そうしたいと思ったから
「初めまして狐森様。わたくしこういう者でございます」
スッ
「あ、ご丁寧にどうも……」
「お初にお目にかかります狐森様。わたくしはこういう者でございます」
スッ
「ご、ご丁寧にどうも……」
おそらく使用人であろう方たちが、俺の近くを通りすぎる度に、腰を低くして、わざわざ名刺を渡してきてくれる。
なんだか仕事を増やしてしまっている気がして申し訳ない気分になるが、渡されたものはきちんと受け取っておこう。
……ところで、何でみんな俺の名前を知っているんだ……?俺はこの屋敷に来たことはないはずだが……
「あの……何で俺の名前をご存知なんでしょうか?」
「えぇ、お嬢様がいつも、狐森様にはよくして貰っているとお話されていたので」
「さっきまでのお嬢様の信頼ぶりを見るに、あなた様がきっと、狐森様で間違いないと思った次第にございます」
「な、なるほど……」
人の噂というのは、やはり本人の知り得ない所で広がっていくものの様だ。
あの羽車先輩の事である、きっと屋敷中全ての人間に、俺の名前が知れ渡っているに違いない……何か恥ずかしいことを言われてないか、少し心配になってきた……
「いえいえ。恥ずかしいことなんて滅相もございません!」
「そうですよ。お嬢様はそれはそれはもう、毎日楽しそうにあなた様のお話を」
「わー!?ストップストップ!じいやばあやもここのお世話は大丈夫だから!もう、その話は勘弁してぇ……!」
なんだかんだ、取り乱すという事だけはしない先輩が、珍しくあたふたとして、二人の使用人の方々をその場から立ち去らせようとしていた。
「ふむ。しかしお嬢様。じいやは驚きましたぞ」
「えぇ。まさかお嬢様と狐森さまが、あんな『あーん』などする仲だったとは露知らず……」
「あ、あれは別にそんなんじゃないからね!?というかどこから見てたのさ!?本当に趣味が悪いんだから……!」
先輩にぐいぐいと背中を押されて、使用人の二人は、渋々と屋敷の中へと戻っていった。
「ふぅ……全く。噂好きの使用人たちは、油断も隙も無いんだから……」
「あの……俺、なんか失礼な事でもしてしまいましたか?あんな慌てて返すなんて……もしそうなら」
「え?いや全然!狐森くんはなにも気にしなくて良いからね!は……はっはっは……はぁ……」
日差しが熱いせいか、いつもよりほんのりと顔の赤くなっていた先輩が、から笑いをして親睦会の席へと戻っていった。熱中症気味なのだろうか?少し心配である……
「それでその……すまーとふぉん?とやらがあれば、ワシもぬしに……えっと、めーるあどれす?とやらを送れるのかえ?」
「そうです!スマートフォンは人間たちが生み出した、とっても面白い物なんですよ!」
数百年全国を巡っていた割には、なにかとアナログな感覚の狐と、まだ幼いながらに、人間の作り出した欲にまみれ、デジタル社会に適応済みの狸が、みんな大好きスマートフォンをいじくり倒して、なにやら授業を始めていた。
「まずはどうやって動かすのじゃ?」
「その横のボタンを押してください」
「これかの?……おぉ!画面がついたのじゃ!凄い綺麗じゃのぉ……昔どこかで見た、人間の子供が持っておったゲーム機の画面とは大違いじゃ」
……駅前とかでよく見かける、高齢者向けのスマホ教室が、なんかあんな感じだった気がするな……
「なんださぎり。スマホが欲しいのか?」
「おぉぬし。いやな……ぬしさっき、ウツシノカミからめーるあどれすとやらを貰っておったじゃろ?じゃからワシも、ワシのめーるあどれすをぬしにあげたいと思っての!そしたら楓の奴がスマホには詳しいと言うから、こうやって教えて貰っとる訳じゃ」
「はい!この楓、若輩ながらも、最近の電気製品には覚えがあります!スマホでもゲームでも、なんでもござれです!」
ふむ、中々に現代っ子な狸である。
……いや、逆か?さぎりが現代に適応しなさ過ぎているだけでは無いのか?
現にさぎりと同じ神様であるうつしさんは、スマホを使いこなして、その上現代のデパートの店員として、しっかりとデジタルに適応していた。
なぜさぎりだけが、こうも現代技術に疎いのだろうか?よく考えてみれば、不思議な話である。
「お前、そんなにも機械音痴ななりなのに、全国を巡っていて、困ったりはしなかったのか?」
「うーん。まぁ自販機の使い方とか、車の動かし方くらい分かっておれば、ある程度は生きてゆけるしの。というかワシ、自分で飛べるから移動に機械とか要らんからの。ほっほっほ」
「なるほどな。まやかしとか使って、自分でなんでも出来るから、機械に頼る必要がそもそも無かったのか」
なんでもそうだが、自分が普段使わないものというのは、やはり詳しくは知らないことがほとんどだ。俗にいう、専門外というやつである。
ガラケーを使用している人は、スマホの操作はよく知らないし、パソコンを普段から使わない人は、パソコン画面の電源をつけることにすら苦労する。
そしてさぎりは、服もご飯も移動も、全て自分の力だけでどうにか出来てしまう存在だ。そんなやつがスマホの事なんぞ、知っている訳がないのである。なにせ必要が無かったのだから。きっと触ったこともないのだろう。
……だがしかし!今は事情が変わった。さぎりは俺と一緒に現代を生きると決めたのだ。それならきっと、スマホくらいは持たせた方が良いのだろう。
良い機会だ、このまま楓にお願いして、さぎりに存分に、スマホの使い方をレクチャーして貰っておこう。さぎりを駅前のスマホ教室に通わせる手間がはぶけて、良かった良かった……
「これが電話のアイコンで、これがメールの」
「あ、あいこん?めーる?難しいのぅ……」
「そ、そこからなのですか……」
……先行きは長そうである。頑張れ楓。後でまた肉焼いてやるからな……
「なぁ楽、少し良いか?」
「ん?どうした哲。そんな急に改まって……」
さぎりと楓の悪戦苦闘を眺めていると、不意に後ろから、プラスチックの椅子に座っていた哲に話しかけられた。
「まぁ座ってくれ。ゆっくり話がしたい」
「分かった。まだあんまり飯食べてないから、食べながらでも良いか?」
「もちろんだ。肉を焼いた者には、その権利がある」
お言葉に甘えて、いくつかの焼いた肉と野菜を皿に盛り付けて、哲の隣にプラスチックの小さな椅子を設置し、そこに座り込んだ
「それだけの量で良いのか?それで足りるのか?」
「お前やさぎりと一緒にするなよ。俺はこれで十分なの」
「そうか。余計なお世話だったな。では早速本題なんだが……女狐の事だ」
まぁ、そうだろうなとは思っていた。哲が今このタイミングで、真剣な眼差しで聞いてくることとすれば、それくらいしか無いだろう。
「おう。俺に答えれる範囲の事なら、なんでも聞いてくれ。お前に隠し事しても、心配させるだけだしな」
「あぁ、信頼してくれてありがとう。それでだ、楽……あいつの事、好きなのか?」
「ぶっ……」
まだ口にご飯をいれてなくて良かった……想定外の言葉に、思わず吹き出してしまったではないか。
「どうなんだ楽?あいつの事を、一人の女として愛しているのか?」
「げほっげほっ……あぁいや。そんなんじゃないよ。俺はまだそんな、愛だとか恋だとかよく分かんないからな……」
「そうなのか?ならなぜ、あの女狐をそこまで庇う?あいつはまぁ……確かに怪異としては理性的だし、話も通じる。だが所詮、怪異は怪異だ。根本の考えが違う、生き方が違う。ある日急に、お前に牙を向くことだって、あるかもしれないんだぞ?それなのにどうして……」
哲がここまで口数を多くするなんて、本当に珍しいことだ。
この2日間、珍しいことばかり起きている。恥ずかしがる羽車先輩やら、見たこと無いくらい上機嫌なじいちゃんやら、よく喋る寡黙な親友やら……
……分かっている、良くも悪くも、それらは全部、俺とさぎりが原因だ。
ここらで一つはっきりと、哲には俺の考えを述べておこう。そうしなければこの心配性な親友は、納得なんてしてくれそうにないのだから。
「……俺がそうしたいと思ったからだよ。ただそれだけだ」
「はぁ……またそれか。お前はいつもそうだ。僕には理解不能な行動を突然取ったかと思うと、いつもいつも『そうしたいと思ったからやった』などと……つまり今回も、そのいつもの『発作』で、あの怪しい女狐に手を差しのべてやったと、そう言いたいのか?お前は?」
「おう。さすが哲。俺の事よく分かってるじゃないか」
考えを述べてやると言ったが、正直、自分でも詳しくは説明できそうにない。
……やっぱり俺も、あのじいちゃんの孫と言う事なのだろう。これと決めたら、他人の意見もろくに聞かずに、やりたいと思ったことをその場の勢いで実行してしまう。
そのせいで、何度も痛い目を見てきた。何度も後悔してきた。
それでも……この気持ちは、紛れもない俺の本心だ。どうか親友よ、分かっておくれ。
「……まあいいさ。どうせそんな答えが帰ってくるだろうとは、予想していたからな。逆に違う答えが出て来たら、あの女狐をどうしてやろうかと思ってたくらいだ……!」
べキッ……べキッ……!
哲の指から、妙に力の籠った骨の鳴る音が聞こえてきた……こいつ、なにをする気だったんだ……
「そ、そうか。俺の返答がお気に召したようでなにより……」
「ぬぅしぃ!これ!ワシこれ食べてみたいのじゃ!」
哲の後ろでスマホ教室に勤しんでいた筈のさぎりが、何かの料理が表示されたスマホの画面を、俺の顔面にぐりぐりと押し付けてきた。
「だー!落ち着け落ち着け!そんな近くに画面持ってこられたら画像見えねぇよ!」
「おぉ、すまんすまん……うん?なんじゃ二人でこんな所に固まって座って。なにか話でもしてたのかえ?」
俺の隣で、怪訝そうな顔をしていた哲を見て、さぎりがそんな疑問を投げ掛けてきた。
「おい女狐……楽に感謝しろよ」
「そんなの言われなくても当然じゃ。ぬしには感謝ばかりで、何も恩返し出来ておらんからの。お前に指図なんぞされなくても、ワシは十分、ぬしには頭が上がらんよ」
「……分かってるなら良いんだ」
哲はその答えに満足したのか、それ以上はなにも言わずに、手に持ったジュースを飲み、広大な庭の景色を眺め始めた。
「うーん?変な奴じゃの……それでぬし!これなんじゃが……作れるかの?」
「なになに……これは……ホットケーキか?」
目の前の画像に写ってたのは、ふわふわの丸い生地が三段積み重なっている、美味しそうなホットケーキの写真だった。
「うんうん!それじゃ!ホットケーキ!ワシは甘いものも好きでのぅ……どうかの?これはぬしでも作れるもんなのかえ?」
「まぁ材料さえあれば、割と簡単に作れるものではあるな」
「本当かえ!?ならばワシがまたあの狸の所に行って材料を……あぁでも、ワシお金持って無いんじゃった……」
さぎりがその場でがっくしと膝から崩れ落ちた。羽車先輩からお金を貰おうと言う考えが出てこない辺り、どうにも妖怪らしくないと言うか、律儀な奴である。
「お金なら私が出すよ?さぎり様」
「いや!そうはいかん!もう羽車にはこれ以上無く良くして貰ったのじゃ。ここから更に金をせびったとなっては、このサギリノカミ、一生の名折れじゃからの!」
「そっかぁ……なら、私がホットケーキ食べたいから、それをさぎり様が買ってきてくれるのはどうかな?」
「む!……そ、それなら……仕方ないかもしれんのぉ……?」
あ、うん。やっぱり根は妖怪だこいつ。欲望に抗いきれてない。
「あ……じゃがしかし。ワシあのれじ?とかうまく使えるかの……材料もよく知らんし……」
「不安なら俺が付いていこうか?」
「いやいや。それではなおさらぬしに頭が上がらなくなってしまうわ……そ、そうじゃ!さっき楓から教えて貰ったのじゃが、めーるあどれすを知っておると、そやつにスマホで手紙を送れるそうじゃな?」
うんうんと唸っていたさぎりが、何か妙案を思い付いたのか、ハッとした表情でこちらに近づいてきた。なんともまぁ、ころころと顔の変わるやつだ。
「迷惑じゃなければ、ウツシノカミに事前に連絡して貰えんかの?それならワシ一人だけで、背中に人も乗せずにばびゅんと行けるのじゃ!」
「ばびゅんとねぇ……分かった。うつしさんに連絡しとくよ」
そう言って自分のスマホを開き、登録していたうつしさんのアドレスを使って、メールを作成し始めた。
「ホットケーキを作りたいので……さぎりがそっちに向かったら……手を貸してあげてくれませんか……ご迷惑……おかけします……と。よし送信」
ぴろりん!
なんというか、これが俺から神様に向けた人生始めてのメールだと思うと、何とも言えない気持ちになってきた……
というか何だこのメール……はじめてのおつかいかな?普通に神様とか関係なしに、本当に申し訳ないな……
「感謝するぞぬしよ!向こうでウツシノカミにもお礼を言わんとな!では行ってくるでの!それ!」
ぼふん! ばびゅーん!
さぎりが一瞬で巨大な黒狐に変身したかと思うと、本当に『ばびゅん』といったとてつもない勢いで、さぎりが空の彼方に消えていった。
「はっや!?あいつ、俺たちを乗せている時はちゃんと手加減してくれてたんだな……」
「ほぅ……いつか本気のあいつと競い合うのも、楽しいかもしれないな」
「それはどこか、誰にも迷惑かからない所でやってくれ……」
俺はさぎりの消えていった方向を眺めながら、また椅子に座ると、そういえば手に取ったことをすっかり忘れていた肉と野菜の事を思いだし、大慌てで、まだ熱い内にそれらを口の中へと放り込んだ。




