景色
「もちろん。急に働け、なんて言われても困るだろうし、その辺は俺がしっかりサポートするよ。だから楓。もうやってしまった事はどうしようもないけど……罪の償いは、これからいくらでも出来るはずだ。どうかな?」
「で、でも……楓は……こんなにも悪いことしてきたのに……!」
子供故の罪の意識の薄さ。野生で生きてきたが故に、知りえなかった事の重大さ。
……正直、楓をこのまま助けてあげようなんて言うのは、偽善も偽善。あまり褒められた行為ではない、人間のエゴ的な行為だと思う。
それでも……俺が助けてあげたいと思ってしまったのだから、それでいい……傲慢と言われようとも、それが俺の選択だ。
「……私も、楓ちゃんはまだ引き返せる場所に居ると思うよ」
「に、人間のおねえさん……?」
羽車先輩が、優しく楓に言葉を投げ掛けてあげた。
「分からなかったんだよね。お金の稼ぎ方が。でも人の世界には、あっちにもこっちにも楽しいものがたくさんあって……その気持ち、よく分かるよ。私も楽しいものには目がないからね。この『引き寄せ体質』が無ければ私もきっと……楓ちゃんみたいな無茶なことを、やってたと思うな」
普段から羽車先輩には引きずり回されているから、よく分かる。今でこそ、その体質のおかげで、羽車先輩は刺激的で、楽しい日々を過ごせているが……もしそんな事件なんて全く起こらない、普通の日々だけが過ぎていく世界に、羽車先輩が居たらきっと……毎日をつまらなそうに生きていたに違いない。
人間の世界の楽しいものを知ってしまったにも関わらず、それを手に入れる方法が分からなかった楓。
世の中の楽しいものを求め続けて、それを特に何もせずに、勝手に引き寄せてしまう羽車先輩。
この二人は似たような欲求を持っていながらも、その『恵まれ度合い』はまるで違った。きっと羽車先輩は……『恵まれていなかったかもしれないもしもの自分』を楓に重ねてしまって、後ろめたさを感じているのかもしれないと、そう思った。
「そうだ!良ければ私の家に来るかい?実は最近『お手伝いさん』が一人寿退社してしまってね。ちょうど募集していたんだよ!どうかな?お給料は悪くないはずだよ!」
言い忘れていたが、羽車先輩は文武両道、容姿端麗、そして……とてつもなく実家が『お太い』ご令嬢なのである。
なんでそんな全てを持って生まれてきた超人が、こんな変人になってしまったのかは人類の謎ではあるが……なるほど、確かに羽車先輩の元で働くとなれば、妖怪の楓も安心して働けるだろう。
「……ご、ご飯は貰えますか……?」
「三食付いてくるよ!」
「……住むところは……?」
「空いているお部屋があるから、そこを貸してあげるよ!」
「……ゲームや漫画は……」
「私がいっぱい持ってるから、好きなだけ持っていくと良いさ!」
「是非ともよろしくお願いいたします!!」
……なんか、ちょっと羨ましいくらいの好条件だな……
「……俺も羽車先輩の家で働こうかな……」
「な!?ワ、ワシというものがありながら……!?おのれ羽車めぇ……!」
というか見た目の可愛らしさとは裏腹に、結構がめついなこの狸……
確かに童話とかに出てくる狸って、打算的な事をしてくるイメージがあるけど……あれ、あんまり間違ってなかったんだな。
「やったぁ!狐森くんがさぎり様と一緒に暮らしているときいて、羨ましいなぁって思ってたけど、まさか私まで妖怪と一緒に暮らせるだなんて……この二日間、楽しいことだらけだよ!」
なんと眩しい笑顔だろうか……確かにこの、波乱万丈な二日間は、羽車先輩にとっては、正に夢のように楽しいひとときだったに違いない……俺はもう、全身がどっと重くてしょうがない程に、疲弊していると言うのに……
「よし、じゃあ楓ちゃん。今日はとりあえずこのまま、お姉さんと一緒に学校に行こっか!」
「はい!今日から楓をよろしくお願いします!羽車おねえさん!」
「……羽車おねえさんかぁ……私は一人っ子だからねぇ。妹とか欲しいなぁって思ってたんだけど……ふふ。ずいぶんと可愛らしい妹が出来たものだよ。こちらこそよろしくね、楓ちゃん」
羽車先輩がその場でしゃがみこみ、小さな楓と目線を合わせる様にして、優しく微笑んでいた。羽車先輩が、ミステリー現象以外の事であんなに嬉しそうにしてるなんて、とても珍しいことだ。本当に、妹のような存在が出来たことが、嬉しくて堪らないのだろう。
ましてや相手は妖怪。ミステリーと妹を同時に手に入れたのだから、嬉しさも倍増と言うものである。
「……それでその。学校に向かうのは良いんですけど……ここ、どこ?」
「…………どこかの田舎道?」
楓の作り出したまやかし空間から抜け出して、俺たちが一体どこにほっぽり出されていたのかと言うと……そこは名前も知らない、畑のよく見える田舎道であった。
「あ、すいません……無理やりまやかしを解除したので、反動で変な所に飛ばされてしまったみたいで……楓のまやかしは、まだ未熟なので、時々こういうことが……本当にごめんなさい!」
「まぁまぁ。そんなに謝らなくて良いよ楓。最近はスマホさえあれば、どこに居たって地図アプリで……え?ここ圏外なの……?」
スマホの上部分に表示される電波マークに、無慈悲にも表示される✕印……どんだけ田舎の方に飛ばされたと言うのだ……
「ふむ……ふむふむ……いやなに、心配は要らぬぞぬしよ。ここは知ってる場所じゃ」
「……あ、そうか。お前色んな所を巡ってたもんな」
「そうじゃ。地図なんぞ無くとも、ワシがおる限り、そうそう道になんぞ迷いはせんぞ。ワシを存分に頼るが良い!」
「さすが野生。なんて頼もしいんだ……」
文明の力が及ばない場所で、これほど頼りになる存在はそうそう居ないだろう。地獄に仏、田舎にさぎりである。
「よし!では早速案内するとしよう。まずはあの森を真っ直ぐに突っ切ってじゃな」
「出来るかぁ!」
さぎり突入しようとしていた森は、明らかに人の手が加えられていないナチュラルな空間であり、熊やら猪やらがいくらでも出てきそうな、超危険地帯であった。
「えー?でもあそこを突っ切った方が、人の住む町まで素早くたどり着けるぞ?」
「たどり着く前に大怪我する方が早いわ!俺と羽車先輩は人間なの!お前や楓みたいに、森の中を走って抜けていくなんて芸当、到底出来ないんだってば!」
「ふむ……なら……ワシの背中に乗っていくかえ?」
ぼふ!
さぎりのまやかしを行使する時の爆発音が聞こえ、白い煙が上がった。その先に居たのは……
「大きさはこんなもんかの……どうじゃ?この見た目のワシも、ぬしは好きになってくれるかえ?」
人の何倍もの大きさがある、巨大な黒狐だった。
「わぁ……!狐もここまで大きいと、なんだか神秘的な物を感じるね!狐森くん!……狐森くん……?」
「…………綺麗……」
その黒い毛並みに、目と心が奪われた。
「おーい狐森くーん?」
「……は!?あぁえっと……」
羽車先輩に再三呼ばれて、ようやく正気に戻った。
ダメだ……どれだけ俺自身が気を付けていても、心の『違和感』が、さぎりの魅力に取り憑かれてしまう……早い所、克服しなければ……
「……ふふ。この姿もお気に召したようで何よりじゃ。もっと色んなワシを好きになっておくれ、ぬしよ」
「……うっさい……」
「ふふ……ふふふ……!かわいいのぉ……」
ちょっと俺が顔を赤くするとすぐにこれだ……本当に止めて欲しい……
「お二人は夫婦なのですか?」
「な!?」
「ふへ!?」
急に楓に爆弾のような言葉を投げつけられて、俺とさぎりは同時に固まってしまった。
「め、夫婦だなんてそんな……ワ、ワシらは別に、その様な関係では……の、のうぬしよ!?」
「そ、そうだそうだ!俺とさぎりは、決してそんな……!」
「え?違うのですか?まるで楓のおじいさまとおばあさまの様にイチャイチャしていたので、てっきり夫婦なのかと……」
「「イチャイチャなんてしていない!(おらぬ!)」」
時に子供と言うのは恐ろしい……なんと無邪気に、言葉の刃を振りかざしてくるのだろうか……!
「えぇ?でもぉ……」
「ほ、ほら楓ちゃん!早く学校に行かないとだし、さぎり様の背中にさっさと登ってしまおうか!」
「わわ!?だ、だっこされなくても、楓は自分で登れますよぉ!?」
この空気に耐えられなくなったのか、羽車先輩が楓の言葉を遮るようにして、ささっとさぎりの背中に二人で登っていった。
「……は、早くぬしも乗ったらどうじゃ……」
「…………おう」
俺はなるべくさぎりの方を見ないようにしながら、その大きな背中の上へと登っていった。
「ごほん……では行くでの。しっかり捕まっておれ?」
「でもさぎり。いくらお前が森を走るのに慣れてるからって、俺たちを木々にぶつけないように進むなんて出来るのか?ましてやこんな巨体で……」
目の前の森は、かなり木々が密集している密林地帯だ。高校生二人と、妖怪一匹を背中に乗せれるくらい大きな黒狐が、あの中を無傷で走り抜けれるとは到底思えない。何か策でもあるのだろうか?
「無論無理じゃ。あくまで森の中を走ろうと言ったのは、さっきまでの体が小さかった時の話じゃ。こうやってぬしらを背中に乗せて動けるようになった今なら……もっと良い移動手段があるぞ」
「もっと良い移動手段?それは一体どういう……」
ぶわ!
俺が言葉を言いきる前に、妙な『浮遊感』が体を襲った。
「『飛ぶ』ぞ。振り落とされんように、しっかりと捕まっておれ」
「は?飛ぶ?おいまさかお前……!?」
ばん!
さぎりがその場で強く足を踏み込むと、その巨体の重さがまるで嘘かのように、ふわりと軽やかに空へと舞い上がっていった。
「……嘘だろ。本当に飛んでる……」
「凄い凄い!今まで色んなミステリー体験をしてきたけど、これはその中でも最高に楽しい体験だよ!いやっほー!」
目の前で大いにはしゃいでいる羽車先輩とは対照的に、俺の心はバクバクと鳴り響いて萎縮していた。
さっきまで立っていた場所が、もうあんなに下に……もしこんな所から落ちてしまったら……
俺はひときわ強くぎゅっと、さぎりの背中の毛を掴んだ。
「あいたたた……もう少し優しく掴んでくれぬか?毛が痛んでしまうわ……」
「そ、そんな事言ったって……」
「なに、安心せい。もし落ちてしまっても、ワシがすぐに助けてやるからの。少し落ち着いて、周りの景色でも楽しんでみたらどうじゃ?」
「周りの……景色……」
さぎり言われた通り、辺りを見渡してみた。
「わぁ……遠くまでよく見える……」
さっきまで自分達が乗っていた電車の線路。次に到着するはずだった駅のホーム。
反対方向を向けば、よく知った自分の家の近くの建物が、まるで米粒の様に小さく見えていた。
「これが……空からの景色か」
「ふふ。気に入ったかえ?ワシはこの、空からの景色が好きでの……ワシと同じものを、ぬしにも好きになって貰えたら……ワシは嬉しい」
「……あぁ。気に入ったよ。俺もこの景色が好きだ」
「そうか……そうか……それはなによりじゃ。ふふ」
気付けばさぎりの背中を掴んでいた手から震えが消えて。俺は空からの景色を楽しんでいた。
「あー……でもこれ、見つかったら大騒ぎにならないか?巨大な狐が空を飛んでいるだなんて、一大スクープになりかねないぞ」
「ワシを誰じゃと思っておる?日本中を巡ってきたさぎり様じゃぞ?人の目をまやかすなんぞ造作もない。地上にいる人らには、ワシらが雲にでも見えておるよ」
なら安心だ。空を飛んで登校してきた高校生なんぞと新聞の一面を飾ってしまっては、俺の平穏な日常は二度と帰ってこないだろう。
……既に平穏とは程遠い気がしなくもないが、これ以上の悪目立ちは、避けたいものである。
「あ!あれが私たちの学校『北山高校』だよ!あそこに着陸して貰えるかな?さぎり様」
「うむ、了解した。降下するでの、捕まっておれ」
ふぁさ……
まるで優雅に空を飛んでいたフクロウが、音もなく着陸するように、さぎりが静かに北山高校の近くの空き地へと降り立った。
ぼふ!
「ふぅ。やはり背中に人を乗せて飛ぶのは疲れるのぉ……」
爆発音と共に、またさぎりが白いワンピース姿の少女に戻った。
「実際の所、今の人間の姿と、黒い狐の姿。どっちが本来の姿なんだ?」
「ふふ。どっちじゃと思う?秘密じゃよ。妖怪はおいそれと、自身の正体なんぞ明かさぬものよ。そこの狸娘と違っての」
少し気になるところではあるが、まぁそういうものだと言うなら仕方ない。いつか絶対、暴いて見せよう。
「いやぁ!実に貴重な体験だったよ!ありがとうさぎり様!」
「礼には及ばんよ。ワシも誰かと空を飛ぶのが好きなのでな」
「よし!早速この体験を、ミステリー研究会の議事録にまとめるとしよう!さぁ部室に急ぐぞ狐森くん!楓ちゃんも一緒に行こうね!」
ぴゅーん!
「あ!待ってください羽車おねえさん!」
だっだっだ!
さっそうと北山高校の校門まで走っていってしまった羽車先輩を追うように、楓も小さな足を総動員して駆けていった。野生の狸として、捕まえられない事を祈るばかりである……。
「じゃあワシらも行こうかの」
「そうだな……って、さすがにその姿だと目立つな……」
さぎりはただでさえ部外者だ。それが真っ白なワンピースに麦わら帽子をかぶって高校に入っていったら、見回りの先生に何と言われるか分かったものではない。
「そうなのか?では……これならどうじゃ?」
ぼふ!
「羽車の制服を観察して作った、ぬしの学校の制服じゃ。どうじゃ?似合っておるかの?」
我が北山高校指定の夏服に、さぎりがさっそうと身を包んでいた。少しアレンジされているのか、袖が短くまとめられていて、白い肌が健康的に朝日に照らされていた。
……よく似合っている。というか元が良いので、大抵何を着ても、さぎりはきっと様になるのだろう。
「まぁ……違和感はないし良いんじゃないか?」
だがそんな事、絶対に言ってなんぞやるものか。こいつを調子に乗らせてはいけない。俺はきちんと節度をもって……
ぎゅ……
「こうして腕を組めば、学生同士のかっぷる?とやらに見えるかの……?」
「がふ……!」
こいつ……!楓に『イチャイチャしてる』と言われた時はあんなに否定していた癖に、人をからかう時だけは全力で近づいて来やがる……!
耐えろ狐森 楽!歯をくいしばって、緩んでしまいそうな顔を引っ張り上げろ!
こんな見え透いた煽りに喜ぶんじゃない!相手は妖怪!相手はさぎり!平常心……平常心……!
「ふふふ……のうぬし?このまま一緒に、校門まで歩いていこうかの?ふふふ……」
「ぐぅ……!俺は……!」
ダメだ……勝てそうに無い……。俺はこのまま腕を組んで、校門の前まで公開処刑をされて、学園の笑い者になるしかないのか……?
「ぐぬぬ……!」
「むぅ、強情じゃのぉ……そこが良いのじゃがな、ふふふ……」
こうして腕を組まれてからどのくらい経った?早く校舎に向かいたいと言うのに、この狐は……!
……暑くてボーッとしてきた……もうさぎりに身を任せて……このまま……
ダン!ダン!ダン!ダン!
「ん……?な、なんじゃ?この地響きは……何か覚えがあるような……」
確かに遠くから響いてくる、定期的な地響きの音……あぁ間違いない……これは……『あいつ』の音だ。
「女狐ぇぇぇぇぇ!!貴様ぁぁぁぁぁ!!」
「ひぃっっ!?こ、この声はまさかぁ……!?」
絶体絶命の窮地に響いた、一筋の希望の光……あぁ親友よ……お前はいつも、俺の救世主だ……




