第二話 奇跡
誰かがすすり泣く声。
それに気がついた時、心臓が鼓動を始め、全身に血が巡る感覚。
次いで、肺が酸素を取り込んで、冷たくなっていた手足に体温が戻っていく。
霜焼けになった時の、脈打つような熱さを感じる。
そして、白いもやがかかっていたような思考が、少しずつ鮮明になっていく。
狭い空間、息を吸うたびに香る花の匂い。
どうやら身体の周りに花が敷き詰められているようだった。
自分の身に何が起きているのか確かめるため、目を開けてみる。
ぼんやりと霞がかった視界は、時間と共に少しずつはっきりとしていく。
目の前には、涙を流すやつれた顔があった。
誰よりも知っている顔のはずなのだが目は窪み、頬はこけていて、こんな顔の父を見たことはなかった。
「……お゛とう、さま?」
声帯がうまく震えないのか、掠れてうまく声が出せなかった。
「な……。」
突然声を発したせいか、父の身体が一瞬跳ねた。
直後、首を左右に振り、大きく息を吐く。
「いや、気のせいか……わしも疲れているな。」
そう呟いたあと、父は私に視線を向けた。
目が合う。
もう一度声を……。
「……お、とうさま。」
「……。」
父の表情は変わらない。
声が届いていないのか反応がない。
再び声を振り絞る。
「おとう、さま!」
すると父は、困惑したような表情を浮かべ、棺を覗き込む。
「そんなはずは……生きて……生きている、のか!」
「……はい、私、生きて、けほっ、います……。」
大量の空気をいきなり吸い込んだせいか、身体がそれを拒むように吐き出そうとする。
「……誰か!治癒士を呼べ!王女が、娘が生きていた!」
咳き込む私を見て父は、大きな声を上げた。
その声を聞き、近くに待機していた兵士が慌てた様子で駆けていく。
「人が……娘が生き返るなどとは。」
父はそう呟くと、棺の中の私を抱き起こした。
「心配をかけおって……お前までわしを置いていく気だったのか。」
震える声と額に伝わる父の温もり。
幼い頃、こうやって抱きしめてくれたことを思い出す。
私は生きている、ちゃんと生きているんだ。
「けほっ、けほっ、こほっ……。」
生を感じたのも束の間、再び死の恐怖が襲ってくる。
咳が止まらず、息を吐き出すことしかできない。
呼吸ができない、苦しい……。
「しっかりしろ!お願いだ。わしから娘を二度も奪わないでくれ……!」
私を抱きしめながら懇願する父。
遠のいていく意識の中、頬を涙が打つ感覚。
その時だった。
嗅ぎ慣れない香りが鼻腔を刺激する。
「陛下!お待たせして申し訳ありません。この香炉を王女様のお近くへ。」
「おお……待ちかねたぞ。」
器を重ねた時のような音と共に、香りが強くなる。
すると、不思議と咳が落ち着き、呼吸が楽になってきた。
「王女様、ゆっくりと息を吸ってくださいませ。」
そう指示するのは治癒士だった。
酸素が身体を巡り、徐々に意識がはっきりとしてくる。
「間に合って良かった……。呼吸が楽になる香ですので、そのまま吸っていてくださいね。」
「……はい。ありが――」
「もうよい、喋るな。また咳が止まらなくなる。」
治癒士に礼を述べようとしたのだが、父がそれを遮った。
そして治癒士の方へと向き直る。
「治癒士よ、急にすまなかったな。わしからも礼を言う。」
そう言って父は、深々と頭を下げた。
「陛下、とんでもございません!お顔をお上げください!兵士がものすごい形相で診療室に駆け込んできたんです。そこで細かな状況を説明してくれたおかげで、的確な処置ができたのです。」
治癒士は早口でそう答えると、慌てふためきながら頭を下げた。
「ふむ、そうか。ならばその兵士にも礼を言わんとな。あとでわしの元へ来るよう伝えておいてくれ。」
「はっ!」
それから治癒士は、香炉が煙を吐き出している間中、私の身体を診察しはじめた。
目を開いてみたり、脈を測ったり、心音を確認したり、関節を動かしてみたり。
「王女様、申し訳ありません。なにぶん、前例がないものですから……。私も治癒士の端くれ。血が騒いでしょうがないのです。ご理解ください。」
とのことだった。
勝手なことを言っているなぁと思っていたのだが、命を救ってくれたのは間違いない。
なので、私はそのまま身を委ねていた。
やがて香炉から煙が上がらなくなると、治癒士が口を開く。
「もう良い頃かと思います。王女様を寝室へお連れしましょう。」
そう言うと、周りを見回して誰かを探す素振りをする。
その様子を見て父は、私を起こして背を向けた。
「よい。わしが連れていく。」
私の手を自分の首に回し、勢いをつけて立ち上がる。
そのままふらつくことなく、まっすぐ歩き始めた。
父の大きな背中に身を委ねる。
「……重くなったな。」
「もぅ……年頃の淑女に失礼じゃありませんか?」
「おぉ、それはすまん。昔はよくおぶってやったなと思ってな。」
「私はもう子どもじゃありません。」
寝室へ向かうまでの些細なやり取りがとても心地よかった。
私は父にも愛されている。
そんな父の温もりを感じながら、私は意識を手放した。




