立花村
「なんじゃ、また来たのかえ?ぬしも物好きよな……」
立花村に古くから建てられていた名も無き神社。
誰が一体、何の目的で建てたのかも分からぬその神社に……彼女はいつも、ひとりぼっちで立っていた。
「なぬ?今日はおてだまで遊びたいとな?まぁ構わぬが……良いのか?ぬしには他にも友がおるじゃろうに……わざわざワシなんかと遊ばんでも……」
「俺が遊びたいと思ったから、これで良いんだよ」
「……ふふ。そうか……そうか……なら、存分にワシと遊ぼうの、ぬしよ」
俺は彼女の、まるで『子供みたい』な笑顔が……どうしようもなく好きだった。
「……し……しよ……ぬしよ?」
ふと、意識の外からの呼び声に、思わず体がびくりと震えた。
「あぁすまぬ……せっかく寝ておったのに起こしてしまって……」
「……なんだ、さぎりか……俺、寝てたのか……」
枕元の時計に目をやる。結構寝ていたらしく、今にも日付けをまたいでしまいそうな時間帯であった。
「ふふ……なにやら幸せそうな顔をしておったが、どんな夢を見てたのじゃ?もしかして……ワシの夢だったり……とか?」
「……忘れたよ」
悔しいが、確かにさぎりの夢だった気がする。だがそんな事をさぎりに言ってしまえば、どうせこいつは鬼の首でも取ったかの様に調子に乗り、俺をからかうに決まっているのだ。そんなことは、断固拒否である。
……しかし妙だ。俺はおてだまで遊ぶほど小さい頃に、さぎりになんぞ出会ったことは無いのに……今のは一体『誰の夢』なんだろうか……?
「のうぬしよ?なにかボーッとしているが……まだ疲れているのかえ?無理をしてはならんぞ?なんなら話は明日にでも……」
「いや、大丈夫だ……話をしよう、さぎり」
確かにまだ多生の疲れは残っていたが、今はそれよりも、このどうしようもない『違和感』を拭いたくて仕方がなかった。
聞きたい事は山ほどある。が……まず最初は、やはりあの事を聞こうと思う。常に疑問だった、一番の謎を。
「じゃあさぎり、早速なんだが……なんで俺の事を『ぬし』と呼ぶんだ?」
「ふむ……やはりその話よな……説明すると少し長いが……構わぬか?」
「あぁ……いくらでも聞くよ」
事の始まり。全ての元凶。むしろこれを聞くための話し合いだと言っても良い。
「そう……さな……どこから話したものか……」
眠気をなんとか飛ばして、さぎりの次の言葉をじっと待つ……
「そうじゃのう……のうぬし、少し耳を貸してくれるか?」
「ん……?なんだ……?」
さぎりに言われ、耳をさぎりの方に向ける。言い忘れていたが、さぎりと俺はベッドの上で向かい合う様に座っていた為、必然的に、俺は首を90度曲げる形になった。
「ふぅ~……」
ぞわわわ!
「んなぁ!?」
突然、耳にさぎりの吐息がふりかかった。頭から首、背中にかけてぞわぞわとした感覚が走っていき、俺はなんとも情けない声をあげ、その場で跳び跳ねてしまった。
「あははは!緊張しすぎじゃぬしよ!そんなに肩を張らずに、もっと気楽に聞いてくりゃれ」
「お、お前なぁ……!」
「ふむ。結構耳が汚れておったの?後で耳かきしてやるから、楽しみにしとれ、ぬしよ」
またいつもの、さぎりのペースに持ち込まれた……まぁ、眠気が吹き飛んだのは、怪我の功名である。
「まずはそう……『立花村』の話から始めようかの。あの村がどうやって生まれ、なぜワシがあの村に居座っていたのか、その話をしようかの」
「……それは、どのくらい昔の話だ?」
「うーん、そうさなぁ……少なくとも、『織田なにがし?』とやらが暴れ回っていた時代よりは、もっと昔の話じゃな」
織田なにがし……ということは、少なくとも500以上前……こいつ、本当に何歳なんだ?
「ちょっと話は脱線するが……なんでそんなに生きてて、未成年飲酒を知らなかったんだ?どこかで知れそうなもんだが……」
「んー?例えばぬしが、言葉のうまく伝わらぬ異国の地に500年住まわされ、どこかで突然『昨日まで皆が飲んでいたものが、急に二十歳まで飲めなくなった』となって……それに気付くのに、一体どれだけの時間が必要かと思うかえ?」
「えっと……まあでも、急に周りが飲まなくなったらおかしいって気付くんじゃ……」
「では……その周りのものが、法を守っていなかったら?それは誰が教えてくれる?異国の言葉もよく分からぬというのに」
「それは……その……」
「……ま、ちょっと言い方が意地悪じゃったな。まぁ要するに、野生の獣に、人の世の移ろいは存外に伝わっていないと言う……ただそれだけの事じゃよ」
俗世に疎い とはまた違う、強めのジェネレーションギャップみたいなものだろうか?
いかんせん、さぎりは酷く天然なので、うっかり今日まで聞き逃していた可能性もあるが……まぁ、これ以上は考えないでおこう。
「と、話が逸れたの。はて、何を話そうとしてたか……そうじゃ、ではまずは……立花村の話から……の」
さぎりは少し息を整えると、部屋の窓から覗いていた月を静かに眺め始めた。
……よく水墨画で、月を眺める美人の絵が描かれることが多いが……なるほど、確かにこれは……『絵に残したくなる美しさ』であると思った。
「……ぬしは本当に、ワシを見つめるのが好きじゃな」
「……別に」
「むぅ、本当に素直じゃないの……ま、悪い気はせんがな……」
月の光に照らされながら、さぎりはいたずらっぽく俺に微笑んだ。その姿すらも……いや、言葉にするのは止めておこう。それは無粋というものだ。
「……あれはそう、今夜みたいに、月が綺麗に出ておった日じゃ……ワシは食べるものを探して、今まで一度も立ち寄ったことの無い地を歩んでおった」
とても遠く……まるでここでは無い、遠くの地を眺めるように、さぎりは目を細め、ゆっくりと語りだした。
「ふと山の近くに、小さな明かりが見えての。それはとても小さく、そしてとても静かな……暗い顔をした人々の集まりじゃった」
それはさぎりから見ても、かなり異質な集まりであったらしい。
世は戦乱の時代。誰しもが険しい顔をして、毎日のようにどこかで争いが起こっていた激動の時代。
そんな世において、ここまで静かで暗い顔をしている人間達というのは、日本中を旅していたさぎりであっても、そうそう遭遇しないタイプの人種だった。なにせそんな人間は……大抵すぐに、命を落としてしまうのだから。
「そこは世の戦乱から遠く離れていた場所でな、平穏を求めて旅をして来た人々が集まり、小さな村が出来上がっておった……それが『立花村』じゃ。そう、立花村はの……今で言う、いわゆる『世捨て人』の集まりだったのじゃ」
さぎりの話では、住人の中には元貴族の様な人間も居たらしい。俗世での争いや人間関係に嫌気が差し、何もかも捨てた人間達が身を寄せ合って出来た村……それが立花村の由来だとか。
「そんな特殊な成り立ちの村だけあって、ワシが人に化けてその中に紛れ込むのは、そう難しい事ではなかった。なにせ毎日のように、世捨て人が村に入ってきておったからの」
人に化け、人に紛れ、人として生きる……山で食い物が取れなかった時は、そうやって飢えを満たしていたそうだ。何とも妖怪らしい話である。
「まぁ……それも長くは続かんかったがな。なにせワシだけ、全く見た目が老けんかったからの。ワシが人ではないとバレるのに……そう時間はかからんかったわ」
どうにも人に化けるというのは簡単では無いらしく、いわゆる人の『老け』までは再現出来ないらしい。
いつまでも若く、いつまでも美しいままの人というのは、やはりいつの時代であっても、畏怖の対象になってしまう。さぎりが立花村の人々から避けられるのは、必然的な事であった。
「じゃがまぁ、そこまで悪い扱いをされた訳でもなくてな?ほれ、昔は今よりも、ずっと神仏が信じられておったからの……ワシはそう……『カミ』になったのじゃ。サギリノカミタチバナノヌシ……じゃ」
ここに来てようやく、さぎりの妙に『仰々(ぎょうぎょう)しい』名前の由来が判明した。
そう、さぎりは立花村で、神として奉られたのだ。世捨て人である彼らを、俗世から守るために、山から使わされた狐の神として……さぎりは村の全員から、すがるような信仰を受けていた。
「あの神社も、その時にひっそりと、俗世の人間にバレぬように建てられての……神社と鳥居以外になにもないのは、つまりはそういう事よ。とにかく目立ちたく無かったんじゃろうな」
なにもない、用途不明の『化かし神社』立花村において数百年間謎とされてきた神社の秘密が、こうも単純な話であったとは……羽車先輩が聞いたら、ガッカリすること間違いなしである。
「とまあここまでが、ワシが立花村に居座っている経緯なのじゃが……なにか質問はあるかの?」
「……その時には、寂しさはあったのか?」
神社で聞いて以来、ずっと耳に残っていた、さぎりの『待ちぼうけはもう嫌だ』という言葉……
さぎりはきっと、寂しさを感じながら今日まで生きてきている。その寂しさが、一体いつから続いているのか……俺はどうしても、それが知りたかった。
「……結構、ずけずけとした事聞いてくるの……まぁ……疎外感はあったかもしれんの……皆がワシを神として扱い……ひとつふたつ、距離をおいて話しかけてきとった……だがまぁ、そこまで寂しくは無かった。元々獣なんぞは一匹で生きていくもの、寂しさもへったくれもありはせん……ありはせんかったのに……の……」
こちらに向けていた視線を窓へと移し、さぎりはまた遠くの方を眺め始めた。
その顔はどこか悲しげで……俺はもうそれ以上、さぎりに質問を投げ掛けることが出来なかった。
「はぁ……いかんの……もう何百年も時が経つというのに……いまだに心が揺らいでしまう……」
「大丈夫か?少し休憩でも……」
「いや、良い……話を続けよう」
……まるで、さっきまでの食卓での元気が嘘かのように、さぎりはしゅんとしおらしくなってしまった。
耳は垂れ下がり、尻尾は力無くベッドに倒れている。見るからに元気が無さそうだ。
「……さぎり、ちょっと良いか?」
体を起こして、ぐいっとさぎりの方に身を寄せた。
「ど、どうしたんじゃ?急に顔を近づけて……?」
体を近づけて、腕をさぎりの頭の方へと伸ばした。
「あー……その……えっと……」
……風呂場の時も思ったが、こいつ、自分から俺に近づく時は余裕綽々な癖に、俺の方から近寄ると恥ずかしがるのは何故なんだ?本当に良く分からないやつだな……
「……さっきの恨みぃ!」
すぽ
「んにゃぁぁぁ!?」
さぎりが顔を赤らめてそっぽを向いたその瞬間に、さぎりの頭の上の狐耳の中に、人差し指をすぽりとはめこんでやった。
さぎりは思いっきり体を跳ねさせると、その場でうずくまり、耳をわしゃわしゃと動かし始めた。よほど不意打ちが効いた様だ。
「ったく。お前が肩を張らずに聞けと言ったのに、今度はお前が妙な空気になってどうするんだ。どうだ?少しは気が抜けたか?」
「き、気どころか……腰が抜けて……!」
「腰?」
言われて見てみると、さぎりの足腰が震えていた。どうやらやりすぎてしまった様だ……。
「その……自分で体持ち上げれるか?」
「む……無理ぃ……!」
「マジか……手を貸してくれ、引っ張り起こすから」
ぐいぃ……
引っ張り上げたさぎりの体は存外に軽く、あれだけ食べていた食料の重さは一体どこに消えたのかと、不思議でしょうがなかった。
「……細い腕だな」
手に掴んでいたさぎりの腕を改めて観察すると、野生に生きている割には存外に色白で、酷く細く、華奢な腕をしていた。
ほんの少しでも強く力をいれてしまえば折れてしまいそうなその細腕だが、実際は俺の何倍もの頑強さを誇る妖怪の腕である。一体この細っこい腕のどこにあんな力があるのか……つねづね、やはり人とは違う生き物だと、改めて認識させられた。
「の、のう……もう大丈夫じゃから……手を離して貰っても良いかの……?」
「ん?あぁ……悪い」
するりと俺の手から、白い指達が離れていく。恥ずかしがりながら、握られていた指を擦っているさぎりの姿が、妙に印象に残った。
「すー……はー……うむ。少し落ち着いた。気を使わせてしまったの」
「いや。俺はただ、いたずらの仕返しをしたかっただけだ」
「ふふ、そうかそうか……では、続きを話そうかの」
改めて、ベッドの上でさぎりと向かい合う。その大きな黒い目が、真正面によく見えるように、目を反らさずに、いくらでも眺めて居られるように……
「と、いかんいかん。ぬし、正気に戻っておくれ?」
「……む?あぁ……俺、またお前の目に囚われてたのか……」
「この目は少々『特別』でな……じっと眺めてしまうと、心が抜けてしまうのじゃ。気をつけておくれ。まぁ、ぬしに見つめられるのは嫌いではないがの」
深く深呼吸をして、心を落ち着かせた。あの目の魅力は中々に抗い難いが……気をつけてさえいれば、そうそう心は乱されない様だ。平常心平常心……。
「さて……では本題じゃ……『ぬし』の話をしようかの」
月明かりが差し込む部屋の中で、彼女はつぶやく様に、その言葉を噛み締めた。




