涙
「……はぁ……それは……いやその日も、今日みたいに、月がどうしようもなく綺麗な日じゃった……鬱陶しいくらいにの……」
さっきまで穏やかな顔で眺めていた窓の外の月を、さぎりは睨み付ける様に見つめていた。その顔は正に、伝承に伝えられるような悪しき妖怪そのものの様な、末恐ろしさを感じる険しい表情だった。
「……何となく、なぜか分かった……今日、ぬしは死ぬのだと……嫁の一つもとらず、両親にも既に先立たれていたぬしがただ一人、家の中でひっそりと息を引き取るのだと……の」
震える手を押さえていたもう片方の腕に、さぎりは静かに憤りを込めて、腕に指の後が滲むほどの力で、より一層握りを強くした。
「どうしてじゃ……なんであんなにも優しいやつが、最後は一人で死なねばならんのだ!?ワシにかまけていたせいで嫁も出来ずに、子も成せんかった!友たちには先立たれ、老後は一人で寂しい日々を送っておった!なぜじゃなぜじゃ!どうして……どうしてワシは……そんなあやつを……拒んでしまったのじゃ……!」
もはや止めることすら出来なくなった大粒の涙をベッドに溢しながら、今までずっと、心の中で留めていた思いの丈を、さぎりは存分に、俺に向かって吐き出してくれた。
「う……うぅ……すまぬ……まだ……話の途中なのに……!」
「……我慢しなくて良いぞさぎり。好きなだけ泣いて良いからな」
「ひ……ぐ……うぁ……!」
大声で笑っていたかと思えば、次の瞬間には妖怪らしい妖しい雰囲気で物事を語り出す。
かと思えば、今度はまるで子供のように泣きじゃくり、大粒の涙を止めどなくベッドに溢し続ける……。
何となくだが、俺は昔のぬしの『さぎりをひとりぼっちにしたくない』気持ちが理解できた気がした。
だってこんな……こんなにも不安定で、強がりで……寂しがりなやつ、放っておける訳が無かった。ひとりぼっちになんて……させたく無かった。
生涯を投げ売り、伴侶すらも望まず。友に先立たれ孤独になったとしても……それでもきっとぬしとやらの心には……いつだってさぎりを心配する気持ちがあったはずだ。
……そうか、これが『愛』だとか『恋』だとか、きっとそういうやつなんだ。俺の中の『違和感』が感じていた……その正体なんだ。
「……その日、さぎりはどうしたんだ?ぬしに会いに行ったのか?」
涙を流し続けていたさぎりの背中を擦りながら、俺はなるべくさぎりを落ち着かせようとして、ゆっくりと静かな口調で話しかけた。
「……うん。会いに行った……もう会わぬと決めておったのに……ワシは……ワシは……!」
「……きっと、嬉しかっただろうな、ぬしは」
「え……?」
「……死ぬ最後の瞬間に、愛していた女と最後のお別れをする事が出来たんだ……幸せだったに決まってる」
「でも……でもワシは……ぬしに酷いことを……」
「……なぁ。俺だって『ぬし』なんだろ?その俺が言うんだから、間違いない。ぬしは最後……絶対幸せだったよ」
「……うん……うん……!うぅ……わぁぁぁぁ……!あぁぁぁ……!」
ぬしとさぎりが、最後にどんな会話をしたのかは、俺には分からない。
でもきっと……穏やかで、優しくて……幸せな会話をしていたと思う。
それからさぎりは、まるで堰をきったかの様に、大声を出して泣きじゃくり始めた。
……そういえば昔、茅が小さかった頃も、こうやって泣きじゃくっていた所を慰めていたなと、妙に懐かしい気持ちになりながら、俺はさぎりの背中を優しくポンポンと叩いて、落ち着くまで側に寄り添っていた。
「よしよし……今までたくさん我慢してたもんな……好きなだけ泣いて良いからな……」
「うぅぅぅ……!わぁぁぁぁ……!」
……子供とか出来たら、こんな感じになるんだろうか?
自分でも不思議なくらい、親心の様なものが芽生えていた。今はとにかく、どうしてもさぎりを安心させてあげたいと、ただその優しい気持ちだけが溢れて止まらなかった。
「嫌じゃったのじゃぁ……ぬしが死んだことも……その死を誰も知らぬことも……ぬしが居なくなった世界がそのまま続いていくのも……全部……全部嫌じゃったぁ……!あぁぁぁ……!」
「……あぁ、そうだな……大好きな人が居なくなるのは……誰だって辛いよな……」
おばあちゃんの葬式の日、棺桶に入っていたおばあちゃんの顔を見て、大声で泣いたのをよく覚えている。
……こいつにはきっと、『それ』が無かったのだ。今日の今日まで、意地を張って、ぬしの為に大声で泣いて来なかったのだ。
だからこれは……この涙は、好きなだけ流して良い。我慢なんかひとつもしなくて良い。そして俺は……ただその涙が止まるのを、近くで見守っていれば、それで良いのだ。
「うぅ……はぁ……」
泣き続けて疲れたのか、さぎりは肩で息をし始め、少しだけ落ち着きを取り戻してきた。
「よしよし……落ち着いたか?」
「……うん……ぐず……」
ひとしきり泣き叫んでいたさぎりの顔は、目元こそ涙で赤く腫れていたが、どこかすっきりとした顔立ちをしていた。
「なにか暖かい飲み物でも持ってこようか?ハンカチはいるか?何か欲しいものは?」
「……ううん、要らないのじゃ…….ありがとう」
まるで、泣き叫んで疲れはてた子供の様だと思った。
さっきまで自分がなにで泣いていたのかも忘れ、どうしてこんなにも穏やかな気持ちになっているのかと、そう困惑してるのかよく分かる、子供のような無邪気な表情だった。
「……はぁ、なんか今、俺すげぇ気持ち悪いことしてた気がするな……絶対後で思い出して悶絶するわ、これ……」
「き、気持ち悪くなんてなかったのじゃ……その……や、優しくて……暖かかった……のじゃ……」
「…………おう」
ここ数分の記憶はあまり思い出したく無かった。相手は泣いている女性だったとは言え、背中を叩きながらよしよしなどと……あーくそ、恥ずかしさで俺も泣きたくなってきた……
「……………」
「……………」
なんとも気まずい空気が流れていた……俺は自らの『キザ』な行為に悶絶し、さぎりは恥ずかしいのか、顔を赤らめて、時々俺の顔を覗き込んでは、またパッと顔を反らすのを繰り返している……
「……ごほん!でださぎり!お前とぬしの関係はよく分かった!とても分かった!これ以上なく理解した!」
「おぉ、そ、そうか……それはなにより……」
妙にしっとりとした空気に耐えかねて、俺はついにさぎりに最も重大な事を聞くことにした。
「その上で、だ。なんで俺が『ぬし』なのか……答えを聞こうじゃないか、さぎりよ」
さぁ何が出てくる?どんな答えが待っている?槍でも剣でもどんと来いだ!
「……魂、じゃよ」
「……ん?魂?魂って……魂……?」
また妙な答えが返ってきたなと思った。
事前に色々な答えの予想自体はしていたのだ。前世がぬしだったとか、俺の背後霊がぬしだとか、見た目がとてもよく似ているだとか、匂いが似ているだとか……
だが『魂』とな?魂がなんだと言うのだ?後にも先にも、俺の魂は俺だけの物である。決してぬしとやらのものではない。
……更なる話を聞かせてもらおうではないか。さぎりがぬしに先立たれてから今日まで、なぜ俺を探して『待ちぼうけて』いたのか。その答えを……!
「ぬしはな……魂の形が、昔のぬしと同じなんじゃ」
「……………え、それだけ?魂の形が同じって……え、それだけの事……?」
……どっと全身から、力が抜けていったのを感じた。
「あぁ、それだけじゃよ?それで十分なのじゃ」
「………それだけで、俺は神社に閉じ込められ、妖しい狐に取り憑かれ、風呂場で倒れ、泣きじゃくる妖怪をなだめて新たなる黒歴史を作るハメになった……と?」
「まぁそうなるの?」
「……………………はい?」
魂の形が……同じだから……。
……魂と言うのがどういった物なのか、俺にはよく分からない。がしかし、様は俺は『体の一部が同じ形をしていたからぬしはぬしなのじゃ!』と、そんなよく分からない理論で、この厄介な狐に今日1日振り回されてた訳である……
……そう思うとなんだが、忘れかけていた疲れが、またどっと押し寄せてきた。
「……結局……よく分からずじまいじゃねぇか……がく……」
「わわ!?大丈夫かえぬし!?」
もう上体を起こすのも辛くなっていた俺は、そのままさぎりの膝の上に倒れ込むように、横になってしまった。
「……すぅ……すぅ……」
「ありゃ……膝の上で寝てしもうた……そうじゃ、このまま耳かきしてやろうかの。ゆっくり休んでくれ、ぬし……今日は話を聞いてくれて……嬉しかったのじゃ……」
さぎりの涙で、よれよれになっていたベッドのシーツの上で、俺は今までの人生の中でも、最も深い眠りの世界に沈んでいった……耳の中に、妙に心地の良い感触を感じながら。




