待ちぼうけの狐
ちゅん……ちゅん……
窓から入り込んできた朝日が、俺の部屋を明るく照らし始めていた。どうやら昨晩は、カーテンを閉めずに寝てしまったらしい。
「うーん……?」
……妙に体が重い。まだ昨日の疲れが残っているのだろうか?どうにも左半身が特に重いよう……な……
「すぅ……すぅ……」
……寝転がりながら顔だけ左に向けると、そこにはとても穏やかな顔をして眠っている、さぎりの姿があった。俺の左腕を血の気が無くなるまでがっちりとホールドしながらではあったが……。
「……暑い」
まだ日が昇りきっていないとはいえ今は真夏。こんな毛がもっふもふの生物に抱きつかれていては、熱が籠りまくるのも当然である。
「なぁさぎり。起きてくれさぎり……くそ……腕が全然抜けない……!」
相手は腐っても妖怪。哲ならともかく、俺みたいな一般人ではいくら力をいれたところで、妖怪のがっちりホールドから抜け出せる訳がなかった。
「すぅ……むにゃむにゃ……あと5時間……」
「妖怪のスケールの時間やめろ!5時間も腕捕まれてたら壊死するわ!」
困った……下手に刺激して起こして、俺の左腕が粉々になるのは嫌だし……かと言って、このままだと本当に5時間もここに居るハメになってしまう……何か良い手は……
「……最悪哲でも呼ぶか……」
「なぬ!?あの化け物を呼ぶのは止めるのじゃ!」
ぴょん!
さぎりは哲の名前を聞いた瞬間に、よっぽど吹き飛ばされたのがトラウマになっていたのか、その場でパッと飛び上がり、ベッドの上で毛を逆出たせて、警戒状態に入った。
「……朝から元気だな、お前……」
「む?なんじゃ、あの化け物を呼んだわけでは無いのか……ふふ。おはようなのじゃ、ぬし」
日の光に照らされて、さぎりの黒髪が艶々と反射していた……少し眩しいくらいだ。
「……昨晩はありがとの。その……色々と含めて……」
……昨晩、俺の目の前で大泣きしたことを思い出したのか、さぎりはもじもじとしながら感謝を述べてきた。
「ま、結局よく分からなかったけどな……なんだっけ?魂の形がどうのこうの……」
『魂の形が同じじゃから』……それがさぎりが俺を、『ぬし』と呼ぶ原因……何ともまぁ抽象的で、ふわふわとした答えである。
「魂の形は人それぞれ。同じ形の魂は絶対に存在しない……にも関わらず、ぬしの魂は前のぬしと全く同じ形をしておるのじゃ。これが同じぬしでは無いとなぜ言えようか?間違いなく……ぬしはぬしじゃよ。ワシの大切な……の」
そう言って、幸せそうに微笑んでこちらをじっと見つめてくるさぎりの顔を見てると……どうにもそれ以上、追求する気が起きなくなってしまった。
「はぁ……俺もお前に、化かされ始めてるのかな……」
昨晩の会話を終えてより一層……俺の心の『違和感』は強くなっていた。
この違和感が、さぎりの言っている『同じ形の魂』とやらの影響なんだろうが……なんだか、とんでもない事に巻き込まれている気がしてならない。俺の穏健な日常は、一体どこに行ってしまったのだろう?
「さてと……じゃあワシはこれで。またの、ぬしよ」
「……ん?またのって……どこに行くんだ?」
「ん?そりゃ立花村に決まっておるじゃろ?ここには一晩だけ、話を聞くためだけに招かれていたからの。これ以上長居は出来んよ」
「……そっか。そう……だったな」
確かに昨晩、俺は『一晩だけ』さぎりを家に泊めると言った。そして一晩経ったのだから、さぎりをもうこれ以上、この家に留めておく理由は無いのだ。
……にも関わらず、俺はなんだか……さぎりをこのまま立花村に帰らせるのが、何となく嫌だった。
もう一日くらい、家に居てくれても良いのでは無いだろうか?もう三日くらい……いや一週間……なんなら毎日でも……
……さぎりをまた、あの寂しい神社に帰らせるのが、俺はどうしても、嫌になってしまっていた。
それは俺がぬしだからとか、魂の違和感がそう命じているからだとか、そんな事は関係無しに……この狐森 楽個人の意思で、そう感じている……そう感じているのだ……
「……なぁさぎり。お前さえ良ければなんだが……このままここで……俺と一緒に……」
「ぬし……?それは……」
「おはよう兄ちゃん姉ちゃん!朝ごはん出来てるよ!」
「なぬ!?朝ごはんとな!?それは是非ともちそうになろうかの!」
ぴゅーん!
「あ!おい!本当に落ち着きの無いやつだな……!」
俺の一世一代の、告白と受け取られても仕方の無い言葉は、さぎりの底無しの食欲にあっけなく粉砕された……というか、これから帰ろうとしていた癖に、飯だけは食べる気なのかあいつ……なんて厚かましいんだ。
「……兄ちゃん。昨日の夜、姉ちゃん泣いてなかった?」
「ん?あぁ……あいつ、ずっと長い間泣くのを我慢してたみたいなんだ……だから茅。あいつが昨日大声で泣いていたこと、あんまりバカにしないであげてくれ。な?」
「ううん。バカになんてしないよ。ただ姉ちゃんに何か悲しいことでもあったのかなって、心配だっただけだよ」
「茅……!お前はなんて良い子なんだ……!」
がめつい狐を見た後だと、余計に茅の綺麗さが心に染み渡る……お願いします神様、どうか茅を、このまま幸せにしてあげてください……!
「おーい!早く来ねぇとさぎり様が飯全部食っちまうぞぉ!」
「マズい!早く行くぞ茅!」
「うん!ご飯ご飯!」
階段の下から、じいちゃんの警告の声が聞こえた。あのさぎりの事だ、あり得ない話ではない……俺は急いで服を整え、食卓へと降り立った。
「はむはむはむはむ!いやぁ、今日の料理も絶品じゃのぉ!なにを作らせても、じいさまの料理は世界一じゃ!」
「へへ。よせやい照れるじゃねぇか。ほれ、もっと食いな」
「いただくのじゃ!はむはむはむはむ!」
……なんだか、ただでさえ多かったじいちゃんの手料理が、いつもより更に量が多くなってる気がする。
やっぱりたくさん食べて貰えるのが、料理人気質のじいちゃんにはこの上なく嬉しかったのだろう。その嬉しさのままに調理を行い、そしてこのとてつもない量の料理を生み出したのだ。
「おう来たか。ほれ、お前らもどんどん食べろよ」
「わーい!いっただきまーす!あむ!」
茅が嬉しそうに席に座り、じいちゃんお手製の卵焼きを美味しそうにほうばっていた。さて、俺も頂くとしよう。
「いただきま」
「ほれぬし!この焼き魚は絶品じゃ!たくさん食べて、大きくなるのじゃぞ!」
どっさり!
……俺の目の前に、これでもかと大量の焼き魚が置かれた。朝からこんな量を食べてしまっては、もう夜までなにも食べなくても活動できそうである……
「いや……こんなに食えないから……」
「遠慮するでない!食べ盛りなんじゃからな、思う存分食べるんじゃぞ!」
「いや……そもそもこれはお前の料理って訳じゃ……」
「この焼き野菜も美味しいぞ。この汁物も最高じゃ。ほれほれ。たくさん食べるんじゃぞ?」
俺の言葉なんぞ聞く耳も持たずに、さぎりはどんどん俺の目の前の皿に、様々な料理を盛り付けてきた。もはや見てるだけで、お腹いっぱいになりそうである……
「さぎり様。そのくらいにしてあげといてくれ。こいつは昔から線が細くてな。本当に少食なやつなんだよ。しかしまぁ、やっぱり学生たるもの、さぎり様くらいたくさん食べておかねぇと、体がもたねぇぞ?楽」
「さすがにさぎりくらいまで食べたら動けなくなるよじいちゃん……」
どうにも俺は昔から体が細く、そしてとても少食気味な気質であった。
しかしそれでも燃費が良いのか、栄養失調で倒れたりしたことなんぞは一度もない、健康優良児でもあったのだ。
きっと、じいちゃんが俺の健康を考えて、バランスの良い食事を作ってくれていたのもあるのだろう。俺は細身ながらも、そこそこ頑強な体を手に入れることが出来たのだ。
「そうだったのか。ぬしも苦労しておるんじゃな……そうとも知らずに、飯をたくさん食えと強制して悪かったの……」
「気にするなよ。今に始まったことじゃないし。それに……俺を心配して言ってくれて……」
「なら代わりに!ワシがぬしの分もたっくさん食べるでの!はむはむはむはむ!」
「あーうん……好きにしてくれ……」
少しでも、さぎりに思いやりを求めた俺が愚かだった。こいつはその場その場を楽しんでいるだけの気分屋だと言うことを、俺はすっかり忘れていたのだ。
「うまい!これもうまい!あれもうまい!はむはむはむ!」
「はぁ、全く……」
「はは、愉快で良いんじゃねぇか……さて、それで楽……答えは出せたのか?」
さぎりの凄まじい食いっぷりに呆れていると、横からじいちゃんが唐突に真面目な顔をして、俺にそう問いかけてきた。
……なんの事を聞かれているのかはよく分かっている。さぎりを今後、俺はどう扱うつもりなのか……じいちゃんはそれを問いかけているのだ。
「……そう……だな……うん。出せたよじいちゃん」
「そうか。それで?どうするんだ?」
「……なぁさぎり。話があるんだ」
「はむはむ……む?どうしたのかえ?そんな真面目な顔をして……」
食事を貪っていたさぎりを一旦止めて、俺はさぎりと、今後の話をすることにした。
「さぎりはこのまま、立花村に帰るつもりなんだよな?」
「……そうじゃな。ぬしを見つけた以上、もう日本中を巡る必要もなくなったからの……またあの神社で、ひっそりと暮らすつもりじゃよ」
「……そうか。なぁ、その……お前さえ良かったらなんだが……」
「ん……?」
とくん……とくん……
……おい、俺はなにをそんなにドキドキしているんだ?全く冗談じゃないぞ……こんな妖怪相手に……どきまぎしているだなんて……
「……俺達家族と一緒に……この家で暮らさないか?」
「……え……?」
ぽろり
さぎりは箸で掴んでいた卵焼きを皿に落とし、そのまま固まってしまった。
「その、ごめんじいちゃん……食費とかもろもろじいちゃんに賄って貰ってるのに、勝手にこんな家族を増やすような提案をして……」
「気にすんな。今さら一人や二人家族が増えたところでどうってことないわ。そんな事よりほれ、わしなんかより、しっかりとさぎり様の方を向いてやんな」
「……うん。ありがとうじいちゃん」
やっぱりじいちゃんには頭が上がらない……本当に、俺なんかには勿体無い、最高に格好良いじいちゃんだと思う。
俺は改めてさぎりの方をしっかりと向くと、いまだに固まってるさぎりに向けて、話の続きを始めた。
「その……何て言うか……自分でも気持ちの悪い、ストーカーみたいな事思ってるなとは思うんだけど……お前の事、ひとりぼっちにしたく無いなって……そう思って……だから……その……」
「……ぬし……」
言葉がうまくまとまらない……きっと、もっと格好のつくような良い台詞があるんだろうけど、俺にはそんな言葉がまるで思い付かなかった。
なんて不格好で……なんて締まりの無い言葉なんだろうと……自分が点で情けなく思えてしまった……こんな事ならもっと、じいちゃんの良く言っている口説き文句でも覚えておくべきだった……
「…………あーもう!ダメだ!やっぱり俺には回りくどい台詞なんてこれっぽっちも思い付きやしない!だからさぎり!一回しか言わないから良く聞け!」
「は、はい……!」
さぎりが背筋をピンと伸ばし、まっすぐとこちらの顔を見つめてくれた。
……なんだか、これからプロポーズするみたいな構図になっている気がするが、もはや知ったことではない!言うんだ楽!言うんだ!
「俺と一緒に!!この家で暮らしてください!!」
「はい!喜んで!」
「よし!……よし?」
いやこれどう見ても告白じゃねぇかぁぁ!!いくらテンパっていたとは言え、俺は一体なにをしとるんだ?バカなのか?阿呆なのか?昨日から何個黒歴史作れば気が済むんだよぉぉ……!
「いやぁ楽……お前は昔から、やるときはやる奴だとは思っていたが……まさか学生結婚とはな…….恐れ入ったぞ」
「兄ちゃん結婚おめでとう!姉ちゃんをしあわせにしてあげてね!」
「いや……違……これは……」
「ぬしよ……」
「はい……?」
「幸せに……なろうの……!ぷぷ……」
「てめぇわざとやってんなこの野郎……!」
どいつもこいつも結局グルだ!この家には敵しか居ない!
……ちょっと残念がってなんかいないからな?本当だからな?心の違和感さんよ……
「はぁ……まあおふざけはここまでにしてじゃ……本当に良いのか?ワシは見ての通りよく食べるし、それに……一緒の時は歩めんぞ……」
さぎりの言葉を聞いて、昨晩のぬしの話が頭に思い浮かんだ。
そう、それは分かりきっている最後だ。これから先、さぎりとどれだけ友好を深めたとしても……いずれ俺は先に死んでしまう。それは絶対に変わらない事実で……どうしようもない事なのだ。
……そうすればきっと、さぎりはまた泣くのを我慢して、数百年間、心を殺して待ちぼうけする事になる。
「……それでも。さぎり。俺はお前を……ひとりぼっちにさせたくない」
それがきっと、俺の本心なのだろう。
この先きっと、またさぎりが悲しむことがあるかもしれない。寿命を迎える前に、俺が事故で死んでしまうこともあるかもしれない。
それでも……それでも俺はただ……さぎりの側に居たい……さぎりと一緒に、楽しい日々を過ごして……
「お前に……『寂しい思いをして欲しくないんだ!』」
とくん!
「ん……なんだ今の……?」
一瞬、心臓が大きく跳ねた気がした。それはまるで、心の……いや、『魂』の叫びにも聞こえた気がした。
「……そうか……そうか……」
さぎりはそうぽつりと呟くと。首を振り、なにか一人で納得したかのように、俺の方へと顔を向けた。
「……この通り。ふつつかな者ではあるが……どうか末長く、共に歩んでおくれ……ぬしよ」
「!?それって……!」
「ふふ……これからよろしくの。ぬし」
「……あぁ!よろしくな、さぎり!」
……こうして俺は、お調子者で、強がりで、それでいてどうしようもなく寂しがり屋な『待ちぼうけの狐』と一緒に、一つ屋根の下で共に暮らす事になった。
苦難な時もきっとあるだろう。喧嘩することだってあるかもしれない。
それでも……俺はこの狐と、共に暮らしたいと思ったのだ。俺がそう思ったのだから、それで良いのだ。
「ひゅー……おいおい。見ているこっちが恥ずかしくなるぜ……」
「兄ちゃんも姉ちゃんもお顔真っ赤だよ?『恥ずかしがるなら最初からやるな』って、母ちゃんが言ってたよ?」
「うう、うっさいなもう……あー……今日は一段と暑いな……」
「そ、そうじゃの……暑くて暑くてたまらんわ……」
妙にどきまぎしながら、ぎこちなく動いていた俺とさぎりのその様は、見ていてとても愉快だったに違いない……現にじいちゃんと茅が、ずっとニヤニヤしながら、俺達二人を眺めているのだから……
「……よし!今夜はパーティーだ茅!ついに孫に『女』が出来た記念パーティーだぁぁ!!」
「わーい!パーティーパーティー!兄ちゃんの女パーティーだ!」
「こ、こら茅。変なこと言うんじゃない……!」
「……ふ、ふふ……あっはっはっは!本当に……愉快な家族じゃな、狐森家は」
さぎりは大声で笑いだしたかと思うと、そのまままた箸を掴み出し、食事の続きを始めようとした。
「……ありがとの、ぬし……」
「ん?なんか言ったか?どうせまたバカにしたんだろ……くそ、どいつもこいつも……!」
「ふふ……ほんに……愉快じゃ……」
ぴー!ぴー!
食卓に飾られた時計が、早朝の知らせを告げた。今日という日はまだ、始まったばかりである。




