ぬし
「ぬしとの出会いは、本当に唐突じゃった。あぁ、『昔の』ぬしの事じゃぞ?」
言われなくても、よく分かっている。というかそもそも俺はぬしでは無い。
……と、水を差すのも野暮だと思ったので、俺はただ黙って、さぎりの話に耳を傾けた。
「正直、ぬしの出自や家柄はよく知らなくての。立花村で身分を聞く事はご法度じゃったからな。農民の子だったかもしれぬし、どこぞの名家の出自だったかもしれぬ。ま、立花村の住人になった時点で、皆すべからず『世捨て人』になる訳じゃから、出自など飾りでしか無かったがの」
元々お喋りだったさぎりが、ぬしの話となると余計に饒舌になっている気がした。きっと、愛する人の話が出来るのが、どうしようもなく嬉しいのだろう。
「ぬしは何というか……一言で表すならそう、いわゆる『変人』というやつじゃった。世の中の『不可思議な事』全てに首をつっこみ、いつだって狂乱の中心に立って、場を大いにかき乱す様な……そんな嵐の様な人じゃった」
あぁ、言わなくても分かる。俺もそう思ったし、きっと哲が聞いても同じことを思うはずだ。
それ、なんて羽車先輩?
聞けば聞くほど、ますます『穏健派』の俺とは正反対の人物ではないか。一体そんなとんちきな人間と俺のどこが『同じ』だと、この狐はのたうち回っているのだろう?まるで意味が分からない……
「ふふ。まるで自分とは違う人間だとでも言いたげな顔じゃな?まぁ確かに、以前のぬしと比べると、今のぬしは『ほんのちょっぴり』大人しい性格だとは思うが……それでも、ワシが大好きだった『部分』は、あまり変わっとらんと思うぞ、ぬしよ」
大好きだった部分……ますます分からない。俺はこいつに、なにか好かれるような事をした覚えはない。こんな一方的に……正体不明の『愛』なんぞ向けられても……どうしたら良いのか、俺は点で分からない。
「ぬしと初めて出会ったのは、ぬしがまだ『おてだま』で遊んでいたような幼少の頃であった。小さい時のぬしは本当にかわいくての……何度『食べてしまいたい』と思ったことか……あ、言葉のあやじゃ、気にするでないぞ?」
キュートアグレッション……だろうか?妖怪であるさぎりが言うと、まるで冗談に聞こえない……。
「……実際、人を食べたことはあるのか?」
「ん?もちろんあるぞ。あまり好き好んでは食べぬし、食べるにしても『死罪人』だけを選んで食べておったがの。ま、本当に食べるものに困った時の最終手段じゃな……そんなに怖がらんでおくれ?今よりずっと、人の命が『軽かった』時代の話じゃよ。今はもう人は食っとらんから、安心しておくれ、の?」
……たぶん、嘘はついていないのだろう。それに、妖怪なら人を食らうことはなんらおかしい事ではない。
それでも……俺を怖がらせないように、優しそうに微笑んでいるあの口が、かつては人の頭や骨を噛み砕くのに使われていたのかと思うと……名状しがたい、何とも言えない気持ちになった。
「……ぬしはのう、本当に変なやつじゃった……なにせ、立花村で神となっていたワシに、堂々と近づいてきたかと思うと『一緒に遊ぼう』だなどと……そんな事を臆せもせずに言い放つような、豪胆なのか阿呆なのか、よく分からんような子供じゃった」
確かに、それは蛮勇な子供だと思う。
いくら見目麗しくても相手は妖怪。ましてや神である。場合によっては、『近づいただけでも殺されかねない存在』という事もありえるのだ。
それをほんの少しもためらいなく、あまつさえ遊びに誘うなどと、頭のネジが何本か外れているとしか思えない……見上げるべき『変人』であると言えよう。
「その時のワシは……なんというか……めちゃくちゃ調子に乗っておっての……『わらわに近づくでない下郎が!』とか言っちゃうような……その……ぐぅぅ!今思い出しても超絶恥ずかしいのじゃぁぁ……!」
「あー、うん……分かる、分かるぞさぎり……あるよな、そういう時期……」
いわゆる『中二病』……思い出すだけで悶絶してしまう黒歴史……俺にも心当たりがあるその『病』は、かつて神と呼ばれていた人外であったとしても、患ってしまう事がある大病のようだ。
「今思い返してみると、結構酷いこと言ってた気がするのぉ……文句も言わずにワシを奉ってくれていた立花村の人達って、とっても優しかったんじゃなぁ……」
それは優しさだったのか、それとも『なんか空回っててかわいそうだなあいつ……』という『憐れみ』だったのか……今となっては、分からぬ話である。
「とまあ、そんな『荒れていた』ワシの元に、ぬしはどういうわけか毎日のように会いに来てくれての。ワシにはそれが……どうもこそばゆくて……とても心地が良かった……」
拒んでも拒んでも、翌日にはけろっとした態度で会いに来てくれるぬしの優しさに、さぎりは少しずつ心を開いていった。
「いつしか気付けば……ワシの妙に『尊大な』喋り方も鳴りを潜めての、今のワシに近い喋りになっておった。これもきっと、ぬしの優しさに当てられたせいじゃろうな……本当に、どこまでもお人好しなやつじゃった」
出ていけと言われれば、さぎりが折れるまでその場に居座り続け、食ってしまうぞと言われれば、やれ食ってみろと言わんばかりに、その場で堂々と寝っ転がる。
……さぎりはどこかで、その行動の意味が分かっていた。こいつはきっと、ワシを一人にしない為に、毎日会いに来てくれているのだと。
「どうにも不器用なやつでな。ワシがある日『なんで毎日会いに来るのだ?』と聞いたらあやつめ……『俺が会いたいと思ったから会いに来てるだけだ』などと、顔を真っ赤にして答えておっての。まぁ、素直じゃないのは今のぬしと同じじゃな?ふふふ……」
……なんだか癪だが、同じ男として、昔のぬしの気持ちはよく分かる。好きな女に、素直な言葉を伝える程、こっ恥ずかしい事なんてこの世に無いのだから。
「……あの頃は、とにかく毎日が楽しかった……いつもぬしがなにか不可思議な事を起こしては、立花村の皆を巻き込んでの大事件に発展し、おもしろおかしく、その不可思議を楽しんでおったのじゃ。本当に……楽しい日々じゃった」
……きっと偶然だろうが、我らがミステリー研究会も、似たような毎日を過ごしている。
羽車先輩が不可思議……ミステリーな事件を巻き起こしては、学園の皆を巻き込み、そしてそのミステリー現象を存分に楽しむ。
やはり聞けば聞くほど、俺よりもよっぽど、羽車先輩の方がぬしに近いではないかと思う。さぎりはそんな羽車先輩に、なにか感じたりはしなかったのだろうか?
「ん?羽車先輩とやらをどう思うかと?あぁ、あの元気な人の事か。そうさな、確かに性分は前のぬしとそっくりじゃな。きっと、あの時代にその羽車先輩とやらがおったら、仲良く二人で立花村を崩壊させとったかもしれんのぉ、ふっふっふ……」
話を聞いた感じ、性分が似ているだけであって、羽車先輩に対しては特に、不思議な物は感じていないようだ。
にしても、一つの時代に羽車先輩レベルが二人か……考えただけでもゾッとする。きっと地球が持たないだろう。
「……じゃが、どんなものにも終わりは必ずやってくる……ある日ぬしが不可思議な事件を探索中に足腰をやられての……そこでワシは初めて……ぬしが歳を取っていたことに気付いたのじゃ」
数百年を生きている妖怪ならではの感性。そして人と人外の時間の感じ方の違い。
さぎりはまるで気付いていなかったのだ。ついこの間まで、おてだまで遊んでいたと思っていたぬしが……寿命を迎えるような歳になっていたことに。
「……それでもやはり、あいつはバカなやつでの。ろくに動かぬ足を引きずって、毎日ワシに会いに来ておった……本当に、あやつは阿呆じゃ……どうしようもない程に……の」
日に日に弱っていくぬしの体。日に日に動かなくなっていく足腰……それがさぎりには、たまらなく嫌だった。もう見ていたくないと、思ってしまう程に。
「……ある日ワシはぬしに『もう会いに来ないでくれ』と……そんな酷いことを言ってしまっての……あの時、一瞬だけ見せたぬしの悲しそうな顔は、今でも夢に見る程じゃ……それほどまでに、ワシはもう……死に向かっていくぬしの姿を見たくなかった……見たくなかったのじゃ……」
さぎりは目に涙を滲ませながら、少しだけ言葉に詰まるように、その誰も悪くない、ただ誰にもどうしようもない話を、俺に語ってくれた。
「……俺も、その気持ちに覚えがある……ばあちゃんが死にかけてた時だ。俺は病院のベッドで、もう喋ることも出来ずに、たくさんの管に繋がれていたばあちゃんの姿から……目を反らしてしまった事がある。今でもその時の気持ちを思い出すと……心が締め付けられるんだ……」
「……ばあさまの事、大好きだったんじゃな」
「うん……優しくて、素敵なばあちゃんだった」
大好きだったからこそ……苦しそうな姿を見たくなかった。
愛していたからこそ……弱っていくのを見るのが辛かった。
そんな弱い心の自分が……どうしても、俺は嫌いだった。
「……そしてついに、その日がやってきた。『安心してくれ、お前に会いに来るのは、これが最後だ』と……ぬしは体を震わせて、ワシにそう言ったのじゃ」
その日ぬしとさぎりは、特に途方もない、普通の日常会話をしたらしい。まるでこの日々が、明日からも当たり前のように続いていくと思えるような、いつも通りの会話を……
「……いつも神社で別れる時に言う、お決まりの言葉があっての……『またの』じゃ。おかしな話よな、もう二度と、会いには来ないと言われたのに………ワシは結局、その最後の日も、いつも通りぬしの背中に向かって『またの』と言ったのじゃ……その願いが叶わぬと知りながら……の……」
時々嗚咽を漏らしながら、さぎりは手をかすかに震わせて、涙をかみ殺していた。
「……大丈夫か?」
「あぁ……あと少しじゃ、最後までどうか聞いてくりゃれ……」
震える手をもう片方の手で押さえつけながら……さぎりは最後の話を語り始めた。




