士は父の方に向き直り、軽く頭を下げた。
「治癒士よ。話とはなんだ?」
「はい。王女様が蘇生されたことについていくつかお話が……。」
その言葉を聞いて、私は少しだけ胸が騒いだ気がした。
前例がないと言っていたし、私も人が甦るなんて聞いたことがない。
ましてやその対象が自分だなんて……。
父はというと、顎にたくわえられた髭を撫でながら怪訝そうな顔をしていた。
「ふむ、申してみよ。」
「はい。お二人は、人が生命活動を終えた時、どうなるかご存知ですか?」
父も私もある程度なら知っている。
死後、人は身体が硬直し、やがて腐敗していく。
そして、最後は土に還る。
あれ?それじゃあ私は……?
「そうなると、仮に蘇生できたとしても、身体には硬直や腐敗などの変化が見られるはずですよね?」
もちろんそんな変化は一切ない。
5日前に治癒士が私の身体をくまなく調べて、それを証明している。
「治癒士よ、それは保存魔法の作用ではないのか?」
「はい。保存魔法とはそもそも、対象物の組織や細胞に作用して、成長や腐敗の速度を著しく低下させる魔法なのです。ですが……。」
治癒士が言うには、保存魔法はあくまで腐敗を遅らせるもので、止めることはできない。
それを前提とした時、魔法を施してからふた月も経っているにも関わらず、私の身体にあるはずのその兆候が全くない、ということが不可解とのことらしい。
確かにおかしい。
「ふむ、我が王宮魔術師がそれだけ優れていた。ということではないようだな。」
「はい。残念ながら。」
治癒士の返事を聞いた父は、どこか寂しそうだった。
「ももも、もちろん術師によって、効果の持続時間や大きさの違いはありますので一概には……。それに王宮魔術師殿はこの国で一二を争う術師ですし、当然保存魔法の効果時間は最長かと……。しかし、今回の王女様の件は、もはや保存魔法では説明がつかないのです。」
父の何かを察したのか、治癒士は捲し立てるようにそう言い放った。
この治癒士は興奮したり緊張したりすると早口になるの可笑しいな、今度侍女と二人でからかってみようかな。
そんな、淑女にあるまじき考えを抱いた私をよそに会話を続ける二人。
「そうか。治癒士はどのように考えている?」
「はい。その事実をふまえた上での私の見解は、王女様の身体は保存魔法によって保存されていた。というよりも、そうですね、言うなれば極低温下で凍結されていた状態に限りなく近いのです。」
「……凍結?凍結だと?」
「はい。もちろん実際に凍結されていたという訳ではありません。蘇生時の王女様の身体の状態が、死亡直後に近かったと言いますか……。どれだけ高度に保存魔法を施しても、硬直や腐敗が進まないわけがないのです。」
「……うぅむ。」
父の唸り声とともに静寂が部屋を包み込み、時だけが刻まれていく。
そんな中、沈黙を破ったのは治癒士だった。
「王女様、あの日の夜に何があったのか、覚えていらっしゃることはないのですか?」
「もちろん覚えています。あの日の夜は……。」
覚えていないはずがない、私にとっては昨日みたいなものなのだから。
――あの日の夜は、湯浴みを終えて花の香りを纏い、勇者を待っていた。
勇者を部屋に迎えて他愛のない話をしたあと、あの木の下で出会っていたことを思い出させてもらった。
運命だと思った。
花火の光で部屋の色が次々と変わる中、勇者は私を抱きしめてくれた。
そして、そのあと……
「そのあとは……あの、えーと……その……。」
顔が熱い、耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。
今思い出してもとても恥ずかしいけれど、私が蘇生した理由を探るためならば……
意を決して口に出そうとしたその時、「おほんっ……頼むからそれ以上のことは言わないでくれ。」と父から遮られてしまった。
その言葉で我に返った私は、今何を口走ろうとしたのかを思い返す。
そして、あまりの恥ずかしさにこの場から逃げ出したい一心でベッドに潜り込んだ。
「王女様、私がお聞きしたいのはその……そのあとのことなのです。」
治癒士の意見はごもっともだ。
なぜそんな話をしようとしてしまったのか、きっと、蘇生したばかりで頭がうまく働いていないに違いない。
そう思うことにした。
とはいえ、私としたことが本当に危ないところだった。
父が止めてくれなかったらとんでもない失態を犯す……いや、それどころか治癒士をからかうつもりが、逆に陰でからかわれ続ける一生を送ることになるところだった。
そう思うと、背筋が少し冷たくなったように感じた。
いったん深呼吸をして落ち着こう。
すぅー……ふぅ……
よし、気を取り直して話を続けよう。
「……失礼いたしました。聞きたいのはそのあと、ですね。」
「はい、そのあとでございます。」
「……正直なところ、そのあとのことは覚えていない。というか分からないのです。自分がそこで気を失ったのか、そのまま命を失ったのか。」
言葉通りだった。
なんせ、死んだと気付いたのは生き返ったからだし、普通自分が死んだなんて分からないだろう。
私の答えを聞いた二人は、あからさまに視線を落とした。
「あっ、でも、死ぬ前なのか目覚める直前なのかわかりませんが、夢を見ていました。」




